環境委員会
賑やかな煉瓦と水の街の中央広場で、出店を見て回る男がいた。それはもう恐ろしい顔つきで。例えるなら、街中そこら辺を歩いている一般人すべてが親や家族の仇を見るみたいな表情だった。
どうやら本人に自覚は無いらしい。偶然立ち寄っただけの店番に声をかけてみるも、その女性はこの世の終わりみたいな表情だった。
「もしもしそこのお嬢さん、この辺で魔女風の装いの少女を見かけなかったかい?年齢は14歳くらいで紺色のとんがり帽子とローブを着ているらしいんだが」
「しっ知りませんが...」
ブルーシートの上に様々な工具を並べたそばかすの女性が男の鋭い目つきにわなわなと震えて答える。彼は当然この店の客、というわけではない。彼の場合は、ショッピングに非ず。
きちんとお仕事中であった。
環境委員会ニミセト区委員長ノバート・ウェールズは聞き込み調査中だ。
本来はこんなことは警備委員会の仕事だが、彼らも彼らで昨晩の事件の調査に走っている......というよりノバートの場合はただの自主活動で『愛する街が危機にさらされているのに偉そうに椅子にふんぞり返っているわけにはいかない!』と部下たちの静止を振り切って単身勝手に調査に乗り出したのだった。
しかし専門的な技術と能力を持った警備委員会ならともかく環境保護と保全活動に富んだ技術しか持ちえない環境委員会のトップであるノバートだ
当然上手くいくはずもなく、調査は難航しているようだ。
「どうしたものか、こういう場面には慣れてないのだがね...」
ダンディなスーツが似合う系眼鏡のノバートの額に夏の日差しの汗がにじむころには辺りの人の数もさらに増え、夥しい人の波が出店を攫うように一気に押し寄せている。
(なにやら少し遠くからこちらを覗いてひそひそやってる主婦の姿が見えるがそんなにおかしな光景だろうか?)
少し見た目が怖いおじさんがあちこちのお店で年端もいかない少女のことを聞いて回っている。おかしな光景だったと本人が気付くのに時間はかかったが、気付いただけでも良しとしよう。
こちらを見て恐らく通報しようとしている主婦の方々に事情を説明すると毎回驚かれてしまうことに地味にショックを受ける。そのたびに彼は自身の身分を説明し、頭を下げられる。
別に彼は自分への不敬を謝罪させたいのではない、ただ愛する街の一角を恐怖に染めた忌むべき少女を探しているだけだ。
頭を下げる主婦の方々にも話を聞くが、有力な情報はやはり無し、主婦の情報ネットワークと言えば、下手したら一瞬にして街全体へ繋がるかもしれない広大なものだが一目見れば脳に焼き付くような格好をしているらしいというのにそんな超広大ネットワークにも引っかからない少女とは一体。
フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリー
(そう簡単に見つからないか)
偶然の産物か、運命のいたずらなのか。
質問を繰り返す中、ノバートの四角い眼鏡のレンズにちらりと一人の青年の姿が映る。何処か見覚えのある格好の青年は額に汗を浮かべて、照り付ける日差しから視線を覆い隠すような恰好で歩いていた
「あっつぅ...忘れていたけど今夏だった...」
ピカピカ新品の服に灰色に染まった毛髪、舌を出してアイスキャンディをペロペロと舐める青年だ。通りすがる人に何かを訪ねてはペコペコと頭を下げている。買い物で何やら看板商品を安く手に入れられたことでほくほく顔の青年は早く使ってみたいが、出来れば使う機会が来なければいいのにと祈りつつドック時に調査を進めていたのだ。
「確かあれは、重要参考人の」
問題を起こして勝手に、ただし一時的に解決した張本人。アルラ・ラーファである。彼もまた聞き込み調査として独自に『語り部』の魔女を追っていた。
成果は言うまでもあるまい、惨敗。そもそも『強欲の魔王軍』の幹部クラスがそうそう人前に出るのはおかしな話だがアルラは少女が昨日のように甘いものを求めて広場を彷徨っていないかと探しに来ていた。
元々足取りなんて掴めていないのだから半分諦めつつの調査。外に出たついでに湖側にあるファンタの商店から同じ服を新調してきたついで、というノリだ。
