悪意の棘の矛先は
気分が重たくなるあの日が来てしまった。
花ノ姫の集まりである庭園での花会。パピヨンと呼ばれているだけあって、ここにあるものは蝶のモチーフのものばかりだ。長いテーブルを囲むように花ノ姫がずらりと座り、紅茶とお菓子を楽しんでいる。これはいつもどおりの光景だ。
蝶が描かれたティーカップに口づけて、周囲の様子を窺う。
……あ、この紅茶美味しい。オレンジみたいな香りがして、ほんのりと甘さが口内に広がる。
「本日の紅茶は爽やかでいい香りね」
「ボヌールフイユのオランジュ・フルールという紅茶のようですわ」
「まあ、通りで柑橘系の香りがするのね」
なんてのほほんとした会話が聞こえてくる。今日は何事もないといいけど。花ノ姫は全員が仲がいいわけではないし、人間だから相性もある。時折、嫌味を言い合ってバチバチと火花を散らすバトルを繰り広げる人もいるんだよね。この花会は読者にはサバトと呼ばれていた。
「スミレ様が召し上がっていらっしゃるのは何かしら」
「ブリオッシュですわ」
スミレは控えめに微笑みながら、ブリオッシュにラズベリージャムをつけて食べている。普段なら豪快に食べているけれど、花会ではお上品に食べていてホッとした。
茶道室でのプチケーキパーティーの時は、顔面ダイブしてから開き直って猫かぶるのやめちゃってたから、花会でボロをださないか少し不安だったんだよね。
普段のうわははと笑うスミレを見たら、あの人たちはどんな嫌味を言ってくることやら。
「そういえば……ある噂を耳にしたのですけれど」
斜め前に座っている英美李様がティーカップをソーサーに置き、視線だけこちらに向けてきた。
ひえー、なんかロックオンされた!
「最近真莉亜様は、野良犬を可愛がっていらっしゃるのだとか」
「野良犬……ですか?」
野良犬ってなに? 最近犬と触れ合った記憶なんてない。何かと間違えているんじゃないの?
「ええ。真莉亜様にスープをかけた非常識なあの方のことですわ」
ちょっと待って。野良犬って浅海さんのことだったの? 別に浅海さんはわざとスープをかけたわけでないし、非常識って言い方はどうなんだろう。それに最初から浅海さんって言えばいいのに嫌な感じだなぁ。
「英美李様、そのような言い方をしてはいけないわ。けれど……彼のような方がこの学院にいることで風紀が乱れるのではないかと不安になっている方もいらっしゃるようですわ」
英美李様の発言を注意して、自分の意見じゃないけれどこういう意見もあるという風に話す雅様はタチが悪い。本当は自分も浅海さんのことが気に食わないんだろうに。
「それに揉め事があったと聞いたわ。しかも、真莉亜様と天花寺様に落書きを消させたのだとか! 身の程知らずだわ!」
「まあ……お二人の手を煩わせるだなんて。それはよくないわ」
憤慨している英美李様とわざとらしく悩ましげな表情をしている雅様。この人たちはとにかく浅海さんを悪者にしたいらしい。
「……どうして彼が悪いのでしょうか」
口を開いたのは、普段はこういった場ではあまり話さないスミレだった。
「一番悪いのは彼に嫌がらせをしている方ですよね」
眉根を寄せてこの状況に嫌悪感を露わにしているスミレの発言に場が凍りついた。雅様は笑顔を保ったまま口を噤み、英美李様は不服そうにスミレを睨みつけている。
「スミレ様は、彼に同情しているのかしら。けれど、真莉亜様が酷い目に遭わされているのに彼を庇うだなんて無神経ではありませんこと?」
「英美李様、私は大丈夫ですので……」
「まあ、真莉亜様はお優しいのね!」
英美李様は自分の非を認めたくはないらしい。私としては気にしていることじゃないし、むしろ原作のまま雅様にかかったほうが恐ろしかったから、被害に遭ったのが私でよかったくらいだ。
「けれど、いくらスミレ様といえど発言には気をつけた方が」
「気をつけるのはご自分の方ですよ、英美李様」
勝気な英美李様に対して、鋭い視線を浴びせている瞳。瞳も普段あまり口を出さないけれど、スミレのことになれば別だ。彼女が白百合の騎士と呼ばれているのは、スミレを常に守っているからだ。
「っなにを……私が間違っているとおっしゃるの?」
「スミレは間違ったことは言っていない。野良犬とか身の程知らずとか、失礼なことを言ったのは貴方だ」
スミレを責めようとした英美李様に瞳は静かに怒りを露わにしている。彼女にとってそれほどスミレが大事な親友なのだろう。英美李様も瞳の前でスミレを責めたらこういう展開になることくらい少し考えたらわかることだと思うんだけど。
「失礼ですって!?」
「英美李様!」
今にも怒りに震えてテーブルを叩きそうな英美李様の名前を呼び、こちらに視線を向けさせる。このままだと英美李様と瞳の喧嘩がヒートアップするだけだ。
「英美李様も雅様も先日のスープの件で心配してくださっているのですよね。ありがとうございます。けれど、彼は話してみると優しい方でした。クラスメイトとして私は落書きを消しただけであって、彼は何も悪くありませんわ」
本音はスープの件で心配なんてしていないだろうけど、そういうことにしておいて二人を立てつつも、浅海さんはいい人だということを伝えた。
英美李様は顔を顰めていて不満げだったけれど、ここは抑えてほしい。瞳にも穏便にお願いしますという思いを込めて視線を向けると、困ったように微笑んで小声で「ごめん」と謝罪した。
「お主ら……人を呪いたければ、私がいつでも呪いの方法を教えてやるぞ」
声の方向を見やると、うさぎのパペットが「くふふふっ」と口元に両手を持っていって笑っている(ように見せている)。
「ただし、呪いにはそれ相応の覚悟がいるがな」
パペットちゃんは場を和ませようとしたのか、それとも素で言っているのかわからない。英美李様が引きつった微笑みで「結構ですわ」と答えていて、パペットちゃんは残念そうにしていた。……素で言っていたんですか。
パペットちゃんによって場の空気が変わり始めた直後、咳払いが聞こえ、花ノ姫たちの視線が一箇所に集まった。




