無限とは
「自ら逃げ場の無い地下に潜るなんて」
「一体何を考えているのかしら」
「『人間』の考えなんて、失敗作の私には到底理解しがたいものなのよ。きっと」
例え複数人でもすべてが同一の人物ならば、それは自問自答と言えるのだろうか。どうでもいい戯言だが、状況からすぐにでも逃げ出したいアルラが考えていたのはそんなくだらないことだった。状況は相変わらず劣勢。敵対する『オーク・ノーテイム』と名乗る数千の女性の内の千体ほどが同室内で不敵な笑みを浮かべている。逃げ出そうにも、ここは地下。本来『病院』に収まりきらないほどの患者が生じた際のために造られた地下シェルターの役割を持つ場所だったが、入り口は既に大量の肉の壁に塞がれ、全てを薙ぎ倒して外に出たとしても追加の『オーク・ノーテイム』が待ち構えている。現代風にするとローグライクゲームで四方八方を敵キャラに囲まれ、さらに部屋の入口や階段の前にも同じ敵キャラが居座っている、という表現が正しいだろう。
「少しばかり手間取ってしまったけれども、終わりよ」
体育館ほどのサイズの地下シェルターを埋め尽くす同じ顔の『オーク・ノーテイム』とアルラ・ラーファ以外に、これといった設備はない。大量の人間が押し詰められていること以外は壁まで平坦が広がる締め切られた部屋だ。アルラ・ラーファは額に汗を浮かべながら、苦笑い気味の表情で敵を正面に捉える。
「『子宮』は完成した。液体も確保されている。私達『オーク・ノーテイム』はこの地下内で無限に増殖できる」
アルラからの返答はない。だが諦観したわけでもない。むしろ瞳に宿る光はより一層光度を増していく。
「お前は密室、もしくは出入り口が限定された空間を『子宮』と仮定しているんだ。だからこの建物に入ってすぐに増殖することはしなかった。俺にそれを悟らせないために。だけどそんなこと、とっくの昔に見抜いていたさ。仮定は独自の魔法を構成する補助機能の一つ、あやふやよりもきちんと整えられた制約は魔法構成の基本だ」
「その通り、更に『子宮』は完全に閉じられれば更なる成長の加速を促す。つまり百は千、千は万へと移りゆく。いつもより魔力使っちゃうけど、この状況なら『閉じた』方が確実ね」
地震や洪水などを想定して造られた重い扉が、重厚な音と共に閉まる。
「それで?あなたにはこの状況を抜け出す考えでもあるとでも?」
「ないわけでは、無い。といいたいところだな」
「無いと言ってるようなモノよねえ、それって。最後に言い残す言葉でもあるかしら」
「残念だけどこれが最後じゃないから無い。聞きたいことならいくらでも、お前の上司の話とかだよ」
「それはお答えできないわあ。依頼主の情報は墓場まで持っていくのは『ノーテイムファミリー』の信条の一つよ」
アルラの言葉を返すのは全て別々の『オーク・ノーテイム』。単であり多。唯一であり無限の自分というパーソナリティを内に秘める者。一度に全ての『オーク・ノーテイム』を殺さない限り、99から生き残った1が100を生み出してしまう、寿命という概念を失えば不死とも言い換えられる存在。だが忘れてはいけない。寿命というジャンルに置いて目の前の殺害対象が誰よりも扱いに富んでいるということを。
「死を恐れない者に痛みを扱う拷問は意味を成さない。お前からフランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーの情報は抜き取れない。もうお前に用は無え。ここを出て、俺はあいつを追う!!」
命を圧縮した光が再び灰を被ったような見た目の青年を包み、明確な殺意が『オーク・ノーテイム』を捉えた。すぐさま拳が突き上げられることはなく、拳の代わりに『オーク・ノーテイム』の中心地で音を立てて割れたのは瓶。破裂と同時に烈火が周囲の『オーク・ノーテイム』へ喰らいつく。さらに集団の別箇所へと二つ、三つと投げ入れられ、次々と爆発と共に引火を引き起こす。
一人の『オーク・ノーテイム』の視点から。
その瓶の蓋は燃えているのが確認できた。この建物は保健委員会の基地。理解へと行き着く材料を揃え、理解へ至るまで数秒も掛からない。正体は傷口消毒用のアルコールとライターの炎で造られた超簡易な火炎瓶。割れれば中の液体が飛散し、蓋のてっぺんの炎が引火するというお粗末な作りだが、この際何が何でも数を減らしたいのだろう。あちこちで自分と同じ『オーク・ノーテイム』が炎上しているが、どれも慌てたり苦しんだ様子はない。自ら手首を切り裂いて、新たな『オーク・ノーテイム』の発生源を作り崩れ落ちる。
「それで終わり?ならば呑まれなさい。圧倒的な数の暴力に」
