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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
序章
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永久の鎖


 絶対に、おかしい。


 俺は、確かに保健委員会ケア・コミュニティのテントで治療を受けていたはずだ。『神花之心アルストロメリア』の副作用で受けたダメージと、千切れた右腕。右肩から先は不自然なところから消失して、再生の途中。鎮痛剤と造血剤をもらって、やたら思春期のいろんなところを刺激してくるお姉さんに看病してもらっていた。確かニミセト保健委員会ケア・コミュニティの副委員長とか言ってたっけな。っというかそれは今もうどうでもいい。とにかく。

 気が付いたら、ここにいた。


「なん、だ」


 夢でも見ているのか。今までの疲労感が強すぎて思わず眠ってしまったのか。そう疑いたくなるほどの異質。

 灰を被ったような頭の青年、アルラ・ラーファの視線が目まぐるしく動く。体もだ。足元の冷たい感触は液体だろうか。残った左手で掬い取ってみても手のひらからぬるりと滑り落ちて、光がほとんどないせいで詳しく確認できない。ただここがニミセトでないことは確信を持てた。

 知らない。

 こんな景色は、こんな空間は知らない。


「なにが、起こった?」


 足首より少し上あたりほどの高さを浸す液体の抵抗に逆らい、とにかく歩いてみる。恐る恐るとだが、何もしないよりはマシだった。とにかく行動を起こさないと、頭の中の重要なネジが一本どこか遠くへ飛んでいきそうだ。

 真相を明らかにしたいというのは人間の『欲求』の一つ。誰もが知らずに従う法のようなものだ。


 まず付近の観察から始めよう。

 気温、もしくは室温は一定。寒くもないし暑くもない。若干季節に合わせて涼しく調整された室内というところか。付近に生き物の気配はなく、どこまでも暗闇と足元を埋める液体しか見えない。

 とりあえず即座に行動を起こさないとならない状況じゃなかったことにアルラは小さく息を吐いた。無数の爆弾が空から降り注ぐとか、ゾンビの大群が押し寄せてくるとか。

 監獄のほうがまだ明るいかもしれない。光度の問題ではなくて、雰囲気が。とにかくジメジメと嫌な空気が充満していた。肌がピリピリと焼き付くような違和感が、感情の問題だが確かにある。なんとなく察しが付く。


 ここにいるのはまずい、と。


 足を動かすたびに水面が波打ってばしゃばしゃと飛沫が舞う。荷物も大半が宿に置いてけぼりを食らったので、ファンタ商会から買い込んだ便利グッズだけが頼りだ。手持ちも残り少ない。取り出したペンライトの光を頼りに、周囲がさらに明確になる。


 ようやくヒートアップした脳みそが落ち着きを取り戻してきた。元より10年間も暗闇で過ごした過去も少しはプラスに働いたのか、闇に眼が鳴れるのにそう長い時間はかからなかったようだ。ペンライトと目の慣れでようやく判明した謎の液体の姿はひたすらに赤。よく見ればそれを掬い取った左手も同じ薄い絵の具を垂らしたような赤色に染まっている。

 思わず飛び上がった。

 アルラが連想したのはフラン・シュガーランチ。

 彼女が使った人間を死体兵に強制変化させる『肉の種』の媒介液だ。だがよく考えれば彼女は既に自分の手で葬ったし、何よりずっと足が接触しているというのにこれといった変化は起こらない。肉体に絡みついて黒甲冑を生み出す植物も現れないし、アルラの意識も特に異常ない。どうやら無関係な別の何からしいが、無害と分かっても視界いっぱいに広がる赤は不気味だ。


「二人は...」


 次に考えたのはあの二人。

 ジル・ゾルタスとニミセト区環境委員長シーナリー・コミュニティリーダーノバート・ウェールズのことだ。この異常が自分だけにとどまらず、彼らにも発生しているなら直接的な戦闘能力を持たない二人のほうが危険だ。特にノバートは先の戦いの中で成長したとはいえ、それは心の話。異能も持たず、固有の魔法も持たず、これといった反撃の手段を持たないノバートが、もしも敵に襲われでもすればひとたまりもないだろう。

