ああ、我らが神の子よ
まず長髪の神父が、具合を確かめるかのように左腕を雑に振るった瞬間だった。いつの間にか神父が手に取っていた手ごろなサイズの瓦礫はアルラの頬を掠めて、僅かに反応する暇さえ与えない。この投擲も、近距離に特化した『神花之心』で唯一といっていいアルラの遠距離攻撃だ。でもそれは攻撃する側の話で、アルラ・ラーファも自分がこれを受ける側に回るとは思ったことすらなかっただろう。長髪の....ゾッデと呼ばれる神父は奪った力を握ったり開いたりして力の調子を観察しているようだ。
もはや左腕は、完全に神父の支配下にあると言っていいだろう。
「なるほどなるほど。これは、思った通りとても便利ですねぇ?」
「くっ!」
思わず横に大きく跳ねるが、直後に鋭い衝撃がアルラの頭蓋に突き抜けた。揺れる脳を何とか立て直してようやく気付く。どうやら、自分から『神花之心』の脚力で地面に衝突したようだった。本当なら、いったん距離を置いて状況を切り替えているはずだった。
「突然四肢の一つを失って、今までのバランスを保てるわけがないでしょう!!」
いつの間にか歩いて近づいていた神父が余裕からか、『神花之心』関係なく横たわる灰被りの青年の脇腹に蹴り込んだ。ズドッッッ!!という鈍くて、骨に響く痛み。
考えてみるとその通りだ。
突然失ったパーツ分の体重だって、同じようにすっぽりと抜け落ちている。今まで当たり前だった使い方を失う。これはゲームのコントローラのボタン配置を、突然今までと全く別に置き換えられたようななものなのだ。『いつも』のような体の使い方が馴染むわけもない。となると、新しい体の動かし方を即席で見つけるしかない。
せりあがる血と肺の空気が体外に漏れ、平面を転がり滑る青年の表情にも焦りが見えていた。
「そっちこそ、即席の異能で戦えるわけねえだろ!!」
「それはどうでしょう?即席でも異能は異能。さてあなたは対自分を想定したことがありますか?」
膝をつきつつも立ち上がる頃には神父の左腕が鼻先にまで迫っている。間に合わせの頭突きと拳が衝突して、互いの骨...どちらもアルラの骨だが、とにかく嫌な音が頭の中に反響した。頭の傷跡が開いて、流血が顔の一部を覆いかける。
アルラは今度こそ怯むことなく蹴りを合わせようと足を振り上げるが、瞬間に体が大きく、決定的にブレた。失ったはずの感覚が戻ってきたことに気付く前に、まるで鞭のようにしなって迫る『左腕』の追撃が水下へ飛び込んだ。
「こ、の...!人の腕コロコロ使いやがってッ!」
感覚でわかる。誰よりも長く付き合って誰よりも『神花之心』を知っているのはアルラだ。神父が使っている『神花之心』と左腕は偽物なんかじゃなく、紛れもないアルラ自身のモノだ。しかも神父が『力』を引き出すのに使っているのはアルラの寿命。このままでは遅かれ早かれ、破滅するのはアルラでしかない。
だから何としてでも、早く決着を付けなくてはならない。
互いの距離は数メートル程度。踏み込めば拳は届く。しかしアルラは残された紫電の片方でかぎ爪のような形をとって、勢いよく踏み込んできた神父に合わせて背後に飛んだ。体を後ろに反らしつつ、目の前に神父の体が来るように位置取ったアルラは、紫電を纏ったかぎづめの右を鉛筆で線をなぞるかの如く丁寧に、一気に動かした。
発生した音はズチャリッッ!!と生々しく。刻んだ側のアルラの指にも抉った肉がこびりつく。
神父の胸に刻まれた傷はひっかき傷なんて生ぬるいものではなかった。鉄の爪で抉り取られたように生々しく鮮血を撒き散らす。大して気にしたような振る舞いは見せずに、何の気なしに呟いた。
「それが正しい使い方ですか」
ぞわりと。
使い方を見せてしまったのは間違いかもしれない。神父の動きが180度に変化した。知恵を磨いて戦う二足歩行のヒト型というよりは、どちらかといえば、四足歩行の肉食獣に近い動きだった。身を躱すことはできるものの、徐々にではあるが小さい裂傷が増えていく。小さい傷も積み重なれば決定的になるのは過去で学んだ。
慣れないながらも全身を淡く発光させれば、神父も警戒を示すだろう。だが行動の選択肢をほんの少しでも奪えれば相手のパターンも読み取れる。まさに、アルラがそう考えていた時だった。
今度は、神父の左腕が何十倍にも膨れ上がったのは。
どんな攻撃が繰り出されるのか、考えるまでもないだろう。
「チィ!!」
肉質な壁が迫る。ボゴボゴと腫れあがる拳に合わせて両脚を折り曲げ、接触の瞬間に全てを解放する。アルラは全身丸ごと、神父は軽く仰け反っただけだったが、何とか攻撃は回避できた。足先から伝わる感覚が正しいなら、あの巨腕の軸もバキバキに砕け折れたハズだ。
求められるのは脳と肉体の瞬発力。
求められるのはどんな時も冷静さを失わない心の耐久力。
求められるのは諦めない抗う心。
難しく言ってはいるものの、やってることはリズムに合わせて太鼓をたたくゲームと同じである。タイミングをしっかりと見据えて、どんな記号の連打にも焦らず対応するだけのこと。
それに神父の術式について、観察して分かったこともある。
(左腕の『切り替え』に必要な時間は一秒弱!その隙にカバーが薄い右側を突ければッ!)
