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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
序章
48/268

dead end



「ふうー...」


 どこかニミセトから遠く離れた地の図書館で、一人の男が目を覚ます。

 今まで暗く閉ざされていた部屋の明かりが瞬間的に灯った。どうやら部屋の中の人物を感知して自動的に明かりを灯すタイプの照明のようだ。閉鎖感で埋め尽くされていた室内が一気に広がる。一般人が立ち入れるとは思えないほどに乱雑に散らばった本の山。中でも一際ひときわ目立つのはちょうど室内の中央。男が目をゆっくりと開いたその下。まるでベッドのように積み上げられた分厚い本の群れだった。


 長いぼさぼさの金髪で一見女性とも見て取れる端正な顔立ちの男。ただ醸し出す雰囲気が一般人とはまるで違う。かといって歴戦の大戦士とか、世界を救う勇者と言ったわけでもない。そう、まるで、物事を外から捉えて全てを見透かす老年の占い師のような雰囲気が近いだろう。

 また一般人とはかけ離れていることが一つ。

 彼の左腕は機械だった。限りなく普通な人間の腕を模して造られた超高性能の義手。遠目ではまずわからないだろう。間近でよく観察するとその特徴が見て取れるほど精巧な作りの義手でぼさぼさの頭を掻きながら、男はむくりと起き上がる。


「やれやれ、衝撃と音で目覚めたか。後のことはジル達に任せるとしよう」


 乱雑に積み上げられた本をベッドのように使っていた男の背後の扉が開く。扉の向こう側から現れたのはTHE・清楚という感じの黒髪眼鏡の女性だった。小脇に分厚い本を携えて、金髪の神人に視線を向けた清楚美人はどこからか取り出したペットボトルを差し出す。

 ラベルに記された字列は『超絶!枝豆入りコンポタソーダ!』内容物を的確に表しているのはいっそいさぎよいが、よくこんなものが商品として成り立っているな、と彼は素直に感心する。

 心に思い浮かべた通りに、微笑を交えながら言葉に変えた。


「相変わらず凄まじいもの飲んでるね」

「先生、何時お戻りに?」

「ついさっきだよ。あと君はそれを押し付けないでくれないか飲まないから、私は絶対に飲まないぞ」

「美味しいのに」

「君は一度病院で味覚の精密検査を受けたほうがいい。どう考えても舌がバグってる」

「この手の私好みな商品はすぐ消えてしまうので貴重なんですよ?飲めるうちに飲んでおいたほうがいいです」

「どうしてすぐなくなるのかを考えたことはないのか?売れないから製造元が大赤字になってやむなく生産中止になるんだ。前回はなんだったかな。『酢豚抹茶』だっけ?もう酢豚なのか抹茶なのか、というか酢豚をドリンク用の容器に保存して売り出すのもおかしい話だと思わないかね?」


 『精神看破メンタルドライヴ』は生き物の精神を思いのままに操る異能だ。脳由来の感覚ももちろん狂わせたり調整することが可能だが込みでも絶対に飲みたくないと思うのだった。そもそも枝豆なのかコンポタなのかソーダなのか一点に絞るという考え方を出来ないのが大赤字の原因だということに気が付かず、次々とゲテモノドリンクを量産する製造元もどうかしてる。彼がそろそろ迷惑なので自ら足を運んで潰しに行こうかとも考えたことがあるくらいだ。

 そんなことより、と切り出したのは『精神看破メンタルドライヴ』の葛藤の原因。黒髪清楚美人だった。


「ニミセトはどうでしたか?」

「ああ、とても美しい街だったよ。あまり見て回る時間はなかったので崩れた保健委員会ケア・コミュニティの施設と中央広場くらいしか見れなかったが、できれば次に行くときは普通に観光でいきたいかな」

