嘘つき
確か彼はとにかく数が欲しいと言っていた。ファンタジー系はもう選んだから、ならこれとか...タイトルはえっと、『オトナの三角関係』?よくわかりませんけど、三巻も出てるし安いしとりあえず決定。それと...
「すいません。推理小説はどこの棚にありますか?」
「それなら隣の棚だよ。お嬢ちゃん、その年でいっぱい本を読むなんて偉いねえ」
既にいくつかの本を小脇に抱えた少女がお礼の言葉と共に頭を下げる。
白銀髪の妖魔族、ラミル・オー・メイゲルはアルラから注文された小説を選んでいた。ここは古めかしい街の古本屋。
親切な店主のおじいさんが指さした棚の前に足を運ぶと、ずらりと難しそうなタイトルが並んでいた。古本屋の本なだけあって背表紙だけでもぼろぼろなものが多いが、目に付いた文字列を適当に手に取ってみる。棚の上のほうにある本は子供用のミニ脚立を使って、ようやく届いた指先で引っ掻けるように背表紙の上を摘まむ。
...これなんてどうだろう。『名探偵ポンくんの事件簿』
表紙には可愛らしい二足歩行な動物のイラストが描かれてるのに、なぜかほかのタイトルより2~3倍くらい分厚い。これだけの厚みと巻数があるなら彼の注文通り見ごたえもありそうだ。
独自の感性で選び抜いた本を、カウンターで古い文献に目を通していたおじいさんへと渡して、札に書かれた分の金を払う。新品の本を買ってもよかったがあえて古本なのは値段がある程度安く済むからだ。パン屋のバイトだけでは財布にいろいろ厳しい現状なので、出来るだけ安く済むものは済ませたい。
選んだいくつかのタイトルを紙袋に入れてもらって昔ながらの木製ぼろぼろ建物から出ると、丁度頭の上で太陽が燦燦と輝いていた。思わず目を細めて覗いてしまうような青空の下。いい時間なので、白銀髪の美少女はすぐ隣の喫茶店に寄ることに。
「いらっしゃい」
全体的に黄色とオレンジの中間で統一された店内。
レトロなBGMが流れる店内はお昼時だというのにほとんど客はおらず、店主と思われる穏やかそうな眼鏡の男性も、カウンター席でエプロンを付けたまま新聞雑誌を読んでいた。ちりりんと扉に取り付けられた鈴が鳴ると、ラミルは一人だというのに四人くらいで座れる一番奥のテーブル席に座って、とりあえずメニュー表におすすめと書かれていたオムライスを注文する。料理が運ばれてくるのを待つ間はやることも無いので、彼のために買った古本の一つを手に取って、ゆっくりとページをめくり始めることに。
本来なら日常のどこででもみられる憩いの空間。不思議と心が和む。
(......失敗したかもしれません)
白銀髪のラミルは、古紙の束をめくる指を止めて、思わず苦笑いした。
手に取った推理小説、これは結構、いや...かなり面白くない。それも具体的に面白さや好印象、あるいは特徴といったものを、つまり良い点を一つとして挙げれないくらいには面白くなかった。作者は病んでいたのか?と疑いたくなるほどに。胸焼けのような感覚が今にも襲ってきそうなので『名探偵ポンくんの事件簿』はさっさと紙袋の中に戻して、次に手に取ったのはとても安い三巻構成の恋愛小説だった。
なんとこれはさっきの駄作と相対して今度はページをめくる手が止まらない。一気に一巻の五分の一程度まで読み進めていると、卵で橙色のごはんを包み込み、更にその上から赤いソースのようなモノがのっかった卵料理が運ばれてきた。
森育ちのラミル・オー・メイゲルには今一馴染みがない、オムライスと呼ばれる料理だ。
スプーンの上に端のほうの卵とご飯を一緒に乗せ上げて、おもむろに口へ運ぶ。
突如として、閃光が奔った。
(むぐむぐ、美味しいですねこれ)
