各々の理想は何処へ向かう
『アルラ・ラーファ』へと生まれ変わってから早18年。まだ短い人生ながらも、半分以上の年月を暗闇の中で過ごしているとむしろ暗闇で落ち着くようにもなってしまう。本当は冷たく暗いこの閉鎖空間が恐怖と不安感を煽るが、正直言って完全になれてしまったのでどうということも無かった。
例えるなら小学生の頃は寝るときに電気を消すのが怖かった少年が、中学高校と成長するにつれてむしろ暗くないと眠れなくなってくるような感覚だろうか。
とにかく。アルラ・ラーファは宗教団体『白の使い』に捕まり、何故か教会地下に存在する牢に固い金属の鎖で縛り付けられて放り込まれていた。牢屋の広さは畳を三枚敷けるかどうかといったところか。お世辞にも『開放感あふれる』だなんて語ることはできない。
「よっと、...ちっとばかし薄かったかな」
せまっ苦しい空間のせいで、何気なく出た一言も壁に跳ね返りやたらと響いてしまう。元々牢屋に尋問部屋も兼ねているせいか廊下の壁沿いに物騒なあれこれが立ち並ぶ中、声の主は呑気に椅子に座ったままホットココアを啜っていた。粉にお湯を注ぐだけで出来上がる市販の簡単仕様で、ここが自分の部屋だと主張せんばかりの佇まい。フードを深く被っているせいで表情はあまりうかがえないが、声から男性だということだけは察しがついた。
時刻は深夜。と言えども上のほうはとても騒がしい。盗難ヘリの墜落現場なだけあって多くの人が駆けつけているのだろう。
「ってか暑いなこれ。誰もいねえし脱いでもまあ構わねえだろ」
割とあっさりと脱ぎ捨てられてしまった『白の使い』の信徒を示すフードマントがぽすりと石の上に落ち、男の姿があらわになった。逆立った短い茶髪...というより橙色?オレンジ?の髪。がっしりとした顔つきに、顎にも薄く髭が見える。年はまあアルラより上だろう。少なくとも20代前半、もっと行けば30代前半くらいだろうか。今までに見ない『筋肉がのった土木作業員』みたいな男はアルラがぶち込まれた牢屋の前に椅子を用意して腰かける。いちいち『どっこいせ』とか呟いちゃう辺りが自分の年齢を上増して見せていることに本人は気付かない。
年齢不詳年増男(仮)はそのまま足を組んで、自分の膝辺りに肘をつき、さらに顎を乗せた。
そのまま意識不明の青年に。
「それじゃあ、話をしようか」
にっこりと微笑んで、その言葉には意識を失っているはずの青年が。詳しく言えば灰を被ったように乱雑な頭の青年がいた。胴や腕を巻き込んで重厚な鎖で何十にも縛り付けられ、身動き一つとれないような態勢だった。ヘリコプターの燃料爆発に巻き込まれて四肢がそろっているだけでも奇跡だというのに、鎖に巻きつけられていた青年は大きく舌打ちで意識があることを示すと、じゃらじゃらと金属が擦れる音を立てながら上半身を置き上げた。
「.........何時から気付いていた」
「最初から、でもたぶんオレだけだろうな。神父サマには気付かれてねえと思うよ」
ああ、ああ。
概ね予定通りだ。
正しい順序でラミル・オー・メイゲルへたどり着くには、たった一人の『白の使い』と面と向かって話をする必要があった。何せ相手はあの『ラミル・オー・メイゲル』なのだ。『世界編集』をフルで活用されれば、まともな手段で追いつけるはずもない。
まずは相手の懐に潜り込む必要があった。その分時間は消費してしまうかもしれないが、闇雲に走り回るよりは有意義な時間の使い方と言えるだろう。もう『強欲の魔王城』みたいなことはこりごりだ。
「うーん...これでいいか」
男はアルラの様子をうかがうと、椅子を揺らして背後の壁からダガーのような小振りの刃物を手に取り状態を確かめ始めた。刃物に関してど素人のアルラでもわかる。かなりの年季が入っている野にまともな手入れがされてないのか、ところどころの刃は醜く刃こぼれの痕跡が見える上に、茶っぽく錆びついている部分も見て取れる。
だがまあ、とげとげ付きの鉄球に柄が生えた奴とか引き金一つで四肢が爆散する散弾銃とかぐつぐつに煮えたぎった金属バケツとかじゃなくてよかったと安心するべきか。いや刃物も安心はできないが。
「拷問でも始める気か?言っとくがお前らなんかにしゃべることなんて一つもねえぞ。大体こっちが話してお前ら『白の使い』が得するような話のタネなんて、こっちははなから持っちゃいない」
そもそも。この男は大前提としてアルラ・ラーファの異能を忘れているのではないか?
