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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
序章
45/268

名無しの少女



 呪術、という一種の技術がある。

 それは魔法と同じ時代に生まれ、魔法という超画期的かつ汎用的はんようてきな技術との生存競争に敗れ、すたれつつある力だった。

 自らにかせめることで異能を引き出す呪術は柔軟性に欠けた。式の記号さえ組み替えれば、いくらでも変化を与えられる魔法より不便と切り離された。しかしそれは同時に、孤立した業界内での著しい発展を促すことにもなる。この世界に呪術を治める者は少ない。それこそ魔法使いの半分どころか、十分の一にも満たないだろう。人生をかけてもその心理にたどり着くどころか、道を見ることすら叶わなかった呪術師は過去に巨万ごまんといる。いつの世も呪術師たちは、過去を生きた先人を踏み越えて突き進んできた。

 だからこそ偉大な先駆者が現れた。

 彼女は妖精の里に生まれたごく普通の妖精族として、緑の森と共に生きていた。豊かな自然を愛し、誰からも慕われる素晴らしい女性だった。何時しか道を踏み外し、彼女が愛した自然を焼き払う人間を呪うまでは。

 皮肉なことに、彼女が愛した自然は彼女が慈悲を与えた人間の貴族の手によって焼き払われた。彼女が森を殺したのだ。どこまでも続いた緑は炎に消え、生まれ育った里どころか辺り一帯は更地と化した。残ったのは彼女の奥底で渦巻く感情だけ。

 愛するモノがどんな形であれ、二度と出会えぬという現実がもたらす悲観。

 自分の行動が自分からすべてを奪ってしまったという後悔。

 全てを焼き殺した人間への憎悪。

 森を失った彼女は、いつの日からか自らを隠すように大きな紺色のローブを纏い帽子をかぶるようになったという。

 人間の貴族は数年後、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 弟子の少女はいつも彼女の言葉を思い出す。

『自然っていうのはね。私たちと同じ『命』の残骸なのよ。かつてこの広い星の表面は緑に覆われていた。発展がヒトを欲望に溺れさせた。あなたが心酔する『強欲』ってやつに文字通り奪われたのよ』

 そういいながらも彼女は弟子の少女に自らのすべてを注いだ。

 知識のすべてを注いだ。

 想いのすべてを注いだ。

 次世代を支えることに一種の情熱を感じていたのかもしれない。

 こうして【狂騒】は完成する。

 彼女は似た境遇でありながら別の道を選んだ少女の行く末を見届けることにしたのだろう。やがて少女は師から受け取った紺のローブととんがり帽子を身に纏うようになる。太古を学び、名前を捨て、自らの命さえ踏み台に宙を駆ける。


『ごめんね。これしか食べさせてあげられなくて』

『ううん、いいのよ母サマ。あたし、これでおなかいっぱいだから!うん!」


 今にも吹き飛ばされてしまいそうな木製の、家とも呼べぬ惨状のみすぼらしい小屋だった。幼い少女は椀に入った一口で頬張り切れるほどの大きさの白米を胃に流し込むと、ぐぅと可愛らしい音を鳴らしてしまいそうな腹を押さえて元気よく扉の外へ飛び出す。

 誰が見ても明確な空元気。少女は母を心配させたくなかったのだ。育ち盛りの子供であればもっともっと食べたいと言い出しても仕方がないというのに、彼女は母を気遣う優しい心と天才的な能力を兼ね備えていたというのに。溢れ出る才能を生かす機会なんて彼女を取り巻く環境にあるはずがない。

 母と呼ばれた女性の顔はくぐもっていた。表情を形作る感情は娘に満足な食事もさせてやれない無念か、はたまた嘆息か。母もまた、娘の不安を少しでも拭ってやろうと無理やりな笑顔を返す。


『みんなと遊んでくる!』


 癖っ毛茶髪が印象的な、母の語る物語が大好きな少女だった。見た目から見て取れる年齢は6歳程度。服装も住処のようにみすぼらしかったが、彼女はそんな小さなことは気にしない。枯れた大地と廃れた田畑の隣を通り過ぎ、いつものみんなが待つ空地へ――――。


『おっ、来たな■■■』

『■■■ちゃん、おはよう!』

『今日は何して遊ぼうかな~』


 全員が全員、少女と似たり寄ったりな格好の少年少女たちが揃っている。ほとんどボロ布一枚で身を包み、

 名を呼んでいると思われる幼い声の群れはノイズに埋もれ、彼女には届かない。

 誰の頬も瘦せこけ、ほとんど骨と皮だけのミイラのようだった。別の所に、この農村より少しでも豊な場所に生まれていれば、彼らはどんな姿をしていただろうか。足りない栄養を補うために雑草を集める必要も、汚れた水を名ばかりの浄水だけで飲む必要もなかったのだろうか。

