第四話(1) ダンジョン最奥部の、もっと奥
「掴まれ!」
浮遊感が全身を支配する。
しかしそれと同時にベルナーが俺の腕を掴み、もう片方の手で三又の金具を壁にひっかけはじめた。
俺はモモを離さないようにぎゅっと抱える。
金具は運よく途中の壁のデコボコにひっかかったようで、ひときわ大きな衝撃とともに落下は止まった。
「ふぅ……」
「ありがとう、ベルナー……」
下を見ると、奈落の底とでも形容できそうなほど底が見えない。
それから数分して、ドンと大きな音が聞こえたから、先に落ちていったゴーレムたちが地面に突撃した音なのかもしれない。
そこから算出すると、本当にこの穴はあまりに深い。
「さぁて、困ったな。このままいるには俺の腕が危ねぇ」
俺の腕を掴むベルナーの手が震えはじめる。
たしかに彼の言う通りで、ベルナーはいま一人と一匹の体重を片方の手に、もう片方で壁に引っかかった金具をしっかりと掴みながら俺たちの体重を支えている状況だ。
ちなみにモモは息を荒くしながら舌を出し、体をぶるぶる震わせたまま黙っている。
こうしていると犬みたいだよな。いや、犬だけど。
ベルナーが副統括長じゃなくて普通の冒険者だったら、きっとすぐにでもゴーレムたちと同じ末路を辿っていたことだろう。
そこに少しだけ安心する。
とはいえ時間がない。このまま数時間はさすがにもたない。
「ちょっと待ってね……」
「なんか解決策とかあるんか?」
「いや、まだわかんないけど……もしかしたら」
実は崩落していく床を見ていたとき、少し違和感を覚えていた。
一瞬、部屋全体に魔法陣のような紋様が浮かび上がったのが見えたのだ。
一部の特別な魔法具や、旧文明と呼ばれるほど昔に作られた魔法具には、魔法陣と呼ばれる円形の幾何学模様が描かれているものがある。
これは規模が大きかったり機巧が複雑なものだったりするものに描かれていて、大きくなるほど不安定になる魔法具を安定させる効果や、複雑すぎる魔術回路を所定の方法で使用する補助の役割を持つ。
先ほど見えた魔法陣は、この部屋の床から天井まで隙間なく敷き詰められていた。
つまり、この空間全体が、魔法具ということになる。
「もうちょっとだけ我慢できる?」
「あと2分くらいが限界だぜ」
「それくらいもらえるなら大丈夫。ちょっとこの部屋の回路いじってみる」
ベルナーに確認だけして、少し腕を伸ばして壁に手を当てる。
ぎゅっと目をつぶって魔力を通すと、思った通りで、魔術回路が壁一面にびっしりと埋め込まれているのが見えた。
ここに来る前の床や壁と違って、これなら俺に対処できる。
そうして緻密な回路を壊さないように、ただめちゃくちゃ急いで回路を調整して壁から突き出すように動かすと、俺たちの少し下でめりめりと壁が動き応急的な足場ができた。
二人座れるくらいの空間しかできなかったが、モモは俺が抱き上げているし、大丈夫なはず。
「……限界だっ!」
「ベルナー、もう大丈夫!」
「っ…………はぁーっ!」
ベルナーが金具から手を離す。
再び少しの浮遊感があったが、すぐに足場に着地した。
二人と一匹の体重を一気に受けた足場だったが、意外にも頑丈なようで埃は出れど、ヒビはまったく入らなかった。
「も、もう大丈夫なんだぜ……?」
ずっと俺の腕の中で震えていたモモが、首をぐりんとこちらに向けて、瞳をうるうるさせてこちらを見上げる。
「うん。とりあえずは一旦」
「あー……ひっさしぶりに、ハラハラしたぜ」
「ベルナーもありがとう。助かったよ」
「なんてこたないさ」
得意げに口端を吊り上げるベルナー。
とはいえ、彼がいなかったら俺たちはあのまま自由落下のちぺちゃんこになっていただろうから、今回はこの戦闘ジャンキーにしっかりと感謝しておこう。
…………彼が大量のゴーレムを倒しつづけ、この最奥の部屋に入ってなかったら、こんなことにはなっていない、というのは一旦脇に置いておいて。
「とはいえ、ここからどうすっかね」
「うーん……さっきまでいた上にあがってみる?」
この足場はあくまで応急措置。
ここから上に戻るなり、下のほうへ冒険するなりして、このダンジョンから出ていかないといけない。
「だが、あのボスを倒さねえと、扉は開かねぇ仕様になってるはずだ。俺たちゃ、あれを倒してねえだろ?」
「さすがに、こんな深いところまで落ちたら砕けるなりなんなりしてそうだけど……」
だってさっき、すごい音なったもん。あれで無傷だったらどんな武器が通るのさ。
うーん、と二人して悩んでいると、腕の中のモモが再びこちらを向いた。今度は泣きそうな様子ではなかった。
「兄ちゃん、あんた回路をいじれるんだろ? だとすれば扉が開いてるかわかるかもしれねえし、もしかしたら回路切れば扉開くんじゃねえか?」
「たしかに、ちょっとやってみる」
たしかにこの部屋はどこもかしこも回路が敷き詰められている。
すこし時間はかかるが、その回路を伝ってみれば上階の様子も見られるし、もし扉も魔術回路で制御されていたら、その回路を切れば脱出できるかも――
そう思ってやってみたのだが。
「…………ダメみたい」
十分ほど試行錯誤して額に汗を滲ませた俺は、がっくしと項垂れた。
最奥の部屋の扉は、回路でこれでもかというほと雁字搦めにされていた。
しかも一本回路を切れば二本脇から回路が伸びてきて、さらに強固に扉を開かないようにするとかいう、とんでも設計だった。
誰だこんなの作ったのは!!!!!
そもそもなんで回路が増えるんだよ! どこから湧いてきた!
「となると、下しかねえわけだ」
「だね……って」
気落ちしながらベルナーを見上げると、彼は爛々とした目つきで眼下を覗いていた。
「ベルナー?」
「なんだ、カイン?」
その爛々とした視線が俺を射貫く。
なんなら視線だけじゃなく表情までもがとても嬉しそうだった。頬は緩んでいるし、目は楽しそうにかっぴらいてるし。
「冒険者って、みんなそうなの?」
「そう? なんだそれ」
ただ無自覚なようだ。
そりゃ、今まで踏破したと思っていたダンジョンが未踏破で実はまだまだ続きがあるだなんて、冒険者的には美味しい話だろう。
しかも自分が一番手。冒険者的に、栄誉以外に何があるという話だ。
「んじゃ、降りるとすっか」
「はぁ…………」
まるで新しいおもちゃを見つけたようなキラキラした表情でそう促され、俺は思わずため息をついてしまった。




