起爆剤の守護者
戦っている人物はたった二人だった。
それ以外は消えていた、二人の怪物と、街に刻まれた夥しい戦闘の痕跡以外は既に残り香すらも風に吹かれて観測できない。
数分前だった。
大和を追った斥候隊からの報告を受け『異界の勇者』は方針を切り替えた。彼以外の全ての異界の勇者は既に倒れた者含め消えていた。というより、目の前で消えた。
「ハァ...ハァ...ッ!ぐっ...ッ」
「うっ...!!」
先に膝を付いたのは音賀佐翔だった。
しかし大きく息を荒げているのは、街の延長のように全身を切り傷に覆われたアルラの方だった。
既に『異界の勇者』は大半が撤退を終えている。
動けない者、意識の無い者は動ける誰かが一緒に連れて行ってしまった。一人だけでも確保してれば人質に使えたな、と思い付いたのは奴らが消えてから随分と後のことだ。
予め登録した場所へ移動する脱出魔装のようなものを使っていた。使い捨てで、あちこちに散らばっている空っぽの小瓶が魔装だ。
音賀佐翔が一人で残っていたのは、アルラ・ラーファをこの場へ喰いとめる殿を引き受けたためだ。
アルラ・ラーファという本来予定になかったイレギュラーな敵を最小限の被害で押さえつけられるのは自分しかいない、と。
「ここまでだね」
「あァ!?」
左耳に片手を当てて、恐らくは何らかの通信魔術を介して報告を受けたのだろう。ふらつきながらも立ち上がった音賀佐はそう言って宝剣を鞘に納める。
前髪を掻き上げて、爽やかに笑っていた。
「そちらの思惑通り、大和は無事逃げ切って君は役割を全うした。圧倒的な人数差があったのにまるで歯が立たなかった、僕たちの完敗だ」
「ハァ......普通負けた奴ってのはもっと悔しそうな面するもんだ。なのに部活終わりみたいな爽やか面しやがって」
「はは、こういうこと言うと不謹慎かもしれないけれど、楽しかったからね」
楽しいもんかよ、と内心で溢したアルラの傷が次々と塞がっていく。
体から寿命が溶け落ちていくのを感じる。蝋燭を火が徐々に溶かしていくみたいに、神花之心が傷付いた体を治すと同時に寿命が溶け流れていく。
大体、三分の二程度か。
たかだか十数分で、だ。これまでトウオウに来てから必死に搔き集めた寿命の三分の二が消し飛んでしまった。消し飛ばさなければやられていた。
『異界の勇者』とはそういう連中だった。大和からの情報と、こちらの初見殺しの動きがあって初めて成り立つ成果。つまりは博打に勝っただけだ。
そういう意識の成果、どうにも『勝利』という感覚が沸いてこない。
(着信...出ねえし。あっちで何かあったのか?)
ウィアの画面が大きくバツ印を示している。『大和と繋げ』とう戦闘中の指示に対する回答だろう、着信に対して赤ボタンで拒否したのではなく、そもそも着信をほったらかしにしているらしい。出る余裕のない状況と考えた方がいいだろう。
さてどうしたものかと考えていると、だ。
「......少し、話すかい?」
「俺とお前が?冗談だろ、敵だぜ俺たち。話題がねェよ」
「あるさ、大和のことだよ」
ん?と思ったがそうか、音賀佐はアルラ・ラーファと椎滝大和の関係性を詳しくは知らないのか。
アルラ・ラーファが箱庭の関係者だと思い込んでいるのだとすれば好都合だ。正しい素性は隠しておけるし、何かしら有益な情報が得られるかもしれない。
「今回の件で彼はヘブンライトの要抹消リストに加えられるだろう、なにせ内情に関わる『異界の勇者』でありながら裏切者だからね。今までは限りなく黒に近いグレーだったのが君を介した敵対行動で完全な黒になってしまった」
「何を言うかと思えば脅しかよ、俺じゃなくて本人に言ってやったらどうなんだ?」
「いいや、君への忠告だよ。椎滝大和に関わるな。アレは完全な善意で人の傍に立って支えることが出来る英雄でありながら自らに関わる者全てに不幸を振り撒く悪霊の側面も持つ。言わば、同じ軸に存在する対極だ」
意味深に囁かれた全てを鵜呑みにしてはいけない。
大前提として音賀佐翔は『敵』だった。そして雇い主の椎滝大和は『味方』で、そこに余計な価値観を差し込まれると疑心暗鬼に陥りかねない。現時点では、そういう複雑なものは必要ない。
