We will always be innocent
闇夜を照らす閃光があった。灰を被ったような頭の青年アルラ・ラーファの拳から発せられた光だ。相対するのは『強欲の魔王軍』の中枢であり『語り部』と呼ばれる魔女風の装いの少女。
真名フラン・シュガーランチ
現在はフランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーと名乗る呪術師の茶髪をとんがり帽子で隠した少女は、その背に蠢く木の根で造られた翼を横薙ぎに振るう。当然景色が両断され、鋭く尖る翼の先端部がアルラの胴体を捉えるが――――。
『っ!』
切り裂くには至らない。それどころか衣服の上から僅かな流血すら見えなかった。当然だろう。アルラは前哨戦の『オーク・ノーテイム』から大量の寿命を獲得して今に至る。当然余裕が生まれた分自由に異能を行使できるし、強化の一つには肉体強度ももちろん含まれている。たかが木製の槍が貫けない程度には固く。
少女が舌打ちする暇もなく飛び上がり敵対者アルラ・ラーファから一定の距離を保つと。
『《毒りんご》続いて...』
まさしくりんごサイズの酸の球体が少女の付近に顕現する。やはり補助魔装を失ったのは大きいのかアルラとの初戦、第二戦で見せたほどの脅威は感じられない。だが人肉を溶かしつくす狂気には変わりないのだ。ごぼごぼと気泡立つ酸がフランの斜め下に向かって射出された。
地上のアルラは飛来する酸に対し、大きく地面を蹴る。逆に自ら迫りくる酸に向かうように。ギリギリのところを掠めたというのに汗一つかかず、再び恐るべき巨力を振りかざす。少女の命なんて一振りで奪いかねない一撃を、辛うじて翼が受け止めた。
砕ける。
『《かぼちゃの馬車》!!』
今までにない『物語』にアルラが眉をひそめたが少女の言葉はそこで終わった。アルラを遠ざけるためのブラフか、はたまたアルラが連想するに至らなかったのか。他の『物語』のような異常現象が引き起こされることもなく、ビキィッッ!!!と壮絶な音とともに根の集合体が打ち砕かれる。
翼がなければ今頃彼女はどうなっていただろうか。自然と沸き起こった嫌な連想に思わず苦笑いした少女の体が、勢いのままに降り抜かれた拳とともに高く舞い上がる。即座に再展開された翼がはためくと、少女の細く未発達な体がくるりと一回転して地面に足をつけた。
間髪入れず、だ。
『《コートと太陽》』
暗がりを照らす火炎放射がアルラを呑み込みかける。
しかし。
「小さい」
『ッ!!!』
バゴォッッッッッッッッ!!!と。
アルラの言葉の通りだった。少女の語りとひねり出された火炎は最初ほどの威力も大きさもない。目に見えた弱体化は極めて致命的で、炎を突き抜けたアルラの飛び蹴りが容赦なくフランの水下に突き刺さった。肺から息がせりあがったきり呼吸もままならない。後方へ吹き飛ぶフランの翼が再び不定形な脈動を起こしたと思えば減速し、地に細い足が付く。
ほとんど一方的な攻防の果てに、二人が分かり合える時は訪れるのだろうか?NOだろう。アルラ・ラーファはフラン・シュガーランチを許さない。故郷を殺し、幼馴染を殺し、果てには親の命を侮辱した彼女を絶対に許さない。差し出すのは言葉ではなく暴力で、着実に『語り部』の少女フランの体力と気力を削り取っていく。
だが彼女は自分なんてどうでもいいのだ。所詮は使い捨ての命、使い捨ての名前。彼女全体の物語の一ページにしかならない。
息の代わりに血を吐いて、少女の指が鉤爪の形をとって空を引っ掻く。
『物語にはピンチがつきものですよねェェェェェェェ!!』
ガバッッッ!!と。少女の二翼が上下に裂け、四翼となって襲い掛かる。鞭のようにしなり、槍のように鋭く、弾丸のように速く、その全力を灰被りの青年に。アルラ・ラーファへと向けた。
突きつけられた害意と殺意の集合体を打ち返すアルラの濃縮された命は、更なる光を帯びてどろどろの未来を振り払うために。
いくら姿を凶器に変えたとはいえ木製は木製。『神花之心』の極彩を打ち破るには至らない。それどころか勢いを付けた分、真正面からぶつかり合えば先に砕けるのは少女のほうなのは目に見えている。それでもなお少女が翼の物理攻撃に頼り続けるのは『飛び出す絵本』はもはや通用しないと切り捨てたからか。呪詛による追撃もなくただただ物量で押し切らんと武器へと姿を変えた翼を突きつける。もはや目に捉えられぬ速度の世界で極彩の拳が。
あるいは鞭と。
あるいは槍と。
あるいは弾丸と。
あるいは剣と。
衝撃を帯びながらぶつかり合う。
「ごぶっ!」
