鈍い痛みが広がって
六月に入り、ニュースで梅雨入りが発表された。
分厚い灰色の雲が空を覆い、先生の声が途切れるたびに窓ガラスに雨が吹き付ける音が聴こえてくる。雨を嫌いな人は多いけれど、私は雨が降っているのを眺めているのは結構好きだ。
授業が終わり、女子生徒達に囲まれている天花寺をぼんやりと眺める。さっきの授業の話をされているみたいだけど、聞きたいことがあるなら先生にすればいいのに。
けれど、天花寺は笑顔で彼女達に対応している。人気者は大変そうだ。
「……っ」
眉の裏側辺りに鈍い痛みが走る。昨夜、自分を殺す相手について考えていて夜更かししたせいで寝不足なのかもしれない。もっと早く寝ておけばよかったな。
「真莉亜様」
こんなタイミングで同じクラスの女子達に声をかけられてしまった。できれば早めに話を切り上げたい。
「先日パーティーで蒼様とお会いいたしましたが、真莉亜様に似てとても素敵な方でしたわ」
面と向かって身内を褒められると嬉しいけれど、くすぐったい。こういうときって何て答えるのが正解なんだろう。ただ曖昧に微笑むことしかできなくて、肯定することも否定することも捉え方によっては嫌な感じになってしまうのではないかと思ってしまう。
それにしても、似てるかぁ。私としては嬉しいし、血は繋がっているんだから似ていてもおかしくはないと思うけれど、蒼は似てると言われると複雑そうな顔をする。何年経っても、どこか家族の中で一線をひいていて自分は本当の家族じゃないと遠慮をしているような節がある。
学校の人達は私と蒼が本当の姉弟ではないことを知らない。もちろん雲類鷲家が蒼を引き取ったことを知る大人もいるだろうけれど、わざわざ子どもに話している人はいないのだろう。入学してから一度も聞かれたことがないし、みんな本当の姉弟だと信じている。
「お二人はお美しくて本当に目の保養ですわ」
頭の痛みが増してきた。早いところ話を切り上げて、保健室にでも行きたい。けれど、目の前の子達は目を輝かせながら興奮気味に蒼の成績がいいことや運動が得意だということを話していて、切り出すタイミングが掴めない。
どうやってこの状況を打破するかと悩んでいると、名前を呼ばれた。
「ごめん、ちょっと彼女のこと借りてもいいかな」
先ほどまで女子生徒に囲まれていたはずの天花寺がやんわりとした口調で間に入ってきた。
頭が痛いのに天花寺に捕まってしまうなんて、なんという災難。顔に出ないように必死に表情を繕う。
「ごめんなさい。お話の続きはまた」
彼女達に断りを入れて、教室から出て行く天花寺の後を追う。一体、私になんの話があるのだろう。不安に駆られながらも廊下に出て、階段付近まで行くと天花寺が振り返った。
「……ええっと、天花寺様?」
いくらなんでも眼前にイケメンが立っていて、じっと見つめられていたらさすがに私だって恥ずかしくなってくる。
用件を早く言ってください。心臓も騒がしいし、頭も痛いんです。助けてください。
「雲類鷲さん、あんまり無理しちゃダメだよ」
「はい?」
「具合悪いよね」
いつもふわふわとした感じで呑気な天花寺が珍しく笑顔もなくて、まっすぐな眼差しで私を捉えている。
「どうして……わかったのですか」
「顔色がよくないし、少し辛そうだよ」
隠しているつもりだった。もしかして、私って結構顔に出やすいのかな。天花寺に気づかれちゃうなんて。
「医務室行こう」
「一人で行けますわ」
「念のため医務室の前まで送るよ」
倒れそうなほどの体調不良じゃないし、大丈夫なんだけどな。頭痛薬もらえればいい。
「風邪ひいたときは誰かに頼ったり甘えたほうがいいよ」
裏表のない優しい微笑みがくすぐったくて、目を逸らした。多分原作の真莉亜は天花寺のこういうところに憧れて惹かれたんだろうな。
原作の真莉亜にはスミレも瞳も傍にいなかった。きっと本当の意味で友達と言える存在もいなくて、決められた仲の悪い婚約者と威圧的な伯母の存在によって自由に恋をすることを許されていなかった彼女にとって天花寺のような人は眩しかったのではないかと思う。
「雲類鷲さんはいつもなにか一人で難しそうな顔しているよね」
「え……そうですか?」
普段のふわふわとした天花寺を見ていて、勝手に鈍いと決めつけていただけなのかもしれない。私がわかりやすいんじゃなくて、きっとこの人が周りをちゃんと見ているんだ。だからこそ、この人は漫画の中のヒーローだったんだよね。……原作よりもちょっとヘタレだけど。
「なにかあったらいつでも言ってね。俺で力になれることがあれば協力するからさ」
実は私前世の記憶を持っていて、ここは漫画の世界にそっくりなんです。漫画の中だと浅海さんいじめの中心にいて貴方に恋をしているけれど、完全に振られてる立ち位置でした。しかも私誰かに殺されちゃうんですよ。その犯人わからないので一緒につきとめてもらえますかー?なんて言えるはずがない。
とりあえず「ありがとうございます」と笑顔で返しておいた。天花寺は良い人なんだと思う。それに力もあるし、困ったことがあれば本当に協力してくれるのだろう。だけど、私の話をすんなりと信じてはくれないだろう。私が逆の立場だったら、この人夢と現実がごちゃごちゃになっているのかなって心配になる。
「先生には俺から言っておくから、ゆっくり休んで?」
医務室の前まで着くと、天花寺は私の体調を気遣うようにそっと顔を覗き込んで優しい言葉をかけてくれた。
「お大事にね」
「あの……ありがとうございます」
言えるわけがない。なにかあったら言っていいと、協力してくれると言ってもらえたことは嬉しかった。でも、私の悩みごとは打ち明けられるような内容じゃない。この先自分が死んでしまう未来を変えていかなくちゃいけないんだ。




