爆炎少女包囲網
突如として空中から叩きつけられたヘリコプターや爆炎といった、平和な街に有るまじき異常を掻い潜ると、心の負担も幾分か軽くなった。
危険区域からなんとか逃げ延び、本来のルートを大きく旋回することにはなったが目的地も見失ってはいない。気がかりなのは厄介な神父の足止めを引き受けた灰被りの青年のことだが、あれほどの異能と覚悟を持つならそう簡単にくたばることはないだろう、という妙な安心感すらある。ほんの数十分程度の付き合いでも、人に与える印象が大きくプラスに働くのは良い人間の証だ、と勝手な解釈勝手な解釈をしつつ、またもやぜえぜえはあはあひいひいと情けない息を吐く男がいた。隣にまだかの青年が立っていたなら、呆れてものも言えなくなっていたことだろう。
「ハアッ...ハアッ...あー...しんど」
やはりこまめな運動は心掛けるべきだったか。走りの速さはそこそこなものだと自覚しているが何分体力に問題があると思う。まだまだ老いてくような年齢じゃないのでこれから早起きして少し走ろうかとも考えたが、きっと三日もたたずに辞めてしまうと思う。
やるべきことは多いだろう。任された上に足止めを頼んだ以上、途中で投げ出すことはしない。それにだ。ラミル・オー・メイゲル......彼女の『世界編集』は自らを世界のどこかで彷徨っている妹と引き合わせてくれる可能性が高い。相変わらず荒い息を吐く肺をゆっくりと落ち着かせ、ひとまず落ち着いて冷静に状況を判断することにした。
「えっと」
男は成り行きでアルラに渡してしまったハイテク演算機器『ウィア』とはまた別に、私用の通信端末を取り出して電源を入れると、液晶画面にでかでかと表示された現在時刻に目を細めた。
4時21分
確か『白の使い』がラミル・オー・メイゲルを乗せてダンゲアへと向かう列車の出発が5時過ぎだったので、自分の脚でも今から全速力で駆け込めばどうにか間に合いそうだ。潜入も『フードを忘れた』とか適当な理由をでっちあげればどうにかなるだろう。ただし当然問題も残っている。例えばどうやって白銀髪の少女を説得するか、とかだ。
「果たして見ず知らずのオレの言葉なんかを聞いてくれるのか...そこだよな」
確認するようだがラミル・オー・メイゲルと短髪の男性は初対面。というか会ったことはあるし男は少女の顔も知っているのだが、その時はフードで顔を隠していたので、こちらは知っていても彼女は自分のことなどは気にも留めてないだろう。たぶん『下っ端A』程度の認識か、あるいはもっと薄い印象か。それに加えて一か月以上前から知り合っていたという灰被りの青年の言葉ならまだしも、『組織の下っ端A』程度の言葉をそもそも聞いてくれるのだろうか。
恐らくは、聞いてもくれない。彼女がその気になれば『世界編集』で簡単に払いのけられてしまうだろう。
「あいつがゾッデ神父を手早くとっちめてくれるのを祈っとこう」
いっそのこと清々しいまでの発言と共に端末を仕舞いこむと、今一度額の汗を拭い駅へと走る。振り返ればまだ目に映る距離で黒煙が立ち上っている。丁度その真下、二つの拳が今もなお衝突を繰り返していた。
方や絶対的な力を振り回す『神花之心』
まともに食らえば骨折程度で済むはずもなく、一撃一撃が必殺の攻撃力を秘めた暴力の象徴。ただ欠点として、あまりにも出力が大きすぎるため体のほうが付いていけずに壊れてしまうかもしれないという暴れ馬だ。使い手の任意で
次に至近距離へと潜り込んできたアルラに対抗するためか、近接戦闘用の『左腕』を取り出したゾッデ神父の魔法術式。元々『死体の一部を切り取り身に着け、その身を以て状態を観察するため』の術式を戦闘用に展開したものだった。とんでもなく広い射程範囲と、相手に合わせた腕の切り替え。この二つを以て『白の使い』に仇なす異教徒を適切に処理するのが、表向きは『優しい神父サマ』の役目だった。