 全てが終わったと思えばどこかへ消えてしまった『精神看破メンタルドライヴ』、彼については特になんの心配ない。何せあの神人だ。その気になれば大抵のことは自分一人でも解決できる気がする。


 額を伝う冷たい汗の一筋が、ただ流れるという挙動が時間を圧縮したように長く感じてしまう。

 この場で直ぐにでも何か更なる異常事態が起こっていれば、アルラは更に冷静な対処をできただろう。だが違う。飛ばすだけ飛ばしておいて、何も追撃がない。そもそも攻撃なのかもわからない。もしかしたら、毒ガスを充満させて安全に殺すために部屋かもしれないし、そこら中至る所に罠を仕掛けておいて間接的に侵入者を排除する場所かもしれない。

 何も起こらないのが逆にアルラの不安を駆り立てる。


 もう一度片方しかない腕を握ったまま、あちこちを触って本当に異常がないか改めて確認する。


「平気、だよな」


 アルラの左手がペンライトを緩く握ったまま、力なく垂れた。安心と焦燥。感情の葛藤からは何も生まれない。虚しく、自分に降りかかった現象のピースを手探りで選択するしかない。思考の先に読み解かれる答えを探すことに夢中、または必死で、アルラはペンライトが手から滑り落ちて飛沫が跳ねたことを認識しなかった。

 どうしてこんな状況が生まれたのか。

 誰が、何の目的でこんなことをしたのか。


 一つの、たった一つの考えたくもない可能性すら浮上する。


(今までの方が、夢だった?)


 直後に、アルラの空論を掻き消すように暗闇を右往左往するアルラの視界に光が広がる。

 壁一列に並ぶ松明が連鎖的に炎を宿していき、やがて闇は少しの欠片を残して消失し、光に置き換わった。

 空間はアルラが思っていたより広くなかった。体育館程度の広さの壁に、高い位置でひっそりとたたずむ純金や宝石で彩られた玉座のような椅子。古風な文様が入った壁沿いに視線を映していくうちに、重厚な金属製の扉がアルラの目に入った。

 どうやらあそこから外に出れるらしい

 ひとまずこの不気味な部屋から抜け出そうとしたその時。


「オイオイ、自分より他人の心配のが先かよ。随分と優しい奴だなァ神花之心アルストロメリア


 灰被りの青年の背後からだった。

 おぞましい圧を帯びた声が響いたのは。


 ばっと振り返ったアルラの視界、その先には玉座に座り足を組んで見下ろす影が。

 さっき見たときは、こんな男はいなかったはずだ。それどころか室内に生き物の気配なんて微塵も感じなかった。形を持った威圧感に押され下がりかけた足を押さえつけて、アルラがまっすぐに向き直る。

 回答を得るために。


「何者だ、ッてか?もうわかりかけてんだろ」


 残された左手を握りしめて、構える。交戦の意思を見せつけた。その言葉の意味が分からないアルラではない。微笑を浮かべながらも冷徹な瞳を向ける男の本質を確かめる必要がある。自分の考えが正しければ、この男のはずだ。

 アルラが吐く息が明確に荒く乱れていく。


「お?そッこー殴りかかッてくるかと思えば案外冷静じゃねえか。フランと戦ッて心情の変化でもあッたか?」


 挑発口調で見下ろす赤髪の男が発した少女の名前で、より強い確信が芽生えた。何もかもを奪った張本人。『語り部』フラン・シュガーランチに黒甲冑を作らせ、戦将シュタールに故郷を襲うように命じた全ての始まり。アルラ・ラーファが真に憎むべき対象。

 そしてこいつが。

 このクソッたれが。

 アルラが求めた憎悪の矛先。


「フランは最後によくやッてくれた。『かぼちゃの馬車』というワードに聞き覚えは?あるならそれが答。6時間後きっかりに狙ッたところへ相手を飛ばす物語だ。転移と聞けば()()()()()()()()に覚えもあるんじャねえかなァ!」


 ぎりり、と。

 歯を軋ませるような音があった。


「クソやろおおおおおおおおおがアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 一閃のきらめきを介して破壊が生まれる。もはや轟音という表現では足らない音の渦があった。アルラの持てる力の全てが、全力全開の『神花之心アルストロメリア』が炸裂した。人間一人の人生をまるまるつぎ込んだパンチが砕いたのは絢爛けんらんに彩られた玉座だけで、赤髪の魔王は既に消えていた。


