042 黙っていた黒スライム
「はいっ! 今日はこれで終わりっ! お疲れ様!」
ロアンさんがそう言って業務終了を宣言したのは、私たちの言い争いから数分後のことだった。
店はあの喧騒が嘘のように整理され、ゴミひとつない状態へと変わっている。
これなら明日も喫茶店として営業するに十分だろう。ちょっと酒臭いけど。
「それじゃ、これは二人へのお給料ね」
「ちぇ〜、シケた額だなぁ〜」
「うっさいわね! いらないならあげないわよ!」
「もらいますぅ〜!」
「あの、私も貰っていいんですか? 宿代代わりだと思ってたのですが」
「何言ってんのよ、アンタのおかげで今日はみんなが集まってくれたのよ? これじゃ足りないくらいよ。
というかリリー、アンタもこれくらい謙虚なフリくらいしなさい!」
「やだ〜」
「はあ……。もう、この子ったら……。今はそれでいいかも知れないけど、年取ったら男になんて見向きもされなくなるのよ!?」
「あたし、ずっと若いままだも〜ん」
「あぁ、やっぱりこの子見てるとイライラしてくるわっ!!」
「ロアンさん、眉間のお皺がヤバいので落ち着いて」
「もうやだぁ! 寝る前に皺伸ばしマッサージしないとだわっ!」
「あたしがアイロンかけてあげよっか〜?」
「なにそれ拷問ですか?」
天然毒舌に、ロアンさんは言い返す気も失せたのか、ため息をつきながらこめかみを押さえる。
その気持ち、痛いほどよーくわかりますよ。
「ともかく、今日はもう終わりだから。
アンタたちは募る話もあるでしょう。ちょっと外にでも行ってきなさいよ」
「え〜、いいように使われて追い出すとかひど〜い」
「意外ですね、あなたが私のためにそんなこと言うなんて」
「え〜? あたしのことだけど〜?」
「これはやはり、一度武力で理解らせる必要が……」
「はいはい、説得でも調教でも、外でなら好きにやっていいから出ていきなさい!
あんまり遅くならないうちに帰ってくるのよ」
「はぁ〜い」
「いや、アンタは自分のウチに帰りなさい」
「あのロアンさんが押されてる……」
たとえ人間に紛れて生活していても、やはりサキュバス。
人を惑わせ、狂わせ、踊らせるのは、魅了の魔法を使わずとも得意というわけです。
そんな彼女に多少なりとも抵抗できているのだから、ロアンさんは素質あると思うんですけどねぇ。
私の部下に欲しいほどの逸材ですよ。いや、それはそれで気苦労が増えそうなので、実際には遠慮しておきますが。
まあ、そんなこんなで私たちは、寒空の下へ放り出されたのだ。
サキュバスと二人で顔を見合わせ、そして何を言うでもなく歩き出す。
彼女についてゆけば、街を囲む城壁にあいた秘密の穴を抜け、外へと出る。
魔物の闊歩する時間ではあるが、私たちに刃向かってくるような、力の差も解らぬ低脳はいなかった。
「で、ホンマあんたら何しにきたん!?」
誰もいないと思えば、すぐに本性を表す。
姿こそ人間に擬態したままだが、さきほどまで被っていた猫の皮はどこへやら……。
「いやー、本当はあなたに会いにきたんですよ?」
「嘘つけぇ!」
「本当本当。ほら、人間界に詳しいあなたを見込んでですね……」
「てーか、その女神のかっこやめえや! 目障りやねん」
「あー、はい。クロスケ、離れて」
「はいよー」
一言そう発して、にゅるにゅるとクロスケは私から離れる。
顔面が崩壊し、ドロドロに溶けてゆく姿は、人間が見たらトラウマものだろうな。
「あ、なんか久々にクロスケの声聞いた気がする。というか、なんで今まで黙ってたんです?」
「公式の供給を全身で享受してた」
「なんやそれ……」
「いやさ、俺にとってサキュバスってのは、同人誌の中の存在だし?
だから公式がどういうのかを見てみたいなーって」
「いや、ホンマなんやねんそれ!」
「まま、彼にとってはあなたはフィクションの存在なんですよ」
「てーか、このスライムあれやんな? いっつも魔王様の膝の上におったやつ」
「そうですよ。最近は魔王様も飽きたのか、自由にさせてもらってるみたいですけど」
「ほーん……。コイツも一回しばきたいおもてたんよな」
「なんで!? 俺なんかしたか!?」
「なんやほら、強くもないくせに強いモンの虎の威借りてるの見てるとうざない?」
「ワイトもそう思います」
「ひぇ……」
「冗談ですよ」
ぷるぷると距離を取るクロスケを抱き上げ、ぽんぽんと頭をなでる。
まったく、ミーさんといいサキュバスといい、こんなか弱いスライムをいじめて何が楽しいのか。
「それで、生サキュバスはどうでした?」
「幻想が崩壊した音がした」
「でしょうね」
「お前らホンマ失礼なやっちゃな!」
「その喋りだけで、魅力90割減だわ」
「マイナス方向に限界突破しとるやないか!」
「だからこそ普段はぶりっこしてるんですよ」
「お前もお前で何ゆーとんねん!」
「でもこういう強気キャラほど、デロデロにデレさせる展開俺は好き」
「薄い本妄想が捗りますねぇ……」
「待てや! ナマモノの妄想はともかく、本人の前で語り出すのやめえ!!」
どうやらクロスケの妄想力の方が、サキュバスのボケ力を上回っているようだ。
エロは全てを凌駕する。それがこの世の真理である。