それに、と灰被りの青年の不気味な笑みと共に付け足された一言。
「こんな鎖程度で俺を抑え込めるとでも?」
「いんや?思っちゃいないけど」
いっそ拍子抜けするような男の言葉と共にアルラ側。つまり格子の内側にカランと甲高い金属の音が発生した。アルラにギチギチに巻き付いて縛り付ける鎖から生まれた音ではない。男が投げ込んだ小振りな刃物が地面に落ちた音だった。アルラ・ラーファが思わず『は?』と声を漏らしてしまうのも仕方がない。何せ目の前の男の行動には彼自身のメリットになることが一つもなかった。敵に武器を与えて、たった一人で対峙することがどれほどまでに危険な行為か。
言葉の通り敵に塩を送っているようなものだ。
「【憎悪】だっけか?あれはまたすごい異能だったな。肉体強化っぽいけどなんか条件でもあんのか?」
「......」
「まあそう睨むなって。短気は損気、イライラしたって人生いいことないっつーの。お前さんも飲むかい?やっすい市販のコーヒーしかねえけど」
「いらない。敵の施しは受けないし今どうやってお前から情報を引き出すか考えてる」
「ハハッ!正直なのはいいことだ。だけど物騒なこと考えるのはやめてくれ。こっちだって目的無くして敵に塩を送るような真似はしないさ。考えるだけ無駄無駄」
「お前がいう『こっち』ってのは『白の使い』の総意か?それとも『お前個人』の意思か?」
「年上を敬えよ。それと万国共通で口使いは気にしたほうがいい。大人になってから恥をかく」
そう言いながら、男が次に取り出したのは黒く光沢を帯びるハンマーだ。それも歴戦の猛者が扱う戦槌なんて大層なものではなく、お父さんお母さんが日曜大工で使うようなホームセンターで買える程度のモノだった。ただし使い方によっては十分に人間を絶命させることが出来る凶器にも成る。しかも地下牢なんて場所に備えついてあったのだ。今までもこのハンマーは本来の用途で使われたことはなかったのだろう。
「これで対等だ。俺たちは互いに互いを害することが可能。むしろ鎖がある分そっちのほうが優位か?」
「ばかいえ。こっちは縛られて身動きとれねえんだぞ、それにそっちの壁にはハンマーなんて言わず大量の拷問具が用意されてるじゃねえか」
「そうかっかするなよ。オレは話がしたいだけだって言ってるのに」
対話というのはそもそもどちらかが不利な状態ではかなうものではない。単対多ではもはや尋問になってしまうし、単対単でも両方の立場に差が生まれれば、それもやはり対等とは言えない。目の前の男が不平等を嫌う性質の持ち主だったというだけだが。
「さーって、お話の時間だ」
「だから、お前らに話すことなんて何もな――...」
ぽすり、と。
今度は軽い音がアルラの目と穴の先に落下した。細々と文字が羅列した紙の束に、クリップで止められた一枚の顔写真。そう、紛れもなくあの神父の姿がそこにあった。思わず言葉を失っていた灰被りの青年もその書類の一番上に目を奔らせて、ようやく自分の頭で考える。
あまりにも不明な点が多すぎたのだ。本名や年齢、経歴はおろか。書類上の性別すらも『不明』の一言で書き終えられていた。
「本名経歴その他もろもろ全部不明。ただ『白の使い』内ではゾッデという名で呼ばれていた。扱う術式は膨大な総意を形成する一人一人の共感を元に記号を埋め込んで、物質移動みてえに自分の左腕にくっつけちまうってわけだ。簡潔に説明すると『神父の意思に賛同した一定範囲内の人物から、魔法や技術を体の一部ごと引っ張り込む』術式」
まだ短い人生ではあるが、人一倍罪やら異能やらと関わる機会が多かったアルラだから、あの神父の厄介性が肌で感じ取れる。もしも奴が言うとおり範囲内の信徒の『左腕』を自分に移し替えることが出来るのであれば、膨大な手数は計り知れない。
だからと言って何もしないわけにもいかない。
こうしている間にも、白銀髪の少女は自ら命を絶とうと準備を進めていることだろう。だから留まっていられない。速やかに情報を引き出して、目的地へ先回りする必要がある。
観念したように。アルラ・ラーファは問いかける。
「......何が望みだ?」
「何度も説明したぜオレは。話し合いだってな」
そもそもこの男が神父の情報を開示する必要性を感じられない。そんなことしてもやはり彼には一切のメリットはないはずだし、何より『白の使い』全体に与えるデメリットのほうが大きいはずだ。
だとするなら、この男の目的は?