「先生はここ数年図書館から出てないじゃないですか。ってそうじゃなくて」


 こほん、と咳払いで気を取り直して。黒髪清楚美人が面と向かって静かに質問する。


「ニミセトの状況です。『語り部』はどうなりましたか?」

「直接事態を収めたのは私ではないよ。君と()の青年がいてね」

「......私と、同郷?」


 彼の何の気なしの一言が、黒髪清楚美人の表情を怪訝に変える。

 彼女の名は霧蒲きりがま五十鈴いすず

 日本出身、『異界の勇者』の一人である。


「私のクラスメイトの誰か、ですか?」

「いいや、彼は『異界の勇者』なんて枠では収まらない。天然物の転生者だろうね」

「天然」

五十鈴いすず君の知り合いではない、とだけ言っておこうか」


 眼鏡が似合う司書兼、彼のお世話係の五十鈴も深く追及はしない。1を聞いて1を答えられたら2を聞くことはしたくないのだ。彼女自身、何処かの離反者と同じようにヘブンライトの真実に迫ってしまったが故に最序盤の頃国を離れた身。聞かないほうがいいこともあると身に染みていた。

 怪訝な表情のまま五十鈴が透明な容器の蓋を開けると、中からプシュウ、と音を立ててて炭酸が漏れる。と同時に何とも言い難い独特の匂いが香った。顔をしかめたのはすぐ近くで独特な香りの直撃を受けた神人である。

 まさに枝豆×コンポタ×ソーダ。

 何故企業がこの組み合わせをチョイスしたのかは恐らく未来永劫ずっと理解できないことなのだろう。商品どころか販売元の企業が潰れてくれることをひそかに願いつつ、ここで心理学を極めた神人の一角がイチかバチかの賭けに出る。


「......館内は飲食禁止じゃなかったのかね」

「数年間館内に住み着いてるニートが何を言うんですか働いてから言ってください」


 案外鋭い返答が返ってきた。

 見た目に反して意外と毒舌な黒髪清楚眼鏡美人の『異界の勇者』、霧蒲きりがま五十鈴いすずであった。





 一方で全てが終わったニミセトの空。

 巨大な鳥の背に備え付けられた鞍の上で、器となっていた黒髪ツインテールの少女が息を吐く。


「ハアッ...ハアッ...!ぐっ!」


 全身黒々と染まった巨鳥が舞う空では夏の夜空の冷たい風が吹いている。


「『精神看破メンタルドライヴ』...やってくれた...っ!」


 15歳にしては少し高めのソプラノボイスで悪態をつく。

 服のあちこちの繊維が裂け、ところどころの肌が空気に晒されていた。薄く血のにじむ傷跡はどうでもいい。。問題はもっと内側の深刻なダメージだ。彼女は『免疫機関』を信仰するノーテイムなだけあって医学も多少かじっていたので自分の体の異常はすぐにわかるのだろう。巨鳥の鞍に固定された荷物入れの中から包帯と消毒液を取り出して、手際よく処置を施す。

 外面の傷はこれでどうにかなった。

 ただし問題は応急処置ではどうもできない内側のダメージ。

 彼女が重い痛みに思わずうずくまるのも無理はなかった。


『随分とこっぴどくやられたようだな』


 闇夜の中で、一人の少女が虚空からの声に胸を押さえている。否、声は虚空からではない。ポケットの中の薄い金属性の通信端末からだった。薄っぺらい板切れの向こうから届く威圧感を持った男の声に、慌てた様子で黒髪ツインテールの少女が端末を耳に当てる。

 彼女には声の主が容易に想像できた。


おさ...」

『ニンフ、生き残ったのは君だけか。オークとグレムリンは?』


 長。

 その言葉が意味するのは一つの括りの頂点。

 ノーテイムファミリーという巨大な一族の王。

 優しい声なのだが、不思議と隠せない威圧感も同時に放つ声だった。まるで自然の中の永遠にも等しい戦いの中を生き抜いた獣の王。姿を知らない者からすればそんなイメージを彷彿させる声の主は通話の向こう側で酒でも飲んでいるようだ。通話越しにぐびぐびと喉が何かを通す音が連続して響く。

 長と呼ばれた男は彼女の長い沈黙にイラつきを見せる様子はない。彼は己のプライドだけを重視して、下の者をこき使い、駒のように捨てることもいとわない王ではない。家族の死に涙を流し、花を手向け、墓に語り掛けることが出来る王だった。

 だからこそ言いづらいのだ。

 彼ら『ノーテイム』は基本的に自分以外の命をなんとも思わない。

 ニンフ・ノーテイムが兄であるグレムリン・ノーテイムの死を悲しまないように、自らさえ世界に保存されていればそれでいい。自分と研究の成果さえこの世に残り、受け継がれればいいはずだった。だが長と呼ばれた彼は違う。


