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瓶詰めの蝶々 第十三回

  ◇

 蜜を吸って、

 ただ蜜だけを吸って生きるためには、病んでいなければなりません。

 わたくしは、どちらを望んだのでしょう。

 そもそもこの昏い、じめじめした、地下に沈められた円筒の底で、どのようにして蜜を吸い続けて、これまで生きてきたのか。生きてこれたのか。

 またしても、わたくしは夢の話をしています。問わず語りに。いいえ、聞く者さえいないかもしれない、夢の話ばかり、繰り返し。揺り椅子の上の狂人みたいに、

 繰り返し。

 目を閉じれば、残像が蒼い鱗粉となって、金属質の光を放ちます。それはきっと美しいのでしょう。蜜を吸う生きものが、闇の中でもがくたびに、光は飛び散るのですから。

 この世で最も美しいものは、苦しみなのかもしれません。神様の目には、苦しみだけが見えるのかもしれません。もしそうだとしたら、なんという悦楽。世界はなんと、美しく輝くことでしょう。

 わたくしはもがきながら、自身の苦痛にまみれながら、そんな目を持ちたいと考えます。

 相変わらず、周りは闇に閉ざされています。

 湿った、円筒形の壁には、無数のおぞましい生きものたちが、這いまわっています。けれどもわたくしには、かれらの苦痛が見えません。ただ独り、わたくしの苦痛だけが、きらきらと闇の中で踊り、かれらの目を愉しませるばかりで。

 せわしなく食器の触れ合う音に似た、奇怪な、甲高い声で生きものたちは囁きあい、時折、くつくつと笑います。

 蜜を求めて、

 蒼い鱗粉をまき散らしながら、わたくしは地の底を這い廻っています。世界じゅうの時計が壊れ、逆に廻り始めたように、時間が無限に感じられます。

 散らしても、散らしても、苦しみの鱗粉は尽きません。叫び声さえ上げられぬまま、ただひたすらに、闇を美しく彩りながら。

 怪物たちが何を笑うのか、わたくしには判る気がします。きいきいと、滅びた言語で囁きあう、かれらの言葉は判らなくても、錆びた真鍮の色をした無数の眼玉が、わたくしを注視しているのが感じられます。

 眼玉たちは嗤うのです。

 こんな地の底で、ある筈もない蜜を求めて、のたうち廻るわたくしを。

 壁の間や、水溜まりの中で、何かが蠢いています。フクロウじみた顔、蛙のような舌なめずり、甲殻類のきしみ、被膜の羽ばたき、鱗の擦れる音。闇の中の怪物たちには、ひがみっぽい蘚苔類と菌類がびっしりと絡みついた、円筒形の壁のおうとつと区別がつきません。

 こんな地の底で、花が咲いている筈もないのに。

 けれども、わたくしには感じられるのです。飢えた舌の先に、甘い感触を。ごく、ほんの僅かだけれど、限りなく甘い感触を。

 それが、憎悪でした。

  ◇

「だめだ、繋がらない」

 そう言って竜也は、電話を忌々しげに振ってみせた。

「何度かけても、留守電に飛ばされちまう。電車か会議か、それとも飯くらいゆっくり食わせろと言いたいのか。いずれにしても、経営者という人種はワンマンで困るよ」

「会社の人に訊いてみたら?」紅葉が言う。

「親父経由でないと連絡できないんだ。要するに、番号がわからない」

 依然、三人の若者はバスの折り返し地点にいた。明京大の講師、里見彩子のほうは、バスを待たずに坂を下りて行く健脚ぶりで、もはや後ろ姿も見えない。

 彩子のもたらした情報によると、かれらがこれから向かう予定の別荘には、別の人物が棲まっているらしい。それはリチャード・カッシングという画家の家族で、当の主人はというと、一昨年前に、この上の峠で行方不明になっているとか。

「その家族のだれかと、直接話されましたか?」

 竜也が彩子に尋ねてみたところ、

「家政婦らしい人に、水をいただいたわ。三日前だったかしら。とても暑い日で水筒の水もすでになし。そのうえ細かいのを切らしていて、自販機が使えなくってね。途方に暮れていたところ、ちょうどあそこの庭先で見かけたものだから、声をかけたの。なんだか外国のメイドさんみたいな、クラシックなスタイルだったわ」

「家政婦?」

 三名は、覚えず顔を見合わせた。

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