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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
序章
41/268

物語を紡ぐ者



「全体的に広がりつつある、か。あとは充填と汚染だけですかね」

「流石に我々も退散したほうがいいのでは?」

「アタシがこの場を離れた瞬間術式が崩壊しかねないほど不安定な状態をキープしているので、逃げるならあなただけでどうぞご自由に。はい。アタシが退散するのはもう少し充填が済んだ後ですかね。()()はちょっと心残りですがまあ仕方ありません。死体からタグだけ回収するとします」

「相変わらずドライですね」

「常人並みの感性を『強欲の魔王軍』の幹部たるアタシが持ち合わせているとでも?そう言えば『ノーテイム』の残り一人はどうなったんですかね。生きてるのか死んでるのかもわかりません。何か聞いてますか?」

「いいえ何も?」


 異様な光景だろう。十四歳程度の魔女風の装いの少女は天に向かって両の掌を広げ、怪しい光を発していた。足元に置かれているのは緑色のゾウを模した子供用のじょうろ。キシシシシシと独特の笑い方のフランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーと名乗る鬼畜魔女風少女は帽子に隠れたふわふわの茶髪を風に揺らしている。傍らにたたずむ警備委員会ガード・コミュニティの軍服が似合う男は帽子を目元まで深く被りなおして静かに息を吐く。


 計画もいよいよ大詰めを迎え、残すは水撒きだけとなった。普段に比べてずいぶんと大がかりだが規模が規模なのでこれくらいの苦難は妥当だろう。勇者が活発に行動し始めた以上、組織の頂点である『強欲の魔王』にとっては脅威にならないとしても兵力が下がるのは頂けないのだ。

 そのための補充作戦。


「それにしてもこんな遠くまで出張る必要あったんですかね」

「仕方ないじゃないですか、候補地の中でこの街が一番都合がよかったんです。おかげで想定外のトラブルにも見舞われましたがこれでも円滑に進んだほうですよ。はい」

「問題も不穏分子も残っていますが?」


 軍服の男の問いかけに思わず魔女風少女もため息を漏らす。


精神看破メンタルドライヴ、ですか」


 突如として乱入してきた様々な意味でのイレギュラーで、既に盤上を散々引っ掻き回してくれた未知数。ある意味でひたすら突っ込んでくるだけのアルラ・ラーファよりも厄介だ。大金を払って雇った『ノーテイム』も既に半壊、花粉の檻が消えたことから察するにニンフ・ノーテイムもやられてしまったか。


「流石に予想外過ぎますよ。大神敬図書館に引きこもってるニートで有名な神人が出張ってくるとは」

「誰も予想できませんって...本人がこの場に来れないだけでもよしとしましょう。

「叡智を得るために自らの肉片を火山に捧げた狂人の思想なんてわからないものですよ。しかもそれは公言されたごく一部の情報でしかないうえにそれ以上にヤバい()()を犯したらしいじゃないですか。まあそこまでしないと辿り着けないのが頂点なんでしょうね」

「似たり寄ったりですけどね、フランシスカ様も」


 軍服の男も頭を掻くしかない。ある程度のトラブルは込みで計画を進めてきたがもはやトラブルの域にとどまらない事態となってしまっているのだ。

 完全にして絶対的な個の力を持つ神人。

 その絶対的な力の一角が絡んできたとあっては笑い話にもならない。

 だが()()でも神人の中ではマシな部類なのだ。もしもこれが...


「『修理師』や『クチナシ』だったら計画は途中で放棄してたかもしれませんね。はい」


 軍服の男の表情から読み取ったのか、少女がさらりと言い流した。

 何度も言うようだが精神看破メンタルドライヴは神人の中ではまだマシな部類なのだ。それは『強者』というだけでなく、人としてでもあり人格者としても、だ。結局のところ五十歩百歩なので感性や価値観が狂った化け物であることには変わりないが、彼女と彼の上司もまた世界に名を刻む『大罪の魔王』の一角。ある意味で化け物には慣れてしまっている。


