剣の記憶を読み取く者
あっさり名乗った敵が口にした名を訊いて煉獄騎士は一瞬戸惑いつつも、直ぐに納得して剣をニコンへ向け直した。
煉獄騎士の後ろで少女が怯えている。目尻からぽろぽろと涙をこぼして生まれたての草食動物みたいに全身を震わせていた、直後のニコンの言葉は、明らかにその少女を指していた。
「そいつを貰いに来た。煉獄騎士ともあろう者が応じるとは思わねェけど敢えて言うぜ。差し出せば、お前の命だけは置いていく」
切っ先を向けられた少女は『ピィッッ!!?』と喚いていた。
改めて少女の姿を自らで隠すような位置へ移動した煉獄騎士は、柄を握る手がじわりと湿気を帯び始めて居ることに気付いていない。
『騎士』故に任務を投げ出すことは絶対に許されない。
「...貴様が彼女を狙う理由に検討は着く。しかし何故ここが分かった?我々はこの国へ辿り着くまでに一切の公共交通機関を利用しなかったばかりか、作戦関係者以外との接触も完全に断っていた。当然『かめら』とやらにも映らなかった」
「それこそ答える義理あるか?仲間の術式ペラペラ教える馬鹿がどこにいんだよ」
「なるほど、『箱庭』には索敵系の術式を扱える者がいるのか」
「やべっ、今のはシンプルにミスった!」
指摘されたニコンがはっ!となった直後に煉獄騎士が地面を蹴った。
一瞬で詰めた間合いで振るった剣をニコンはあっけなく受け止め、あまつさえはじき返す。煉獄騎士が会話でタイミングをずらした上に両手で振るう渾身の剣を片腕一本で軽々と、だ。
煉獄騎士が弾かれた方向に合わせて腰をひねり、脚を軸に回転する事で遠心力を加えた大振りは二人の傍のなんらかの重機を軽々と両断した。
衝撃に積もっていた埃があちこちで舞い上がっている。
ギャリッッギャギャギャギャッ!!!と凄まじい金属音が打ち鳴らされる。
僅かな刃の打ち合いの後、あるタイミングで互いの剣が交差していた。
手を出せば触れられる至近距離で剣を押し付け合う。
「騎士の癖に行儀が悪いな...お喋りの最中だろ」
「そんな余裕は...無いッ」
「ひぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいい!!」
バギャッ!!という破壊音に重機裏に隠れた少女がひっくり返っていた。
スレスレを刃が掠めていく。剣と剣は繰り返しぶつかり合い繰り返し火花を散らす。
二人は二人と少女以外の一切への関与に目もくれず剣を振るい合う。倉庫に眠るあらゆるガラクタは次々と傷付き、或いは溶けかけのバターのように刃で別たれた。
「玲転返を頂くぞ!そいつがトウオウにやったことをそいつ自身に償わせる!!」
「...誰から訊いた、どこから漏れた。彼女の名前を何処で知った!?それも仲間の術式か!!」
「今度こそ言うわけねェだろ!!」
問答の次の瞬間に煉獄騎士の構えが変わった。
教科書に載っているような堅苦しいお手本みたいな型が終わる。流派を極めた修練生が自らにより適した『型』を編み出すように、『煉獄騎士』としての日々で磨き上げた独自の動作が加わった。
距離が空く。
超至近距離での打ち合いから、煉獄騎士は間合いギリギリの、敵に命中したとしても切っ先が掠めるかどうかという距離での打ち合いへ意図的に切り替えたのだ。
ニコンは訝しんだ。
直後に。
「痛てっ!?」
ブシッ!!と赤く液体が零れた。
ニコンの腕に引かれた同色の線から、だ。
攻撃は視えなかった。或いは存在しなかったのか?
