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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
序章
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救いを求める者へ差し出される左手



 まず『白の使い』の神父が動いた。灰被りの青年の言葉に肩を震わせる『御神体』は当てにならないと判断したのだろう。法衣にも似た布切れどころか武器にもなりそうな大柄の杖まで投げ捨てて、右腕をだらりと力なく垂らす。

 いっそ壊れかけのブリキ人形じみた動きで、神父の体がぐらりと揺れた瞬間だった。


 ズチャッッッ!!!という水っぽく、グロテスクな音が響いた。


「なんっ..!」


 その偉業の怪物に守られるように、あるいは青年の言葉に揺らぐ少女が発した声が物語る。どこをどう見ても異形の怪物バケモノ。それ以外の言葉で表現することが難しいほどに、神父の姿形は歪んでいた。

 視線の先の神父が水平に伸ばした()()()()()への率直な感想がそれだ。

 例えるなら、四肢を取り外して自由に組み替えられる人形で、一本しかはめ込めない腕を無理やりにでも継ぎ足したような。見る者が見ればまさしくグロテスクと胃の内容物を外へ吐き出してしまいかねない姿。

 左右非対称な世界の異物は、不気味に笑う。


「......」

 

 対するアルラはただ全てを呪うように睨みつける。少女の心を弄んだ大罪を償わせる。たった一本の極彩に輝く右腕で打倒すべく、一歩前へ出た。


「我らが神の子よ」


 神父が左腕を水平に保ちつつ、首だけ動かして少女を指示を飛ばす。今もなおベゴベゴと不気味な音を立てる左腕の背後で震えているだけだった少女。ラミル・オー・メイゲルも、まるで機械のような神父の表情で思い出す。例えアルラが乱入してこようが、自分がやりたいことは変わらない。『白の使い』の道具になる代わりに母親を埋葬する。二人の思い出の地、二人が過ごした地へと向かうのが先決だ。

 このくだらない人生を捨てるだけで愛した人と眠りにつける。彼にかまってる暇なんてない。


「信徒をお使いください。貴方様の力となるでしょう」

「待て」


 遮るように、ちっぽけな【憎悪】が制する。

 全てを憎んで、それでいて力強く。


「話は終わってないぞ。ラミル」


 もう怯えるような表情だった。一か月以上も互いを知りあってきた二人に間に生まれた亀裂。死にたい少女と死なせたくない青年。もしかしたら、不用意にかかわるべき二人ではなかったのかもしれない。むしろ関わりあわないほうが、互いに幸せになれたのかもしれない。

 そう思っているのは、白銀髪の少女だけだった。


「まずはこいつをぶっ飛ばして、次に『白の使い』とかいう連中だ。残してもらった命から逃げるなよ」


 ラミル・オー・メイゲルにとって決して軽くない言葉。

 自分のために潰えた命のために生きろと。青年はそう言っている。なんて残酷な人だろう。彼も、知ってるはずだ。話したのは私だから、彼も知っているはずなのだ。自分がやってきたことは何もかもやりたいことの裏返しで、望んだ結末が訪れたことなんて一度もない。川で泳ごうとすれば山で迷って、戦おうと思っても体は一切動かせずに捕まる。

 そんな世界を生きてきた。

 どこまでも残酷で、冷徹で、惨憺で。


 ()()()()()()()()()()()()


「どうして、どうしてそこまで」

「どうしてもくそもあるかよ。顔に書いてあるぜ、『助けて』ってな」

「そんなことっ、私は!」

「思ってなくたっていい。別に言葉に出さなくたっていいさ。()()()()()()()()()()()()()。言い換えればただの我儘。だからお前にも俺を止める権利なんてないだろ」


 どこまでも我儘。歪み切った思考回路。本人の意思にかかわらず、自分がそうだと思ったからするなんてまかり通るわけがない。望んでもない救いはいつだって不幸を呼び寄せるだけだと、自分自身がそれを証明しているはずだ。