「アタシ自身神人に何度か殺されてる身ですから、あいつらの実力は身を持って体験済みです」

「マジですか、経験豊富とは聞いてましたがそんなコアな経験までされてるとは恐れ入りましたわ...」

「変な尊敬は要りません。こんな立ち位置だと余計にですよ」


 少女はうんざりとした様子で空に向けていた掌を戻し、足元に置いておいたじょうろを手に取ると空を見上げる。せっかく死の黄煙が晴れたというのに上からさらに満天の星空を覆い隠すように広がるのは分厚く広い曇り空だ。二人の付近に人の気配はなく、まるで大昔に潰れた廃病院のような独特の不気味さを醸し出している。その中心にいる少女はさることながら、やたら小奇麗な警備委員会ガード・コミュニティの軍服の男もこの雰囲気には馴染んでいない。

 それに、と少女は言葉を繋げる。


「脅威は精神看破メンタルドライヴだけじゃありませんからね。アルラ・ラーファも十分な脅威です。一体どんな教えを乞うたのか、アタシの呪術式を簡単に解き明かしてきましたし」

警備委員会ガード・コミュニティを吹っかけてはみましたが役に立たないのなんのって。連中大水蟷螂(レーザーマンティス)土竜もぐらも出撃させる前に逃げやがって、これだから平和ボケした無能は」

「その無能集団の中に三ヶ月も紛れていた気分はどうですか」

「最悪ですね」


 見事なまでの即答であった。苦虫を嚙み潰したような表情から彼がいかに苦労したかがよくわかる。しかし彼も巡り巡って魔王軍に属するほどなのだからまっとうな人生を送っていたわけではないのだろう。そんな社会不適合者に一般社会の枠組みは狭苦しかったらしい。吐き捨てるように軍服の男は続ける。


「普段から治安改善だ犯罪率減少だなんだと抜かしておいてやることはただの見回りと定例会議だけ。いざという場合でも最新の防衛兵器があるから大丈夫と訓練を怠りマニュアルすら読みはしない上に上司は抑圧的で部下をパシリとしか思ってないし下も下で仕事を甘く見t

「はいそこまで。聞いてるこっちまで暗くなるでしょうが」


 パコン!という軽い音がじょうろで軽く叩かれた男の頭から鳴った。


「そろそろ本格的に始めますよ、あなたは索敵をお願いします。充填も数十分は掛かるでしょうがそれだけ時間があればいくらでも邪魔は入りますから。はい」

精神看破メンタルドライヴもアルラ・ラーファも最高位体に手いっぱいなのでは?もしかしたら既に決着がついたかもしれませんよ。なにせ元王国騎士団をベースに魔装もそのままで戦闘用の回路を強く埋め込んだ傑作中の傑作でしょう」

「確かにあの個体で幾つもの街や村を攻め滅ぼしましたし殺戮の限りを尽くしましたが何時いかなる時も警戒は必要です。特に今回は()()()()()()が多いんですから警戒するに越したことはないはずです。キシシシシシシシシシシシシシ!」

「ノーテイムの残骸でも使ってみます?」

「『肉の種』が発動しさえすれば喰い散らされた数千体もの『オーク・ノーテイム』の群れは死体兵へと早変わり、拾ったところで役に立つわけでもないので放っておいて結構」

「さいですか」


 短い言葉とともに軍服の男が取り出したのは一本の木の枝。長さは蛍光灯ほどで太さは普通の木の枝並。黒々とした魔法樹の枝から造られた、すなわち魔法の媒介とする魔法杖ワンドであった。

 彼も彼とて『強欲の魔王軍』の一員。当然戦闘能力に長けた魔法使いである。魔法杖ワンドの先にライターほどの炎が灯ると、軍服の男はゆっくりと地面に近づける。

 かつん!と。

 炎と石煉瓦の地面が擦れて軽い音が響く。


「火はすなわち生命の象徴である、今こそ我が命に従いて全てを示せ。我求むるは敵対者の所在なり」


 杖先に灯るか細い炎が地面に吸い込まれるように消えて、美しい石煉瓦の隙間を激しい光が奔った。波紋のように外へ外へと広がる光はやがて遠くへ見えなくなると、軍服の男は集中に閉じていた目をゆっくりと開けて。