満足気に初めてのオムライスを堪能したところで、ほとんど半強制的かつ同時に彼の料理が頭に浮かぶ。
そう、ほかでもないアルラ・ラーファ。
一週間以上は彼と徒歩の旅を続けていたラミルだが、彼女が料理を用意することは全くなかった。なにしろアルラの料理がかなりおいしかったから。それもそのはず、アルラ・ラーファもとい灯美薫は長く続いた独身独り身生活の中で料理の才を研磨するに至った。彼女が知る由はないが、あっちの仲間に『店でも持ったほうが稼げるんじゃね?』と言われるほどには。
(ニミセト...でしたっけ。確かアルラさんがクレープというスイーツで成功を収めたのが)
『塩?胡椒?贅沢言うなよ俺の故郷じゃこの食べ方が普通なんだよ』とか
『魚の骨?いやあえてとらないよ。そのほうがほら、なんか食べ切ったときに達成感があるだろ?』とか
『雑草だって?違うよつくしはれっきとした食べ物だよ!確かに夏につくしが生えてるのはおかしいとは思うけど見た目的にたぶん大丈夫だよセーフだよ!』とかで作る料理があそこまで美味しいのは納得がいかない。
ある時は野鳥の肉を山菜と一緒に焼いた料理。別の日は魚型魔獣の魚卵(?)をふんだんに使った料理。
灰被りの彼の『神花之心』は食材に秘められたうま味成分を引き出すとか、未知なる栄養素を作り出すとか、そんな使い方はできなかったはずなのに。どうしてつくしとその辺に生えてる雑草だけであそこまでの旨味を引き出せるのだ。というのはこの先永遠に彼女の心に残る疑問となるだろう。
人には思いがけない才能があるものだなと勝手に納得したラミルは満足げに小さな腹をさする。全身を駆け巡る卵の旨味を感じながら店を後にした。
外へ出てみると夏ももうじき終わりだというのに、ひりひりと肌を焼くような熱気が彼女を襲う。冷房が効いた店内に戻ろうとも考えたが、せっかくならもう少し歩いてみたいと思った。
(そうでした)
あっ!と思い出してドラッグストアに寄った後、彼女が目指したのは灰被りの彼が絶賛入院中の病院。へとへとになった少女はその向かい側にある公園のベンチに腰を下ろす。時間的に木陰に隠れたベンチには涼しい風が吹いている。せっかくだからアルラに届ける前に恋愛小説の続きを読むことにして、のんびりと読書に浸ることに。
まるで休日の午後。欠伸が漏れるような緩い緩い日常の一ページ。
少し前まで暗くて冷たい牢の中にいた自分では、想像もできない光景だろう。
一言で表すなら『平和』
命のやり取りなんてどこにも存在せず、ただ人々が求めるままに自由に過ごす世界。ラミル・オー・メイゲルが生まれながらに手放してしまった世界。手放さざるをおえなかった、いわゆる摘み取られた可能性。
ラミル・オー・メイゲルやアルラ・ラーファが生きてきた世界とは対極に位置する空間。生まれながらに負の運命を背負う彼女たちが、別の世界軸では当たり前として受け入れていたかもしれないひと時。だからこそ尊い。
失ってはじめてわかる、いつもの日々というのは。
「きゃははははははは!」
「待ってよーっ!」
「逃げろ逃げろ!」
元気よく走り回る子供たちの声が響く。風が吹く昼下がりに読書で安らぐのも案外悪くない。喫茶店の分も合わせてあっという間に読み終えた一巻を戻して、勢いに乗って二巻目のページをめくり始める。
穏やかな風が吹く中、ラミルが三ページ目に差し掛かった瞬間だった。
「こんにちは」
突然声をかけられて、ゆっくりと顔を上げる。彼女の前には、夏なのに足元まで一枚の布で覆い隠して、首に金の布をかけた長髪の男性が立っていた。にこにこと人当たりのよさそうな笑顔を見せる男はラミルにぺこりと頭を下げて、緩やかに話しかける。笑みを保ったままベンチをぽんぽんと叩くモーションを取って。