『オーク・ノーテイム』は揺るがない。なぜなら『ノーテイム』であるから。確かに彼女は一般人とかけ離れた別の生物なのだろう。まるで消耗品のように己の命を扱うこと、他人にとっては狂気そのものだ。自分と他人の命に明確な区分を持たず、全ての命において一定の価値観を反映し続ける。『命』への執着を捨てたからこそ生み出せた魔法『無性生殖』。
幾度目かもわからない拳の衝突が繰り返される。バッグを置いた付近を中心に全方位へ体をひねり、回し、振るい、肉を裂いて骨を砕き内蔵を吐き出させる。時には隙を見てバッグに手を突っ込み、ライターで点火した火炎瓶を放り投げるを繰り返す。
「ほらほら」
「こっちにも」
「まだまだ」
触れれば一撃で粉砕されるはずの『オーク・ノーテイム』の攻撃が徐々に徐々に勢いを増していった。『数』という圧倒的な力の勢いを。
「こんなのはどう?」
『オーク・ノーテイム』の一個体が、自ら床に広がる炎を纏い灼熱を持ってアルラにつかみかかる。『命』に全くの執着が無いからこそできる攻撃だった。火傷などという継続ダメージを喰らうわけにもいかず、アルラは舌打ちに続いて足を勢いよく突き出し吹き飛ばす。炎は次々と『オーク・ノーテイム』に広がり、味を占めたように命を投げ捨てる攻撃の数が、目に見えて増加した。
「火を付けたのは愚策だったわね」
B級ハリウッド映画に出てくる全身火だるまのエイリアンのような風貌となった『オーク・ノーテイム』が四方八方を埋め尽くす。フラッシュバックするのは前世の最期。火にはいい思い出がないアルラの表情は苦いものだが、あの時とは明確に違うことはある。全体の約二割程度が火だるまになったころには焼死体と体のどこかが欠けた『オーク・ノーテイム』の死体で溢れかえり、大量殺人の現場のような光景となった地下シェルターを容認しがたい匂いが充満しつつある。
「そうでもないさ」
異変が現れたのはその時だった。ただしアルラにではなく、地下シェルター内ほぼ全ての『オーク・ノーテイム』に。アルラは呟いた。やっとか、と。言葉の意味を解せず、まだ軽い症状の『オーク・ノーテイム』が一人、疑問の声を上げていた。
「あ......?」
バタバタと、戦闘とは関係がないところで『オーク・ノーテイム』が倒れていく。直後、思考する『オーク・ノーテイム』を襲ったのは頭痛とめまい。更には吐き気。朦朧とした視界の中でただ一人、アルラ・ラーファだけが立ち上がっていた。ほぼ無限に近く膨れ上がる『オーク・ノーテイム』の軍団は見る影もなく、海辺の砂城のように崩れ去った。
「なに...が」
「密閉された空間でこんだけ炎が燃焼を続けて大量の人間が呼吸をしてるんだ。...もうわかったか?」
心当たりが一つあった。
酸素欠乏症。空間内の酸素濃度が著しく失われ、生命活動に支障をきたすレベルの障害を生む症状。誰にでも起こりえる日常の危険の一つ。密閉された空間内で、これだけの人間が呼吸し、今もなお炎が燃焼を続けているのだ。考えてみれば当然の結果ではあった。だが
「どうして、あな、た、は」
質問を最後に、また一つの『オーク・ノーテイム』の意識が闇に沈む。最期の瞬間、彼女の目に映ったのは青年の手に握られた銀色のスプレー缶。噴射口に大きなノズルが取り付けられ、ぴったりと口周りを覆い隠すような形状の携帯酸素缶だった。
「たぶんお前たち『オーク・ノーテイム』は、酸欠の心配に気が付いてたよ。だけど個の意思が全体に伝わることなんて稀だ。一人の頭ん中に『あれ?』と疑問が浮かんでも、その他大勢の『オーク・ノーテイム』の流れに身を置くことで考えないようにしちまう」
巨大な歯車で組み立てられた機械の中で中間の歯車一つが動きを止めたとしても、組み合わされた別の歯車の回転で再動する。一人の『オーク・ノーテイム』が危機を感じ取っても、一人以外の『オーク・ノーテイム』の巨大な意思の流れを止めることはない。ここにきて『オーク・ノーテイム』の膨大な数が仇となった。
「お前の、『オーク・ノーテイム』の敗因は、歯車の増やしすぎだ」
『オーク・ノーテイム』という巨大な歯車の集合体が、複雑になりすぎた一つ一つの『オーク・ノーテイム』の歪みで壊れていく。『無限』が終わる。
生まれたばかりの『オーク・ノーテイム』たちには、既に立ち上がる力も、声を張り上げる気力もない。ただの敗北感だけが心の大半を染め、唇をかむことしかできない。本来であれば、こうして地べたに這いつくばって泣いて許しを請うこいつを見ていたはずなのに。今頃笑って頭を踏みつけていたはずなのに!!
