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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
序章
97/268

soaking hell



 痛い。

 抉られた血肉からはみ出た血液も周囲の水に混ざってしまった。取り返すことはできない。体を動かそうにも、体中あちこちの関節が脳の命令を受け付けてくれない。まるでばらばらの歯車を無理やり接続してモーターで稼働させてるかのような違和感すらあった。

 全身の毛が逆立っているのも、言葉に表すことが出来ないほどの悪寒に背中を喰われているのも、ただ単に椎滝大和が水に浸かっているという状況以外の何かがもたらした結果だろう。

 鈍痛が、返って命を刺激した。まだ生きている。これから『先』の道は確かに、続いている。それも、一歩踏み外せば数万メートル真っ逆さまな天空に敷かれたブロックほど無茶でもない。360度どこを見たって溶岩蠢く灼熱の道路と言うわけでもない。

 何の変哲もなく、確かに生を象徴する道は、崩れない。


(まだ、生きてるぞ)


 力なき手が水を掴み取って離さない。遠心力と衝撃で何処かへ飛んで行ってしまったお手製ボーラのことなど、すっかり思考から抜け落ちている。逆転の目途など立つわけもなく、水面に突っ伏すままの『異界の勇者』は苦痛と焦燥に赤く彩られた自らの思考の隅から隅まで完璧に利用する。

 即ち、対処か逃走か。


(俺が今逃げ出したとして、いや、振り切れるわけもないか。でも万が一そんなことになったら、()()()()()()()()()()()()()?)


 10人。100人。それとも1000人?あるいは飛行船に乗り込んだ全ての人間か?

 一般人に毛が生えた程度の自分がこのありさまでは、それこそ「一般人」とやらはティッシュペーパーにホースの水を当てるかのように簡単に吹き飛ばされてしまうだろう。むしろ自分がここまでやれたのも、『万有引力テトロミノ』の補助あってこそ。

 逆に言うのなら、『異能』どころか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「ちく、しょう」


 どういうわけか、現在もなお大和よりほんの僅かに離れた地点で揺らめく『竜』からそれ以上の追撃はなかった。を中心に広がりつつある薄い赤の輪から外れた地点で、ほくそ笑むように禍々しい赤を明滅させる。敵対者の姿を観察しているのか、或いは待ち焦がれた敵対者の無様な様をようやく視界に収めることが出来たので笑いを押し殺しているのか。

 正直に言うと大和には『竜』の復讐に対して心当たりがない。

 でもだからと言って、絶対に在り得ないと言い切ることも出来なかった。何しろ王国側の要求で身を粉にして動き回った時代において、大和含む『異界の勇者』達は突如手に入れた異常な才能を惜しげもなく利用し尽くしたのだから。王国の犬とまで言われた『異界の勇者』に滅ぼされた敵の中には、恨みを抱く者も少なからず存在したはずなのだ。

 でも。

 だけど。

 『異界の勇者』への憎悪と、飛行船を楽しむだけの一般人は全くの無関係。大和が『竜』との戦いにおいて巻き込んでいい理由だってどこにもないはずだ。

 どこにだってないはずだ。


「畜生ッッ!!」


 決断は早かった。

 バッ!と勢いよく起き上がった椎滝大和が改めて拳を握り直し、溺れつつある何処かの部屋で剥き出しの闘志を見せつける。例の魔装はプールの床に転がっているだろう。しかし『こんな時あの魔装さえあれば』なんて逃げの考え方は、同時にあの時捨て去った。全身を貪る激痛を押し殺す。例えどれだけ勇敢に戦ったところで敵わないとしても。ここで『道』を投げだすことになったとしても。

 黒髪に目付きの悪い長身の『異界の勇者』

 じりじりと睨みあう一人と一体。互いに理由も目的も動機も分かつ存在でありながら、他者を歪める力を潜在的に内包する『咎人』

 触れた物体を高さ限定で瞬間移動させる異能と、水を操るらしき異能の対峙。一人と一体を取り巻くように壁を水が流れ落ちる。天井からもボロ屋の雨漏り屋根のような格好で水滴が足元へ零れている。

 静寂を切り裂いて。

 真っ先に動いたのは『異界の勇者』の大和。

 薄い赤が広がる液体を掻き分けるようにして、突き進む。応じるように瞬間、『竜』が全身を形作る水を操った。流動を繰り返し決まった形を持たぬはずの水が、粘土か何かのようにその形状を変化させる。


(『蝶』に『蜘蛛』、それにあれは『鼠』かっ!?)