 それなのにこの人は。


「透過」


 ただ静かに、白銀髪の少女が消失する。煙が空気に溶けるように儚く、ラミルは最後に歯を食いしばっていた。


「待ってろよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「......」


 突如。

 呻くように呟いた青年の足元に剥き出しの悪意が顔を出した。具体的に述べるなら、半透明なワニの大顎。石の川を泳いで渡る鋭い牙の数々が下からアルラを呑み込もうと押し寄せる。

 対してアルラは軽く宙へ飛び上がるだけで、回避する。ガラスのように半透明な大顎は散り散りに霧散してしまう。


「邪魔はさせません」


 『白の使い』

 長い年月を生きながらえた宗教団体の神父。

 神の使いなどという神聖な存在を崇めておきながら、不気味でおぞましいことこの上ない魔法を携えた神父の言葉だった。

 空気を読む気なんてさらさらないアルラが素直な感想をぶつける。初見の誰しもが思ってはいるだろう。実際、『白の使い』の敬虔なる信徒とやらに影で多腕おばけなんて呼ばれていたことも本人は既知の上だ。


「気味の悪い」

「ははっ確かにそうですね」


 神父はまず笑って肯定する。その人懐っこい笑みの奥底に住み着く獰猛な感情を隠すこともせずに。


「元は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 左腕。

 大きさ形はいずれも異なる無数の群れ。一つは枯れ枝のようにやせ細り、まるで老人の一部のようで。別の一つは五つの爪が伸びた女性のモノようにも見える。あるいは筋骨隆々な屈強な一つ。あるいはあるいはあるいはあるいは。

 全てが別々の左腕。

 異なる物語ストーリーと性質を込められた、ヒトを構成する一部分。


「例えばこれは、我らが信徒の一人のモノ。彼は幻影を操る魔法使いです」


 無数の中の一つ。一般的な肉付きの何の変哲もない腕の一つが、アルラの背後に指をさす。

 彼が示す先に転がっているのは、侵入前にアルラが蹴散らした信徒の一人だった。ただし、切断面なんて存在しない。まるで生まれた時から無かったかのように、左腕が欠けた状態で。

 次に正面へ向き直ったアルラの緊張が増した。無数の左腕を携えた神父の姿が、立体映像のようにノイズを発しながら薄れていくのを目の当たりにして。

 『幻影を操る魔法使い』

 ついに。

 神父が示した言葉の意味を理解する。


「こいつ、持ち主の技術ちからをっ!」

「腕一本分ですけどね」


 ゴアッッ!!とアルラの体が横に吹き飛んだ。脳を直接揺さぶるような重い衝撃が突き抜けて、あっけなく重力の枷から突き剥がす。どうやら自分が宙を舞っていると気が付いた時には神父の姿は完全に消滅していて、真横からトラックに突っ込まれたような衝撃を喰らってしまう。

 病み上がりのアルラでも普通なら致命傷。ただし攻撃が『神花之心アルストロメリア』で強化されていた右側からだったことが幸いしたようだ。

 もしも左側から吹き飛ばされていたら。嫌な汗がぶわっと吹き出したのも当然。

 獰猛に笑みを浮かべる神父が、まるで十年来の友人と話すように気軽に言い放つ。


「これは、過去に戦場を駆けまわった戦士の腕。今では彼も立派な信徒です」

「っ!」


 ゾオッッッ!!と。

 無数の左腕が一つに収束する。彼本来の左腕と重なる様に一つになりやがて一般的な右腕とは不釣り合いな、それはそれは太く逞しい剛腕が現れた。

 アルラの予想が正しければ、目の前の胡散臭い神父は『白の使い』の教徒の左腕を再現できる。

 ならば当然、この筋肉質な左腕も。


「があああああっ!!」

「はっ!」


 アルラの脚が無理矢理に神父を間合いへと収める。『神花之心アルストロメリア』の筋力強化は条件さえ整えば鉄筋を一撃でへし折るほどの怪力へと昇華する。そんな力で人間を撃ち抜けばどうなるのか。だが実際に極彩の右腕と筋肉質な左腕が衝突することはない。

