第五話(1) 一緒に行く?
顔面を何かがペロペロと舐めている。
「ベルナー、兄ちゃん起きたみたいだぜ」
「お、そりゃよかったよかった」
瞼を開くと、視界いっぱいに犬の顔が飛び込んできた。たぶんこいつに舐められていたのだろう。
「……モモ?」
「モモだぜ!」
「気分はどうだ? 魔力消費えぐかったみたいだからな、無理すんなよ」
モモの横からベルナーの顔も視界に入り込んでくる。
とりあえず誰も死んでいないことにホッとして、そして全身に広がる倦怠感を認識して、俺は再び目を閉じた。
「うーん…………気持ち悪い……」
「ガハハ、良かったな。それが生きてる証拠だ」
ベルナーはガハハと笑い、そして俺の目の上に濡れたタオルを置いてくれた。
そのまま休んでいると、魔力が回復してきたのか少しずつ体調が戻ってくる。良かった、魔力の回復が早いほうで。
起き上がれそうになったので、タオルを取って上体を起こす。
そして、辺りをぐるりと見回した。
記憶では金属質の壁に囲まれた部屋だったが、今俺の目の前にあるのは、木々がまばらに見えて陽の光が燦燦と降り注ぐ開けた場所。
ちょうど日陰になっているところで俺が寝ていて、そばでベルナーが何か鍋をかき回していたところだった。
なんだか平和で、落ち着いていて、静かで。
意識を失ったときの状況とあまりに対照的で、思わず首を傾げた。
「ここは?」
「マスターゴーレムを倒したとこから、出てすぐの森だ。ようは、山脈の向こう側ってことだな」
ベルナーが話すには、マスターゴーレムを大砲で倒したあと、大砲が壁に収納されたかと思うと外に繋がる扉が突如として出現したらしい。
外に出てモンスターに出会うのは避けたかったが、倒れた俺の看病などゴーレムの破片がちらばるボス部屋でできるはずもないので、ひとまず外に出てきたのだとか。
「俺が倒れちゃったばかりに、ごめん」
「気にすんな。このあたりのモンスターなら、俺は片手だけでも倒せるからな」
「それに、このダンジョンを完全制覇したから、このあたりはモンスターが出なくなったぜ!」
再びガハハと笑ったベルナーと、俺の膝の上で丸まるモモ。
なんだか張り詰めていた心が楽になって、俺はふう、と息を吐く。
そんな俺の様子を見ていたベルナーが鍋をかき回す手を止め俺のそばまでやってきて腰を下ろすと、「すまねぇ!」と勢いよく頭を下げた。
「一発目の冒険だってのに、とんでもねえ戦いに巻き込んじまった」
戦闘ジャンキーという噂を聞いていたから、「楽しかったな!」とか言うのかと思っていたから、思わず面食らってしまう。
しかしその声音には冗談めいたものなど一切ない。
「頭を上げてよ、ベルナー」
俺の言葉と共にベルナーは顔を上げる。
その表情がまるで怒られて気落ちしている子犬のようで、思わず噴き出してしまった。
「……なんだよ」
「くくっ……ごめんごめん。まさか悪徳宰相みたいな顔して俺を強引にバーティに誘った男が、そんな顔をするとは思わなくて……ふっ」
頭に犬耳が生えて、ぺたんと元気なく垂れている幻覚が見えるようで、俺は最後まで笑いをこらえきれなかった。
「悪かったとは、思ってんだ。俺だって」
「まぁでも、楽しかったから、いいよ。許してあげる」
少なくとも、辛かったり怖かったり、と悪いことだけではなかったのだ。
王都にいてはわからなかったことをたくさん知れたし、武器調整屋を始めてからすっかり忘れていた、調整スキルの楽しさも思い出した。
それに、旧文明の技術とかいう、すごく楽しいものも知れた。
あの高揚感は、まだ体の中でくすぶっている。
「だからそんなしゅんとしてないで」
「……お前が良いってんなら、良いけどよ……」
「あ、でも帝国に行くまではもうダンジョン寄るのはやめてね」
一瞬元気そうになったベルナーだったが、すぐに再びしゅんとなった。
この野郎まさか、ここからダンジョンに寄り道しようとしてたわけじゃないだろうな。
俺もそれなりに魔力を使いはしたが、ベルナーも大量のゴーレムを倒してたし、マスターゴーレムと結構な死闘を繰り広げてたと思うんだけど……
もしかしてギルドの副統括長にもなると、体力は一瞬で回復するスキルも持ってたりするのか?
「そういえば兄ちゃんたち、帝国に向かってるんだったか」
モモがそう言いながらのそりと顔をあげる。
「そうだよ。……って、そっか……となるとモモはここでお別れなのか」
ダンジョンから発生したものは、基本的にダンジョンの敷地から外に出ることはできない。無理にダンジョンの外に出ようとしても、謎の見えない障壁に阻まれて、外に出られないのだとか。
モモは物心ついたときにはこのダンジョンにいた、と言っていた。
誰かが捨てていった、というのも考えられるなくはないが、喋る犬ということを考慮すると、まぁ十中八九、遺跡から湧いた何某かだろう。
「まぁ、ゴーレムが新しく湧かなくなったことを考えると、ここに住んでても別に悪かないと思うけどな」
「え、でも仲間のよしみじゃん。一緒に冒険したの、一日もないけど」
く~ん、と悲しそうに、でも極低温で鳴くモモの頭を撫でる。
一緒に過ごした時間は少なかったけど、人生を変えるような出来事を経験したときに一緒にいたのだ。
このままさよならだと、ちょっと寂しい。
「…………ん?」
なんだか違和感を覚えて、撫でる動きを止めた。
モモが不思議そうにこちらを見上げているが、それをよそにこの違和感の正体を探るべく考えを巡らせる。
いや、ふわっふわの毛並みに、動物のような温かい体なのだが、なんだろう。
普通の生物を触っているには触っているが、なんかそうではない何かがあるような……?
「ねえ、モモ」
「なんだぜ?」
「……調整スキル使ってみてもいい?」
旧文明の機巧を触ったからこそわかる、この違和感。
なんだかモモの体が、先ほどの旧文明と同じような感触がしたのだった。