「わたっ私は!無限の命を実現させた『ノーテイム』!捕食者側に立つのが本来の、本来のわた―――...」
ゴジャッ!!という、肉をすりつぶす音が響いた。
また一つ。淡い光を放つ脚が『オーク・ノーテイム』を押し潰す。
一人の人生の結末を見届けたアルラは忌々しそうに、転がる死体を見て吐き捨てる。
受け入れない。終わらない。まだここから、負けたと決まったわけじゃない。認めてたまるか。こんなところで、こんなどこにでもいる有象無象の小僧に、『オーク・ノーテイム』が殺されてたまるものか。私こそが『繫殖』、豚頭の悪鬼の名を冠する『ノーテイム』。
最後の力を振り絞り、新たなる『オーク・ノーテイム』を生産すれば、その個体はぴかぴかの新品。体の外にも内にも異常はない。巻き返せる。たった一人が外に出て、状況を伝えればそれで終わる。元に戻る。圧倒的な数の暴力は復活する。
「お前は誰よりも死が恐ろしいから命を無限に生成する魔法を作ったんだ。心のどこかでそれに気が付いていても見て見ぬふりしてるだけのお前じゃ、成すがままに運命を受け入れてきた俺に勝てるわけがなかったんだよ」
思わず『オーク・ノーテイム』の三秒前の記憶がぶっ飛ぶほど、核心に迫った言葉だった。全ての命を等価とみなし、他人も敵も味方も家族も自分でさえ
も全部ひっくるめたものが『命』。自分という個性を捨て、全て合わせて『オーク・ノーテイム』という個体として成立することによって死の恐怖から解き放たれたのは、常に彼女の心のどこかに付きまとった残留思念。それを突かれた。
「ここにいる『私』が死んだところでッ!外で待機してる『私』が残ってる...!未だあなたの劣勢に変わりは...」
『もしもし、あー、あー。私です。『オーク・ノーテイム』で~す』
いつの間にかアルラの手に握られているのはメガホン。音を拡大し、より周囲一帯に届けるための道具。普通のものと違う点として、アルラが取り出したメガホンには小さく魔法陣が描かれていた。円の中には五角形が重なるように並べられ、淡く光を発しているようにも見える。
『オーク・ノーテイム』は声を失っていた。これから起こりうる最悪の結末を思い浮かべてしまったから。眼を見開き、口をパクパクと動かし、間抜けな顔で震えていた。それを見て特に表情も変えないアルラが
「空気振動を適度に『抑制』して狙った音を作り出すなんて、闇魔法の基本中の基本だろ?」
「まさ、か...まさか!?」
アルラは散歩でもするように地面に転がる『オーク・ノーテイム』を踏み越え、易々と部屋を塞ぐ重厚な扉へ辿り着いた。メガホンを指に引っ掛けてくるくると回しながら、重たい扉を開く。スウーッ、と空気を灰いっぱいに取り込み、扉の外へ向けたメガホンへ吹き込み
『対象を地下へ追い詰めたわ!!全員建物内地上一階、もしくは二階で待機していなさい』
大音量の『オーク・ノーテイム』を模した指示が学校にも似た建物から解き放たれた。
「らしいわ。行きましょう」
「全員なんて、本当に必要なのかしら?」
「『私』が言うんだから間違いないわ、私」
多少ずれた声でも、スピーカー越しという理由が疑惑を生じさせない。シェルターの上には今頃、外で待機を命じられたはずの『オーク・ノーテイム』がわらわらと群がってアルラを殺す手順を整えているだろう。捕食者と被食者の立場が入れ替わったことにも気づかずに、遠足前に子供のように会話を弾ませているだろう。
「お前が一番知ってるよな。こう言われたら、『オーク・ノーテイム』はどう行動するかを」
しばしの静寂ののちに、ぽつぽつと、か細い声で願った。
「くる、な。くるな」
「もう遅い」
冷徹な一言だけが、彼女の最期を告げる言葉だ。