 衝突の一歩手前で、神父の左手が掌の中を見せるように開いた。


 バヅンッッ!!と。

 突如として鈍い衝撃が灰被りの頭を突き抜ける。


「『衝撃収束ショックポインター』本来拡散する衝撃を一点に集中させる傲慢系統の異能」


 長髪の神父がそう話す頃にはもう『筋肉質な左腕』の姿はない。 

 また別に現在進行形で彼が振り回そうとしていたのは、動物というより植物に近い色。青緑のか細い左腕だった。

 ギチギチと縄を無理やり引き延ばすような音を立てるその腕。まるで鞭のように振り回し始めたと思えば、さらに次の瞬間にはアルラの脇腹に鋭く突き刺さる。二人の距離は10メートル以上も離れていたというのに、ツタのように伸びた緑の拳がアルラを貫いていた。

 貫通こそせずとも、肺にたまっていた空気が無理矢理外へ吐き出される。体がくの字に折れ曲がって、更に吹き飛ぶ。


「ごばあっ!?」

「彼は呪術師。全身の体細胞を動物と植物の中間まで近づけたらしい」


 次に。

 老人のように枯れた腕。

 爪が伸びた女性の腕。

 青黒く発光する不気味な腕。


「母なる左手。半径14キロメートルが私の領域です。さあ、我らが神の子を害為す羽虫よ!実に一万もの我らが信徒の力を前に何時まで飛び回れますか!?」


 絶望的な手数の差が全てを埋め尽くす。

 背中をなぞる冷たい感触と額を流れ落ちる汗が、焦りを目に見える形へと置き換える。


「はは、はははははははははははははははははは!!」


 直後に爆音が連鎖する。

 アルラの視界の外。もっと言えばこの街のどこかに潜む『白の使い』を信仰する二万以上の信徒の力が、簡単な石造りの教会を崩壊させることなんて容易いと言わんばかりに。

 言い換えればこれは一万以上の悪意の塊だ。

 そんな凶悪極まりない意思に晒されているのは、たった一人のちっぽけな少女。あの小さな体で受け入れるにはあまりにも大きく暗すぎる闇。

 白銀髪の少女。

 彼女はお人好しで、優しくて、ごく自然に自分よりも他人を優先させてしまい、そして。


 ......嘘付きな。

 

「お前が」


 剥がれ落ちた瓦礫が重力に従わず、アルラ・ラーファ一人へ向かって落ちてくる(・・・・・)中。灰被りの青年の中で埋もれていた【憎悪】が膨れ上がった。傍から見ればそれは身勝手な歪んだ欲望で、どんな言葉で飾ったって正当化できるような人助けではないはずだ。

 何しろ助けられる本人が望んでいないのだから。

 でも、だからと言ってただ見ているだけか?

 望んでないから、この世にたった一つの命が失われる瞬間をただ見ているだけか?


「お前が、誰よりも」


 たった一人の青年へ殺到する巨大な石の塊はどこまでも命を奪うことに特化して、誰かを救うことなんてできない。命を奪うだけで命を救うことにはつながらない。

 ちっぽけな、統合された一万の意思に対抗するにはあまりにも貧弱な拳が、動く。

 奪うだけじゃなく、救うこともできる拳を大きく肩の後ろまで引いて、解き放つ。

 『神花之心アルストロメリア

 誰よりも奪ってきた灰被りの青年の、誰かを救うための一撃が。


「誰よりもあいつを苦しめてんじゃねえかあああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 バゴッッッッ!!!と。

 砕け散った石の破片が神父の腹に直撃する。神父に防御の暇なんて与えない速度で、それなりの重量が速度を持って叩きつけられた。

 普通ならあばらは砕けて内臓に突き刺さり、内臓出血で死に至ることもあるだろう。少なくとも無反応ですくりと立ち上がったり、何事もなかったかのようにふるまうことはできないはずだ。