「やっぱりいないか、あんな目立つ格好の癖にここまで目撃情報がないもんな」
あらかたの甘味を扱う店で聞き込みを済ませたアルラが、やっぱりなといった口調で呟く。昨日の昼頃は見かけた。という情報はちらほらある。だがそれはアルラが、広く言えばこの事件に携わり、調査する人間が欲している情報ではない。求められるのは新鮮な情報、昨日ではなく今日のものだ。
第一、昨日の目撃者の中にはアルラ・ラーファ本人もいるわけであるし。
首に手を当てて骨を鳴らす青年に、四角い眼鏡とスーツが良く似合うダンディ壮年のノバートが声をかける。
「君は確かアルラ・ラーファ」
不審そうな目付きでノバートを観察するアルラが、彼の視線や動向から何かを伺うように聞き返した。というかこんな強面のおっさんから急に声をかけられても動じないのは肝が据わっているというかなんというかである。
「そういうあんたは?」
「質問には質問で答えるのはNGだよ。だが答えよう。私はニミセト区環境委員長ノバート・ウェールズという者だ。現在街の驚異の排除のため、街人に聞き取り調査を行っていてね」
「あんたがこの街一番の変態と言われる環境委員会の委員長?意外とまともそうな人だなあ...」
「待て、なんだねその街一番の変態と不名誉極まりない称号は。私は街を愛していることを隠すことはしないがそれほどまでに不名誉な通り名を自ら広めた覚えはないぞ。誰だ誰が広めやがったこんちきしょう!」
「ジル」
「あの会うたびに変態扱いする若造かァァァァァァァァァァァァァァァッッ!変な称号を広めやがって...!」
「それで環境委員長殿が俺に何の用で」
手を口に当てこほんと咳を払うノバートに、アイスキャンディの先端を向けて問いかける。本来街のトップの一人である委員長にこんな態度で話すのは不敬極まりない行為なのだが
そういうことを気にするアルラではない。というか普段は気にしたかもしれないが、そこんところは猛暑と昨日の例のアレで吹き飛んでいたようだ
20年以上も前であればペコペコと必死に首を垂らしてこびへつらっていたかもしれないが今となってはアルラも別の人生を歩んでいる。
まさしく別人の人生を。
そんなことを知る由もないノバートニミセト区環境委員長は気を取り直して、
「ああそうだった。実は私も独自に今回の事件の調査を進めていてね、重要参考人として君の名前と姿がリストアップされていたから声をかけてみたんだよ」
「重要参考人って、俺犯人扱いとかされてないよな」
「違う違う、個人的に話がしたいんだよ。場所を変えようか」
移動した先は中央広場近くの喫茶店。ダンディ壮年のノバートに良く似合う雰囲気の店だ。店内に二人以外の客はおらず、白髪交じりのマスターが黒い液体が入ったカップをノバートへ運ぶ。
静かなBGMと共に老年のマスターがコーヒー豆を挽く音だけが聞こえる中、運ばれてきた最高級のブルーマウンテンのカップを口へと傾けるノバートへ。どうやら場違い感が否めらいらしくやたらとそわそわした様子のアルラ(純情)が急かすように言った。
「それで、個人的な話って?」
「そんな急かさないでくれよ。部下がこの店のコーヒーを絶賛しててね。確かにこれは絶品だ。君もどうだい?」
一口、その黒い液体が口内へ流れる。
予想していたよりはるかに美味かったのだろう。愉悦の表情を浮かべる傷付きの表情はかなりおっかない。アルラもどうやら想像していたような尋問などではなく、ただ単に話がしたいということが分かったからか。相手の心の内がわかれば、自然と緊張もほぐれる。
「君もどうだね?噂通り絶品だ」
「いい」
肘をついてテーブル席正面に座るアルラへと、口に運んだカップの香りを楽しむ壮年男性の声が、相手の様子を伺うように最初の質問があった。
「『傲慢の魔王軍』の中枢的存在の一人、『語り部』フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーとそれに辿り着くための経緯について」
街の環境保全なんかより、熟練のスパイと言われた方がまだ納得できる容姿のノバートが笑って答える。
「より具体的なことを知りたい」
「そんなの、俺だって知りたいさ」
