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冷たくて優しい青の世界


 校舎から少し離れた別館にある花ノ宮の温水プールは終業式が行われるホールとは逆方向で人目につきにくい。


 原作では確か真莉亜にいじめを焚きつけられた子たちが浅海さんをプールに突き落とすんだ。そこに彼らが助けにくる。だけど、今回少し状況が違う。呼び出したのは高等部の生徒ではなくて中等部の生徒。

 助ける予定のヒーロー達はなんかあてにならないし、覚えのないいじめを私がしているってことになっているのも気にかかる。一体なにがどうなってこんなことに……。


 ドーム型の建物の前までたどり着き、少し乱れた呼吸を整えるように深く息を吸った。ガラス製の重たい扉を開けて、中に入るとプールサイドに人が見えた。


 あれは中等部の女子らしき三人組と、詰め寄られている様子の浅海さんだ。それになにやら危なさそうな不穏な空気だ。浅海さんのすぐ後ろにはプールがあって、あと二歩くらい下がれば落ちてしまいそう。


「なにをしているの」


 私の声に驚いた中等部の女子たちが一瞬表情を強張らせたけれど、こちらを見て安堵したように嬉しそうに微笑んだ。

 その微笑みにぞっとした。身体の内側から酷く冷えた感情が蠢き、今度は私が表情を強張らせる。

 私が来たことに安堵したのは、自分たちが〝真莉亜〟の望むことをしていると本人に気づいてもらえたと思ったからだ。


「おやめなさい」


 慌てて彼女達の元へと駆け寄り、浅海さんをプールから遠ざけようとした瞬間ーーーー黒髪を高い位置で一つに結んでいる女の子が浅海さんの肩を押した。

 咄嗟に私は浅海さんの手を引いて、プールサイドへと突き飛ばして落ちることを回避した。どうやら私は日頃の成果がここでも発揮されていることに気が緩んでしまったようだ。


「え!?」


 誰かが私の背中にぶつかり、バランスを崩して身体が傾く。


 うそ……マジで。


「雲類鷲さん!!」


 浅海さんの声が聞こえたものの、彼女の伸ばした手には届かない。周りにはなにも掴むものがなく、突然の浮遊感に心臓が大きく跳ね上がる。抵抗もできぬまま私は無様に青い世界へと落ちていく。


「ぶごっ!」


 音が変わる。耳を水に覆われ、鈍い音に支配される。肌を刺す水温が冷たく、空気が泡になって溶けていく。淡い光が差し込む残酷な青の世界を辛うじて開いている目でぼんやりと眺める。


 身長が低い私にとっては少し深めだけれど、つま先を地面につければなんとか立てるはずなのに前世で死んだ時の記憶が全身を駆け巡り、恐怖で身体が思うように動かなくなる。


「……のせ……わ!」

「……すんの!…………ないと……じゃう!……ん!」


 叫んでいるのは誰だろう。浅海さん?


「……ら……にしてんだよ!」


 苦しい。そろそろ限界がくる。もう一度、水の中で死んでしまうのなんていやだ。早くなんとかしないと。てか浮いてこないんだから助けて。


 あ……もう、だめ。


「ぶぼ……っ」


 息止めるの限界。


 ぐらりと頭が後ろへと倒れかけた時だった。私の腕を誰かが掴み、勢い良く引っぱり上げた。温かな誰かの体温に縋りつくように私は無意識に抱きつく。


「っおい!!」


 必死に肺が酸素を求め、浅い呼吸を何度も繰り返す。肺が押しつぶされそうなほど苦しくて、鼻の奥がツンと痛くなる。生理的な涙がじわりと滲んだ。


 怖かった。本当にまたあの恐怖を味わうのかと思うと、身体が震えてうまく動けなかった。


「お前、何してんだよ!!足つくだろ!」


 少し痛む目を強引に開くと、しかめっ面をした彼がプールの中で私を抱きかかえてくれていた。


「き、りゅう……さま」


 彼らの中で一番意外な人が助けに来てくれたことに心底驚いた。あの中で私のことを一番苦手に思っていそうな男、桐生が水の中に飛び込んできてくれるなんて。水に濡れて髪の毛がぺちゃんこになっていて、普段よりも少し幼く見える。



「……もしかして水ダメなのか?震えてる」

「前に、溺れたことがあって……それから苦手で」


 ようやく呼吸が落ち着いてきた。髪や服が身体にべったりとくっついて気持ち悪い。全身ずぶ濡れになっちゃったし、蒼に知られちゃうだろうな。怒られるかな。


「ちょっと我慢しろ」

「へっ!?」


 桐生は私の膝裏に腕を通すと、肩を抱いて自分の方へと引き寄せてきた。完全に足が浮き、桐生の腕の中で支えられている形になり驚きのあまり間抜けな声が漏れる。


「な、なにしてるんですか!?」

「水の中なら軽いから気にすんな」

「いや、そうじゃなくて!」


 こ、これって……水中お姫様抱っこ!? しかも、相手は桐生ってことにも脳内パニック状態で、うまく言葉がでてこない。

 けれど、泳げない今の私はこうして桐生に運んでもらうしかない。冷え切った身体の内側から恥ずかしさで熱がこみ上げてくる。ありがたいけど、早く終わって!


「水怖いくせに必死に助けようとするなんて……変なやつ」

「だって……飛び込まないと、浅海くんが」


 制服が透けて、女だということがバレてしまうかもしれなかった。それだけは防いであげたかったんだ。


「俺はあんたは自分で動かずに誰かを動かせる人間だと思ってた」

「……そうですか」

「身を投げ出すのはすげぇけど、あんま無理すんな」

「……はい」


 原作と同じでヒーローである天花寺が助けるべきだったのかもしれないけれど、今回は覚えのない不穏な動きがあったし、自分の目で真実を確かめに行きたかった。誰が私の〝フリ〟をして浅海さんを追い込んでいたのかを。結局わからないままだけど。


「あの」

「なに」

「ありがとうございます」


 桐生は無愛想だし、棘のある発言ばかりで腹立たしいけれど、この人のお陰で助かった。あともう少し遅かったらどうなってたかわからない。


「……譲から頼まれたからここに来ただけだ」

「そう、彼が」


 雨宮があのとき連絡していたのは桐生だったんだ。桐生のクラスの方が階段に近いので既に校舎を出ている可能性が高かった。だからこそ、雨宮は桐生に頼んでプールに向かってもらったんだ。


「桐生様」

「なんだよ」

「助かりました」

「……別に」


 彼らしい返答が今は妙に安心感を与えてくれる気がした。

 視線を上げて表情を盗み見る。桐生は決して笑わない。だけど、いつもよりは少しだけ柔らかな表情に思えた。





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