「200m地点付近に一つ、そこから離れて地点に二つ。アルラ・ラーファと精神看破メンタルドライヴと、もう一人?まずいですフランシスカ様」

「落ち着いて、身体的特徴もしっかり確認しましたか?」

「まず一人のほうは身長175から180の男性で年齢は10代後半。二人組の片方が身長180程度の男性で年齢20以上、更に片方が身長170以上175以下の男性、年齢は50以上」

「ぼっちはまあアルラ・ラーファですね。二人組の若いほうが精神看破メンタルドライヴでしょうけど突如現れたおじさんは何者...?」


 更に発生したイレギュラーは見当もつかない。何故このタイミングで介入してきた?二人の間に嫌な緊張が走り、軍服の男のこめかみに焦燥の汗が浮かぶ。新たに発生したイレギュラーがアルラ・ラーファあるいは精神看破メンタルドライヴと同等の実力者であるなら計画が破綻しかねない。二人には非常に好ましくない状況だ。


「こっちは三ヶ月も準備に要したっていうのに、次から次へと...!」

「どうどうどうどう落ち着いて。何も新イレギュラーが実力的にもイレギュラーと決まったわけではありませんよ。はい。むしろ現状に不満を募らせた一般市民の可能性のほうが高いくらいでしょう」

「それがこいつ最高位体の動きに付いてってるんですよ!あの超高速にですよ!?」

「アタシは二人が最高位体の相手してることよりフリーになったアルラ・ラーファのほうが気がかりですけど」


 青筋を浮かべた軍服の男が押し黙ったのははっとしたからではない。隣で空のじょうろをくるくる回す魔女風の装いの少女から放たれた、思わず息を吞んでしまうような圧に気圧されたからだ。

 そう。後出しじゃんけんのように現れるイレギュラーに何度も何度も計画を狂わされ、最悪計画が破綻したら?命じられた仕事の一つもこなせない無能の烙印をあるじに押されてしまうのではないか?彼女は何よりもそれが許せない。全てを捨てて、名前すらも切り捨てて手に入れた地位と信頼を失うことは死よりも恐ろしいことだと本気で考えている。

 故にだ。

 計画だけは何が何でも成し遂げなければならない。

 道を遮るアリは踏みつけて、流れる大河が現れるようなら埋め立てて。

 奈落に続く大穴も飛び越えて進む。

 そのための第一歩は。

 踏みつけるべきは。


「アルラ・ラーファは魔法にかなり精通しています、下手したら先ほどの索敵術式も逆探知されかねません。交戦状態に入ればかなりの足止めを食らいますよ」

「...ええ、そのようですね。()()()()()()()()()()()()()()|!」


 少女の舌打ちがあった。空を見上げれば当然『肉の種』の大規模呪術式は不十分、全体の完成度をパーセント表示するなら60%後半といったところか。どう考えても【憎悪】がこの場にたどり着くほうが術式の完成よりも早い。前回のように【憎悪】の絶対的なパワーで押し込まれれば、呪術式の補助を担ってた魔装を失った少女はあまりにも不利である。さらに言えばリソースを大幅に『肉の種』にいている今、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 『起こりえる最悪の結果を回避する』だけではダメだ。

 『少しでもいい結果』を目指さなければ。

 でなければ()は満足しない。


「索敵はもう切って構いません、今はそれよりも彼の妨害です!あなたはもとよりアタシの護衛なんですからちゃっちゃととっちめてきてください!」

「無茶言わないでくださいよ俺の手に負える相手じゃないですって」

「つべこべ言わない!行くッ!!減給しますよ!!」

「人使いが荒いんだからもおーーッ!!」


 苦労人ここに極まる。いつの時代どんな世界でも一番辛いのは部下の面倒と上司の機嫌取りに走る中間管理職と相場が決まっているが上司がブラックなら部下もまたブラック、結局最下層が泣きを見るのだ。

 いやいや言いながらも上司には逆らえない。部下だから。

 軍服の男はズレた帽子を目元まで深く被り直すと、不格好に歪む木製の魔法杖ワンドを握りしめて駆け出して行った。流石は『強欲の魔王軍』、既に顔は切り替わり、最初にアルラに向けた冷徹な瞳を取り戻している。

