『復讐』とは
恐ろしい轟音に身を震わせる一般人が、遠目にその光景を目撃していた。ただでさえ街全体が封鎖され、避難することもできないというのに、数年前、開発委員会が自慢げに発表した最新の防衛設備はあっけなく地に堕ちた。むしろ被害を拡大させているとも取れるだろう。警備委員会は避難誘導を行うだけで何を聞いても『それを説明する権限が私にはありません』の一点張りだ。積もり積もった不満がいつ暴動という形で表層に現れてもおかしくはない。
彼らは確かに目撃した。避難するはずの地下シェルターが設置された建物が轟音とともに崩落する瞬間を。一緒になって自分の膝も崩れてしまうほどの悲壮感と恐怖の中で、これから先をどうするかよりもシンプルな疑問と葛藤していた。
『街』とは、こんなに簡単に崩れ去っていいものなのか?指先一つでボタンを動かすような気軽さとともに消失するものなのか?『街』というくくりは、こんなにも脆いものなのか?
認識が、ズレる。
恐る恐る近づいてみれば瓦礫の隙間から赤い液体がバケツを倒したように散らばっている。彼の、あるいは彼女の周りの住民たちも、誘導していた警備委員会も、ただただ立ち尽くすしかない。
やがて一人の男が、狂ったように叫び始めた。
「...どうすんだ。俺たちはどうなるんだ!?」
「そんなのオレが知るかよ!」
「あたしは、嫌だ...死にたくない!!」
恐怖は伝染し、連鎖を生む。混乱の渦にのまれた住民を落ち着かせることもできない警備委員会は己の無力を呪いながら、信じられない光景を目の当たりにした。
突如瓦礫の一部が吹き飛んだと思えばその下に見える階段から、灰を被ったような頭の青年が現れた。誰だったか、見覚えがある。近いうちに見た顔だ。...そうだ、思い出した。現在追跡中のテロリスト。
確か...名前はアルラ・ラーファだ。
次に警備委員会が取った行動は、街の警備委員会ならば誰もがするであろう模範的ものである。無線機を取り出し、報告する。目の前に現れた現在街で発生している異常の根源かもしれない男の詳細を。
「現在逃走中、ジル支部長殺害未遂の実行犯を確認!保健委員会支部前!!」
「うげっ!!警備委員会!?」
休む間もなくその場を去るアルラを、警備委員会が追うことはなかった。あくまでも自分の役割は誘導。一般人を安全な場所へ導くこと。現在のニミセトにはたして安全な場所があるかどうかわからないが、ここを離れれば一般人が更なる危険にさらされることだけは確かだ。無線機の向こうから聞こえる声も、それを肯定した。
『了解。付近の警備委員会を向かわせる。誘導の任務を遂行せよ』
ガガッ、と通信が途絶え、残されたのは慌てふためく一般人と警備委員会の誘導員。そして、『オーク・ノーテイム』の残骸だけとなった。
「はっ、はっ、うぷっ...!!」
ビチャビチャビチャッッ!!と胃の中に詰められていた、いつでもどこでもエネルギー補給が売り文句のバーが吐き出される。吐瀉物の大半は血液で赤く彩られ、副作用の深刻さを体現している。いくつか痛み止めや薬品もかっぱらってきたが、流石に馬鹿でかい登山用バッグを持ってくるわけにもいかずに元々腰に巻いていたポーチに入るほど少量に収まっていた。
冤罪を押し付けられた哀れなヒーローは、再び黄色に染まった夜の街を征く。『オーク・ノーテイム』との戦闘は苦しいものだったが、終わってみればあっけないようにも思える。地下シェルター内で先行する千体ほどの『オーク・ノーテイム』を酸欠に陥らせ、情報伝達の力を失った外の『オーク・ノーテイム』を誘導し、建物ごと崩落させて一瞬のうちに殲滅する。我ながらよく思いついたものだ。と変に感心しているアルラは、口から垂れる血をぬぐい、目的の地を目指す。
「ここは、街のどのあたりだ?環境委員会の建物までどのくらいの距離がある?」
先のオーク・ノーテイム戦で、アルラは膨大な寿命を手に入れた。時間にして7433年。普通に過ごせば永遠とも言い換えられるほどの膨大な時間。『オーク・ノーテイム』一人当たりの残りの命を40年と考えれば、2000人ギリギリ届かない程度の数を殺害したことになる。
神花之心の副作用で内側からボロボロになりつつある体を引きずり、唯一仲間になりえる可能性を持つノバート・ウェールズの元へ急ぐ。
