瓶詰めの蝶々 第一回
憎悪ばかり。
生きている時間に比例して、憎悪ばかりが、この身を蝕んでゆきます。
いつも、似たような夢を見るのです。
一匹の、大きな蝶々が、もがいているのです。陽の射しこむ、廊下の窓からなんとか抜け出そうと、もがいているのです。
わたくしは白い服を着ています。
ポール・デルヴォーが描く女たちが着るような、どこかしどけない、白い服です。それはあの男が好んで「本歌取り」した、モチーフのひとつでもありました。おそらく、わたくしの目はうつろです。やはり、デルヴォーの女たちのように。
廊下には、窓の形がくっきりと刻印されています。それほど、外の明るさに比べて、ここは暗いのでしょう。私は陽の光のようだと感じましたが、あるいはそれが月光であっても、少しもおかしくありません。この広い廊下は、それほどまでに、
暗いのですから。
廊下の突き当たりにも、窓があります。どこかの部屋へ通じるドアではなく、壁のほとんどを占めるほどの、大きな窓が。蝶々は、その窓の前でもがいています。
翅をガラスに叩きつけ、鱗粉をまき散らしながら、なんとか外へ逃れようとして。
外へ逃がしてやりたい。自由にしてあげたい。胸をしめつけられるほどに、そう感じるのですが、窓はどうしても開きません。押しても、引いても、叩いても。そもそも開くための金具自体が、見当たらないのです。
そこでわたくしは、今さらのように思い出します。この暗い廊下の窓がすべて、嵌め殺しになっていることを。
嵌め殺し。
蝶々の翅はすでにぼろぼろになり、床の上をのたうっています。わたくしは未知の感情……未知の、暗い、おぞましい、新しく生まれた感情のために、呆然と立ち尽くしています。
殺意。
それは殺意でした。
いつのまにかわたくしは、自身と、床を這い回る蝶との区別が、つかなくなっています。
しかも蝶々は、いえ、わたくしは、残酷にも、何者かの手によって、片方の翅をもぎ取られているのです。
わたくしはぼろぼろになった、片方の翅で床を這いながら、窓を見上げます。陽光にしては冷たすぎる、けれど、月の光にしては妙に明るい、どこからともなく射してくる光を見上げます。わたくしがまき散らした鱗粉が、鉱物の破片のように、きらきらと光線を縁どります。
冷たい光は、決してわたくしの体を温めようとはしません。かといって、わたくしを焼き尽くすわけでもありません。
ただ憎悪に蝕まれたわたくしの体へと、染みこんでゆきます。光ではなく水であるかのように、染みこんでゆきます。分光器のように、その光の中にわたくしは、はっきりと、わたくしの心を落ち着かせる色をみとめます。
それが、殺意でした。
殺意と戯れることによってのみ、わたくしは救われる思いがしました。わたくしは片翅をもがれています。その翅もすでにぼろぼろです。ガラスの内側に閉じ籠められたまま、決して出ることができません。
空と花の間を、美しく舞うために生まれてきたのに。そのはずだったのに、今のわたくしは、あまりにも醜く、あまりにも滑稽で、あまりにも、
無様です。
ただこの光だけが。この冷たい光だけが、醜くのたうちまわるわたくしを照らしています。古風で暗い舞踏曲のように、わたくしを鼓舞します。わたくしの絶望を慰めてくれます。
それが、殺意でした。
◇
「軽井沢なら、前から行ってみたかったんだ」
昼下がりの学食は、みょうにしんとしていた。岡田悟が弾んだ声を出すと、カウンターの向こうの「おばちゃん」を振り向かせるほど、よく響いた。
見事に肥えた体に、絵本から切り抜いたような童顔が載っている。声楽科とよく間違えられるらしく、実際に声も好いのだが、藤本竜也と同じ、桐越音大ピアノ科の一年生。同じクラスの男子生徒は、かれらを含めて三人しかいない。
「だれも、軽井沢だなんて言ってないだろう。一言も言ってない」
こころなしか声をひそめて、竜也が応じた。
うっかりカツカレーを注文したことを、後悔し始めている。さして腹も減っていなかったし、ここの学食のカツが、カツよりははるかにゴムに近いという事実を、うっかり失念していた。薄いわりに弾性に富むそれを、フォークでつつき回しながら、つついたところでふっくらと柔らかく変じるわけでもないのだが、竜也は語を継いだ。
「高尾山だよ」




