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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
序章
91/268

bark the dragon



 視界いっぱいに広がっていたはずの黒は、嘲笑うかのように新たに湧き出た半透明に洗い流される。いつの間にか、天上のスプリンクラーまでもが吹き飛ばされたらしい。五月雨のように降り注ぐそれは当にシズクと大和の膝下を埋めつくし、行動の制限にまで機能しているようだ。

 そして、『箱庭』の眼前にして。

 収束しつつある液体は一つの形をとっていた。透き通る程に未知の青で構成された半透明。まるで大蛇のようにうねる長い体の先から、凶悪な牙と赤色の光を瞳に灯す......生き物?


 一言で表現するならまさしく竜。


 まずその場で、誰よりも早くシズク・ペンドルゴンが動いた。

 膝下まで浸かった水の制限をものともせずに飛び上がった彼女が竜の顔面へ、体を空中で半回転させつつ横薙ぎに蹴りを放った。

 竜の頭部だけが弾け飛ぶ。

 バシャッッ!!と瞳の凶悪な赤光ごと頭を壁に叩きつける。それでも。取り残された胴体の方はと言うと、その場で不自然な流動を繰り返したかと言うと、ものの数秒もせずに失った頭の代わりが現れた。断面から噴き出した泡が再び『竜』の形を取り、新たな頭にすげ変わる。


「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!?」


 物理法則に殴りかかっていくような理不尽を纏う竜の叫びを受けて、『箱庭』の直接戦闘を担当するサブリーダーシズク・ペンドルゴンは思わず舌打ちをこぼしていた。今まで数多くの異形を目撃してきたはずの彼女が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ。四桁を超える深海の巨大触手魔獣にも万物が持つ魂を説く狂人にも『誰か』と『誰か』を混ぜ合わせることでしか自分を形成できない怪物にも挙げ句の果てには万物の創造と変換を司るという神人にも対応してきた彼女が。

 これはどういうことだ。

 鉄釘みたいに全身に突き刺さるこの違和感は、いったい何からくるのだ。()()が本物のホード・ナイルでもただ敵に操られてああなってしまっただけのホード・ナイルでもはたまたホード・ナイルを名乗る別の何かでも基本的にやることは変わらない。まずは全身を塗り固めるものを剥ぎ取って、丁寧に一つ一つ並べていくだけ。

 たったそれだけのはずなのに。


「くっ!」

「シズク!!」


 と、今度は大和と竜が同時に動く。

 恐るべき勢いで竜の口から噴射された水圧のブレスを受け、シズクの華奢な肉体が通路の向こう側まで吹き飛んでいく。足元を埋めつくす液体に対して『万有引力テトロミノ』を行使しようと試みるが、ピクリとも反応を示さないことに大和が心の中でだけ狼狽する。


 それはつまり、大和が今の今まで頭からすっぽりと抜け落ちていた『万有引力テトロミノ』の欠点。

 『万有引力テトロミノ』は()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして、はっと顔を上げた瞬間だった。


(まずっ...!!?)


 ドオォォッッッ!!!という衝撃が突き抜ける。

 肺の中に詰め込まれていた空気が一気に外へと押し出されていくのがわかる。それどころか空気とは別の赤い何かまでが腹の底からこみ上げたかと思えば、風船に針を突き刺したように中身は出て行った。

 ばしゃばしゃと飛沫を上げて、水浸しの廊下に力なく転げ落ちる。自分でも知らない内に軽いパニックになっているようだった。失った分の酸素を取り込もうにも、喉の奥で熱を持った塊と乱れてしまった呼吸が邪魔してしまう。

 腹部を押さえつけ、必死に何かを伝えようと呻くだけでも精一杯。


(まずい、もう次がっ!!?)


 水面から直接胴体を伸ばす竜が、もう一撃加えようとしたタイミングで今度は胴体が弾けとび、転がりまわる大和の顔面に直撃する。背後から飛び蹴りを仕掛けたらしい少女はすぐさま新たな形を形成する竜へと向き直り、今度は()()()()()()()()()()()()()()()()()


「ヤマト!」

「げぼっが、あ、ああ!」


 新たな轟音。新たな衝撃と共に床が突き破られ、二人の足元を埋めつくしていた水が栓を抜いたように抜けていく中、なんとかシズクの足首へと触れることが出来た大和...更にシズクの全体像がその場から消滅した。渦を巻いて下層へと吸い込まれる奇怪な『ホード・ナイルだった何か』とは対照的。より遠くへ離れるために、水を吸ってしまった白黒螺旋のミサンガが大和の意思に従った、と捉えるべきか。とにかく、二人には()()これと言った外傷もないはずだ。