何が狙いなのかと発言の一つ一つに注意を払うアルラとは対照的に、音賀佐は教室での雑談のように気楽だった。ついさっきまで拳と剣を打ち付け合っていた相手に、だ。
「覚えがないかな?例えば、いつの間にか舞台に引き上げられていた、なんて経験は?巻き込まれ体質、巻き込み体質、色々種類があるけど大和のそれは一番タチが悪い。なにせ、本人に自覚がない」
薄ら笑いが鼻につく。取ってつけた仮面のような表情には嫌悪感すら覚えてしまう。
奴の言葉からふと想起してしまったのは、飛行船タイタンホエール号の一件だった。
「良くも悪くも、自分も他人も多くを巻き込んで物語を広げてしまう人間は善人かな?それとも悪人かな?」
「わざわざ時間を作ってしたかった話ってのは人の尺度一つでころころ正解が変わるどーでもいい二元論の話か?さっきから何が言いてェんだテメェは」
「起爆剤ってことさ。あらゆる物語は大和に触れた途端に爆ぜて拡散してしまうんだ。椎滝大和という人間がそういうサガを持って生まれて、そういうふうにしか生きれない」
話しながら音賀佐は灰色の小瓶を取り出していた。側面に刻み込まれた魔法的な紋様...魔装の類だろう。
コルクの封を親指で弾いて取り外し、中身がごぽごぽと音をたてて空気中へ広がっていく。
雨雲のような灰色の煙が音賀佐翔を取り囲む。
「元仲間のくせに恨みでもあるかのような言いようだな」
「まさか。袂を分けたとしても、僕は今でも大和を大切な仲間だと思っているよ」
「仲間なのにに剣を向けるのか、軍隊を差し向けて街ごと追い込んでも『仲間』だから赦されるのか。離反した『仲間』を追う為なら無関係な街も、国も、人だって巻き込んで傷付けても赦されるっていうのかよ。ふざけるなよ」
「仕事に友情は持ち出せないよ」
「持ち出したよ、あの時のあいつは最後まで助けようとしていた。袂を分けた仲間に恨まれていても、それでも助けようとした」
きっと向こうは何の話をしているかわかっていないだろう。
当然だ。タイタンホエール号での出来事が伝わっていたなら、アルラ・ラーファを知っていたはずだ。一番最後に現れた端役とはいえ、確かにあの一軒に関わったピースの一つなのだから。
けれどそうじゃなかった、『異界の勇者』はアルラ・ラーファを知らなかった。つまり飛行船タイタンホエール号で起こった一連のテロ未遂を奴らは知らない。椎滝大和が最後に誰を助けようとしたか、奴らは知らない。
やる気のある無能、努力が空回る人種は確かに存在する。
けれど、顔見知り程度の関係性でも、それでも椎滝大和はそうじゃないと思える。
でなけりゃあんなに怒れない。元々は仲間だった連中に命を狙われたって時に、椎滝大和は自分が狙われたことより無関係な周りを巻き込んだことに何よりも怒っていた。
壊されていく街を憂いだ。理不尽と不条理に怒った。
広がった煙が渦を巻いて中心に立つ音賀佐翔を足元から隠し始めていた。
やがて薄っすらと顔をも隠す。薄ら笑いが煙の向こうに消えて見えなくなっていく。
「失せろ敗者。口先だけの臆病者が」
握った拳の親指だけを下に向けて見せつけて吐き捨てた。
既に煙は音賀佐の全身を覆ってぼんやりとしたシルエットのみを残している。
声は、以前煙の奥から―――...。
「...はは。まったく『箱庭』だろうと知らないハズは無いのに、それでも彼を必要とするんだね」
夜明けの影のようなぼんやりとしたシルエットすらも薄れていく。
人の形が崩れて境界線があいまいに溶ける。
声色から『笑み』は消えていた。
「理解し難いね」
そう言い残して音賀佐翔は煙に消えた。
晴れた時にはもう誰も立っては居なかった。アルラと、街の傷と、そして遠くからかすかに聞こえるサイレンだけだった。
どさっ!と腰を下ろしてから空を仰ぎ見て吐き捨てた。
「......しんど」
折り返しの着信が鳴った。
向こうもカタが付いたらしい。通話越しの大和は酷く慌てていて何を伝えたいのかがさっぱりだったが、万事解決とはならなかったという事だけは伝わってきた。