「お隣、よろしいですか?」
「どうぞ」
「失礼します」
短く礼を言うと男はラミルの隣に座り、公園の中をあちこち走り回る子供たちに目を向ける。
「穏やかな街ですね」
「ええ、本当に」
「みんな笑ってる」
「当然のことです」
男はぴっと人差し指を空に向けて、指の動きに連動させるように首を上に傾ける。その指先はゆらりと動く雲を示していたが、どうやら胡散臭さ全開の彼が見ているものはもっと別の場所らしい。
にたりと口を横に裂いて。
「我らが神はいつも見守ってくださるのです」
随分と大仰な名前が出てきた、と眉をひそめる。変な人物だなとは思っていたが、彼女の感想は正しかったようだ。リンゴを見て『これはリンゴだ』というように正確な感想。恐らく彼女が彼でも同じことを思っていた。法衣を西洋風に改造したかのような格好の教祖は、不気味なものを見るような瞳の少女を気にも留めず、未だ空を指し続ける左の人差し指をくるくると回す。
「何かお悩みでもあるのですか?表情が浮きませんね」
「特にこれといっては」
ラミルは小さく息を吐いて、再び膝の上に乗せた恋愛小説に目を通す。ちなみに小説内の現在の場面は二股の果てヒロイン両者に追われる立場となった主人公が旅先の宿の娘と恋に落ちる、という聞いてるだけでは即座にページを閉じてしまうようなぐだんぐだんな内容だったが、妙に文章力があるせいか引き込まれるのだ。
隣に座っていたロン毛の神父さんは、いつの間にか子供たちに交じって公園を走り回っていた。
ちょっとした息抜きにしては長すぎる時間が過ぎた頃、子供たちも大人もお家へ帰る夕暮れ時になって、ようやくラミル・オー・メイゲルは紙袋を持って立った。紙袋の中には彼へのちょっとしたお土産が追加されていて、恐らく今から向かいの病院へ訪れても面会時間的に少し話したり、彼のために見繕ったこの紙袋を手渡すことは叶わないだろう。
裏手に回って夜間入り口。入ってすぐ右に見える受付カウンターを覗くと事務員が書類と格闘しているのが目に映る。声をかけられてようやく気が付いたらしく、慌てて座りなおした事務員に紙袋を預けておいて『明日の朝に渡してください』とお願いした。中を見て少し確認の連絡をするために待たされたが、申請は問題なく通ったようだ。
重たい足取りでそのまま病院を出る、何度目かもわからないため息を吐いた直後、虚空から声をかけられた。邪悪な感情をスポンジのように吸い取った声は、重苦しい圧を隠す気もなく放出する。
「もうよろしいのですか?我らが神の子よ」
壁にもたれるように背中を預ける声の主の質問に、少女は振り返らず答える。
ほんの少しだけ未練がましく、瞳を暗闇に泳がせて。
「ええ」
「とはいえ、彼も哀れですね。信じる者に裏切られる心の痛みは測りかねます」
心を煽るような口調だった。
そんなんじゃない。と口に出しかけて、結局は否定できず押し黙るしかなかった。彼の言葉を否定する資格なんてない。彼女の行動はまさに、これまでのアルラの行動への裏切りであることに、神父を名乗った男の言葉に間違いなんて一つもない。
胸の中心をどす黒い感情で締め付けられる感覚があった。
もしかすれば、彼の【憎悪】が自分に向くかもしれない。その流れはごく自然なことで、いつ彼が自分が歩む道の上に立ちふさがっても。そうなってもおかしくない領域に、これからラミルは足を踏み入れる。
楽観的な口ぶりの神父が微笑みかけた。
「それでは行きましょう」
「......はい」
一度だけ振り返ったラミルの表情を。
込められた彼女の本心を。
正しく読み取れる者は世にどれだけいるのだろうか。
「さよなら。アルラさん」