「うッひョーすげえ威力。系統的には憤怒か?いや違うな。分類不可か、ただの身体強化かと思ったら他にも諸々強化施してるらしィな」


 いつの間にか背後に回り込まれていた。

 反撃する様子すら見せない赤髪の魔王へと、もはや副作用なんて頭の中から吹き飛んでいたアルラは最大火力を叩き込む。ごりごりと削れていく蝋燭なんて知ったことか。今はただ、迸る激情に身を任せるだけでいい。とにかくこの糞野郎の頭の中身をそこら中にばら撒いてやるだけでいい。

 そのためだけに、今日まで生きてきた。


 赤髪の魔王に、命を喰らいつくす【憎悪】は届かない。


「筋力、身体強度、それに再生ッてところか。()()()()()、オレだったらもう一工夫加えるね」

「黙れェェェェェェェェェェェェェッッ!!」


 荒立つ水面に映るアルラの表情は人間のそれ(・・)なのか。獣のような咆哮と共に放たれる『神花之心アルストロメリア』の連打。左手に両足、どれも空を斬るだけで不敵に笑む『強欲の魔王』に傷一つ付けられない。右腕が再生しきっていればどうにかなる、なんてレベルとは到底思えないほどの力量差だった。岩盤を砕くほどの剛拳も、鋼鉄をへし折るほどの脚蹴りも。

 魔王という一つの頂点の体に傷をつけることもできない。


「ッつうかよォー...」


 命を薙ぎて、命を受け取り、命で穿つ。

 『神花之心アルストロメリア』の本質は命のやり取りだ。ある意味では最も世界のルールを示した経本にもなる。弱者が強者に淘汰される世界、命を喰らって生を繋ぐ自然の摂理の体現。戦争も、自然の中での奪い合いも、結局【憎悪】の連鎖で成り立つ、と。

 かつて全てを奪われた灰被りの青年、アルラ・ラーファは何一つとして間違っていない。

 憎悪はどんな生き物の中に眠る原初の感情の一つなのだから。

 感情に従って行動しているだけなのだから逆らう必要もない。


「こんな残酷な世界でよォ、悪意に蝕まれちまったら()()だろうが」


 冷酷な言葉がアルラの脳を揺さぶる。

 アルラ・ラーファの100年を、【憎悪】の全てを。『強欲の魔王』は何の気なしに受け止める。掴み取られた左の拳は押しても引いてもびくともしない。アルラの拳を掴み取ったまま、強欲の魔王はズイと顔を近づける。


「どんな形で在れども、オレだッてフランだッて必死に生きてきたんだぜ?他者を踏みにじり生を貪る。オレたちとお前の何が違う?なあ神花之心アルストロメリア。答えてみろよ」

「ぐっああああ...!」

「オレは生きるために求めただけだ。互いに生を求めて、たまたま力を持ッてたオレが勝ッた。欲望なんてそんなもんだ。結果を認めず敗者復活を求めたお前は哀れにも【憎悪】なんてくッだらねェ感情引ッさげて連鎖を生んだ」


 人を嘲笑うような表情から一変、静かな口調の『強欲』はアルラに問いかける。掴み取られるアルラの拳に力が加わり、苦悶の表情が赤の水面に映りこんでいたがお構いなし、全てを奪うつもりで命のやり取りを推し進めた。

 まさにあの時彼女が言った通り。フラン・シュガーランチが発した言葉の通りになってしまった。

 アルラ・ラーファが生んだ【憎悪】が連鎖する。


「ここで死んでも、自業自得だよな」


 簡潔に、結果だけを告げる。

 ギチギチと耳障りな音を内側から響かせて、『強欲』の攻撃が始まる。


「なあ神花之心アルストロメリア()()の対極はなんだと思う?」


 あっけなく。

 手の中の粘土の形でも変えるように。


「うぐあああああああああっっ!?」


 ぐちゃりと。

 アルラ・ラーファの左の拳が潰れた。握りつぶされた。

 命をこの世に留める赤がどぼどぼと垂れ落ちて、足元を埋め尽くす赤に混じる。彼が尋常じゃない痛みを味わうのもこれで何度目だろうか。象徴するように、【憎悪】に染め上げた瞳が魔王の顔を捉える。