まずアルラの『神花之心』で強化された頭脳が、神父の行動を適切に読みとく。神父のほうもそれに合わせ、体の向きや位置を調整して、攻撃を合わせる。神父の左腕が突如として発火したかと思えば、ガソリンに燃え移ったような勢いのままアルラの顔面を狙った。
ガッッッ!!という骨が当たる音が生まれた。
アルラの脚が、燃え盛る炎のパンチをしたから突き上げた音だ。
「っ!」
「やらせるかよッ!」
更に神父が左腕を切り替えようとした刹那、アルラの横薙ぎに振るわれた拳が逆に神父の顔面を捉える。腹の傷を埋める目的で生成された謎の黒っぽい液体が飛び散り、同時にゾッデ神父の体も大きく仰け反り、二撃目を回避できない。つまり、再び『神花之心』が捉える。
普通なら内臓が破裂しかねないほどの攻撃をどういうわけか吐血程度で済ませる神父も神父だった。
「ぬぐっ...ああ...っ!」
「は、ははは。どうやらとても便利なその『異能』、自らにも相当な負担がかかるようですね」
灰を被ったような青年の体の中、鈍い痛みが蓄積していくのがわかる。嘲るような神父の言葉を、アルラは自分を奮い立たせたうえで吐き捨てるように返す。
「そっちこそどうなんだよ。『切り替え』のキレが無くなってきたんじゃねえか?」
「羽虫程度の存在が、我々に『人間』に逆らうなど言語両断!さてあなたの自滅が先か、私が滅びるのが先か」
あるいは、と。神父はさらに付け足して。
一宗教団体に属する者には有るまじき邪悪な笑みを浮かべながら。
「我らが神の子が聖なる骸と化すのが先、か」
今度こそ。
今度の今度こそキレた。
たったそれだけの言葉でも、アルラの怒りを買うには十分だった。
『神花之心』で強化した脚力を存分に生かして飛び掛かり、長髪の神父を地面にねじ伏せた。今にも拳で頭の中身を地面にぶちまける状況を作り、拳を振り下ろす。並大抵ではないはずの腕力。これを両腕を使って自分の顔面に届く寸前で止めた神父が、振りほどくように体をよじる。路上の喧嘩のような格好でも互いに怪物なのだ。二人は取っ組み合いあいながら地面を転げまわり。
「神に仕える身でありながら人殺しに身を堕とすなんてな、お空に命を返すことが救いと思ってるならとんだ勘違い野郎だッ!」
「忘れてもらっては困りますね。我々は『白の使い』......神そのものに仕えるにあらず、神が遣わした妖魔の民に仕える敬虔なる信徒!」
ゴガアアアッッッ!!!と。
神父の『左腕』が切り替わった瞬間、土の塊が拳の形をとって地面から突き出す。それも無数に。打ち上げられたアルラへと追い打ちをかけるように、土の拳が空中の青年の輪郭を確実に歪めていった。
ガガガガガガガッッッッ!!という鈍い痛みと共に、熱を持った塊が口から外へ吐き出される。更に空へ空へとアルラ・ラーファを打ち上げんと叩き込まれる拳に対して、アルラはなんとか空中で方向転換して足に淡い光を灯すことで対処する。バネの様に限界まで引きとどめられた両脚、タイミングを合わせて引き放ち、粉砕した。
「あなただってわかっているはずだ!彼女は救いなど求めていないことを!」
「黙れッ!!求めていなくたって救いあげる!余計なことだって言われたって知ったことか!」
「その軽率な思想と行動が、余計に彼女を苦しめると言っているのだッッ!!」
今度はついさっき短髪の青年を貫いた不可視の槍。
しかし空中のアルラもそれは読んでいた。今度は体を大きく捻り、拳に集めた光を叩き込む。バガッッッッ!!!という轟音が空中で弾け、衝撃でアルラも地面へ打ち付けられた。
ここまでで使った寿命は140年ほどか。ペース的にそんなに長く持たないことは明らかだ。