 水面を滑るように掛ける小柄な半透明の正体は即座に看破できた。宙を漂うように舞い踊る『蝶』を片手で払いのけながら、足元まで高速で接近する『鼠』を模してるであろう水を蹴り上げる。

 敵は水を氷のように個体として固めて操っているわけではないことを、シズクの攻撃が確かに証明していたのを思い出しての行動だった。走りながら蹴り飛ばされた『鼠』が飛沫となって弾け吹き飛ぶ。ついでに空気中の『蝶』が飛沫に当てられた衝撃で同様にただの『水』として散らばっていった。壁を這う『蜥蜴』も空間を漂うような『蝶』も、触れただけで物体の位置を変換する大和に対しての決定打には欠ける。先の『蝶』を用いた攻撃も不意打ち在りきでなければ、まず回避されるか、『蝶』そのものを転移させられ、結果として攻撃が大和に当たることも無かったはずだ。


(ってことは)


 攻撃の本質が可視化される。一つ一つゆっくりと、靴紐を解いていくように丁寧に対処してやればいい。頭さえ落ち着いているなら、見解はどこまでも広がっている。答えすら身近に転がっていた。


「本命を確実に当てるための、ブラフ!」


 大和の思った通り、大顎を開いた『竜』の口の中から壮絶な音が反響する。感覚としてはたった一度の簡潔な音が、密閉された空間で幾度も幾度も幾度も壁に跳ね返り、収束し、やがて()()()から一斉に放出されたようであった。

 大和に知る由もあるまい。

 敵の異能が『竜』『蝶』『蜥蜴』『鼠』と生命を模倣している意味を。

 例えば、敵が自身の肉体をミクロレベルで液状化し、ただの液体に自分を付与し『水溶液』とする異能であるとしよう。この場合、肉体のほとんどすべてが液状化することになるが外せないのは『意識』の定理だ。液状化するにあたって『脳』を失った。さて咎人本人はどうすれば自己を見失わなければ済むだろう?

 ここでまた仮に解答者をシズク・ペンドルゴンとするなら彼女はこう答える。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 その答えが『竜』

 架空の生命とさえ呼ばれるほどの希少性を持ち、更にその模倣生命により確実な個性を付与することで『自分』を固定させた異能の入れ物。

 成果物が蠢いた。

 空気に『道』を描くように、実際に『竜』が通った後には、きらきらと宙を漂う『蝶』やら『蜥蜴』やら...とにかく生物を模した『竜』よりかはグレードを落した模倣生命体が散りばめられていく。それつまり自ら意思を以て羽ばたき、標的の元へ漂うことで自由な起爆を可能とした爆弾の量産を意味する。

 そしてそしてそしてそして。

 爆弾を当てることはさほど重要でもない。


「っ!?」


 水圧カッターの空を裂く音が轟く。何もかもを。

 破壊する。

 斬り殺す。


 考え付く限り最悪の選択肢を連想できた。過程は所詮どこまで続いたところで過程。結果が同一であれば、さほど重要でもない。扇形に広がりつつある『蝶』の群れは確実な命中を成すことはできなくとも、大和の選択肢を狭めることくらいはできる。爆発に巻き込み致命傷を与える必要はなく、行動のパターンの単純化を促せれば......つまりABCとある選択肢の内一つを選ばせるとして、Aを選択させるためにBCを消し飛ばせばいい、と。これはつまりそういう話。

 当てなくてもいい。

 重要なのは、如何にして本撃をぶち込むかだ。


「こいつ、視界を狭めるように!?」


 ぎょっとして、頭の位置を低く保つ。

 半透明が薄く広がった。丁度大和の頭の高さを狙って放たれた『蝶』の群れを潜る様に、しかしついでとばかりに体に触れた『蝶』を異能で消し飛ばす。視界いっぱいに広がりつつある結界に穴が生じる。


(今だッ!!)


