starting ending
竜巻の中心部に投げ捨てられたような衝撃波が飛び散る。
一度掴まれれば逃れられない海岸の波の如き飛沫が爆ぜて混ざった。
赤が椎滝大和含めた周囲の世界を彩る――――何てことにはならなかった。
どうしてか、と?
弾けとび、ぐちゃぐちゃに混ざって、飛び散ったのは『竜』だったから。否、正しくはそうされた。自己の崩壊の記号とは別に、外部からの要因で『竜』の多頭のフォルムが粉々に飛び散って足元の水と掻き混ぜられていく。
まるで水風船の側面から鈍重な物で殴りつけたかのような有様で。失われた赤の眼光までもが、ただの『水』に還っていった。
残されたのは椎滝大和、ともう一人。
「あっぶねあっぶねー...。危うく腕力モンスターに頭蓋骨の中身ぶちまけられるところでしたー」
首からネックレスのように紐でぶら下げた古臭い携帯端末を手に取った少女は額に汗を浮かべてそう呟く。煌びやかな金色というより、地に足付いた黄土色に近い色合いのショートボブヘアー。首から下は日本名物(一部談)『ガッコウシテイジャージ』のような伸縮性のある運動着のような恰好で、誰かさんとは違って外から見てもわかるくらいには豊満な双丘なんかが体のラインと共に露になっていた。
目前で発生したイレギュラーにあっけに取られている椎滝大和高校13年生をちらりと視界の端に収めたその少女の正面で、水面が不自然なほど盛り上がる。また同じように、尻もちをついたままの大和の表情もみるみる青ざめていく。
深淵より、再び『竜』が降り立つ。
「うおっ、再生した!?」
「誰だか知らんが気を付けろ!そいつは水を自由自在に操る咎人で、『竜』も『蝶』もただの駒なんだ!今は逃げ回るしか」
ドオオオオオォォォォォォ!!!と。
言い終わる前に、大和の足元が地雷を踏み抜いたかのように盛大に爆ぜる。それでも大和が新しい傷を負うことが無かったのは、巨乳の少女が首根っこを摑まえて自分もろともステップで攻撃を回避したためだ。つまり、目の前の少女は一瞬の判断でそれを成し遂げたことになる。
色褪せた心のキャンパスに色彩が戻り始める。
どこの誰だか何者なのかも知らなくても、助けられたという事実だけでどこか救われていく。気付けば無意識のうちに自分の胸をなでおろしていた。ただしいくら自身にとっての救いが訪れたところで、『竜』が止まってくれる通りはない。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドッッッ!!!といっそ洪水じみた音の波が一気に押し寄せてくる。
ほとんど反射的に大和が身を屈めた。
『竜』の放つ水を利用した攻撃のどれもがヒトの肉など簡単にこそぎ落す鑢と同じ。まともに受けようとすれば小さく細かい、ただし鋭利な水圧の刃が触れてしまった部分の肉をえぐり落とし、内臓や骨を外気に晒すことになる。大和の怪我が掌の皮を剥がされた程度で済んでいるのは『万有引力』あってこそ。射出され、一つの形を持ったころになるらしいブレスを触れた瞬間に転移させるという無茶苦茶なやり方で受け止めたから。
逆に言うと、『万有引力』を触れた瞬間に発動させたにもかかわらず皮膚をえぐられた、一瞬でそこまでやってのける攻撃力を秘めているという意味にも繋がっているはずだ。イメージは『性質を保持したまま液状化した金属棘が超高圧で放射される』というのが最も正確だろう。
未だに血の滴る両手を引きずる大和の側面に鈍い衝撃が奔る。ただし出血どころか大した痛みも無いことから、どうやら黄土色の巨乳少女に蹴り飛ばされたらしい。小さく呻きながらごろごろと転がって壁に激突するも、結果的には『竜』の攻撃から身を躱すことが出来た。
が。
同じように『竜』の液状鑢から身をひねって回避したショートボブの巨乳は、反対側でカチカチと携帯のようなモノを弄っている。
「うーん」
「ちょっ!やってる場合かよ!?」
「すこーし待ってくださいねー、ほいほいほいのほーい、と。位置情報を送信、しばらくすれば筋力ゴリラも到着するでしょう。あっ!あたしがこんなこと言ってたのは内緒っすよ!?」
言いながら、時代遅れな携帯端末の小さな画面とボタンを操作する少女が、『竜』に対してアンダースローで何かをへ投げつける。くるくると弧を描いて飛んでいくそれを見た瞬間、再び大和の表情が一瞬で凍り付く。