「とでも考えてるんでしょう?」
夥しい茨の群が無から繰り出される。
途中で屈折し、枝分かれし、矢の如く突き進む植物の至る所に鋭い棘が確認できた。分厚い鉄板だ牢が何だろうが貫いてしまうような攻撃。対して灰被りのアルラ・ラーファは、神父が『切り替えた』ことによって戻ってきた左腕を握りこみ、極彩色を纏わせて力のままに叩きつけた。
鉄の茨はガラスのように粉々に砕け散り、再び左腕が消失したことを感じ取る瞬間には、ほんの数瞬前自分の所へ戻ってきたはずの『神花之心』が放たれた。
突き迫る拳に一瞬ためらいこそしたものの、直ぐに再び頭蓋に極彩を纏い勢いのままに衝突させることで相殺させたようだ。同時に再生力の強化を行い、戦闘の負担にならないように頭部の傷を治癒させようと試みるが、目の前の敵がそれを許すはずもない。
ドッッガァァァァァァァァァァァァ!!!という音の雪崩。
神父の左側には今度は浅黒く細い腕があった。どうやらこの『音』自体が攻撃らしい。
思わず両手で耳を塞ごうとして、三度左腕が無いことに気付かされた。いつの間にか訪れた静寂の中で、ガヅンッ!!という甲高い音が炸裂して、灰被りの青年の体が地面に擦り付けられる。
「真に覚悟を決めた者というのはやはり格が違った。我らが神の子からの賛同は得られませんでしたよ」
いつか彼女から聞いた話では、『妖魔族』という種族はそもそもの個体数が圧倒的に少ないという。それこそ種の根絶を懸念されるレベルで、だ。『白の使い』がラミル・オー・メイゲルにこだわるのも、この機会を逃しせば次にいつ妖魔族と遭遇できるかわからないからだろう。どんな経緯で『白の使い』が生まれたのかなどアルラにはわかりかねるが、そこに至るまではどこかに救いを求めて手を伸ばした者がいたに違いない。
いつの時代だって、どこの世界や国でだって。
宗教というのは力なき人々の願いが集合して世に生まれるのだから。
力ある者は祈らない。
自分の力や権力や富で問題を解決できるから。
力なき民は祈るしかない。
自分で何かを解決しようと思う前に、他人よがりになってしまうから。頼らなくては生きていけないほどに弱いから。何時の日からか集まった民は単一の絶対を互いに認識しあう。曰く、神。
「参道を得られなかったってことは、やっぱりあいつは心の底から死にたいだなんて思ってなかったんだろうよ...ッ」
「だから、言ったでしょう。あなたたちの意見は聞いていないし、どうでもいいと」
薄ら笑いを浮かべた神父が、子供が道に転がる空き缶を蹴飛ばすような感覚でアルラの脇腹を蹴り抜いた。立ち上がることが出来ず、痛みに悶えるだけの灰被りの青年を上から眺め、まさに言葉の通り。踏み潰された虫を見るような表情だった。
横たわるアルラの首を左手で吊り上げて、苦悶に歪む姿を心底嬉しそうに。
「我らが神の子は、羽虫如きが手を出していい人物ではない」
「あっぐあああっ....!」
「世界を『白の使い』に統一する、彼女はそのための歯車なのですよ。全世界の全ての生命の意思が一つに統合された瞬間、争いは世界から断絶し、星は浄化され真の平和が訪れる!!彼女の聖骸と『世界編集』はそれだけの力を秘めている!!」
『世界編集』は、適切に扱えば第八の魔王にすら成りえる可能性を秘める異能だ。例えば、彼女の存在が全世界に知られでもすれば。それだけで全世界から狙われ続ける人生になってしまうかもしれない。そのためだけに多くの無関係な命が失われるかもしれない。いや、彼女ならきっとそう思い込む。何もかもが自分のせいだと考えてしまうだろう。
そして彼女はいなくなる。
世界から、自らこぼれ落ちようとする。
「世界からこぼれ落ちた余分な歯車を我々が消費して差し上げるのです。彼女も本望でしょう.....あは、ははははははは、はははははははははははははははははははははははは!!!!」
真の平和?
犠牲ありきの平和なんて仮初だ。全人類の誰もがそんな犠牲を望んでいるわけじゃない。
余分な歯車?