 すぐに見えなくなった軍服の男の背中を見送った少女の翼が不自然に蠢く。


『多少は時間稼ぎになるでしょうが』


 はなから彼がアルラ・ラーファに勝てるなんて思っていなかった。切り捨てる気満々で送り出す冷徹さはやはり『強欲の魔王軍』である。

 既に少女の可愛らしさの残る声の質がスピーカー越しに届けられるように変わっていた。これこそ彼女の戦闘モードである呪詛の声。絶対不可避の言葉の攻撃は耳を塞ごうが鼓膜を破り捨てようが直接対象の脳に響く呪いの言葉だ。

 赤子にも屈強な大男にも老婆にも、彼女は等しく躊躇わない。

 主が一言命じさえすれば何でも実行する。


『さて、と』


 清々しいまでに主に妄信的な彼女の背には、不定形に蠢く茶色の塊があった。まるで彼女の歪んだ思想を表現するように脈動を繰り返すそれは、やがて鋭く尖る幾本ものに姿を変えて翼を形作る。


 呪術師フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリー第三の呪術式。

 その名は『ダプネの大枝』

 彼女が真名を捨ててまで手に入れた力の一端である。

 いつでも奇襲に備えられるように臨戦態勢を整えた少女はやたらと灰にくぐもった空を気にしていた。


『...あなたも本当にしつこいですね。そんなにアタシたちが憎いですか』


 どちゃり、と。背を向けて話す少女のすぐそばに何かが落ちた。横目でちらりと覗けば、それは人間の頭部。顎部が大きく損傷した彼女がよく知る部下の頭。彼女はその程度で怒りに燃えるほど情に厚いわけでもないが、それでも思うことはあったようだ。僅かながらに目を細めて言った。

 かつ、かつ、と迫る足音に背を向けたまま。


「ああ、憎いさ」


 【憎悪】は語る。己を構成する感情を行動に示して。

 青年の瞳はまるで獣のように鋭く、鬼のように強かった。

 青年の髪は灰を被ったように染まり、色をほとんど失っていた。

 青年を突き動かすのは己が身を焼かんとする【憎悪】に外ならない。


「テメエは、禁忌に触れた」


 かつて愛し愛された命を侮辱した少女に、青年は感情を向ける。今にも槍となって少女の華奢な体を貫かんとする殺意を。

 己のモノかはたまた投げ捨てられた頭の持ち主のモノか。血に染めた全身を照らす街灯がちかちかと明滅する。

 そして。


「終わらせてあげましょう。あなたの因縁ってやつを。憎悪の連鎖を」

「勝手に初めて勝手に巻き込んだ癖に何を偉そうな」


 彼は鼻で笑って、突き放した。チェーンの千切れたドッグタグに刻まれた名を読み上げる。決して彼女に届くことのない、失われた名前を。


「フラン・シュガーランチ」


 やはり彼女には届かない。その言葉を認識する機能を捨て去ったから。ゆっくりと後ろへ振り向いた少女に見せつけるように、アルラは手に握るドッグタグを握りつぶす。少女は眺めているだけだった、真名がこの世から永遠に失われていく光景を。

 ほんの少しだけ寂しそうに鮮紅の唇を動かして。


『命の数だけ名前がある。名前の数だけ物語がある。その名前はもはやアタシには認識することすらできない失われた物語でしかない』

「じゃあなぜ形に残した?魔装に刻んで常に手元に置いておいた?結局捨てきれなかったんだろう。自分の真名ってやつを」


 返答は少し遅れてやってくる。


『我が偽りの名はフランシスカ・ドーナッツホール・ホーリー、フラムウェル・デリーゼルンド、ネフリムラーノ・ネフェイル...その他数十にも及ぶ命の記録。真名こそ失えど、積み上げられた偽りの名前の上にアタシは立っている。現名フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーの名において、我が主『強欲の魔王』の安寧のために、貴様の【憎悪】を刈り取らせてもらう』

「堅苦しいことは苦手だ。()()()()()()()()()()()()()()()()


 やっとか。と青年は思った。やっと、ほんの僅かだけでも、自分のために失われていった命に報いれる。


「何度でも言ってやる。()()()()()()()()()()()


 再び戦いの幕が上がる。今宵は生憎あいにくの曇り空、されど衝突は幾度となく繰り返される。

 場所は煉瓦と水の街ニミセト、その中央広場にて。


 一つの決着を望む男女が動いた。



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