どうやら観光案内板によると、ここは第3区。湖と草原の中間地点となる広場から見て東に位置する区画で、目的の環境委員会の建物も割と近めの位置にあるようだ。近いといえども油断はできない。また『オーク・ノーテイム』のような未知の敵が現れないとも限らないのだ。気を引き締めてかかるべき―――。
「そ~んなに気合入れて、今更何をしようというんです?」
甘ったるい、鈴を揺らすような声とともに。少女はただ眺めていた。
ゴミ箱に腰かけてゆらゆらと足を揺らし棒付きキャンディーを加えながら、両手を頬に添えて眺めていた。
「ちいッッッ!!!」
裏拳のような形で血が付着した拳を横にふるった。魔女風のとんがり帽子が茶色い癖毛を隠し、紺色のぶかぶかローブの片手にはゾウを模した緑色のじょうろを持った少女。すなわち『語り部』フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーへ。
「藁の家」
ゴオオッッ!!という突風が突如として吹き荒れ、体ごとアルラの拳を吹き飛ばす。彼女が、『強欲の魔王』の忠臣の少女が扱う一つ目の呪術『飛び出す絵本』。対象の認識を術式内に組み込み、強制的に連想された最も自然的な事象を引き起こすシンプルにして強力極まる呪術。
ゴロゴロと強制的に丸められた体を転がすアルラが起き上がる頃には、既に背中には木の根で造られた翼のようなものが追撃に移る。攻撃に宿る意思を読み取り、あえてその場から動かない。瞼一つとして動かさずに突っ立っていたアルラの真横を、翼は紙一重で通過する。
「キシシシシシシシシシ!!流石、やりますね。このアタシが見込んだだけはあります。はい」
「黙れ。無関係な街の人たちまで巻き込みやがって、挙句の果てにはジルを...!」
「無関係?無関係とは何のことですか?まさかあたしがあなたをスカウトするためだけにニミセトに現れたとでも?」
きょとんとした表情で首を傾ける少女の姿は、何も知らない者にはそれはそれは可愛らしく映っただろう。その残虐性を知るアルラには少女の無邪気な質問が、背中に何十もの毒虫を入れられたように錯覚するほどの狂気を帯びて見えた。氷のように冷たく、暗闇のように冷徹に。少女は人差し指と親指の間で口に含んだキャンディーの棒を取り出し、先端のピンクの玉をアルラへ向ける。
「あなたをスカウトしたのは偶然兵隊との戦闘を見て、こちら側に利益をもたらしそうだからです。モノのついでってやつですよ。それともなんですか?自意識過剰に『俺って魔王軍にスカウトされるほど強いんだぜ!』とイキってしまうタイプの人でしたか?」
「...お前たちの、『強欲の魔王軍』の目的はなんなんだ。ニミセトに何をしようとしている」
「別に答えてあげてもいいですけど、こちらからの質問にも答えてくださいよ。あなたこそ、どうしてそこまで『強欲の魔王』を恨むんです?」
「......は?」
質問の意図が分からない。こいつは、この少女はいったい何を言っているんだ。故郷を焼き払っておいて、何故その元凶を恨むのか。だって?普通じゃない。こいつは何かが、ぶっ壊れている!
からかっている様子もなく、ただ単純に聞きたい。少女の純粋な顔つきから伝わる感情に、アルラは戦慄した。普通ならば、『普通の少女』であればそんなことは聞かない。質問しない。
「ふざけて、いるのか?」
「大真面目ですよ。どうしてそこまで、命を焼き尽くすほどの【憎悪】を我々に向けられるのですか?と聞いているんです」
首の角度をさらに深く傾けて、少女はただひたすらに無邪気な顔で聞く。
「俺の故郷は、家族はッ!!お前たちに殺されたんだ!!お前たちのせいで俺の『平凡』は奪われた!ぜんぶ忘れて静かに暮らせってか!?」
「虚しいものですね」
道の端で足を引きずる野良犬を見るような目で、心底哀れんだ表情で。少女はそっと呟いた。
「あなたは虚しい、虚しすぎますよ」
わなわらなと体を震わせて、副作用によって腹からせりあがる血液をこらえ、アルラの激情はより一層強くなる。いつの間にか少女はメキキキキキッ!!と軋む翼でゆっくりと降下して、再びゴミ箱の上で足を組んでいる。背後の闇へ投げ捨てられた棒付きキャンディーのカツンという音とともに、アルラは怒りのすべてが心を突き破って飛び出してくるのを感じた。
「お前に...全部奪っていったお前らに何がわかる!!!」
ゴオオオオオオッッッ!!!