 つまらなそうな表情を浮かべる赤髪の魔王は、アルラが悲痛な叫びを発したのを他所に答え合わせを始めた。

 どこまでも身勝手な振る舞いはやはり魔王。この世の悪を象徴する存在。

 『強欲』は『強欲』以外の何物にも非ず、欲望のままに動く。欲望のままに蹂躙する。


「正解は()()。楽しんでもらえたようで何よりだ」


 手首から先を握りつぶす。


 言うだけなら簡単だが、人間の力で実行するとなるとどれほどの力が必要なのか。ましてや『神花之心アルストロメリア』で強化された一部分を、だ。何か『異能』が関与しているのか、はたまた魔王だからこそ扱えるほど強大な魔法か。ただの身体能力で『神花之心アルストロメリア』を上回ったとでもいうのか。


「あぐっ、ああああ....っ!」


 たった一回の攻撃だけで無力を思い知らされた。

 あの時のように冷静を失った結果がこれだ。いや、あの時より酷い。何より死が寸前まで手を伸ばしている。自分を遠いところへ引きずりこもうと無数の手招きが待っている。両腕を失ったアルラは出血を押さえつけて止めることもできやしない。

 消失した手首から先は迅速に再生を開始する。


 だがこの絶望的な場面で突然、悲惨な光景を観察する『強欲』とアルラの間で赤の飛沫が舞いあがる。

 鮮血の如き赤を押し出し、二人を隔てるように突き出したのは鋼の群れ。地獄の針山から引っ張り出してきたような鋭い剣の集合体だった。驚いたのがアルラだけでは無いのを見ると()()()()()()()のが『強欲の魔王』、彼ではないことは伺える。じゃあ誰が?この直径50メートルほどの円の中にはアルラと魔王の二人しかいないというのに。


 ゴオッッ!!と。


 これ以上ないほどのチャンスをアルラは逃さない。唯一無事な両脚の片方を軸に、もう片方をくるりと回転しながら払う。足元の赤がさらに『強欲の魔王』の視界を遮るとともに、アルラの姿は部屋の中から完全に消失した。重厚な扉が歪な形に歪んでいるのを見る限り、どうやらまだ生命力は有り余っているらしい。

 軽いバックステップで飛沫を回避した『強欲の魔王』の舌打ちが虚空に消える。


「なぜ邪魔しやがッた」


 視線が僅かに後ろへ逸れる。『神花之心アルストロメリア』の一撃で粉々に砕けた玉座の残骸の隣に、その男はいた。


「殺す気だったでしょう。主よ、我々の目的をお忘れですか。せっかく現れた芽を摘み取るわけにはいきません」


 男の頭には猛牛のような角があった。巨体に合わせて力強さを象徴する巻き角は鬼人族の証。

 男の左腕は銀色の義手だった。かつて雷鳴の騎士に斬り飛ばされた左腕を補う目的で装着したもう一本の腕。


「どうすんだよ。アレ。試練はまだ必要だろ」

「問題はありません。既に黒甲冑を向かわせました。あの軍勢をかいくぐろうものなら彼は立派な資格者です」

「原因を作ったお前はお手柄だな」


 皮肉を交えて反応を楽しむ強欲の魔王。

 かつて灰被りの青年から全てを奪い取った戦将が手を向けると同時に、銀の剣山が溶けるように消失する。

 大きくため息を吐いて、『強欲の魔王』は斜め上へ首を傾けると誰かへ向けて呻くように。


「何回やッても、慣れねェなァ」


 振り返ると巻き角の戦将の姿が無い。仕事熱心な奴のことだ、駒を動かしに向かったのだろう。あの立ち振る舞いは真似できないな、と心の内で呟いて、強欲の魔王はひしゃげた扉を蹴破って外へ出ていった。今度こそ重厚な扉が吹き飛んで、向かい側の壁を大きくへこませた。




いろいろあって50話、ありがとうございます

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