「まずは君の調査内容、先程の様子を見れば聞き込みだけかい?」
「俺はあくまでもおまけだ。ジルがメイン、フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーが未だ所持しているかもしれないシステムへの外部アクセスのツールの足跡を洗っている。俺はやること無いから買い物ついでに聞き込み調査で少しでも何か掴みたいと思っただけだよ」
「なるほど、外部ツール」
「ああ、フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーはそれで俺の個人情報を入国時のデータから抜き取ったらしい」
「だったら、可能性は低いかな」
どういうことだ?と首を傾けるアルラにノバートは目を閉じて言葉を紡ぐ。既に半分程度の中身が消失しているカップをこつんとテーブルに置き直す。
「初歩的な段階から見直してみよう。『語り部』は外部ツールを使用して我々ニミセト区の入国時データにアクセスした」
「そうだな」
「だがそれを今も持っているとは限らないだろう?わざわざ足取りを追わせる必要でもない限り、何処かに捨てるか破壊するかしてしまうだろう。もしくはその外部ツールとやらがそもそも足跡を全く残さない可能性もある」
「もちろんそれは俺達も考えたさ」
「というと?」
「アイツは俺を『強欲の魔王軍』に取り込もうとしていた。気が変わって仲間にしようとはしなくても、勝手にアイツがいろいろ喋ったおかげで情報を持ってしまった。つまり直接仲間にするか、殺して操ろうとするか。オレが生きていると知れば、あっちから何かしらの接触をしてくる可能性が高い。そのための誘導としてツールを残しておく可能性もある」
誘導されているとしてもいかないわけにはいくまい。相手はこちらの情報を得る手段があっても、それがこちらにはないのだ。どんなに怪しい手にもしがみつかなくてはたどり着けない。
炎の中に飛び込むような行為だというのはわかっている。だが彼は実際に何度も炎に飛び込んで生還している
「事件を目撃していた人からの証言によれば、君も咎人らしいが」
「ああ。筋力を増大させる異能を持っている」
「その異能で『語り部』の作り出した鎧兵と殴り合っていたんだね?」
「副次能力で傷を治すこともできるんだ」
「君は自分が『強欲の魔王軍』に全く関与していないと言い切れるかい?」
アルラの言葉は嘘ではない。実際にアルラは筋力を著しく強化して固い岩盤をも破壊する力で戦っている(同時に肉体強度も強化しているが)。ただ詳細を隠したのはあまり多方向に情報を振りまくと『語り部』の少女の耳に入る可能性もあるためだ。
「どうなんだね?」
無言で見つめるアルラへの言葉が、次第に強くなる。ノバートが懸念しているのは目の前にいる青年が真実を隠し、本当は最初から『強欲の魔王』の仲間である可能性。街に異変が発生したタイミングとアルラの入国のタイミングが重なっている以上。アルラが疑われることは避けられない。
彼もそれを理解しているので、ノバートに何かを言うこともなく、ただ自分は無実であると主張することしかできない。
「俺は俺の潔白を証明する手段はないし、これからするつもりもないよ。ただ俺が正しいと思ったことをしただけだ。あんときあの場であの事件を見過ごせというなら、俺は俺を永遠に許さなかったさ」
毅然とした態度のノバートはそれを聞き、息を吐いて椅子の背もたれに体重を預ける。
「いやはや、試すようなことをして悪かったね。君が少女のことを身を挺して助けてくれたことは知っていたが、私は自分で見て人を判断する」
「別に、それが正しいことだと信じただけだ。そういえば俺もあんたに言うことあったんだ」
「私にかい?」
「『強欲の魔王軍』が欲しがっているのがこの街特有の物質マ素変換技術である可能性がある。それを知るあんたに警告しておこうと思って」
「私の心はこの街と共にある。何が起ころうと、この街と技術を売るくらいであれば私は自ら命を断つまでだよ」
至って真面目な顔で恐ろしいことを口走るノバートに軽く引くが、引きつった顔を何とか正してアルラに。
