失われた腕に握るのは
先のアルラ・ラーファとフランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーと名乗る少女の戦いは終幕を迎えた。
結果は言うまでもなく少女の辛勝である。
途中まではアルラが圧していた。それは確かだった。しかし最高位体と呼ばれた黒甲冑が現れるまでの話だ。異常発達したアルラの聴覚を難なくすり抜けて、右腕を斬り飛ばされたことすら気づかせないほどの戦闘能力を秘めた少女の奥の手中の奥の手。流石は『強欲の魔王軍』の最高幹部というべきか。
そんな存在相手に辛勝まで持っていったアルラもアルラでまたイレギュラーな存在なのだろう。少女相手でも容赦なく万力を振るう冷徹さ。状況を冷静に分析する判断力。単純だが絶対的な威力を誇る戦闘力。軍服の男の見立てでは、アルラは王国の騎士長に届くかもしれないという評価を得ていた。
「危ないところでしたね」
「別に、あれくらいアタシで何とかできましたよ」
感情が込められてない言葉を投げかける男に仏頂面で目をそらす少女の口元には血の跡があった。力なくぶら下がる右手の先にはゾウを模した緑色のじょうろ。魔女風のとんがり帽子に紺色のぶかぶかローブといった都心にいれば通行人に二度見どころか三度見、四度見されるであろう格好の少女。
フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーと名乗る『誰か』である。
もしもあの場面でこいつが来なければ結果は逆になっていただろう、と軍服の男の肩を借りる少女は苦い顔をしていた。となりの部下はというと甘い香りを漂わせる美少女と密着しているというのに機械のような無表情を貫いている。その雰囲気だけでどこかの堅物が頭の中にひょっこりと顔を出してしまいそうだ。もっとも、本人は死んでもそんな茶目っ気溢れる行動はできないだろうが。
「それで、魔装のほうはどうするんです?回収しないことにはいつまでたっても本調子は出ないでしょう」
「今は準備が最優先です。ここまで荒らした以上、立ち止まればすぐに追いつかれてしまう。解析のほうは進んでますか?」
「ええまあ、フランシスカ様が余計な手間を掛けなければ今頃完成してたかも」
「意地悪言わないでくださいよ。アタシも彼に関しては思うことがあったんですよ」
身長差的に男の腰にかなりダメージが入りそうな態勢、だが彼は相変わらず感情が読めない無表情を貫き通している。
「そうそう、これ買ってきましたよ。あんな男性を拒絶しきった店に僕みたいなクールガイを押し込んだのは高くつきますからね」
差し出されたのはクレープのような何か。昨日アルラがもたらした新スイーツブームに乗っかった街のスイーツ店が見様見真似で開発した『クレープもどき』だった。見た目こそアルラが作ったものにそっくりだが、少女は軽く鉄の味が残る口の中にそれを含むと。
「...なんですかこれ?全然違うじゃないですか。生地はぱさぱさだしクリームも甘すぎます。おまけにフルーツただ適当に選んだものをのっけただけ。味の調和ってものをわかってない...やっぱり彼、アタシの専属パティシエとかになってくれませんかね...」
「僕に文句言われても困りますって」
異国のインスタ女子なら満足するかもしれないが、長年一日一スイーツを貫くスイーツの鬼のお口には合わなかったらしい。甘いものを食べてるはずなのに苦い顔で少女はクレープを地面に叩きつけた。
「久しぶりに血ィ流したんでしょ?野菜と肉食わなきゃ野菜と肉」
「肉はともかく、野菜なんてフルーツと大して変わりませんよ。どうせ食べるなら甘くて美味しいフルーツの方向性で」
「ほうれん草」
「アタシの食事にその悪魔が生み出した植物混ぜたりしたら問答無用で兵隊にしますからね!?」
「はぁ...」
やけに重たいため息が響いたと思えば、唐突に少女の手首に巻かれた腕輪が電子音を発し始めた。二人は少しの間顔を見合わせ、やがて重たい空気を拭い去るように手首を耳に近づける――――。
「もしもし」
『俺だ』
「知ってます。種だけ撒いて後は人任せですか腹立たしい」