「おばちゃんの、オーク・ノーテイムの因子は回収済みです。ただ...」

「ただ?」


 少し声を詰まらせて、少女が言いにくそうに言葉を繋いだ。

 いっそ己の利己だけを考える愚王だったらよかった。そうであれば興味なさげに話を流し、死んだ兄のことを気に留めることもなかったのだろう。人間の失敗作と言われるノーテイムの王なのだから、むしろそちらのほうが自然だったというのに。


「お兄ちゃんのほうは『精神看破メンタルドライヴ』に完全に回収され、その...遺体の手がかりすら...」

精神看破メンタルドライヴ、だと?』


 重みのある声に更なる重圧がかかった。話の途中で遮られ、びくりとニンフ・ノーテイムの華奢な体が跳ねる。怯えたから跳ねたのではなく、急に声の質が変わったから。向こうからはもう何かを飲む喉の音も聞こえない。ひたすらに長い沈黙が訪れた。

 ニンフ・ノーテイムは彼と『精神看破メンタルドライヴ』の因縁を知らない。

 だからこの沈黙にどんな意味があったのかも検討が付かなかった。ただ『精神看破メンタルドライヴ』が事件に首を突っ込んできたと捉えたのか、はたまた事前に計画を察知して阻止に動いたのか。どちらにせよ既に彼女たち『ノーテイム』と『語り部』の計画は破綻したのだ。今から悔やんだところでどうにかなるわけがない。

 

「...私も意識を奪われて、しばらく『精神看破メンタルドライヴ』の器として活動させられました。何とか意識を取り戻して逃げ出すことに成功しましたが、全身の筋繊維に著しい疲労が見られます」


 ノバートと同じ症状。普段から筋肉を使わない生物の体を無理に動かせばそうなるのは当然だ。つまり運動不足からの筋肉痛である。たかが筋肉痛とは言え案外馬鹿にできないのは最高位体と交戦中のノバートを見れば明らかだったはずだ。少しのミスが命取りになる戦いの中で、運動能力を損なうことは大きな要因の一つとなりえる。

 ただ、彼女のダメージはそれだけではない。


「ぐっううっ!!」

「大丈夫か、ニンフ」


 黒髪ツインテールの少女が呻き声をあげて喉を押さえていた。どうやら出血があるようだ。

 それも鋭いもので内側を斬りつけられたような。

 喉奥に強烈な異物感。どうやら『精神看破メンタルドライヴ』に操られているうちに、何か飲み込まされたようだった。これこそが精神を自由自在に操る異能の恐ろしい点だ。体の自由が利かない。相手の思うが儘ということは、『器』としての役割を果たせばあとは勝手に傷をつけることもできる。どうせ自分の体ではないのだ。器をどう扱うかは何もかの『精神看破メンタルドライヴ』の気分次第。

 早急に治療に移りたいが、そのためには一度『ノーテイムファミリー』の本拠地に戻る必要がある。


『グレムリンは...残念だが仕方がない。我が一族がまた一人減ってしまうのは心苦しいが、我々がなすべき使命のいしずえになったと捉えよう。ご苦労だった』

「それと!」

『?』


 通話を切ろうとされて少し焦った少女は声をさらに荒げて端末を顔の正面へ運んだ。懐からなにやら赤黒い液体が入った小瓶を取り出して。

 苦悶の表情の中に薄く笑いながら。


「フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーの『肉の種』、呪術式の因子も回収することが出来ました」


 瓶の赤黒い内容物はフランシスカ・ドーナッツホール・ホーリー。真名フラン・シュガーランチの呪術式の一つ、『肉の種』の媒介となった彼女の体液だった。まるで黒のインクが混じったような赤は瓶の中で揺れて、奇妙な音を立てる。


『...そうか。とにかくよくやってくれた。君はもう休め』


 今度こそ通話を切ったノーテイムの長は、椅子の隣の丸テーブルに端末を静かに置くと、背もたれに体重をかけてゆっくりと目を閉じた。

 目尻から流れた一筋の涙の真意は。



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