第68話:青の孤独。不器用で鈍感なわたしだから
授業の時間が刻一刻と過ぎていく。
あと何分? 2分? それとも1分?
授業の内容なんてもうほとんど頭に入っていない。この際赤城さんに全部教えてもらうのも悪くないかもしれない。果たして彼女がこの授業の内容を覚えているかはさておきとして。
あと10秒。……3。2、1……。
キーンコーンカーンコーン。わたしの戦場の始まりを告げる合図が校内中に鳴り響いた。
「えーということでぇ。今日の授業は――」
「終わりだよね! それじゃ!」
「あっ! 待ってください!!!」
赤城さんがバッグにカバンやノートを詰め込むまでラグが3秒。
この3秒でわたしはまずは声をかけることで、相手を牽制。ひるませることができるはずだ!
文字通り成功した。赤城さんはこちらの方を向くと、焦りつつもその先の言葉を待つ。律儀だなぁ。
「こらー、授業中は席を立たない――」
「えっと、その……」
ここでわたしが大失態! こんなところで「パパ活やめてください!」なんて言ったら赤城さんの面目に傷が付きかねない。
どういう言葉にすればいい? 無理しないでくださいって言いましたよね? とか。それとも、わたしじゃダメですか? いやいや、それじゃあなんか違う意味合いに変わってくるというか、えーっと! えっと! そうじゃなくって……!
「ごめん! マジ急いでるからまた今度ー!」
「あっ!!」
くそ、こうなったらプランBだ。
プランBなんてそんな大層なものはない。何も考えずに走るんだーーーーー!!!
「あ、ちょっ! 青原さん!」
「急にお腹が痛くなってきましたー!」
「そんな元気に走れるもんかー!!」
うるさいうるさい。今は赤城さんを止めなきゃいけない。
パパ活とか絶対そういうのはさせたくない。ギャルだからやってると思われてもいいけど、実際にやってたらわたしが大変ショックだから!
わたしが教室に出ると、栗毛の後ろ髪が曲がり角の先へと消えていく。
速すぎでしょ?! ちょっと待って、実は現役のマラソンランナーだったりします?
そんなことないですよね。趣味でランニングしてるって言ってたから。これは本気で走らなきゃ。くっそぉぉぉっぉおーーーーーーー!!!!
階段を1段飛ばしで下りつつ、目的地は下駄箱。
そこでなんとか倒れ込んででも止めるしかない。
はぁ……! はぁ……っ! 数十秒走ってるだけなのにもう心臓がはち切れそうなほどしんどい。肺は痛いし、足は鉛のように重たくなってきた。
運動不足なのが目に見えているけれど、予想以上に自分の体力の無さに呆れて物が言えない。
けれど今は赤城さんにパパ活やめろを告げなきゃ! わたしのために体を売るなんて。そんな……。
「ぞんな、ごど……し……はぁ……っっ! はぁっっ!! はぁはぁはぁ……っっっ!!」
「うぉっ! ビックした……。えっ、青原追ってきたの?!」
「はあー! はぁ!! はぁ……っ! っ! はぁ……はぁ……」
「うわダメそうじゃん……」
ダメじゃないもん! ギャルが速すぎるだけなんだもん!
わたし悪くない! 運動してない方が悪いとか言うんじゃない!
だけど、ちょっと……。無理。
赤城さんに肩を貸してもらって、その辺の壁にもたれかかる。
はぁ……はぁ……。多分高校に入ってから1番運動したんじゃないかな。体育の持久走はさておきとして。
「はぁ……。はぁ…………。あかぎさん、速すぎ……」
「いや、あんたが勝手に追ってきたからでしょ」
あー、頭が全然回らない。もうちょっと気の利いたこと言えればよかったけれど、そんな事ができればもっとうまくやれてたはずだし。
つくづく自分の頭の悪さに嫌気がさす。とりあえず言う事言わなきゃ。
「はぁ……はぁ……。赤城さん……っ!」
「あ、はい。なんすか」
「パパ活やめてください……」
「…………」
しばらく沈黙。およそ2秒。
「はぁっ?!!!!」
それから事情を話すまで2分ぐらいはかかった気がする。
赤城さんのことだ。どうせ今回もわたしのために何か奮闘していたのだろうけど、いやパパ活だけは。パパ活だけはやめてほしい。もっと自分の体を大事にしてくださいよ、ホント……。
「青原、まさかそれで止めに来たの?」
「はぃ……。はぁ、はぁ……。疲れた」
「疲れてんのはこっちなんだけど……」
やっぱり腰とかメンタル面とかやられちゃってる感じですかね?