『何のことだ』
負けず劣らずの無機質な返答に少女のふくれっ面は再加速するのであった。
一方でニミセト区環境委員長は多忙を嘆いていた。
ノバート・ウェールズ
クーラーで冷えた執務室の中でペンを動かし、判子を押し、また書類に目を通すを繰り返すだけの晩を過ごしていた強面の男は今日も何故か執務室に常に買い置きされている栄養ドリンクをグイっと一瓶。そろそろ目元に真っ黒なくまが現れてはおかしくないほどの激務だが、本人に特に不満はない様子だった。何しろ環境委員長という肩書上、彼が動かなければ進展しないことだってある。それだけで彼は自分が街に貢献していると喜びを感じる変態であった。定期的に新たな書類を運んでくる秘書は軽く...てか思いっきり切り引いていたように見えた。
「これが最後になります」
「ああ、やっとか。もうかれこれ何時間机に向かっていただろう」
「苦しんでる様子は見受けられませんが...」
「自分がこの街に貢献していると考えるといくらでも働ける気がするよ。でもそれは私だけでいい、君はもう帰りなさい。いくらこの建物が警備委員会の最重要防衛施設に指定されているとはいえ、いつ火の粉が降りかかるは分かったものではないから」
「ええ、そうさせていただきますとも。お疲れさまでした」
秘書の彼女も彼女で大変だったのだろう。妙にぐったりとした様子で扉を開けて出ていく姿を座ったまま見送ったノバートは、書類の山をぎゅっと詰めて置いてあるコーヒーの入ったカップを手に取り口に運ぶ。
「もう構わんよ」
「すまない」
机の下から一人の青年がにゅっと現れた。灰を被ったような頭に黒い瞳。右肩から先がない青年の体は夥しい赤にまみえている。血液恐怖症の人が見れば絶叫してそのまま失神どころか失禁しかねない姿のアルラ・ラーファは、意外とぴんぴんしていた。
「全く、突然飛び込んできたと思えば腕がなくなっているし血まみれだし。確かに君のことは信用しているがこの短期間で何があったんだい!?」
「えーっとまずあらぬ冤罪吹っ掛けられて鋼鉄のトンボと追いかけっこして無限に増えるおばちゃんをビルごとぶっ潰してそれから...」
「本当に何があったんだい!!?」
ノバートが声を荒げるのも無理はない。しかし仕事を増やしていたのがまさかアルラだったとは彼も思っていなかったらしく(主に保健委員会の施設関連で)詳細を聞いた時には思わずまたため息が漏れてしまう。
「なるほど、伏兵か」
「ああ、年齢は二十代後半くらいで身長は俺と同じくらい。髪の色は黒で帽子を目元まで深くかぶっていた」
「詳細を伝えられてもわからんよ。私はすべての警備委員会を把握してるわけではないのだから」
「何とかして俺の冤罪を晴らせないか?」
「私では無理だ。たとえ私が放送などで訴えかけても民衆や警備委員会には脅されて無理やり言わされてると捉えられるだろうし、何よりも既に『一連の事件の元凶はアルラ・ラーファだ』という意識が街に浸透しつつある。覆すにはその『語り部』という少女を倒して異変を止めるしかないだろう」
ノバートが言っていることは正しい。たとえ今からある程度の権限と信頼を持つノバートが『アルラ・ラーファは犯人ではなく真犯人が別にいる!』と主張しても、『アルラ・ラーファ』に脅されて、無理やり言わされてると捉える者がほとんどだろう。むしろ『ノバート・ウェールズ』を助けよう!!という意識が集合してアルラがますます不利な状況に追い込まれることすらあり得る。それにしてもだ。
「腕を失った経緯は分かった。だが五体の一つを失ってどうしてそこまで冷静さを保てるんだ!?」
「再生できるからかな。ただ大量の寿命を失うけど、『オーク・ノーテイム』戦で死ぬほど稼いだ内の僅かな損失に過ぎないだろ」
「そういう問題か?」
「そういう問題だよ」
常人では『生えてくるから斬られても問題なし』とはならないがアルラは『平凡』から『異常』に堕ちた青年。当然一般人と同列の思考回路なんて持ち合わせてないので動揺するノバートにお構いなしで引き出しから見つけたビスケットを腹に収めている。