「アンタの力が借りたい。オレ個人の目的のために」
簡潔にわかりやすく、男の表情が真剣なものになった。
「それに出来ればあの子の力も借りたいんだ。ラミル・オー・メイゲルだっけか。とにかくあの子が命を落とすのはオレにとっても好ましくない。アンタはラミルを助けたい。オレもラミルを助けたい。お互いの利害は一致してるはずだ」
これだけ話しても黙りこくったままのアルラの表情をちらりと伺うと、相変わらずこちらを睨みつけるばかりだ。ぱっと出てきていきなり『協力しようぜ元は敵だけど』なんて虫がいいのも重々承知しているが、それでもほんの少しくらいは話を聞いてくれてもいいと思う。やがて男は諦めたように息を吐いて、ぽつりぽつりと身の上話を始める。
「...人探しだよ人探し。幼いころに生き別れた妹を探してるんだ。そのために今までもいろいろやってきた。義賊みたいなことをした時期もあったし悪いことだって殺し以外ならいくらでもやった。全部目的のためにな」
「わからねえ」
「なにが」
「あんたがここにいる理由だよ。それだけまっとうな目的を抱えていてどうして『白の使い』なんかに加わった?」
「簡単なことよ。『白の使い』が一番『目的』に近かった。だけどそれも過去の話だ、どちらにせよもうそろそろ潮時だと考えていたさ。オレが求めた情報はここにはなかった」
そこだけは本当に悔しそうな表情で。その顔を見てようやくアルラも観念したのか、鎖に縛られたままだった胴体を『神花之心』で内側から引きちぎる。単純な腕力だけで内側から引き裂かれた鎖はパラパラと崩れ落ち、思わず男もほだらかに笑った。依然として二人を隔てる鉄格子。だがこれもアルラ・ラーファ...ひいては『神花之心』の前ではまるでゴム製子供用おもちゃのように頼りない。
その気になれば、いつでも顔面に拳を叩き込める位置をキープする。
それはつまり忠告。
俺はお前のことなんてどうも思ってないし、いつでも殺れるんだぞという言外の忠告に過ぎない。男もこんなことをしでかすあたり、生真面目な技術で生きてきたわけではないのだろう。神父のような魔法使いか、あるいは咎人か、はたまた呪術師か。詳しい事情も何もかも不明な男を信じるしか、現在は手立てがない。
『神花之心』の副作用のせいか。口の中から鉄さびのような匂いが取れない。だがゆっくりと肩を回してみて、錘がのっかったような感覚が消失したことに気付く。それに加え先の戦闘で押し付けられたのが業だけではないことも。
(あと700年ってところか。大爆発で巻き込まれた奴も俺のせいってことにして業を押し付けた?)
