表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
99/125

瓶詰めの蝶々 第五十四回

  ◇

 七月二十八日月曜日。

 玄関ホールは、レースのカーテン越しに射しこむ、午前中の柔らかな光の中で、まだまどろみを貪っているようだった。

 たしかにこの家は、常に眠っているような印象があった。世俗的な目覚めからは程遠い。かといって、山の幽寂とした空気とも異なる。

 ちょうど、化け物が好んで棲まうような。

「今日はここでいいだろう」

 ネクタイを少し緩めながら、高木は辺りを見わたした。赤と白から成る市松模様の床の上を、制服や私服が時おり行き来する。けれども、一昨日ほどの慌ただしさはないのは、事件が膠着状態に入りつつあることを、如実に物語っていた。

 ホールの隅に、アン王朝様式の簡素な応接セットがあり、シノワズリふうのパーティションを横に立てれば、ちょっとした個室の趣きを呈する。

「きみ、だいじょうぶか。朝から蒼い顔をしているが」

「ちょっと飲み過ぎたようです」

「化け物の気に当てられたのでなければ、幸いだよ」

 小須田の肩をぽんと叩き、近くに立っていた制服に言う。

「音大生を呼んできてくれないか。女の子を除いた、二人だ」

 警官の後ろ姿を見送りながら、小須田は眉をひそめた。二日酔いのせいばかりではない。これからまた、堂々巡りの尋問が始まるかと思うと、目が廻りそうである。聴取されるほうも、さぞかし厭だろうけれど、するほうもまた、疲労困憊させられる。

 けれどもこれが、捜査というものなのだろう。徹底的に足を使う地取りと異なり、こちらは執拗に繰り返し訊き続ける。堂々巡りだとわかっていても、何度でも訊く。偽証をただし、隠していた事実をすべて吐き出させるまで。

「ぼくたち、いつまでここにいなくちゃいけないんですか?」

 硬いソファに腰を下ろすなり、藤本竜也が口火をきった。基本的に礼儀正しい青年だが、さすがにうんざりした表情が覗く。揉み手をしながら、高木は言う。

「あくまで任意で、お願いしております」

「任意という名の、強制にほかなりませんよ。ぼくたちはまだいいんですが、クレハ……いえ、北村さんは、精神的にかなり参っています」

「ご同情申し上げます。この平和な日本で、一般のかたが他殺死体を目にすることなど、まず、あり得ませんからね。あなたも含めて」

 竜也が唇を噛むのを、小須田は見た。高木は言う。

「お二人とも、いつ頃部屋に戻ったのか、覚えていらっしゃらないのですな」

 男の子二人は顔を見合わせた。むろんこの質問は、再三繰り返されている。憤りより、困惑の表情が色濃いのは、なぜ覚えていないのかと、責められているような気がするのだろう。

「何度もお答えしたとおり、かなり酔っていたみたいですから」

「二人揃って、そんなに酒に弱いんですか」

 小須田が尋ねると、また二人は困ったように目を見交わした。おずおずと、岡田悟が口を開いた。

「もともと未成年ですよ」

「これまで一滴も、口にされたことはなかった?」すかさず高木が噛みつく。

「コンパなんかで、むりに飲まされる場合はあります」

「ご安心ください。ケチな別件でしょっ引こうなんて、考えちゃいませんから。では、記憶が途切れるほど酩酊した経験はなかったと、そう仰言るのですね」

「はい」

「お二人とも、少なくとも記憶している限りでは、明け方まで一度も目を覚まさなかった。これで間違いありませんか」

 悟はすぐにうなずいたが、テーブルの木目を凝視するかのように、竜也は眉間に皺を寄せたまま。高木の細めた目の底に宿ったのは、獲物を追いつめた野獣の眼差しにほかならない。

「お話し願えませんか。どんな些細なことでも構いません。完全に目を覚まさないにしても、何か不審なもの音を聴いたとか」

「すべて、夢だった可能性があります。いまでも、あれが現実に見た光景なのかどうか、とてもあやふやなんです。ぼくはもともと、幻覚みたいなものを見やすいタイプらしいですから。だから黙っていたんですけど」

「ほお」

 高木に射すくめられ、掠れた声で竜也はつぶやいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