「シャワー貸すから入ってきたまえ。執務室を汚されたらたまった物じゃない」
「時間がないんだ。奴らがここまで事を大きくした以上、その場で足踏みするなんて考えられない」
「具体的にどうすればいいんだそれは」
「目的は分かってる。アイツが言ってたことが本当に正しければ街を丸ごと手中に収めるつもりらしい。街民を丸ごと兵隊に変えてな」
「そのための手段が...か」
「ああ」
ところで、とノバートが別口の話題を持ち上げる。視線はアルラの失われた右肩から先へ、アルラもそれに気づいて何となくノバートの言いたいことを察した。
「君の腕を斬り落としたという、最上位個体?は大丈夫なのかい?その、まだ君を追ってたり...」
「とっさに片足だけぶっ飛ばして逃げてきたからそう簡単には追いつけないだろう。未知の部分が多い以上何とも言えないが...」
とっさに片足をぶっ飛ばせるという彼もまた化け物だな。とノバートは素直に感心していた。いや、引いていた
「まず判断材料を纏めよう。現在進行形で街に発生してる異常を一つ一つ紐解くことで答えに行き着くこともある。手始めにジル第二支部長襲撃事件」
「アイツが事前に警備委員会に忍ばせた伏兵が俺に罪をかぶせるために起こした事件だ。狙いはそうだな...注意を他に向けるのとあわよくば俺の排除か?」
「次に保健委員会の施設崩落事件」
「襲ってきた『オーク・ノーテイム』を一掃するために医療用ニトログリセリンをちょっと加工して建物ごとどかんとやった。俺が」
「街全体を覆い隠す黄色い煙と通信施設破壊事件」
「それは俺が唯一かかわってない事件だな。ってか初めて聞いた」
「どうして君はこうも事件の中心にいるんだい!?」
そうは言われても勝手にこうなっていたのだから仕方がないのである。
アルラとしても面倒ごとは避けて通りたいものだが、面倒ごとの元が故郷の仇というのは話が別だ。奪われたものはもうすべて泥の底に沈んで戻らない。ならば相手から同等の価値のモノを徴収するのが【憎悪】に染まったアルラの為すべきことだろう。そのために暗く冷たい地獄の底で力を研磨してきたのだから。
「『肉の種』といったか、『語り部』が扱う呪術式でヒトを自らの兵隊に変えてしまうというのは」
「発動条件もなにも不明」
「わからないことは考えてもしょうがない」
「意外と行動派だなオイ!?」
そういえばこの強面ヤ〇ザ顔親父、街を守るという正義感に駆られて立場も忘れ自分から聞き込みするような奴だったと昼の出来事を思い出す。同時にバカ高いコーヒー代も思い出す。
思い立ったが即行動の強面街大好きおじさんノバートと巻き込まれ一般(?)青年アルラが変わり果ててしまった街を練り歩いていると、前方に見覚えがあるシルエットが映し出された。身長はアルラより少し高いくらい、ノバートよりは低く見える。上半身半裸の青年は、アルラたちに背を向けて佇んでいた。
ジル・ゾルタス警備委員会第二支部長
「ジル!?気が付いたのか!!」
「なんだって?」
アルラが発した言葉を聞き、体の向きを変えたジルの胸元の包帯は赤く染まっている。恐らく急に動いたからか、傷口が開いたのだろう。だがそれにしてはやけに少ない出血量であった。違和感を覚えながらも、アルラはジルにゆっくりと歩み寄ると。
「...ああ、私のことか。そういえばそうだったな」
直後にアルラが軽く後ろへ跳ねた。目の前の青年から感じ取った異質な緊張感と威圧感に気圧されたという表現が正しい。姿形はどこからどう見ても彼が知るジルそのものだったが、醸し出す雰囲気が全く別のそれだ。
「何もんだ...ジルじゃねえな」
「え?え?」
「そう警戒しないでくれたまえ、私は君たちの味方だ」
「根拠がねえ」
「それもそうだな」
ぱちんと。ジルの姿をとる誰かが取ったのはたったそれだけだ。指を軽くならしただけ。たったそれだけでアルラの頭の内側に焼けつくような激痛が走った。見知らぬ記憶が、膨大な知識がアルラの中へ流れ込む。遂には眩暈や吐き気すら現れたところで意図せずしてアルラの膝が地面についている。膨大な知識を無理やり頭の中に押し入れられるということはそれほどの苦痛を要するということだった。