 この場に普通なんて存在するのであれば。


「ぐっぬう...」


 だが神父の顔に致命的なダメージは見られない。流石に飛び散った石が直撃した患部を手で覆うように隠してはいるが、本来そこにあるはずの出血すらなかった。当然のように起き上がり、当然のように術式が再現する。

 彼が『母なる左手』と呼んだ術式。

 無数の左腕が水平の伸びて、悍ましく蠢く。


「我らが神の子だ?カミサマとやらに祈らねえと人並みにも生きることもできない出来損ないが。勝手に祈ってればいいものを、何の罪もない女の子を巻き込んで利用して。自分がやってることを自覚しやがれ」

「していますとも。彼女は選ばれた神童です。彼女の死は我々にとって大きな利益を生む!彼女もそれを望んでいる!貴方がこの関係に立ち入る必要なんてどこにもない!」

「だったらどうした」


 吐き捨てるようなセリフの次に、今度は別の塊が神父の体を撃ち抜いた。直撃して、大きく仰け反る神父に息を吐く間も与えない。紛れもないアルラ・ラーファ自身の拳だ。灰被りの【憎悪】は残りわずかな寿命を惜しげもなく、ただその邪悪を吹き飛ばすために振るう。

 全てはあの少女を暗闇から引っ張り上げるために。

 『世界編集ワールドエディット』なんて関係ない。

 妖魔族と人間なんて種族間のしがらみだって必要ない。


「バッドエンドは俺だけで十分だ。あいつだけが暗い世界を彷徨う必要なんてどこにもない!!」


 足蹴り。正拳突き。回し蹴り。度の攻撃も正確な殺意を帯びたアルラの攻撃。神父のほうも目まぐるしく『左腕』を切り替えているが、追い付かない。攻撃に対する『最善の一手』を一万もの選択肢から選び抜いても、そのころには別の方法で命を刈り取る極彩色が迫る。

 もちろんアルラも無事では済まない。

 ただでさえ病み上がりだというのに、尋常じゃない負担がかかる『神花之心アルストロメリア』を躊躇なく使い続けている。アルラの異能を知る者は少ないが、知る者が見れば明らかに普通ではない。ましてや『神花之心アルストロメリア』というエンジンを動かすための寿命ガソリンだって『強欲の魔王』戦でほとんど失っている。

 都合よくアルラもラミルもまとめて助けてくれるヒーローなんてこの場にはいない。

 だったら。


 自分でヒーローになるしかない。


「調子に乗るなッ!羽虫がァ!!」

「ごぶっ!?」


 神父の反撃が遂にアルラへ届く。床から突き出した巨大な石の拳が、十分な回転エネルギーを纏いながらアルラの顔面を殴打すると同時に、アルラの下から救い上げるような足蹴りも神父の顎を捉えていた。

 二人とも大きく後方へ弾き飛ばされて、激突されて壊れた木製の長いすが粉塵を巻き上げる。


「集え敬虔なる信徒、我を補助し神の子に仇なす異教を討て!!」


 神父の叫びに応じて現れたのは、フードを深く被った幾多もの『白の使い』

 ここからは人数と手数で押しつぶすと言わんばかりに、神の子だなんて神聖化された存在を崇めてるくせに、救いとは正反対。各々が命を刈り取るための武器を持参していた。仮にもただ一つの存在を崇める宗教が武器を手に取って異教徒を討とうとする様は結局力で民に行動を押し付ける圧政と同質か。 思わず笑ってしまうような個を切り捨てた思考の塊に、アルラは唾を吐く。全のために捨てられる個の気持ちを考えたことも無いような集団の中へ、迷うことなく飛び込む。

 全方位。360度からアルラを押しつぶさんと迫る意思になんて屈しない。

 むしろ都合がいい。


「ちょうどいい。まとめて蹴散らしたほうが後で楽だ」


 こんどはアルラが、獰猛に笑った。


 なぜなら彼は【憎悪】だから。


「やれッッ!!」



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