俺は今の方が好き
あまりの筋肉痛の辛さで唸っていたら、お母様に心配されて強制的に学校は休みになった。大量の湿布を貼られ、湿布臭い私は「筋肉痛にはストレッチですよ」とお手伝いさんに言われたので痛む身体を必死に耐えながら泣く泣くストレッチ。他にも大嫌いな黒酢を強制的に飲まされて、心までボロボロだった。
夕方になり蒼が帰宅したことをしり、ぷるぷるとした足で蒼の元まで行くと縋るようにへばりつく。
「姉さん、何してるの」
「蒼……助けて。黒酢はもう飲みたくないの」
「え、うん」
「ストレッチも痛いの」
「? そう」
半泣きの私を不思議そうに見ていた蒼が私が筋肉痛であることを思い出したのか、「急にはりきって運動するからだよ」と困ったように呟いた。きょろきょろと辺りを見回すと、蒼は鞄を廊下に置いて再び私の前に立った。
彼が何をするつもりなのかわからず立ち尽くしていると、蒼は左手で私の背中に触れて右手を膝裏まで持って行くと、一気に持ち上げた。
「ひょおおお!?」
「姉さん、声大きい」
だって声を出さずにはいられなかった。この状況はあれだ。創作の中でしか見たことのない〝お姫様だっこ〟というやつだ。しかも、イケメンな弟にお姫様抱っこって! 何このシチュエーションは!
「少し静かにね。他の人に見られないように運ぶから」
「え……」
「だって変な誤解されたら姉さんが困ることになるよ」
ああ……そういうことか。蒼と真莉亜は本当の姉弟ではない。だからこそ必要以上に近づくと変な噂を立てられるんじゃないかって、それによって真莉亜が嫌な思いをするんじゃないかって蒼は不安なんだ。私はそんなの大丈夫なのに。だって本当の姉弟じゃなくても、真莉亜にとって蒼が大事な弟であることには変わりない。
私を部屋まで運んでくれた蒼は少しして、温かいレモンティーを淹れて持ってきてくれた。
「これでも飲んで落ち着いて」
「ありがとう、蒼」
「……うん」
ぷかぷかと輪切りのレモンが浮かんでいるレモンティーを飲んで、ほっと一息つく。黒酢地獄は本当辛かった。私はお酢が大嫌いだ。できればもう二度と飲みたくないし、今後運動するときは筋肉痛に気をつけよう。
蒼の紺色のカーディガンにあるものがついていることに気づき、手を伸ばす。
「どうしたの?」
薄茶色の毛だ。人の髪の毛にしては短いし、毛質が違うように思える。動物の毛だろうか。けれど、この家には動物はいない。
そういえば、漫画の中で冷たかった蒼がヒロインの前で少し気を緩ませたのが学院の中で子猫と触れ合っていたときだ。確か子猫を内緒で飼っている人がいて、その子猫が脱走して偶然出会った蒼が嬉しそうに撫でていた。それをヒロインが目撃するんだった。
その時に蒼は「動物は好き」って言ってたんだよね。
つまりは蒼はひっそりと動物と触れ合ってきたわけだ。おそらくお父様達には動物を飼いたいなんて言えないんだろう。言ってもお父様もお母様も快く承諾してくれると思うけど、蒼はわがままを言わないようにいつも気を遣っているから。自分は養子で本当の家族じゃないってどこか一線を引いているんだよね。お母様なんて蒼を物凄く可愛がっているのに。
「蒼、どこかで寄り道したの?」
「え? していないよ」
うーん。だとすると学院内でついた毛かな。あ、そうだ。確かヒロインが蒼が動物好きだと知ったあと、蒼にこっそり教えてもらうんだ。学院の近くにゴールデンレトリーバーがいて帰りの時間帯に散歩をしていて、迎えの車が来るまでの空いた時間で時々抜け出して会いに行くんだって。それから二人が仲良くなりだして、真莉亜はさらに面白くなかったんだよね。
ふっふっふ! これで真実がわかったわ!
「この毛はおそらく犬の毛よね。人の毛とは質感が違うもの」
「え」
「蒼のカーディガンについていたわ。この家ではつくはずないでしょうし、てっきりどこかで犬と触れ合ってきたのかと思ったわ」
「…………よくわかったね」
あっさりと認めた蒼にドヤ顔をかまして、「私はお見通しよ」と微笑む。ちょっと探偵になった気分だ。姉さんの推理力すげーってなった? 驚いた?
「……怒らないの?」
「え、怒る? どうして?」
蒼が犬と触れ合ったからってどうして怒る必要があるのだろうか。
「だって姉さん、犬嫌いでしょ。小さい頃すごく嫌がっていたし」
えー! 必死に隠れて動物と触れ合っていた理由は真莉亜にあったのか!
「今はそんなことないわ」
「そうなの?」
「そうよ! だからもう気にしなくていいのよ!」
真莉亜は色々と蒼に気を遣わせていたんだなぁ。これからは蒼の苦労も減るといいんだけど。
じっと私のことを何故だか見つめている蒼が不思議そうに小首をかしげた。
「なんだか最近姉さん変わったよね。口調も時々崩れるし、笑い方も変わった」
「え、そ、そう?」
それはまずい。もっとお嬢様言葉を練習しないと。基本的に「〜ですわ」「〜ですの」って話す感じだよね。笑い方も上品にしなくちゃね。
「でも俺は今の方が好き」
落ち着いていて大人びた弟が見せる無邪気な微笑みは反則級なくらい可愛かった。な、なにこの子! 可愛すぎて萌える!
「け、けど学院内ではきちんとしないとダメよね」
「まあ、そうかもしれないね。でも、俺の前では普通に話していてもいいんじゃない」
「ええ、そうね」
なんて可愛い弟! この子に苦労をかけないためにも私は自分の身は自分で守って危険を回避していかなくては。