常人なら発狂するかもしれない。頭がパンクして死んでしまうかもしれない『知識の痛み』を何とかこらえ切ったアルラが肺に残った空気をすべて吐き出した音を聞いて、煽るような口調で彼は言った。
「が、はぁ!!?」
「『精神看破』。数分前までの私の記憶を移植した」
「なんだって?『精神看破』!?」
のたうち回るアルラを見下ろしながら、ジルの姿を借りた誰かはそれだけ言うと再び二人に背を向ける。今にも描き消えてしまいそうなか細い声で尋ねるアルラにノバートが心配そうに瞳を向ける。
「知って、る...のか?」
「トルカスでは有名な人物の『異能』の名だ。『精神看破』...精神系最強を謳われる力...!!」
「理解したかね?」
彼は二人に背を向けたまま、人差し指で軽く自分の頭を二度突っつく仕草を取った。
ゾッと悪寒が奔った。
彼がアルラに移植したという記憶が正しいのであれば、彼は『オーク・ノーテイム』と同類の『ノーテイム』の一人を片手間で倒したということになる。
それもたったの2%以下で。さらに神の領域に片足を突っ込んだという単語にもだ。その単語が示す人物を、アルラは一人しか知らない。
「アルラ君安心してくれ。彼は本当に我々の味方だ」
「信用できないというのならそれでもかまわない。だが私もここまで踏み込んだ以上中途半端に終わらせるつもりはないのでね、意識を失った彼の体を少しばかし借りて君の手助けをと思ったのだが。合流の途中、まったく面倒な奴に絡まれてしまったよ」
ノバートには意味不明な光景にしか映っていなかっただろう。こんな見た目の彼だが、この中最も守られるべき弱者は間違いなく彼だ。戦わないということは、戦いの中の苦しみを知らない。痛みを知らない。アルラが受けた脳を焦がすような激痛を想像することなど到底できることではなかったはずだ。奥歯をかみしめて見守ることしかできない自分が情けない。
一番強者じみた顔面なのに。
「ジルは、どうなってるんだ」
「彼の意識は無いが止血は済ませてある。脳神経を適度に刺激すれば全身の筋肉の弛緩緊張も思いのままさ。それよりも彼女の痕跡を探すんだろう?なるべく早いほうがいいかもしれないな」
「どういうことですか?」
「痕跡と言えども、『強欲の魔王軍』の幹部が血痕や足跡のような追跡してくれと言わんばかりの痕跡を残すと思うかい?狙うべきは衣服の繊維片や皮膚片といった明確な物体じゃない。とにかく視覚情報以外だ。猟犬が匂いをたどって獲物を追い詰めるように嗅覚に頼るでもよし、現場から確認できる事態を推定しするでもいい。匂いや現場から読み取れる情報というのは時間とともに劣化してしまう」
片手をひらひらと揺らし、軽い口調で答える誰かの視線は相変わらず二人に背を向けていた。その暗闇の先で赤い双球が揺らめいたことに気が付いたのは彼一人だろう。
「何を、見てる」
薄い青髪の青年は声を強めて言い放った。暗闇の先を見つめて視線の先の揺らめきを捉えながら。
「誰が押さえつけてやっていたと思ってる?来るぞ」
ズバチィィィィィィイイ!!!!と。空間が揺らいだ。何処までも果てしなく広がる白、夜の黒を一瞬にして塗りつぶすほどの膨大さ。
暗闇の中から放たれた迅雷が三人の視界を白に染め上げた瞬間だ。
ノバートは状況に追いつけていないままただ白に染まりかけた瞬間、自分が空に投げ出されたことに気づいた。襟首をつかまれたまま、下を通り過ぎた眩い光に震えて死を錯覚するのも無理はない。一瞬遅ければ彼の錯覚は現実になっていたのだから。
「やれやれ、危ないな」
「なんだぁっ!?」
あっけらかんとした声はすぐ隣から聞こえた。視線を向ければ同じ高度を、薄青色の髪のよく知る青年が空中に避難していたのがわかる。ただ自分と違ってずいぶんと振る舞いに余裕が見えるのはやはり中身が『怪物』だからか。
驚愕の声は上から聞こえた。襟首を掴んでいる灰を被ったような頭の青年のものだ。彼がいなければ、自分は今頃どうなっていただろう。『もしも』の世界に震えながら、三人は閃光通り過ぎし地面に着地する。
ノバートはお尻を強く痛めた。