アルラの『神花之心』は寿命を使った強化の度合いをある程度は自由に設定できる。消費する寿命の量によって変化する強化の度合いを、長年の経験で把握することもできる。だが『神花之心』は力の『強化』こそできても、『弱化』はできない。一度設定して出力した『神花之心』は変更することが出来ないのだ。これはやり直しがきかないということでもある。これから先に貯めて残すのか、早期決着を狙って早いうちから全力に近い出力をするのか。この判断がアルラには常に求められる。
そして今回は、早期決着を狙った集中火力を選んだ。
地上で立ち上がり、アルラの『神花之心』が10年分の命を燃やす。
ベギョッッッ!!!!という生々しい音が炸裂したのは直後だった。
「がっああああああ!!」
ぽっかり体に空いた穴を埋め、その上部に当たる心臓付近を強く打たれ、今度は長髪の神父が命を支える赤を漏らした。しかし同時に、アルラも『神花之心』の深刻な副作用に怯み、互いに数歩後ろへ引いて。
「がぼっがあああっ...は、ああ、はあ、我らが神の子は言っていましたよ」
「.....」
「『異能』の力、『世界編集』は望んで生まれ持った才能じゃなかったと。出来ることなら咎人なんかじゃなくて、普通の人として生まれたかったと」
彼女は
ラミル・オー・メイゲルは才能を持って生まれたが故に全てを失った。
変えるべき家を壊され、愛してくれた人も恩を返す間もなく逝ってしまった。そんな彼女が己の『才能』を恨むのはごく自然なことだろう。もしくは、彼女が恨んだのは自分自身でもあるのかもしれない。彼女はずっと、彼女は自分のことを『生まれるべきではなかった』と思い込んでいたではないか。人生というのは例えるなら、突拍子もなく勝手に始まったドライブで。その人が辿る軌跡というのは運命に沿って勝手に道が引かれた道路だという。ただ用意されただけの道を走ることしかできない。
なんてことはない。
彼は
アルラ。ラーファは才能を持たずして生まれたが故に全てを失った。白銀髪の少女と同じように帰る故郷を焼かれ、愛し愛された人を奪われた。一時は彼女と同じように絶望し、力を持たずして生まれた己を呪った。違いといえば本当に些細なことで、アルラ・ラーファには記憶があった。ほんの少しの勇気があった。諦めたくない。敷かれた道から脱線してでも成し遂げようとする信念があった。そのために身に余る力を宿し、血反吐を吐きながら努力して、また怪我をして学ぶを繰り返した。まるで彼の心を体現したかのような暗闇で10年もの時を過ごした。時間はあった。
一つでも掛けていたら彼女のように。
ラミル・オー・メイゲルのようになっていたかもしれない。
たしかに
「確かに」
どんな世界にだって悲劇は生まれる。
戦争だって。
身近な事件だって。
生まれながらの環境だって。
一人ではどうしようもない事のほうが、世の中は多いはずだ。生きてく上で辛い経験をしない人なんて存在しない。たとえ人一倍辛い経験をしたからって、自分だけ逃げていいわけがない。
灰被りの青年は、口の奥に残った血の塊を吐き捨ててもう一度立ち上がった。表情に迷いはない。それにここにも、ボロボロになっても諦めなかった『一人の人間』がいる。
「辛い運命を背負って生まれた人間だっている。それでも与えてもらった命だ!この世に二つとして存在しないたった一つの命だ!!」
ブルブルと内ポケットの中で震える最新端末のことなんてもはや頭の淵にすら残ってない。再び圧縮された命を込めて、同じように意思を込めて。その両の拳を構えて。オーロラや太陽ともまた違う。今度は突き刺す雷の如き紫電を帯びた『神花之心』を解放して。きっぱりと言い放つ。どす黒く濁った色で塗りつぶされたキャンパスを、パレットナイフで一気にこそぎ落とすように。
「身勝手に、自分に嘘ついて、人生から逃げていいなんて理由にはならない!!」
