第30話:赤の理由。逃げるのは恥の上塗り
「はっ…………はっ…………」
走る。走る。ただ無心で。
12月の寒い早朝。いつもの河川敷をただひたすらに走る。
いつもの日課だから。という理由で、半ば寝不足気味の身体を無理やり動かし、早朝のランニングを続けていた。
寝不足な理由。なんとなく分かっている。でもそれを認めたら、なんだか今あるものの形が変わってしまう気がして。悶々としてしまい、今に至る。というわけだ。
このランニングが終わったら、帰って朝活の準備をして……。でもあー、なんか。今日はどうでもいい気分だ。学校に行くのも面倒くさい。走るのもかったるくて、段々走る速度も落ちていく。
「はっ……はぁ……」
頭の中が青原でいっぱいだ。
音瑠香ちゃんで頭がいっぱいになることはあっても、青原がなんて訳分かんなくて。
い、いや。結局のところ、青原にかわいいって一言でも言えなかったのが悔しかっただけじゃん。ただ言えればいい。それだけで青原のことなんかどうでもよくなるはずなんだ。
はずなんだけど、それは違うと冷たい風が火照った身体を、頭を冷やす。
「さむ……」
どうして言えないんだか。なんでだろう。
◇
「なんでだろうなー」
「うわ、面倒くさそうなのきた」
でもあたしはそんな事をいつまでも1人で悩む質でもない。とりあえず相談できそうな舞に話を聞いてもらうことにした。もちろん青原が登校してこない内に。
案の定舞はすっごい嫌そうな顔をしてそっぽを向いた。これはあたしにとってすごく大事なことなんだよ! だから無視すんな!
激しく肩を揺らしたら、反応してくれるでしょ、絶対。
「うわぁぁぁわわぁああああ、やめろーーーーー!!!」
「やめない! 話聞いてもらうまで!!」
「分かった! 分かったから!!」
ほらね、言質取れた。
「てか解決方法なんてかわいいって言えばいいだけじゃん。はい終わり。終了。閉廷。アタシこれからトイレがあるから」
「待って。トイレは3分前に行ったっしょ……?」
「…………はぁ」
絶対に逃さないからね、舞!
なんとか話を聞いてもらわないと、なんと言いますか。その……。青原と次に顔を合わせた時が気まずいんだ。
「確かに舞の言う事は一理あると思うんよ。でも相手は青原で、普段から褒められてないような地味女なわけ。そんな奴があたしから不意打ち気味に『髪切った? かわいいね!』って言える普通?! 言えなくない??!」
「言えるでしょ。このヘタレ」
「言えないでしょーーーーー!!!」
くっ、こいつはいつもそうだ。なんで舞は平然と正論をぶつけられるんだ。それで友だちやめてった相手がどれだけいると思ってるのさ!
あたしはそういう裏表がない相手だから友だち付き合い続けてるんだけど、ヘタレはないでしょ。ヘタレは。
「言いたいなら言えばいいじゃん。アタシにはどーも、回りくどく見えるんだよね」
「……何が」
「なんでもない」
回りくどいって、さっきも言ったように青原は褒められ慣れてないからそういう気遣いをしているわけで。
冷静に考えたら確かに回りくどいけど。でもさ。面と向かっていうのは恥ずかしい、し……。
……あれ? かわいい、って言うだけのことが恥ずかしいの、あたし?
「つゆが薄っぺらい理由を並べて、かわいいって言いたくないだけでしょ、それ」
「いや、そんなはずは……」
青原にかわいいって言いたいに決まってる。
でもいま問題にしてるのは、どうにかして自然な空気感じゃなきゃかわいいって言いたくないことだ。どうしてって、そりゃああたしが言うのは恥ずかしいから、ってわけで……。
じゃあなんで恥ずかしいの? ……なんでだろう。
「あー、めんど」
「な、何がさっ!」
「そんなことはさっさと青原に言ってやれ。おーい、青原ー!」
「ちょ! 舞?!」
「えぇっ?! な、なんですか……?」
ちょうど登校してきた青原が教室に姿を見せる。
あ、今日の怯えた姿もかわいい、じゃなくって! なんてことしてんだこの女?!
舞に声をかけられると、恐る恐るとスクールバッグを両手で握りしめて近づいてくる。
ドクン。ドクン。何故だか心臓の鼓動の音が速くなる。ど、どうしたんだ急に。気付けば顔もすごく熱いっていうか……。
「な、なんでしょう、星守さん……」
「つゆが何か言いたいってさ」
「「へっ?!!」」
教室中にあたしと青原の声が響き渡る。他の生徒たちも何だ何だと声をまばらに上げていた。
ど、どうしよう。この舞とかいう女、絶対に言わなきゃいけないような状況にしやがって。あとで絶対ジュース奢ってもらう。
じゃなくて! い、言うんだ。青原に、かわいい、って。そのショートボブスタイル、似合ってるよ、って。
「あんなかわいい子、うちに居たっけ?」
「高校デビューじゃね?」
「まだ冬休み始まる前やぞ」
無神経な声の数々が自分にやや冷静さを取り戻してくれる。
そうだ。あたしはこれでもクラスカーストが上の方。あたしが青原のことを認めてあげなきゃ、クラスの中で浮いた存在になってしまう。今までの空気みたいな扱いじゃない。もっと別の、おぞましい悪意に晒される。
嫌だ。青原をそんな目に合わせたくない。
じゃあどうする? 言うしかないだろ。あたしが――。
「え、えっと……」
「髪!」
「え?!」
絞り出した声はあまりにも唐突すぎる声で。
自分でもそのどもり方が憎らしく思えてくる。
それでも伝えなきゃいけない時がある。不器用でも、前に進まなきゃいけない。それが、今なんだ。
「髪、切ったんでしょ? か、かわいいじゃん……」
い、言ったーーーー!
なんとか言えた! 言い切った! ちょっと噛んだけど。
だから、さ。青原も顔を伏せてないで反応してくれると嬉しいんだけど……。
「あ、青原……?」
あ、あれ? なんか思ってた反応以上に……。
「……ぃ」
「い?」
「……はぃ」
顔は伏せたまま。でもショートボブになったことで耳の頭が立派に赤くなっていることが分かる。プルプルと震えながら前にも聞いた怯えた声と、真っ赤になったことで生じた掠れた声を限界まで煮詰めて作り上げた、漫画で見たような青春と同じ色。
あまりの衝撃にあたしは一旦思考を停止させた。
停止させたその先に待っているもの。確かそれは以前にも同じようなことをした気がして。
「あ」
「……ぁ?」
「………………」
本能が言っている。この世から真っ先に消えたい、と。
「あぁーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
恥ずかしさで真っ先に消える方法は、逃げることだった。
教室から廊下へ脱兎のごとく逃げ出したあたしは、そのまま声を張り上げながら学校の中に消えていった。