 と、大和が勢いよく手を伸ばした瞬間だった。

 ドッッボァッッ!と景色が反転していて、気付いた時には何もかもを埋め尽す水の中を何回転もしながら、床に張られた水面に転がされていた。あっけに取られて口を開きっぱなしにするしかない。遅れて全身を貪る激痛にのたうち回ろうにも、不意に大和の視界の端に映った光景はそれすらも完璧に否定する。

 多頭の『竜』がそこに君臨していた。

 一つの胴体から地にそびえる大樹のように枝分かれした幾つもの頭部。『異界の勇者』の故郷...日本神話にも登場する多頭の竜、それぞれの眼光が赤く瞬く。

 平たく言い換えれば、攻撃のバリエーションの増加。実際、大和を突き上げた水の逆噴射も多頭となって初めて可能となる芸当だったのだろう。頭部の量産、『自己』の明確な結び付けに加え異能発動状態に伴う著しい思考力の低下を補う発想、と言っても大和には理解できるはずもない。

 そこには絶体絶命があるだけ。


 思考を真っ白に塗りつぶされる。

 考えることを辞める。絶望をこれ見よがしに積み上げられて、否定したくとも許されない現実だけが洪水のように大和の脳を埋めつくす。脳がショックに堪え切れず、積み木のように一からくみ上げた思考があっけなく自壊していく。

 そうだ。

 そうだったじゃないか。

 確かにあの時も、自分の目であの光景を見ていたはずだ。はっきりと網膜にまで焼き付けたはずだ。まだ自身がシズク・ペンドルゴンと共に行動していた少し前の時間に、彼女の攻撃を受けて幾つにも頭部を量産する『竜』の姿を。

 そして最悪なことに、ここにその彼女はいない。間一髪のところをヒーローが助けてくれるなんて幻想はあり得ない。ヒーローが望む者の元へ現れるとは限らない。


「ギャガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」


 咆哮は警告だったのかもしれない。

 或いは、『これで終わりだ』という宣言。

 いくつにも枝分かれした『竜』の頭の一つが大顎をぱっかり開いていた。直後、全てを呑み込む濁流が殺到する。


「ああああああああああああああああああああああああっ!!?」


 咄嗟に両手を突き出していた。

 激突する。

 川の流れが長い年月をかけて岩を削る、とは言わない。あるのはただただどうしようもない痛みと絶望の渦潮だけだ。突き出した両の腕が真っ向から水圧のブレスを受け止めて、これまた反射的に『万有引力テトロミノ』が発動する。

 両の腕を千切り飛ばされたと錯覚するほどの重圧はいとも簡単に椎滝大和を弾き飛ばした。どうやら自分でも無意識のうちにブレスを()()()()いたらしい。両手はしっかり肩の先にくっついてる。どこか骨が折れたような様子もないし、筋肉が断裂しているわけでもなかった。

 ぽた、ぽたと。

 手のひらから水とは違う何かが垂れる。


「ぐ、う、うううううううううううううううああああああああああああああっっ!!」


 足元にまた薄い赤が広がっていく。

 二撃、三撃と続く攻撃をなんとか『万有引力テトロミノ』で吹き飛ばすも、攻撃の度に骨が軋み皮が剥ぎ取られていく。

 攻撃の度に命がやすりにかけられたようにすり減っていく。

 もう叫ぶことすらままならない。自らを中心に広がりつつある赤の波紋と同じように。思考まで血の赤に染まるも、防ぐ以外の手段を持たぬ椎滝大和では対抗など出来るはずもなかった。

 続く。

 続いてしまう。

 四撃、五撃、六撃、七撃と水圧が皮膚を抉る。

 多頭の水竜が瞬かせる赤だけが暗闇を切り裂くように照り付けて、炎のように大和へ燃え移らんと夥しい死を振りまき続ける。汎用性の違いと言うだけで、同じ異能なのに戦力の差は絶望的に明確だ。

 力なく垂れさがる両手を引きずるように後退りする大和の正面で口を開いていた。一つ一つでも絶大な威力を誇る水の砲弾が、血肉などバターか豆腐のように削り落としてしまう狂気の液体が。

 全て一斉に。

 到来する。


「う、ああ」


 椎滝大和は観測することとなる。

 空間の大部分を占める暗闇から始まり有象無象の命を含ませて。音も光も痛覚も、およそ人に備わる全ての機能を奪われた煉獄の世界を。

 水浸しの地獄を。



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