瓶詰めの蝶々 第五十六回
花柄のワンピース姿で、彼女はあらわれた。
やはり長袖で、足首まで覆うほど、スカート丈も長いけれど、生地の薄さがハッとするほど、秘められた肉体の豊饒さを暗示させた。
小須田は目を見張り、高木さえも、眩しそうに眉根を寄せた。これまでも、絵莉子が美しいことに異存はなかったが、どこか修道院の奥に閉じ籠もっているような、生硬さを感じた。ところが、今朝の彼女は殻を脱し、翅を広げた蝶のように華やいで見えた。
淫靡なほどに。
「お幾つになられるのでしたか」
軽い衣擦れとともに、彼女がソファにかけ、脚を組んだたところで、高木が尋ねた。もちろん、周知の質問だったが、絵莉子はちょっと訝しげに見上げただけで、淀みなく答えた。
「二十六です。もうすぐ七になります」
「リチャード・カッシング氏と、お知り合いになったのは?」
「学校を出て、銀座の画廊に勤めておりました。当時はまだ、若干のリチャードの作品を、画商も取り扱っておりました、その関係で。五年前の話でございます」
「不躾ながら、世間ではあなたを、カッシング氏の内縁の妻であったと、考えているようですが」
「異存はございません。モデルであり、マネージャーであり、そしてあの男の捌け口でした」
高木は鋭く目を細めた。けれど、彼女の表情にも口調にも、穏やかなトーンしか認められなかった。
「捌け口? 性的な、という意味ですか」
目を伏せて、彼女は少し考えるような仕草。
「三島由紀夫でしたか、かれにとって小説とは、肉欲でしか結びつかないとか、そういったことを書いておりました。リチャードがわたくしをモデルにして描くとき、描くという行為そのものに、性的な興奮を覚えるようでした」
「では、あなたを“捌け口”としかみなさなかったカッシング氏を、あなたは憎んでおられた?」
「難しい質問をなさいますのね。わたくしは、檻に入れられていたわけではございませんから、いつでも出て行くことはできました。それなのに、五年もともに暮らしたのです」
うーんとうなって、高木は使い捨てライターを擦り、煙草を近づけたばかりで、すぐに消した。絵莉子が病気がちだということを、思い出したらしい。
「由井崎さんが同棲、いえ、ともに住むようになったのは、いつ頃でしたか」
「小仏峠へ移る少し前です」
相変わらず、高木は辺りをうろうろするばかりで、座ろうとしない。小須田もかれに倣って、背もたれの後ろから、彼女を観察していた。
「それまでは?」
「都心のマンションを転々と。世田谷にアトリエがありましたので、そこへ通いながら。ほぼ二人きりの生活だったといえます」
「ところが、およそ二年後に、新たな内縁の妻として、由井崎さんがあらわれた」
「はい」
老獪な巨漢の警部補は、ここであえて沈黙してみせた。膝の上で組んだ指を、絵莉子は見つめたまま、
「仰言りたいことはわかります。高木さん、でしたわね」
「覚えていただけて光栄ですな」
「あの子を殺す動機、それも明白な動機があるのは、この家ではわたくしくらいでしょうから。ただ、さっきも申しましたとおり、カッシングはそれまで、わたくしを愛したことなど一度もありませんでした。同様にあの子も、かれに愛されてはおりませんでしたし、そのことをよく心得ていました」
では、あなたはどうなのか。カッシングを愛していたのか?
そう尋ねようと身を乗り出した小須田を、まるで意図を悟ったように、高木が制した。かれは質問の矛先を変えた。
「画家の秘書役も、お二人でやっておられた?」
「ええ。見かけによらずと申しますか、むしろあの子のほうが、マネージャーに向いていたようですわ。定められたコレクター以外への作品の流出を、徹底的に制限したのは彼女ですし、“鏡の家”のアイデアも、まず彼女の口から出たものと記憶します」
「商才がおありだったのですね」
「一種の復讐だったのかもしれません」
「え?」
もの問いたげな視線を、彼女は見つめ返すばかり。高木は目を逸らし、また質問を切り替えた。
「かつて、由井崎さんは、映画女優だったそうですが」
それまで晴明だった彼女の顔が、苦渋するように曇るのを小須田は見た。
「はい。唯一、あの子が主演した映画は、完全に世間から黙殺されました。銀幕を退いた直後は、ずいぶん荒れていたようです」
「刺青を入れたのも、自暴自棄の結果ですか」
無言で首を振ったあと、彼女はぽつりとつぶやいた。
「あれは、リチャードの作品なのです」
小須田は思わず、掠れた声を出した。
「刺青が、ですか?」
「故人のためにも、あまり申し上げたくありませんが、少なくとも当初はあの子の……由井崎玲子の意志で施されたものではありませんでした」
「つまり、無理矢理?」
高木の質問に彼女は沈黙を保ったまま、ただ痛ましげに目を伏せた。