円筒状で一方には自転車のブレーキレバーのような物体が取り付けられた投擲物......その正体が閃光手榴弾だと分かったころには、既に莫大な閃光と音が視力聴力ともに白で塗りつぶす。撒き散らかされた閃光や音の衝撃からか、新たに一撃を叩きこもうと顎を開く『竜』も内側から飛び散った。
状況に追いつけずに取り残される。
正月の親族の集まりで一人だけ話題についていけないような、そんな妙な疎外感だけが大和の内側を満遍なく埋めつくす。それとも『助かった』という意識があっという間に張り巡らされたからかもしれない。
突然現れた救世主はどうやら自分のことを知っているようだがこっちは相手のことなど何も知らないし、腕力ゴリラというのは多分自分の上司に当たるシズク・ペンドルゴンのことであるだろうし。そしてそこの巨乳はなんだかすごくシズクを恐れているらしいし......。
「....もしかして、あんたが、キマイラ?」
「おっと、シズクさんから聞いてるんでしたね」
繋がった。
ようやく話が一本道に巻き戻る。巻き戻ったのはいいが、そこからどう進めればいいのかは結局分からないことに変わりなかった。気が付けば、キマイラと名乗る少女は再び数世代前の、今ではとっくに型落ちしてしまっているであろう携帯端末を操作している。胴体部を現代兵器によって消し飛ばされた『竜』が再生しようとしている目の前で、だ。
ボゴボゴと泡立つ水面を目にしても、少女の指先が休まる様子はない。小さな画面から漏れる機械的な光が表情を照らす。上司の知り合いとはいえ流石に信用しきれないらしく、大和の表情は行ったり来たりを繰り返してばかりだ。
砕かれた壁から不格好にはみ出たパイプを握る。頑丈な金属製であることに変わりはないが、そもそもキマイラの登場シーンによって粉々に砕かれた壁から露出する切断済みの金属棒だ。既にぐらぐら担っている部分に捻る様に力を加えるだけであっさりと手ごろな大きさに折れるので、武器どころか『竜』へ対抗する手段を持たなかった大和には手頃だろう。
どんなことがあっても離さないように、両手でしっかりと握りこむ。
やはり、どこか頼りない。しかし無いよりは遥かにマシだった。助っ人の安心感に重ねてささやかながらも抵抗手段を得たことで、大和にもある程度の余裕が出来つつある。深呼吸するように大きく息を吐いて、改めて真なる『敵』を正面に捉えた。
そこで、助っ人に明確な動きが生じる。
バヅヅヅヅヅヅヅヅッッ!!と彼女の端末が放った音の正体は。
「ドラゴン×セイレーン。コスト14」
滑らかな言葉があった。
手にした古ぼけた携帯電話.....いや、その表現は正しくない。正しくは、彼女が自身の特性を最も最善な形で使用するために開発、改造した魔装と同列のツールで在り、『キマイラ』を『キマイラ』たらしめている特別な品物だ。平たく言うなら、一昔前の携帯電話を基盤に、電極やコイルを配置しバッテリーの電流の流し方をボタン一つで簡単に操作できるように改造された――――。
「スタンガンッ!?」
直後に、とてつもない熱放射が大和の視界どころか空間そのものを焼け付かせた。照り付ける太陽に晒されたかのような熱量は明らかに『竜』の仕業ではない。水を操る『異能』を行使し、或いは水を己の一部とする『竜』にそんな芸当は不可能なはずだ。ということは間違いなく黄土色に近い色のショートボブに巨乳の少女が、雫の呼びつけた助っ人、キマイラが大和では理解不可能な何かを実行した。
そう、直前に聞こえたコマンドのような一文と共に。
細めていた目をゆっくりと開く。手にした鉄パイプが若干の熱を浴びて、先程までとは明らかに異なる表面温度を醸し出す。彼女の周囲だけで取り囲むように湧き上がる水蒸気の向こう側で、半身をぐつぐつと煮えたぎらせた『竜』が血のように赤い光を取り戻す。
そこへ、一切の躊躇なくキマイラが飛び込んだ。
恐らくは一瞬で熱をくわえられた影響によって熱湯へと変化した『竜』へと、更に聞きなれない電撃音を撒き散らかす自己改造スタンガンを片手に。
「ギャガアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!」
「うる、さいッ!」
ゾバアアァァァァァッッ!と波が弾けた。