そして忘れてはいけない。『神花之心』の過度な肉体強化は逆に命を縮めかねないということを。悲鳴を上げる血管をねじ伏せて、ぎしぎしといびつな音を立てる骨を酷使する。筋肉からの警告信号もガン無視だ。もはやなりふり構ってはいられない、現在アルラが強化してる『力』は筋力、思考力、動体視力、再生力、これだけで相当の負荷がかかっている。常人なら失神失禁当たり前の苦痛を今はただ歯を食いしばって耐え切るしかない。さもなくばあっけない死が常に寄り添っている状態なのだ。
ガリガリと削れていく蠟燭はまだまだ長い。アルラが頼れるのは精神にそびえたつこの蝋燭だけなのだ。逆に言えばこの蝋燭だけは折ってはいけない。どんな強風に晒されようと重圧が圧し掛かろうと身を盾にしてでも守るしかない。
超高速の世界に大粒の赤が飛び散った。命を繋ぐ大いなる赤は外的な痛みではない。内的な、『神花之心』の苦痛が更なる吐血を促す。びちゃびちゃと二人の間に赤が敷き詰められても。
しかし止まらない。止まれない。
止まれば即座にあの世行き、生きたくば、成し遂げたくば拳を振るえ。腰を落とせ。正面を見据えろ。目をそらすな。
心に発破をかけて、アルラは立ち向かう。
全てを成し遂げるために。
『ほら!ほら!ほらァ!!』
もはや翼の域を超えた、武装の束となった殺意の象徴が荒れ狂い、加速する。まき散らされる衝撃に揺れるローブの奥で小さな手を固く握り、無意識のうちに口角が吊り上がった。
もはや彼女に勝利は必要ない。充填が完了するまでの時間が稼げればそれでいい。死は敗北ではないのだから。充填さえ終われば自分も【憎悪】もまとめて終わる。そして自分だけは新たな『名前』となって次の場面へつながるのだ。
「ふんッッ!!」
状況が動く。再び盤がひっくり返り、次のターンはアルラのモノだ。四本の翼の先端が同時にアルラへ到達したタイミングを逃すことなく、アルラの右手が二翼、左手が二翼、それぞれを掴み取った。そのまま力任せに引っ張りこむ。フランの体は抵抗もできずに手繰り寄せられ、空中で制御を失う。
それが何を意味するか。
メギャッッ!!と。
思わず目を見開いていた。
自ら極彩色の剛脚に突っ込む形で炸裂した轟音は少女の胴と青年の足裏の接触面から、万力のヤクザキックでフランの軽い体がぶっ飛んだ。口から大量の血を撒き散らした少女の体は地面をごろごろと転がって己の紺ローブを染めてしまった。紅のドレスから滴り落ちる温もりを肌で感じ取りながら、朦朧と揺らぐ意識を再起動のために叩きつける。砂嵐のテレビを叩いて無理やり起こすようなことだ。痛みで上書きされた意識を再構築した少女が、肺にたまった空気を吐き出そうとして詰まる。
二人の限界は近い。
「~~~っ!」
『ゼヒュゥ...ゼヒュゥ...』
ヒリヒリとした空気の中で、二人の男女がほぼ同時に膝をついた。
肺から垂れ流しになった水っぽい息を吐く少女と、胸を押さえてうずくまる青年。まさしく満身創痍。
自慢のとんがり帽子が何処かへと飛んで行ってしまったのに気付いていないのか。頭の上がすっきりして落ち着かないらしく、少女の右手が癖毛茶髪の上を行ったり来たりしている。血にまみえてさえいなければ微笑ましい光景だろうに。
短く血みどろの静寂の中で、先に動いたのはフラン・シュガーランチ。ゆっくりと、早朝ベッドから踏み出すようにゆっくりと立ち上がり、少女は大きく息を吐く。
「もはや呪詛も意味を持ちません。ここまで追い詰められたのは何十年ぶりでしょうか」
「なんだロリババア属性か?悪いが俺にそっちの趣味はねえぞ」
「年中架空の人物に腰を振り続けるだけの猿が、こっちから願い下げですよ」
べえ、と舌を出したフラン・シュガーランチのスピーカーを通したようなノイズ交じりの声は、いつの間にか年齢相応の幼い声に戻っていた。
しかし如何せん少女の口から放たれてはいけないレベルの毒舌である。現代日本の紳士たちであれば凍り付いていたかもしれない。身も心も。
アルラはまだ目の前に立つ少女の。
呪術師フラン・シュガーランチの核心には触れていない。少女がどんな思いで故郷の仇の配下としてせこせこ働いているのか、どういった経緯で呪術師となったのか。妄信的なまでに『強欲の魔王』を崇拝するのか。何を目指しているのか。当の本人にすらわからないのだから、数日前に知り合った程度のアルラが知るはずもない。
たとえ人間性の本質に届かずとも、彼がフラン・シュガーランチの行動の先を暴きだすのにそう時間はかからなかった。