降って湧いた不条理に、思ったよりも楽しませてくれる煉獄騎士に口角が吊り上がる。
「『先の先』、だッ!!」
「やるじゃねえかァ!!」
連打、剣の応酬。
当然互いに命中せず、ニコンも煉獄騎士の刃を的確に捉えて己の刃で弾き返し続けた。
なのに、何故か傷が湧いて出る。筆で赤い絵の具を書き殴るように裂傷が付け足されていく。
『先の先』と、煉獄騎士はこの現象を指してそう言った。
本来であれば相手の攻撃のタイミングを読むことで、相手が攻撃という意思を思考するよりも速く一方的に攻撃を繰り出す技術。
言わば意識の『起こり』を突く技だ。
煉獄騎士は『先の先』を駆使して一方的に斬撃を見舞っているのか?だとしたら理屈が合わない。『先の先』は意識とタイミングの話で、互いの全身を視界に収めているのに攻撃が視えない理由にはならない。
現象には理屈が伴う。
不条理、不理屈。この世界で現実にそぐわない現象にでくわして真っ先に疑うべきは理屈であるべきだ。
ゾンッ!!と。
攻防の隙間を縫ってニコンが剣を振るった音だった。腰を落としてより低い地点を狙った攻撃は煉獄騎士に掠りもしなかった。
狙いは足元。地面がコンパスで半円の弧を描くように削られて粉塵が巻き上げる。
煙に紛れたしゃぼん玉のように違和感が現実で形を持って浮き上がった。ピンボケのように歪んだ空間は人の形をとり、手には不可視の剣が握られている。
視認した直後に消え失せたそれは恐らくは煉獄騎士の分身。大きな一撃より細かく正確な傷ばかり狙ってきたことから短時間しか出現できないのだろう。
半回転させた体の胸の前を突きが通過し直後に分身は現実から消失する。
「分身を使った一人時間差攻撃がお前の得意技か?案外地味なんだな!!」
「分身とは少し違う、それはほんの少し未来の私自身だ!」
煉獄騎士は斜め下方向から掬い挙げるような軌跡で剣を振るった。
咄嗟に後ろへ下がるニコン。
先端が鼻先に引っ掛かりかけるが、ニコンは表情一つ変えずにすぐさま攻撃へと転じた。
ギャリギャリギャリギャリ!!と。
突然、ニコンが横向きに吹き飛んだ。少し未来の煉獄騎士とやらが横薙ぎの刃を振るったのだ。咄嗟に間へ剣身を挟んで刃が皮膚へ淘汰するのは防いだが、全膂力を込めた一撃に踏ん張りは効かなかった。
がじゃん!!と倉庫の分厚い壁面が斬り開かれてニコンは勢いよく屋外に飛び出した。
激突するより早く壁面を斬ることで衝突を回避したのだ。
「こうなると単純に二対一だな、膂力は本体以上か」
ぱらぱらと切り崩された壁面を更に斬り広げ、中から煉獄騎士が歩み出た。
「...膂力の差は、一動作に費やす『時間の差』。一秒溜めた力で振るう刃と二秒溜めた力で振るう刃に差が生じるのは当然だろう」
倉庫から屋外に出て、滑走路脇にはほとんど障害物は無い。
季節の割に日も照りつけていて互いの姿が良く視える。
「先の未来を呼べば呼ぶほどコントロールは難しいよなァ。数秒後の自分の行動が予測できても一時間後の自分が何してるかなんてわかったもんじゃねェはずだ。お前が呼び出してる『未来のお前』はせいぜい数秒...大体『二秒先の自分』ってとこか」
「流石だ、正確な時間まで的中させるとは恐れ入った」
本体の力と『未来の煉獄騎士』の力の比率から概算した『二秒』という時間は短いようで長い。
達人ともなれば、二秒もの時間で十太刀以上の刃を振るうし、命の奪い合いとなると瞬き程の一瞬が勝敗に直結することもザラにある。
煉獄騎士は取り出した布巾のような布切れで剣に付着した重機のオイルを奇麗に拭き取っていた。
術式を看破されたとは思えないくらい冷静だった。
或いは彼からすればこの程度は想定済みだったという事か。そもそもあの様子からして術式にそれほど拘っているというわけじゃないのだろう。
彼は騎士であって魔法使いではない。
術式は剣と同様に任務遂行のための道具と割り切っている。
だから―――。
「だが...私の術式など問題ではない。ここで訂正させてもらおう、二対一ではない。我々は......」
「ふひっ!百対一、ですぅぅぅぅううううううう!!」
ぞろ、ぞろと。
ぐちゃぐちゃ、がちゃがちゃ、ぎちぎち、ギチッギチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチッ!!!という不協和音の洪水。
倉庫の穴から湧いて出た無数の無機物が居た。
玲転返の臆病な性格を反映させるかのようにその半数以上に自身を守らせ、残った数十体がゆっくりと煉獄騎士の傍に控える。
まるで地獄の騎士と兵団だ。
