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瓶詰めの蝶々 第八十回(解答篇ノ七・最終回)

  ◇

 浅草寺の境内で偶然、勅使河原美架に行き逢ったのは、およそ一箇月後だった。

 事件このかた、彼女とは音信不通の状態が続いていた。彼女が所属する、八王子の家政婦派遣所に問い合わせてみたところ、体調を崩しているとかで、仕事にも出ていないという。

「連絡先を教えていただけますか?」

 ダメモトで尋ねてみたが、限りなく言葉を濁された。派遣所のほうでも、じつは彼女の住所を、把握していないのではあるまいか。そんな疑いが頭をよぎった。

 どこから来て、どこへ行くのか。忽然とあらわれては、またどこへともなく去ってゆく。そんな危うさを、常に抱いているようなところがあった。

「ちゃんと並ぶのですね」

 私に声をかけられて驚くでもなく、第一声がそれだった。

「え?」

「お参りの人たち、一組ずつ順番に」

 心ここにあらずといったふうに、前方を指さした。

 もうすぐ午後八時を廻ろうとしている。拝殿の扉はすでに閉ざされているが、参拝客が階段の下まで並び、彼女の言うとおり、一組ずつ順番に、賽銭を投げ込んでは、手を合わせている。

 カップルか、家族連れか、そうでなければ友人どうしがほとんどで、独りきりの参拝者は、まず見当たらない。

 我々二名を除いては。

「お参りに来たの?」

「仕事が休みでしたから、ただなんとなく」

 自主的に休んでいることは重々承知だが、あえて口をはさまなかった。

 参拝の列に加わるでもなく、境内にたたずんだまま、彼女は宙へ目を向けた。夜空の中で、東京スカイツリーが青い電飾を、ゆっくりと廻転させていた。

「近未来、か。まるで映画の無国籍都市だ」

 目の前には、拝殿に手を合わせている人々がいて、五重の塔が建つ。参道の露天はほとんど戸を閉ざしたが、飲み屋が並ぶ横丁は、これから賑わうのだろう。

 それらをすべて、はるか上空から、輝く鉄の巨塔が見下ろしている。

「不思議だね」

 つぶやいた私に、彼女が目を向けるのがわかった。遠慮がちに、私は続けた。

「井澤絵梨子の行方は、杳として知れない。猛火の中に飛び込むのを、おれたちは確かに見たのに。それらしい死体は、ついに見つからなかった」

 代わりに焼け跡から発見されたのは、ほとんど白骨化した男性の亡骸だった。最後の小部屋。ちょうど例の瓶のある、床の下に隠されていたとおぼしい。司法解剖の結果、死後少なくとも半年以上経過していると発表された。

 死体の首には、鎖で一個の鍵がぶら下げられていた。言うまでもなく、鏡の家の「もう一つの鍵」がそれだった。

「殺人現場の真下ですから。かえって捜査される気遣いも少なかったのでしょう」

 彼女の声には、相変わらず力がない。北鎌倉の事件の後も、ずいぶん意気消沈した様子だったと聞いている。

 まがまがしい生き物のように、渦を巻く炎が脳裏によみがえり、私は身震いした。間一髪、斧で壁を割って警官たちが突入しなかったら、今頃は拝まれている側である。

 私は尋ね返さずにはいられなかった。

「じゃあ、きみは初めから、カッシングの死体があの場所にあったことを?」

 彼女は答えず、また「空の木」へ目を向けた。小仏峠の頂上からも、この塔は眺められるという。その中腹で、ひっそりと木立に覆われていた「鏡の家」……

 その奇怪にねじれた姿が巨塔と重なり、私は覚えず目を逸らした。

「不思議ですね」

 ぽつりと、彼女はつぶやいた。

「すべては人間の所業と割りきれるのに、まるであの家には、鬼が棲みついていたかのようです」

「鬼が?」

 彼女はうつむき、風もないのに、髪へ手を当てた。石畳を見つめる眼差しは、どこか心を傷めているように、哀しげに思えた。

「はい。カッシングの好んで描いた、鼻の長い、醜怪でケルト的な鬼が。何に対して怒り、あれほどまでに、何を憎んだのかわかりませんけれど。人々の心を狂わせ、不可思議な事件を引き起こしました。偶然の重なりが、まるであらかじめ計画されていたかのように。鏡の家を焼き尽くすまで、誰にも止めることができませんでした。井戸の中の三姉妹……音大生たち……そして高木警部補やわたくしまでもが、風変わりな仮面劇の登場人物に、過ぎなかったのかもしれません。本人はそうと知らずに、決められた役を演じただけなのかもしれません。山腹の地底で渦を巻く、得体の知れない力に踊らされて」

 私は三たび、鉄の塔を見上げた。

(何に対して怒り、あれほどまでに、何を憎んだのか)

 その答えが、ここにある。青く輝きながら廻転する、不可解な象形文字として書き込まれている。そんな気がして、しばらくの間、目が離せなかった。

「ねえ、きみ。井澤絵梨子は、どこへ消えたのだろう?」

 振り向いたけれど、彼女の姿はもう、どこにもない。

 急にひっそりとした境内の石畳の上に、秋の風が立ちはじめていた。(終)

to the HAPPY FEW!


遅々とした更新どころか、途中何度も投げ出したにもかかわらず、永い間お付き合いくださり、ありがとうございました。

温かく見守ってくださった、皆さまのおかげです!

最後まで読んでくださった「幸福な少数」の方々に、心より感謝をこめて。

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