怒号が光となってアルラの拳を星のように輝かせ、暗く黄色い煙が閉ざした夜空の一部を照らす。少女は顔色一つ変えずに、目を閉じて突きつける。
「アタシも過去に、現在の『強欲の魔王』の手によって故郷の仲間と家族を殺害されました」
頭の中が真っ白に染まった。けろっとした様子で恐ろしいことを言い放った少女の一言が、アルラの怒りも憎しみも何もかもを。一時的にだが、確かに消し飛ばした。
「アタシはとても貧しい農村の生まれでした。家族は母だけでしたが、友達はうんとたくさんいましたよ」
じょうろとは逆の手の指を、数えながら一つずつ折りたたんでいく少女の表情に悲観は無い。懐かしむような様子も無い。
「みんな死んじゃいましたけどね」
否定した。
彼女はアルラを否定した。
彼女はアルラの十年間を否定した。
彼女はアルラの十年間の生き方を否定した。
自分が。『アルラ・ラーファ』が消える。言わなければ、抵抗しなくては、散り散りに消えてしまう。
自分がおかしかっただけなのか?彼女のほうが実は正しかった?『復讐』とは、【憎悪】とは当たり前の感情ではなかったのか?自分がおかしいとしたら、いったいいつから狂っていた?
「...は、ずが...い」
「?」
「そんなはず、ない。そんな過去を背負っていて、なぜ全てを奪った『強欲の魔王』に...」
「別に脅されてるとかじゃないですよ?アタシはアタシの意思で、あの人の下についたんです。必死に勉強して呪術を覚えたんです。あの人の役に立つために、最近はぱっと出のシュタールに席を取られているような気がしてならないですが。キシシシシシ!」
フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリー。茶の癖毛をとんがり帽子で隠した魔女風の少女。彼女はアルラを惑わすために嘘を放ったわけではない。実際に自分の過去を話しただけ。『語り部』が生まれた経緯を話しただけ。それだけなのに、たったそれだけのことなのに。
「憎しみが、無いのか?」
「すべて奪われたから奪った相手からまた全てを奪おうと?結局そんなどろどろの無限ループの先に、関係ない人が巻き込まれて、木の根のように枝分かれして復讐は広がっていくんでしょう!?ねえ、あなたは【増悪】ですものねえ!?ただただ虚しい!!あなたの復讐の先に無関係な犠牲が直結するというのに!!」
大袈裟に両手を広げ奇妙に嗤う少女の言葉が。鋭利な槍となって心臓を貫いた気がした。目の前に座っているだけの少女の全身が闇に覆われて見える。何よりも、誰よりも黒く―――。
「アタシは過去に囚われない。『命』とかいう不特定多数を尊敬なんてしない。復讐なんてただただ疲れて、痛いだけです。だから受け入れた。これがアタシの『命』に課せられた未来だと。運命だと!!」
実際のところ。彼女が言ったことは正しい。復讐に身を染めて、たとえそれを果たしたとしても。先で待っているのはいくつにも枝分かれした新しい復讐でしかない。対象が最初の復讐者に変わったというだけで、無限に広がる復讐の輪廻が始まるだけ。永遠に続く復讐の無限ループを終えるにはどうすればいい?どうすれば地獄のような繰り返しは終わりを迎える?簡単な話だ。
一人が諦めればいい。
「あなたはアタシに聞きましたよね?何が目的だ、と!お答えしましょう。軍の拡張ですよ。ニミセトの街の全ての『命』を!死体兵に変えるためですよ!!キシシシシシシシシシ!!」
アルラは、ヒトには大きく分けて二種類存在すると考えた。『善人』と『悪人』。定義や境界は人によって曖昧だが、アルラには明確な一線がある。『悪行』というのは、ヒトが『己が一番正しい』と思った行動を押し付けることで発生するものだ。そいつの中で、自分は『善人』なのだろう。自覚もなく、悠々自適に『正義』というラベルを張り付けただけの『悪行』を重ね、魂の色をどす黒く濁していった結果。行き着くのが『悪人』と。生まれたばかりの赤ん坊を『悪人』と定義づけるヒトはいない。生まれて間もない純心の塊である赤ん坊には、『善行』も『悪行』も行う力もないから。
結局のところ。誰も何もしないが一番の平和への近道だというのに。
アルラは初めて目撃した。生まれながらに純粋な『悪人』に天秤が傾いた人間を。
『純粋悪』を。
「お前という人間を、フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーを。今ようやく理解できた気がするよ」
「ほう?」
アルラは『正義のヒーロー』ではない。どちらかと言えば、『悪人』寄りだろう。それこそ途中で道を踏み外し、どす黒く濁った典型例ともいえる。だがそんな彼にも、【増悪】に身を染めたアルラにも。いや、アルラ・ラーファだからこそわかることがある。
「俺は自分を『正義』とは思わない。でも心の中で正しいと思ったことは、死んでも貫いてやる。『正義のヒーロー』はそんなお前も含めてこの街の人間全員を救えるやつのことを言うんだろう。そんなの、逆立ちしたってなれっこない。だから俺は拳を握るんだ」
『語り部』フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーの瞳が、獰猛に揺らいだ。ぺろりと舌が唇を伝い、再び木の根で造られた翼が羽ばたく。
「全部を...何もかも一つ残さず助けるに『純粋悪』を排除する。俺は、テメーをぶっ殺すッ!!」
「やってみろよ。クソガキが」
暗く黄色い夏の夜に
殺意の衝突は起こる。