無機物の性能なんかは上司から聞いている。無機物を取り込み無限に復活し、かつ取り込んだ無機物によっては予想以上の高火力をぶっ放して来る、と。
「...そんなに造れるとは、ちーっとばかし予想外だ」
「ふへ、へへへ...。『集合感知亡者衆』...!!あなたたちが派手に切り結んでくれたおかげで無機物の材料には困りません...!ってことであたしを守りつつ!!やっちゃえ無機物ぃぃいいい!!」
これまでの剣での攻防が馬鹿らしくなるような数の暴力だった。
まさに濁流の一言に尽きる。
全身をバラされた重機の部品やタイヤゴム、倉庫備品で構築した人型の群れに対してニコンは回避を基本に立ちまわる。
無機物に紛れてヒットアンドアウェーで差し込んでくる煉獄騎士に常に意識を取られる。
一か所に留まればたちまち無機物に囲まれる。
対してこちらは剣一本。
ゾンビの群れごと薙ぎ払う横薙ぎの剣を飛び越えたニコンはくるりと空中で身を翻す。景色が逆転した逆さまの世界で手に魔力を集中させて、たった一言の詠唱が術式を紡ぐ。
「『いつか消える冒険の書』」
何の気なしに放たれた言葉がニコンと呼ばれる青年が携える魔法の名前だった。
魔力が空中で収束して渦を巻く。
一秒も待たずして現れたのは一冊の古ぼけた本。年季が入り、所々に細かい傷を残し、ページは黄ばんだ革表紙の本。
それは空中をふわりと浮かんで、惑星のようにニコンを軸にゆっくりと公転し続ける魔導書だった。
「!?」
とんと軽やかに着地したニコンを直後に待ち構えていた『先の先』が襲うも、今度は掠りもしなかった。
とん、とんと軽やかなバックステップに透明の剣は空を斬る。
無機物の群れは何かやろうとしたニコンに恐怖した玲転の『自らを守れ』という指示に全個体が引いていく。
ニコンが距離を置いたことで互いに剣の間合いの外に大きくはみ出ている。煉獄騎士は感じ取った異質な魔力の流れを警戒する余り、ニコンに行動の余地を与えてしまっていた。
次に現れたのは三本の『柄』だった。
さながら魔導書を軸に公転する衛星。同じ大きさ、形、色...先端に端子を備えたそれらが外付けの記録媒体を模していることに気付く者は少ない。
惑星に衛星を従える恒星に相対して、直接的に戦う煉獄騎士以上に玲転返が狼狽していた。
「あっ、あれ!!あの本、生きて、る?嘘、うそうそうそ!?」
「まさか」
全ての属性には特色がある。
基本属性然り、特殊な属性しかり。
生まれながらに神に愛された一部の者しか適合できないその属性を持つ者は世間一般的に、ある称号を手にする。
「唯一人為的に生命を生み操る『聖』の属性!?貴様......ッ!?」
「勇者だよ」
言って、ニコンは公転する魔導書に手を添える。
あっさり手放した剣は溶けるように霧となって霧散した。
煉獄騎士はより一層警戒を増し、付近を隊列を成すが如く無機物が並び立つ。
ニコンの魔力が本へ集中してから一拍子置いて、ガチャガチャという不協和音を切り裂くように、だ。
『...ギャハッ』
「ッ!?」
ぎょろりと革表紙が目を見開いた。
模様や絵柄ではなく、生体器官としての眼球が一つ浮かび上がる。
真っ赤な虹彩が怪しく蠢いている。さも当然のように生物然と眼球を動かしている。
平然と、無い口を開いて老人じみた枯れた声を織りなす。
『ヨォニコン、今回ハドレニスル?』
「『冒険の書』、今の保存状況は?」
『1番ト3番ガ保存中。2番ハ空室ダゼ』
「オーケー、3番で行こう」
応じて、三本あった柄が一本を残して消失した。
ニコンが残された一本を手に取って、柄に明確な変化が現れる。
『読込...記録名...ローサ・テレントロイアス』
煉獄騎士も玲転返も知らない記録。『冒険の書』とニコンが呼ぶ本が口にした名前は、トウオウの舵を切る八人の最高権力者、『国色使徒』の一人だった。
持て余した戦力同士をぶつけて対消滅させる目的で箱庭と寿ヶ原率いる傷口の蛆虫を衝突させた張本人だ。結果はともあれ、現在の彼女の行方はわかっていない。
ジッジジジジジッジジジッと。
柄が色を帯びていく。
持続的な細かい振動音に合わせて何もかもが付け足されていった。
完成したのは深紅に刀身を染めた細刃のサーベル。
所々にバラの意匠が散りばめられた見事な一振りは先端へと進むほどグラデーションが強くなり、赤の色味が増している。
『生成完了......題目ハ...「天使の顔をした悪魔の子供たち」!』
術式『いつか消える冒険の書』。
保存した他人の記憶を武器化し、操る。
生成した武器には人生に基づく能力が宿る。