状態が不安な左手を首に当てて、ゴキリッ!と小さく骨を鳴らす。
アルラの体にこれといった異常は見られない。どんな条件で業の術式が解除されるのか、どんな条件で誰のせいか決まるのか。どれもこれも不明が多い。口の端から漏れてしまいそうな赤を自然に指で拭い去り、今度はアルラのターンが始まる。
一刻も早く情報を聞き出して、白銀髪の少女の元へ駆けつけなければならない。それが現時点の最優先事項であり、アルラ・ラーファの目的であることは揺るがない。本能に刻まれたお人好しの精神が、無意味に消費されようとするたったひとりの少女の命を助けたがっていた。
「まだ信じられないっていうなら仕方がない。もっと詳しくその紙を見てみることだ」
男に言われるがまま、アルラが石の上に広がっていた書類の束を指でめくりあげる。今度は神父個人の情報だけでなく、恐らくは信徒のモノであろう個人情報が長々と表記されている。今度は一切の『不明』もない。むしろ日本でこれほどの量の個人情報が漏洩しようものなら、社会的にも大問題になりえると言えるほどの情報量。大雑把に目を通したアルラの瞳が、最後の一ページでぴたりと止まった。
そこには人物に関する情報なんて綺麗な文字は一切存在しない。
ただただ不気味な人体図や素材の名前。つまり『儀式』の詳細だけが殴り掛かれていただけだ。見逃せないワードもたんまりと含まれている。中でも一番許せないのは、何よりも許してはいけないのは。
「妖魔族の、遺体...ッ!」
グシャリッ!と。
怒りのままに握りつぶされた書類が投げ捨てられ、その直後に金属が折れ曲がる轟音が炸裂する。
「おっおい!危ねえな!」
驚いて椅子ごと後ろにひっくり返った男の手元に物騒なハンマーは既にない。文句を垂れながらも、今度は別の書類の束をアルラに投げつけた。薄い一枚の紙きれ、開いてみるとどうやら地図のようだった。
かつてひしゃげた鉄格子から出てきたのは彼女だった。何も言わずに手を貸してくれた少女の姿が自分と重なる。
「奴らの目的地は?」
「ダンゲア。ここから北東に位置する村の名前だ。そこからさらに東の森の中に彼女の家がある、ってことになってるな」
さらに差し出された写真を見て、アルラも僅かに目を細めた。
薄っぺらい髪にプリントされた画像に映っていたのはどうやら木製の古い家屋。森の中にぽつんとこの建物だけが佇んでおり、その付近だけは樹木の代わりに色とりどりの花が咲き誇っていた。それだけじゃない。ちらほらとリスにも似た動物が映りこんでいるのがわかる。特筆する点といえばそれくらいの、たったそれだけが特徴な建造物。
だがどうしてそれがこんなにも悲しいのか。
ここで彼女もまた悲劇を背負ってしまったのだと。普通の人生を送れたはずなのに、何かが狂って世界の歯車から隔離されてしまった少女の人生のほとんどがこの写真の向こう側で織りなされた。
彼女の全てがここにあった、今はもう無くなってしまった全てが。
でもだからと言って。自らの命を投げうっていい理由にはならない。そんな理由を与えてはいけない。
嘘で塗り固められた人生なんて、ぶっ壊してやれ。
「上はまだ人が集まってるからな、何か聞かれても答えるなよ。教団の追手がいないとも限らない」
「わかってる。これからどこに向かえばいい?」
「駅」
協力者を名乗る男は端的に説明を始めた。こんどは自分のほうでこの街のモノと思しき地図を広げながら一点を指さして。
「制限時間は夜明け過ぎ。連中は一番列車で直接ダンゲアへ向かって『聖骸化』の儀式を始めようって魂胆だ。儀式ってのは土地も成功失敗に大きく作用する項目の一つだから無視もできない。絶対にそれまでにラミル・オー・メイゲルを説得して連れ戻す必要がある」
できるか?と問われて、アルラはしばらく考えた。
しばらく考えて、暗澹とした表情が晴れない。
原因はこれからが不安だとか、そんな小さい理由ではないはずだ。
どうすれば真の意味で少女を救えるのか。
地下から抜け出すためのハッチに手をかけたところで、答えはまだ出ていなかった。