もはや大和の出る幕などどこにもなかった。目にもとまらぬ攻防が一瞬にして空間に刻み込まれる。手にしたときはあれだけ頼りに感じていた金属の筒など、何の意味も持たずに。始まってしまってはもう止めようもなかった。
空中で空気を蹴るように飛び跳ねるキマイラに対し、全身を波打たせる『竜』が無数の頭を生成する。大量のブレスに加え、追撃者である『蝶』、『鼠』までバレリーナのように空間で躍ることで回避し尽くした少女の蹴りが頭をただの液体へ変換させてゆく。目で捉えて説明できるだけでもここまでだ。
とにかく別次元の。
もっと言えば、たかが『異界の勇者』なんぞ付いてくることも許されない。世界最高峰の異能や技術を行使する集団であるはずの『異界の勇者』の仮にも一端が、この扱いだ。大和がかつての恋人より受け継いだ『万有引力』だって上手く使いこなせば決して弱い異能と言うわけでもない。それどころか貴重な空間転移系の異能なのだ。
既に一連の攻防は収束され、飛沫を上げて隣に降り立った少女の攻撃によって『竜』の大部分は失われている。改造スタンガンをバチバチ言わせて話しかけてくる女の子とは正直近寄りがたい壁のようなモノを感じたが、相手に自覚がないらしいので無理に咎めることも出来ず、ビビりながらも応じる大和。
外見上の客観視ではあるが、やっぱり『竜』に明確なダメージの兆しはどこにも存在しない。それどころかどれだけ攻撃を加えたところで再生してしまう怪物を完璧に破壊手段なんて存在するのだろうか?
『蝶』が舞い、『鼠』が奔り『蜥蜴』が這う。
考えたところで、二人の間に答えはやってこない。ただこうして再生を待つほかにない。
「むむむむむ。厄介っすねアイツ」
「いきなり来てもらって悪いけど役に立つような情報は何にもないんだ。あったらとっくに活用してるしそもそもここまで酷い状況にもなってない」
「それはそうっすね。とはいえ、打つ手なしと言うわけでもないんですが」
「え」
キマイラの手元で機械的な発光と電流が放たれる。空気を焼くように小さく映されたのはスタンガンの放電だ。防水加工はしていないのか、先程の攻防の中でも極力水に触れないように立ちまわっていたのは一般人に毛が生えた程度の椎滝大和では判断できなかったらしい。ただし、今回は違う。
現代兵器が、確実な害意を変換させた牙を向ける。
水と電気と関連性は考えるまでもあるまい。バヅヅッッ!と短い放電があった。電気そのものが生体に対する絶対の攻撃力を持つわけではない。人間だって動物だって、常に生体電気を利用して自分自身を保つものなのだから、むしろ生命はこの世に生まれた時より電気と明確なつながりがあると言っても過言ではない。
しかし水との組み合わせは凶悪だ。
子供でも知ってる事実。水は電気を通してしまう――――。落ち着いたショートボブの金髪のキマイラを止めようとした大和の想像を超える形で、彼女のスタンガンが思いもよらないモノに突きつけられた。
まるで拳銃自殺。
頭に銃口を突きつけるように、キマイラのお手製スタンガンが彼女自身の頭を焼いた。
そして彼女は獰猛に微笑む。彼女は数多の獣を内包する獣の名を冠する少女であり、その本質は混沌。他人から取り込んだ情報をミキサーでかき混ぜるようにぐちゃぐちゃに保つことで自分を確立する黄金の『人間』。
「それではヤマトさん改めまして。何処にでもいる普通の『人間』は、こんなことを考えました」
獰猛に、笑む。
舌なめずりが赤光を取り戻しつつある宝石の如き双眸に映りこむ。
「自分一人で出来ることにはどうしても限界があるんじゃないだろうか。ならばどうすれば、どんなことでもできる完成された人間になれるのかな?その『人間』は普通過ぎて、どれだけ考えても答えが出てこないのです」
「なに、を...?」
「そして辿り着いた答えがこれ。外部で入手、分解析した他人の行動及び思考パターンを電流の形に変換し、外部から直接脳へと入力する。これによってあたしは『あたし』以外の何者にでも成る可能性を内包させることに成功した。魔獣や架空の生物にまでも」
普通、じゃない。
自分が知る普通と言うのは、そんな考え方をあっさりと導きだしてしまうような少女を指す言葉ではない。
認識が外れていく。噛み合わなかった歯車がますます拗れ、崩れて、無理やり接続されねじれてしまう。普通とは。本当の普通と言うのは、彼女とは対極にいる者のことだ。
その、はずだ。
「キマイラと申します。以後お見知りおきをっす☆」