「私一人の命で街の幾十万もの命が助かるなら、私は迷わない」
ごくりという音が鳴った。
アルラの喉が鳴らした低い低い音だ。力強い言葉につられて出た、という感じだった。まだノバート・ウェールズという人物を全て知ったわけではない。むしろまだほんの一部しか知りえないだろう。
しかしその一部が、ノバート・ウェールズという人物の核心に触れている。瞳の奥に見える信念と覚悟が形を持って、鏡像のように映るアルラを照らしていた。
「あんたは『良い』人だな」
思わず口から漏れた本心。
まごうことなき正義
「私も君なら信用できる」
そう言ったノバートは立ち上がると、店の入り口へと歩き出す。二人が語りあったのは極わずかな時間ではあったが、互いの人間性を確かめ合うには十分。
「美味しかったよ。また来ます」
応答もなく、些細なやり取りすらなく。何も言わずマスターが頭を下げる。扉が開き鈴の音が静かな店内に響き渡る。再び店内に訪れたのは静かなBGMとマスターの豆を挽く音。店内にアルラ以外の客はおらず、一人貸し切り状態と化す。
アルラも何か注文しようかとテーブルの上のメニュー表を開くが、そこで何かを忘れていたことを思い出す。そして気が付いたアルラはテーブルを揺らして声を張り上げるのだった。
「あの野郎勘定押し付けやがった!!」
『計画の進行に支障は無いのですか?』
「特に問題はないでしょう。はい。あの灰被りの"咎人"は生きているようですが、特別個体を送り込んで様子を見ましょう。彼にぴったりの個体がいるんですよ」
『ではご命令通りに』
「はい。よろしくお願いしますね」
ブツリと、少女の手に持ったトランシーバーのような通信機器が電源を落とす。昼とは思えない暗がりの中で怪しく、邪悪な笑みを浮かべて何かに座る少女の足元にはぐちゃぐちゃになった肉の塊が複数個。
生き物の形を保っていないそれは、ミンチになったモノも、押し潰されたように潰れたモノも、少女が鼻歌交じりにじょうろを傾ければ、石煉瓦の地面から生えるように現れた植物が肉を包み込むように纏わりついてやがて形を人型に整える。
少女はそんな変化を気にも留めず、トランシーバーを捨てるように放り投げると手首に巻かれた紋様入りの腕輪を口元へ近づけた。
『ご利用ありがとうございます。戦力派遣ノーテイムファミリーです』
「あーもしもし、アタシです。先日お願いした三人はどうなってますかね」
『これはこれはフランシスカ様。ご希望通り、間もなく到着します』
「そうですか。ではいつも通り指定の口座に入金しておきますね」
『今後もごひいきにお願いします』
通信を終えた少女がビニールの袋に入っていたスポンジ菓子を咥え、足をぱたぱたと動かして、ご機嫌な鼻歌を奏でる。
「ふんふんふ~ん」
既に肉の塊だったものは、どす黒い甲冑へと変貌を遂げている。腰に差すのはなんとファンタジー世界には似つかわしくない超音波放出を利用した現代科学の先を行くどこぞの国製高周波ブレードだった。がくんと首を揺らす甲冑の面の向こうに二つの赤い光が灯る。
さらに離れた水の上で、大きめのボートを漕ぐ影があった。人影は三つ。
「オークおばちゃん、俺ちゃんの担当は?」
「国の中枢機関への通信設備の破壊。何度も説明したろう」
「まったく!お兄ちゃんは物忘れがひどい!」
ボートを漕ぐのは背が高い金髪の男性。
水面をぴちゃぴちゃと叩きながらボートが進む方向を眺めるミニスカート少女が呆れたように声を上げる。ぱっと見四十代後半くらいだろうか。
太った女性が安物の婦人服のポケットから小型の画面付き通信機器を取り出して両手で操作する。どうやら操作に慣れていないらしく、片手で機械を持ってもう片方の手の人差し指で画面を触っている。
「最近の科学は凄いねえ。何処にいても連絡を取り合えるなんて。通信魔法の出る背がないよ」
「適材適所。確かにそれは便利だけど通信魔法は傍受されにくい。その点電波?をいじるだけで簡単に第三者が連絡の内容を把握できるそれは手軽だけど私達みたいな組織には向いてないよ」
「っていうか、俺ちゃんもうそろそろ疲れたよ、ニンフ変わってくれ」
「か弱い乙女にそんな力仕事できるわけないでしょ!」
新しい闇が
来る。