「『肉の種』、その本質は生者と死者の返還に帰結する。元を辿ればどこかの誰かが考えた、死者を生者として生まれ変わらせる術式をアタシが持ち出して勝手に改造を施したものでした」
あっさりと、だった。
血に汚れた紺のローブを夜風になびかせて、フラン・シュガーランチは語る。
「名前を失う前の本当のアタシは、生まれた時には既にこうでした。家族だろうが仲間だろうが部下だろうが誰だろうが。自分までもが全て平等。一線の上に敷き詰められた同質のモノとしか扱えなかった」
友達はたくさんいた。自分のことを変人だと笑ってもいた。自覚はあったので特に否定もせずに、貧しいながらも楽しく暮らしていた。運命の日が訪れるまでは。
「あの人がアタシの農村を壊滅させた理由、なんだと思いますか?」
「さあな、さぞくだらない理由なんだろうな」
「答えは"通りがかったから"幼い頃のアタシは耳を疑いましたよ」
「今も幼いだろ」
無粋な一言を無視したうえで改めて、空を一見したフラン・シュガーランチへと、アルラが鋭利に問いかける。全ての中枢へ迫る一言を。
「ファフロツキーズでも再現するつもりか?」
「ええまさに」
少女は笑って答える。
ファフロツキーズ。それは世界中で起こりえる異常現象の一つである怪雨の総称。その場に本来あるはずのないものが天から降り注ぐ現象を一般的にファフロツキーズと呼ぶが、彼女が街を閉鎖したのは何のためだ?人々を逃さないように。だとすればこれからニミセトに降り注ごうとするものは?
すなわち――――。
「地表付近の温度調整はシルキーロッドの湿度調節機能を利用して毎日毎日少しずつ、気付かれないように地表の温度を上げていったんです。地表と上空の温度差さえ造れば後は煉瓦と水の街、大規模な雨雲を発生させることなんて簡単です。ちょっと予定より規模が大きいんで充填にも時間がかかりますが」
つまり彼女は意図的に気温湿度といった諸々を調整して、大きな雨雲を作り出したというわけだ。
フラン・シュガーランチ...現在はフランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーか。彼女の『肉の種』はじょうろを介した液体に触れた者をほぼ無条件で死体兵に変換する呪術。だが介するものがじょうろである必要はないとしたら?重要なのは器を『仮定』することにあり、つまりニミセトをくまなく覆いつくした積乱雲は器として機能させることが出来れば。
全てを知ったうえでこの場に一般人がいたなら凍り付いていただろう、あるいは雲の外へと走り出していたか。とにかくろくな行動は起こせなかったはずだ。
側面だけ切り離して見れば、だった。
「なるほど、確かに巨大なじょうろ。街一つなんて簡単に落ちるわけだ」
ぐらりと大きく横に揺れた。アルラの体がだ。立ち上がろうとして足が崩れかけるが直ぐに態勢を整える。
「けどな」
アルラの言葉に強みが増す。威圧するように放たれた殺気の濁流に、僅かに目を細めた少女の背中が小さく胎動したことにアルラは気付かなかった。黄金と見間違うほどの閃光を抱いて冷徹に言い放つ。
「ここで倒れりゃおしまいだろう」
自他共に認める狂人。
真名を捨てし【狂騒】の魔女フラン・シュガーランチ。その真なる理解は『語り部』に非ず、延々的な『呪命』に在り。即ち生命を取り繕う植林師にして木こり。世に名を遺す全ての植の王なり。第三の呪術式と表されし『ダプネの大枝』命に従いて顕現せよ。
顎を上げて見下すように少女が言い捨てる。
「真名を捨ててまで手に入れた力が、この程度だとお思いで?」
ゾオオオオオオッッッッ!!!!と。
万物を阻む『翼』が現れた。それは少女の小さな背中から伸びて『木の根の翼』の十数倍にも膨れ上がる。青緑の巨木の幹だろうか、とにかく今までの『翼』とはわけが違う。
少女を中心に足元は大きくひび割れて陥没し、これまでにない威圧感を身に纏う。
心なしか翼は『神花之心』のような淡い光を帯びて見えた。だが残念なことにその光が示すのは『神花之心』とはまるで逆の理。『神花之心』が命を奪って強くなるように、新たなる巨木の翼は命を受け継いで強くなる――――。
「ダプネの大枝、真価は古にして新。何時の時代も過去を踏み越えて未来は生まれました。アタシが名前を踏み越えて力を得たように」
丁寧に図鑑のページを一からめくれば名も知れたかもしれない。正体不明の翼を構成する『命』は現代には存在しない古の存在であった。 魚の鱗のような突起が幹全体を覆いつくすことから、その樹木は鱗木と呼ばれる。
石炭紀の神秘に背中を預けた少女の赤ローブがゆらりと揺れた。
ここからだ。