 頭が、痛い。


『これ見ろよ!うちの母ちゃんが機能、魚の缶詰を街で買ってきたんだ!これで缶けりしようぜ!』

『いいなぁ~!お魚なんてもうずーっと食べてないよ...』

『うちなんてもう二日は何も食べてないぞ!すごいだろ!』


 子供たちは貧困を知っている。両親が身を削るような思いで働いていることも、惨めな格好をさらしてでも自分たちを生かしてくれていることを。子供なんて奴隷商にでも売りつければ、少なくとも自分たちはしばらく苦労しないというのに、だ。

 特にこの少女は普通の街に生まれていれば、惜しげもなく内に秘める才を発揮できたであろう天才児。故に変わり者としてグループの中でも少女は特別な立ち位置に立っている。そして誰よりも頭がいい彼女は、母たちの苦労を知っている。


『せめて土に栄養が戻ればね...』


 集まった子供たちの中で、一人のやせ細った少年が呻くように言った。明るいところに影は差す。必死に元気を取り繕う子供たちの中にも、闇は生まれる。

 この貧しい農村も昔はこうではなかった。数年前、よりにもよって子供たちが生まれた頃に訪れた不作が続きに続き、今に至る。親の世代もわかっている。とっくの昔に土地が枯れていたことを。水は濁り植物は枯れてしまい、とても人が住めるような土地ではなくなっていることを。何処かへ移り住むにしても金はなく、古くから村に住む老人たちは耐えられずに土地と共に朽ちていった。


『大丈夫よ。きっと神様は私たちを見捨てないわ!そうよね■■■ちゃん!』

『.......そうだよ!頑張って生きていれば救われるよ!うん!」


 少年少女は、貧困なんて振り捨てるように荒れた大地を駆け回る。裸足で蹴り飛ばされた潰れた缶を追いかけて、苦難に染まった現実を塗りつぶすように今日も一日を過ごすのだ。変わり者と呼ばれた少女もまたその中で一生に残る僅かな思い出を、『彼女の物語』を紡ぐ。


『信じていれば、救われるわ!』


 次の年、みんなを必死に励ました少女が死んだ。死因は栄養失調、少女たちの村で最もありふれた死因だ。

 貧しい農村では十分にとむらうこともできず、少女はそのまま埋められた。

 岩に切れ込みで字を刻んだだけの墓石が置かれる。


『大丈夫、大丈夫。生きていれば救われる』


 次の年、子供たちのグループで最年少だった少年が死んだ。死因は日照りによる熱中症。綺麗な水を飲むこともできず、四日間苦しんだ末に逝った。

 貧しい農村......十...にとむら...ことも......ず、少年...その...ま埋められ...。

 岩に切れ込みで字を刻んだだけの墓石が、また一つ。


『大丈夫...大丈夫よ。何も怖いことなんてないわ』


 次の年、少女の親友だった女の子が死んだ。死因は出血死。遺体からは何者かに肉を切り取られた痕跡が見つかったが、犯人は見つからなかった。

 ...し...農...では...分にとむらうこ......で......、女の...は.........ま埋め......れた。

 岩に切れ込みで字を刻んだだけの墓石が、更に一つ。


『.........次は、アタシかしら。うん』


 次の年、少女の生まれ故郷は死んだ。偶然通りかかった邪悪な赤髪の青年の手によって、まるで子供がアリを踏み潰すようにあっけなく滅ぼされた。ひび割れて枯れた大地はまだ温かい赤に染まり、どこを見てもボロボロだった家屋の群れはほとんどが枯れ枝のように散らばっている。数分前まで母親だった肉塊の前で、少女は立ち尽くしていた。

 近いうちに終わりが訪れるのは知っていた。

 ただ道のりがほんの少し変わっただけだ、と思った。

 馬車でも車でもジェット機でも、道さえ間違わなければいつか必ず目的地に辿り着けるように、ほんの少しだけ『物語』の終わりが訪れただけだ、と。


『ああ』


 もはや村中を漂う死の香りに逆らうことは許されない。


『おッとォ...一人殺し損ねたか。悪かッたな、すゥぐ楽にしてやるからよォ』


 殺戮の王の手が伸びる。無垢なる少女の頭へと。そのしぐさは子を優しく撫でる親のように、あるいは頭蓋を握りつぶそうとする悪魔のようにも見えた。

 死が明確な形を持って自分の首に大鎌を当てるのを感じる。


 ああ、ここで終わりか――――。


『......どうして』


 ぽつりと唇の隙間から漏らしていた。

 当の本人も今更になって生への執着はないはずだ。どうしてそんな言葉を漏らしたか彼女は自分でもわからない。もしかしたら、意識の外側では生への執着を捨てきれずにいたのだろうか。こんな生活を繰り返すだけの無様な人生に悔いでもあったのだろうか。