 旧世界の恩師から譲り受けた白黒螺旋のミサンガに宿る『万有引力テトロミノ』の異能。

 自身が触れた特定の物体のy座標――――即ち高度を書き換える。


 また薄暗さを残す場所へ出た大和とシズクの二人、着地と同時に貯めこんでいたものを吐き出すように口から大きく息が漏れていく。咄嗟の判断で彼女が床に『穴』を開けていたのは、まさに歴戦の怪物たる彼女だからこそ実行できたのだろう。 冷静に状況を判断するどころか、か攻撃を一発貰っただけで意識がぐらついていた自分を情けなく思う。乱れた呼吸を整えようとしても上手くいかない。不安や恐怖と言ったストレスを急激に貯めこんでしまったのか、何もしなくても立ち上がろうとするだけで足元がふらついてしまう。

 シズクが手を差し伸べてきた。何とか差し出された自分よりはるかに小さい手を握って立ち上がろうとして、体重と重心の関係で今度はシズクのほうが倒れそうになる。


(あれは)


 違和感は、なんとか更に上層へと逃げた二人が抱え込む共通の感覚だ。

 自分だけではどうやっても理解できない情報を、頭の中の知識を使って無理やり納得させていくような違和感を大和が。そしてシズク・ペンドルゴンは、まるで結論を出すに至って決定的な判断材料となるはずの何かが記憶から失われ、しこりのようにむずがゆく残り続けているような。


(あの竜は、ホードなのか?あのホードが変貌して()()なっちまったのか!?)


 あれをホード・ナイルと呼ぶには無理がある。

 確かにホードは水と関連が深い。そもそも彼は本来水中での生活に適した能力を持つ海獣族であり、確か属性的にも彼は『水』に属していたはずだ。それにまさしく自分の目の前で起こった出来事だった。血まみれの彼が突然わけわかんない事を叫び始めたと思えば、唐突な変貌。一から十、そのどれも大和が実際に目撃した真実であることに間違いや訂正は存在しない。

 だけど。

 だけど、信じられない。

 あんなことを出来るような人物じゃないことは、短い付き合いでも十分に理解したと思っていた。それは彼の性格から判断下のと同時に、技術的な観点からも観察した結果だ。


(ホードの異能と言えば『未来探索ストークエイジ』、思考の加速や自分でも他人でもない『誰でもない視点』から観察した結果をもとに結論を導き出す精神に作用するタイプの異能!肉体の液状化も『竜』もさっき見た何もかもが、『未来探索ストークエイジ』の領分じゃないはずだ)

 

 覚悟を決めた大和が少なくとも自分よりは知識に長ける彼女へ恐る恐ると疑問を口にしようとした時だ。

 今度は、天井が砕けた。

 あの程度で、終わるはずがない。逃げ切れたと心のどこかで安堵していた自分が跳ね起きた。天井から滝のように流れ落ちる濁流が何もかもを埋めつくす。ちっぽけな大和の決意すらもあっけなく、隅々まで洗い流されていく。しかしそれは汚い感情を綺麗な水の力で落とすのとは真逆の感覚。冴え切る思想の奥底まで、汚い感情が押し寄せ汚染されていくのに近かった。

 『竜』を形成する液体を前に。椎滝大和は叫び、少女へと瞳で縋っていた。


「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?やばっヤバい!!」

「~~~っ!!逃げるわよ!」

「えっ、撃退しないの!?」

「私はともかく、巻き込まれたらヤマトはひとたまりもないでしょ!いいから走って!!」


 言われなくてもすでに走り始めてる。

 大顎をこちらに向けた『竜』が放った水圧のブレスは廊下を縦に切り裂くと同時に、新たな頭が床を埋める水面に現れた。それどころかそいつは。その謎の液体生物の頭は計七つに裂けて、七つそれぞれの大顎がこちらへと口を向けている。


「球と円こそ循環の象徴、輪廻は我が命に刻みし...ええい以下略!!」


 ドオォォッッッ!!と。

 水を駆ける少女の指先から放たれた光が、七つの水圧カッターを同時に爆散させた音だった。衝撃の余波からか、『竜』の増殖した頭部もいくつか失われている。

 やはり、シズク・ペンドルゴン。

 この程度では彼女の『怪物性』は失われたりしない。むしろ敵が見えない状況だからこそか。雑な詠唱と共に放たれる彼女以外では知ることはおろか、認識することすら許されないエネルギーを用いた魔法は絶対的な破壊力を保持する。たかが水を圧縮して放出した程度の攻撃を弾くことなんて、シズク・ペンドルゴンにとってはまさしく赤子の手をひねるように容易いことだろう。

 二人はすっかり水浸しになってしまった廊下の角を勢い良く曲がりきり、背後から迫る液体生物の様子をうかがっていた。当然ながら、椎滝大和の力ではあの『竜』を撃退するには至らない。せいぜい水圧のブレスのy座標を()()()たり、自分を移動させて攻撃を回避する程度でしかない。

 故にこれからの大和の運命は、全てシズクの行動で決まると言っても過言ではない。不安ではあるが、こと『戦闘』というジャンルであれば彼女は無類の強度を発揮してくれる。

 唐突に、彼女が極彩で壁を叩きつけた。

 どうやら行動する前に小声でぶつぶつ言っていたがあれも詠唱だったらしい。叩きつけられた壁沿いに『何か』が伝わる。そしてその『何か』は迫る竜の付近まで近づくと同時に噴き出した。