世界を変えるなんて大きな目的はいらない。これは人生に迷う一人の少女を助けるための戦い。そんなレベルの衝突。安息にまみえた街の一角を切り取って、そこだけ自由に編集したような異質な空間の中だった。
「羽虫の意見なんてどうでもいい」
すると、ゾッデ神父も。
泥をはたきおとすように服を手で払い、赤く繰り返し灯される炎の影でアルラを睨んでいた。否定もせず、肯定もせず。無意味と切り捨てて『個の意思』を『全体の意思』で塗り替える集団のトップの一人がいた。あちこち破けた服の丁度中央にぽっかりと空いた穴。これも今では神父の心の内側を形で表すようで、不気味だ。
「苦難に立ち向かえる者だけではない。立ち向かうという選択肢すら考えない者だってごまんといる。たとえ逃げたとしてもそれは『勇気ある選択』の一つです」
「だけど、お前らのやってることは違うだろ」
「大した違いではありませんよ」
どこまでが本気なのか、いまいち掴めない表情だ。あまりにも不気味な表情にアルラも嫌な気を感じ取っていたが、ふとした瞬間に未だ本質を見せない神父の言葉に吸い込まれるように聞き入っている。意見の食い違い程度で済むはずもなく、これから先には再び。否...今まで以上の衝突が待っているだろう。
「間違うことを恐れるならば、まず間違いのない人生を歩めばいい。世界中の誰もがたった一つの思想に囚われ、同じ思考回路で同じことを考えれば、世界から悲劇は綺麗に拭い去ることが出来るとは思いませんか?」
つまり彼が言っていることは、『全世界が白の使いの思想へと統一されらば、争いも悲劇もないただ一つの平和へと到達する』ということらしい。彼女は、そのための犠牲の一つだと。
ラミル・オー・メイゲルは後々の世界平和のための犠牲となれ、と。
もはや怒りとか恨みとか、そんな簡単に表現できない激情の渦すらあった。沸き立つ感情を抑え込めるのに必死で、唇を噛むあまり戦闘とは別に血が流れることすら気に留まらない。
犠牲ありきの世界平和なんて、仮初だ。
長髪の神父は前髪を上げて、いつの間にか炎が消え去り、揺らいでいた大地を眺めたかと思えば。傷だらけの体を引きずる青年へ肩をすくめて言った。
「そして私には、たったひとかけらの賛同さえあればそれでいい」
沸々と、沸き立つように邪悪な笑みだった。散々見せてきた顔だが、今までよりさらに邪悪に。全体に悪意を込めて、まるで踏み潰され、無残な姿をさらす虫を見るかのような表情だったことに、アルラは遅れて気が付いた。アルラの意思が、今までにない危険信号を発している。
「あなたが心のどこかで『たしかに』と思ってさえくれれば、その賛同さえあれば」
一息間をおいて、悪夢のような言葉があった。
「奪える」
ゾオオオオオオッッッッ!!と。
その瞬間、紫電を纏ったアルラの左腕が消失した。千切れたとか破裂したとかではないのだろう。先の人生で永遠に失われたり、呪いをかけられて全く微動だにしなくなったという感じでもないらしい。消失。文字通り左の肩から先がすっぽりと抜け落ちていた。痛みもければ感覚もない。それどころか失われた肩先からは出血すらない。ならアルラ・ラーファの左腕は何処へ行った?血の一滴たりとも流さず消えた『神花之心』の一端は、どこへ流れた?
「あは、ははははは」
「ま、さか」
「あああはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!」
見慣れた左腕が、そこにはあった。
違和感なく、ところどころに傷が見えて血が流れ、紫電と雷光を纏った異能が。
どうして自分が敵対する者はこうも狂人揃いなのか。
文句を垂れる隙も無く。『神花之心』が牙を剥く。
どこかの誰かから抜き取られた【憎悪】が、主人の喉元を喰い千切らんと。