『......』


 するとどういうわけか。

 壊れた少女を俯瞰ふかんする青年の伸ばした手が止まる。少女の表情に恨みつらみが浮かんでいたなら彼は自らの行動を止めることもなかっただろう。茶髪の癖毛が特徴的な少女の瞳に【憎悪】に類する感情は見えない。単純な疑問を浮かべているだけだった。思い直したのか、鮮血の如き赤髪をぽりぽりと掻いて、青年はうんうんと考え出した。やがて思いついたように、あっさりと言いのける。


『たまたま通りがかって、なんか辛そうだったから』


 救済にも様々な形がある。貧困に苦しむ農村を助ける手段は食べ物を与え、土地を再興させ、雨を降らせることだけではない。

 もっと簡単で早く。尚且つ全員が苦しまずに助かる方法。

 速やかな死は何よりの救済だと。

 凶悪な声の奥底にある別の意思を、少女は確かに垣間見た。


『神様...』


 再び意図せずして漏れた言葉だった。赤髪の青年がどんな形であれ少女に救いを与える存在に映ったからか。幼い表情に相変わらず負の感情は含まれない。天上の存在を見たような瞳で自分を見つめる少女を鼻で笑う。


『そんなんじャねえよ』


 世の中全てを嘲笑うような邪悪な笑みを浮かべて。少女の前に現れた、彼女だけの『神様』は腕を組んで言い放つ。


『魔王サマだ』


 結局彼女は生かされた。何もかもが消えたかつての故郷の景色の中で、一人夜を迎えた。彼女が生きるための踏み台となった命を埋め終えた少女は、やっと見つけ出した道を歩みだす。

 あの日、照りつけるような太陽を覆い隠した黒雲を忘れることは決してない。

 幾度となく命を繰り返しても、成長の過程で名前を捨てても。

 悪親に生み育てられた子供が歪んだヒーロー像を目指すように、純粋に狂った少女の価値観は赤髪の魔王を中心に回り始める。

 彼女にとっての救いが。彼女にとってのヒーローが。彼女にとっての命が。

 勇者に憧れる平凡な少年のように、少女は魔王に憧れた。決断を悔いたことなど一度もない。主が望むなら一国だろうが蹂躙し、焼き尽くし、殺戮の限りを尽くして奪い取って見せよう。


 出会いが必ずしもプラスに傾くとは限らない。本人がどう思っていようが、この出会いが間違いなく世界を揺るがすマイナスであることは明確だ。いっそのこと二人が出会わなければ、後の【憎悪】は始まらなかったのだから。誰かが愛する誰かの命が奪われることもなかったのだから。


『そんなこと、知ったこっちゃない。です』


 魔女風のとんがり帽子に同色、紺色のぶかぶかローブの少女は笑う。独特の壊れた微笑を浮かべて、

 強欲とは、他者の命を踏みにじって欲しいものを得ること。

 誰もが恐れおののく怖い怖い魔王サマ――――――。

 『強欲の魔王』は自分に足りなかった何かを埋めてくれた。

 満たしてくれた。


 ならば次はアタシが満たそう。

 信じる人の満たされぬ強欲を。失われることなき永遠の欲望を。


 かつて貧しい農村で死を待つだけだった少女はもういない。闇に佇むのはたった一人の魔女だった。『語り部』と呼ばれる物語を紡ぐ者。

 『強欲の魔王軍』の中枢、幹部にして忠臣にして右腕。

 ドッグタグに刻まれた真名はフラン・シュガーランチ。

 二度と知ることは叶わない両親からの贈り物。


「我が命に従いて敵を討て。失われし名の元に顕現せよ。焼かれた森は魂に刻まれし業を刻印と為し、新は古の集合体なり。偉大なる『強欲の魔王』を満たす太古の樹木よ。ある限りの力をもって、【憎悪】の肉を抉り取れッ!!!」


 ボロボロの少女の眼前には口元に血の跡を残す青年が立っていた。瞳の奥に見える無限の暗闇は少女が選ばなかった道の一つかもしれない。もしかしたら、自分のifの中にも、彼のように【憎悪】に染まった自分がいるのかもしれない、と少女は考える。

 極彩溢れる肢体を揺らす灰を被ったような頭の青年は知らない。

 まるで龍の腹のように荒い鱗に覆われた翼を。彼女が辿ってきた道を。その先に待つ純粋な狂気を。


 雲が空を覆い隠す日は、いつも彼女を思い出すのだ。

 変わり者と呼ばれた農村の、名も知らぬ少女が死んだあの日のことを。



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