それは、彼女の今までを否定する言葉だ。
アルラ・ラーファは知っている。
ラミル・オー・メイゲルが誰よりも他人想いなことを。誰よりも苦しんだことを。誰よりも嘘つきなことを。
この醜くも恐ろしく、美しくて優しい世界に生まれ落ちた以上。
真のハッピーエンドには必ず犠牲が伴っている。踏み台になるのは、その他大勢のバッドエンドだ。勝ち取る者がいれば、負けて器からこぼれる者だっている。こぼれた者は這い上がってはいけないと思い込んでいるのがラミル・オー・メイゲルだった。
「........我が術式は異能を借り受けるだけに非ず。自らの器へ移し替え、独自の方向へ進化させることすら容易い」
でも、ハッピーエンドを目指して何が悪い。
報われなくとも、生まれてきたんだ。
アルラの首下では、彼だけの『神花之心』の極彩色が主人を握りつぶさんとばかりに締め付けている。それどころか、血管の一つ一つにどす黒い発光があった。本来の『神花之心』とは別のベクトル。得体のしれない何か。その邪悪な光は血管を通して、ゾッデ神父の本体に流れ込んでいるように見える。
「ふざけんな」
「?」
片方しかない極彩色が、本来更に先にあるはずのもう片方を掴み取った瞬間だった。
「ふざけんなって言ったんだよ」
ベギョッッ!!という鈍い音が響いた。
即座に神父の拘束から抜け出したアルラが、着地と同時に一撃を叩き込んだ。思想に囚われ油断していたとはいえ、ゾッデ神父にはその何の変哲もない『神花之心』を捉えることはできなかったのだ。断片すらも視認できていなかったのだ。
神父はダメージの兆候すら見せず、更にアルラから一定の距離を置いて刻まれたダメージを確認している。アルラもそれ以上は踏み込まず、まるですべてが終わったかのように静観する。
誰にも知られることなく、延々と危険信号を発し続けていたウィアが赤外線カメラを通して検知した。
既に夜空には淡い光が差し掛かっていた。
夜明けがやってくる。
「折れてるぜ」
誰かの左腕の状態を指し示しての声だった。
言葉の通りに、力なく左腕は垂れていたのだ。
「私ではまだ再生は無理か」
吐き捨てるように呟いた神父だったが、腕の切り替えはしなかった。今持ち主に腕を返せば自分が不利になると判断したのだろう。実際、その判断は間違っていなかった。今『神花之心』を手放せば、間違いなくアルラは自ら砕いた左腕の痛みに迷うことなく飛び掛かっていただろう。僅か一秒弱という針に糸を通すような現実を易々と潜り抜けていたはずだ。
そうならなかったのは、もう終わっているからだ。
「変に拡張しようとしたのが仇になったな」
「は?」
アルラ・ラーファは一度だけ口の中の血を吐き捨てて、自分の左腕があるべきところを眺めていた。
メギリッ!!と。
「ラミルは死なせない、代わりに死ぬのは神父。お前だよ」
メギメギメギメギメギメギメギメギメギメギメギッッッ!!
「なっ、は?あ、あああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
「痛いだろう?苦しいだろう?それはあいつの痛みだ。ラミルがお前に与えられた心の痛みだ」
ただ、夜明けの天に響く大絶叫だった。嘲笑うようなあの笑みも、態度も。何もかもが咆哮に掻き消えていた。こんなにもあっけなく、つまらなく、くだらないとは。
まだ何もかもわかっていない神父の姿は滑稽というほかない。神父も自らに何が起こったのか、全くわかっていなかった。
「なっなん、なんなんだ???!こっ、こ、こ、この、痛みっ苦痛!?」
不自然な音。それに、不愉快な音だ。内側から引き裂くようなこの痛みは、意図して呼び込んだ痛みじゃない。流れ込んでくる!
「俺が10年かけて乗りこなした暴れ馬を、ほんの数分で手なずけられるわけがねえじゃねえか」
最初に犯した過ちは、『神花之心』を手懐けようとしたこと。ただし神父がそれに気が付くことは永遠にない。機会すら、もう二度と訪れない。言ってみれば自業自得でしかない。自分で何かを得ようともせず、ただただ他人の努力を借り受けて生きてきた者への許されざる罰だ。
素直に言えば、これはアルラにとっても予想外の幸運だった。神父がただ『神花之心』を受け取ったままに使うだけであれば結末はまた違っていただろう。
「こ、これほどの苦痛の中でッ、今まで、私と戦ってきたとッ!?」
「痛いのはもう慣れたよ」
ゴギゴギッ!!と首の骨が鳴らそうとして、首に捻じ曲がった左腕が当てられていることに気付いた。痛覚もしっかりとアルラのモノだ。なけなしの寿命を使った再生を付与して経過を待つことにするが、果たして白銀髪の少女との再会までに間に合うかどうか。
落とし前はつけなくちゃならない。
一人の少女を弄んだ大罪を。
【憎悪】は許さない。
.......無様に転げまわる神父を見据えて、底知れぬ闇と果てしない憎悪の青年は告げた。
「祈れよ。優しい優しい神父サマ」