 超小規模な火山爆発じみた音とともに、廊下の壁や天井ごと『竜』が消し飛ぶ。


「詠唱ってっ、そんな雑でもいいんだっけ!?」

「ある程度の魔法使いともなると回路制御に詠唱なんていらなくなる!私は最初のほうの癖として残ってるだけっ!それより奴はどうなったの!」

「ダメみたいだぜ、前だ!」

「くっ、そッ!!」


 言いながらであった。

 今度は二人が突き進む道の正面。既に攻撃の態勢を取りながら鎮座する四つ首の『竜』へと向かって、優にメートルと言う距離の概念を忘れ去るほどの閃光が刃として襲い掛かった。閃光の柄を握る少女が両手を動かすだけ。ほんのわずかな移動によって『竜』は料理下手が無茶苦茶やってしまい爆ぜた野菜のように不細工な細切れと化し、もはや霧と呼ぶにまで霧散してしまう。

 それでもなお『竜』は止まらない。

 もしくは『止まれない』のかもしれない。あれが『ホード・ナイル』だと信じたくはない。しかし自分の目の前で起こった現実が物語っているではないか。『竜』、それも原形となっていた人間の姿形は完璧に『ホード・ナイル』であった。

 ただし全身に破損を起こしたコンピューターのように亀裂を纏っていた。

 ただし全身から流れ落ちる血液は確かに生き物のそれであった。

 結局判断材料はこれだけだ。

 これだけが『ホード・ナイル』と『竜』を紐づけるか、あるいは切り離すのかを決定するための材料。どれだけ伸ばしたところで細かく細分化したところで結論を手繰り寄せるには至らない。

 ましてや椎滝大和は『異界の勇者』

 親愛なる誰かから受け継いだ異能を自由に扱えようが『箱庭』と呼ばれる最高峰の魔法使い共と行動を共にしていようが、本質的に魔法や異能といったオカルトとは無縁の生活を送るはずだった人間。ホード風に言うなれば、結局のところ知識が足りないらしい。


(くそっ!壊しても壊しても再生するんじゃ意味がない!それにアレがホードじゃないって確証はどこにもないんだ!)


 気が付くと足の動きは止まりかけている。


「ヤマト今のうちに!」

「っ!」


 直後の出来事だった。

 そもそも水が決まった形を持つことがないことを、椎滝大和はすっかり忘れていたらしい。振り返りざまに大和は、


「竜、じゃない...?」


 水が固まって生まれたのは『蝶』だった。

 それも無数に揺らめき立って。

 まるで害意を感じられない無垢なる魂。一部の地域では死の前兆などと不吉がられることもあったが、今では絵本を開けば必ずと言っていいほど現れる平和の象徴。何かや誰かを傷つけることも無く、害意どころか自然界でこれほど捕食され続けた生物があっただろうか。透き通るような半透明の青。全身を液体で構成しているくせに、ひらひらと羽ばたいて二人を追い越してゆく。

 足元の妨害があるとはいえ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()


(まず――――...)


 大和が自信を追い越す蝶の群れを視認した直後に、()()は訪れた。

 もはや音や光なんて感じる間もない。ただシズクが短く呟いたことだけをうっすらと認識できていた。蝶が、水が、細い針となって四方八方へ飛び散る。椎滝大和を貫こうと突き進む。

 攻撃を認識すらできていない大和が身を守ることなど不可能だ。しかし、動くどころか認識していなかった大和の代わりに動いた少女の行動はとても分かりやすかった。


 もう一度、今度はほぼ反射的なのか、全力に近い力で壁を叩く。


 ゴッッパァンッッ!!!!と。しかし音に合わせて壁が破壊されることはなく、むしろ別の場所からの破裂音だった。

 大和から見た景色が一瞬にして書き換えられる。どうやら彼女の魔法によって響いた音は()()()()()らしい。

 本来液体の水が気体に変わるとなると発生するはずの熱すら無い。薄く広がった白に目を細め、走り抜けた先に待ち受けていないはずがない。


(蒸発...敵が操れるのは『水』じゃない、『液体』か!)


 二人が走り抜けていく間にも、どんどん水かさは増してゆく。いずれは上から下まで全体が水に沈むことになるかもしれない。毎日のように新しい水でプールを開けるくらいなのだ。貯水タンクだなんて、ありきたりな方法で水を補っているとも思えなかった。

 既にシズクは視界の先を見据えながら、


「ビンゴっ、さあ走るわよ!」


 更に直後の出来事だった。

 『竜』に『蝶』、それから『蜥蜴』に『海猫』、天井から吊り下がるのは『蜘蛛』か。

 竜に蝶、いずれもあっけなく受け流され、決定打につながることはなかった。細かい傷にさえ目を瞑れば新入りの未熟者とはいえ大和だって五体満足、シズク・ペンドルゴンに至っては無茶苦茶な詠唱や魔法にも関わらずあのざまだ。一筋縄ではいかないと判断したのかもしれない。

 『敵』の全力の害意が『箱庭』を取り囲む。



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