対人相手はストレスを感じやすいだろうけど、赤城さんのことだ。うまくその辺を対処しているはずだ。
「まず、あたしは青原がいるんだからパパ活とかしないし」
「……えぇ?」
「むしろなんでそんな意外そうな顔してんのさ。やっぱりまだギャルの偏見付いてる系?」
「いえ、JKが手っ取り早くお金を稼げる方法って言ったら、自分の体を売るとかするのかなって」
「ネットの偏見に呑まれすぎっしょ……」
赤城さんも隣に座ったかと思えば、カバンからスマホを取り出していくつか操作。その画面を見せてくれた。どうやら日雇いのアルバイト情報サイトみたいだ。
「お金を稼いでたのはマジ。だけどそんな事しないでも、今の時代日雇いのバイトとかあんの!」
「……す、すみません」
本当にすみません、赤城さんが知らない男の人と毎晩……。みたいなこと考えてしまって。
実際男ウケはいいと思うし、スタイルも本当に素晴らしいから、むしろ簡単に稼げるかな。とか考えてごめんなさい。
「まぁ、理由は言えないんだけど。音瑠香ちゃんの1周年の時に必要でさ。なんとかお金を工面してたの!」
「すみません……。わたしのせいで」
「はぁ……。もう……」
呆れたように深い溜め息をついた赤城さんはそっとわたしの肩に寄りかかってくる。
ヒッ! 顔近っ! それより何故か寂しそうな顔をしている赤城さんが憂いを帯びていた一種の絵画みたいでドキリと心臓が高鳴る。
「あたし、そんなに信用ない?」
「い、いえっ! その……」
赤城さんへの信用はこれでもかってぐらいある。
でもこれは陰キャの性だと言っても過言ではないものだった。
「赤城さんに惚れられてる自覚が、あまりなくて……」
「……はぁ?!」
自分を信じられないから、ネガティブな思考になってしまう。
信頼どうこうというのであれば、1番自分が信じられないし、そんなわたしのことを好きだと言っている赤城さんへの好意が本物なのかも、分からなくて。
自分自身が好きじゃないから、惚れられているという自覚が薄ぼんやりしているのかもしれない。こんなわたしのどこがいいんだろう。みたいな。
「あんなに好き好きムード出してたのにぃ?!」
「はい……」
「告白もしたんだよ?!」
「も、申し訳ないですが……」
「はぁ……。青原の鈍感ムーブはここから来てんのか……、納得」
鈍感とは失礼な! と言いたいところだが、実際そうなのかもしれない。
人がわたしに対して何を思っているのかとか全然分からない。星守さんだって、最初はわたしのことを嫌っていたはずだ。でも次第に友だちみたいに接してくれて。
嫌いならとことん嫌いじゃないのかなぁ、とか考えてしまったら、思考がそこで止まってループ回路になってしまうんだ。
「そっかー。なら今回のサプライズも不安だったわけだ」
「まぁ、そうですね……」
「こりゃ、なんか対策考えなきゃなー」
対策、って言っても何があるんだろうか。
まったく思いつかない。恋愛経験ゼロのわたしにとって、何が記憶に残るのかなんて想像もつかないんだ。
でも確実に言えることはあった。昨日も思った。赤城さんのパパ活が嫌だな、って思ったのもそれが原因だから。
「でも、わたし。赤城さんが居なきゃダメだなって思ったんです。好きとか分からないけど、こう。依存しちゃってるみたいな。一緒に帰ったり、配信見に行ったり、見られたり。赤城さんが居ないと日々の生活が曇っちゃう程度には、すごく依存してます」
こういう事を素直に口にするのはあんまりしたくなかった。恥ずかしいし。
だけどこういう時じゃないと口にできない言葉はある。赤城さんがわたしを好きなように、わたしも赤城さんを必要としている。2人で1つの存在、なんて流石にありえないか。赤城さんはわたしが居なくても大丈夫だろうし。
そんな風に考えながら赤城さんの顔を見たら、その名字のとおりに真っ赤だった。
「は、へ。へぇー……。そ、そんな風に思ってたんだ……」
「どうしたんですか、顔赤いですけど?」
「……はぁ。ほんっと、そういうとこだよ」
はて、何のことだろうか。わたしはわたしの感想を言っただけで、そんな赤城さんが照れるようなことを言った覚えは……。流石にあるわ。後になってわたしも恥ずかしくなってきた。
はぁ?! なんでわたしこんな恥ずかしいこと堂々と言えたの? ありえないって! は、はっず……。
「ふっへ、青原もようやく分かってきたんじゃん」
「う、うるさいです。……はぁ。なんて恥ずかしいことを……」
「あたしは嬉しかったけどねー」
「うぅ……」
寄り添う肩の重みが優しく増していく。
赤城さんも、わたしのことを頼ってくれてもいいのに。
そういうところなんだ。赤城さんは1人で何でもやれてしまう。不器用なわたしと違って。
サプライズだ! って言うから何も言えないけど、わたしからも何か恩返しできるような物を作りたい。
うん、決まった。秋達音瑠香1周年記念イラスト。この方向性で固めよう。
でも今は……。照れて少しも動けそうにないや。




