包囲網脱出共同作戦
「どういうことだよ姉貴。なんであんな奴を庇ってんだよ!!」
「最初にみんなで決めたはずだよ。椎滝大和の処遇の決定権は彼を捕まえた人のもの。わたしが彼を捕まえられればみんなは私の意志に口出しできない」
「逆もまた叱り、でござる」
「......なるほど、つまり君は大和を可能な限り害せず捉えたい穏健派というわけか。数で敵わない分僕たちの妨害で大和を逃がす時間を稼いで、なおかつ彼に『自分は味方』という意識を植え付けとりいるつもりだね」
「わたしは暴力が嫌いなだけ。友達同士で殺し合うなんて絶対に間違ってる。なにより、やっぱりわたしは彼が国宝を持ち逃げするような人とは思えない!一方的に責め立てるんじゃなくて話し合うべきだよ!」
「...姉貴はただ、昔あいつに助けられた思い出を引きずってるだけだろ」
そうかもしれない。弟の言うように、人のいい部分だけを見ようとするのは正しくないというのを、詩季春夏はこの異世界での経験から随分と学んで理解していた。
それはネットニュースの見出しから読みもせずに記事の内容を推察してしまうように愚かで、短絡的で、いつか自分が不幸になる行いだと知っている。
けれど十年だ。
十年も一緒に戦った友達なら、見てきたものが彼の表層だけとは限らないと信じてもいた。
海上に浮き上がった氷塊の一部分だけでなく、海中に沈んだ彼の本質も見つけられていたはずだと。
既に椎滝大和は大通りへ逃がした。
あの場で捕まえることも出来たのに、だ。けれどしなかったのは、それだと今度は椎滝大和の中で、自分への不信感が残り続けると思ったからだった。
「...こんなみてくれでも大人なんだ。いつまでも恋する乙女ではいられねーんだぞ」
「初めから恋は捨ててるよ。ずっと昔から、彼の傍にはあの子がいるから」
詩季秋冬は目線で他の異界の勇者へ合図を送り、周りもそれに従う。
ザッ!!と飛び去って行くクラスメイトを追いかけたかった春夏の前に、今度は弟が立ち塞がった。
立場が逆転する。詩季秋冬は陣営に生じた別派閥を抑えつける役割を買って出た。
ルールに則る。詩季春夏が大和を捕獲したなら誰も彼女に口を挟めないのと同様に、抹殺派が椎滝大和を捕獲すれば、大和のその後に彼女は一言たりとも口を挟めない。
ごめんね椎滝くん、と。
心の中で弟一人しか引き留められなかったことを大和に詫びて、少女はならばせめて弟だけは生かせまいと自らの異能を構えた。
姉弟の異能が衝突し始めたその時に、逃がされた椎滝大和は人の欠けた街で息を切らしていた。
「ハァ...駅まで、ぐっ...あと...どれくらいだ...?」
度々意識は飛びかけるのに腕の痛みで目を覚ます。それを繰り返してる。
目立ちやすい大通りは避けて細かい細道や繋がっている建物の中を移動し続けてはいるが、向こうには山尾雲母がいる。
遅かれ早かれ辿り着く。映画館の時のように無生物に呼び掛ければ、必ず追いつかれる。
「そうなる、前に...!!」
大和に残った手札でこの場を切り抜けるには、もう彼女しかいない。
寿ヶ原と合流して追手を迎撃しつつ切り抜ける。それしかない。
一人じゃ足りない火力も寿ヶ原なら補える。彼女の『空圧変換』なら追手を威嚇しつつこちらから攻撃できるし、機動力も補える。
何より早く合流しないと枷の...緊急活動モードの制限時間で寿ヶ原が死んでしまう。
「もう...猶予がどのくらいかもわからない...。早く...合流を、寿ヶ原と...ッ!!」
仮に既に時間切れだとしたら?危機的な状況と合わせてそんな嫌な妄想が膨れ上がる。
いくら元々が敵だったとしても、それ以前に彼女はクラスメイトだ。何より雫を強く想ってくれている数少ない存在を失いたくない。
さっき送った『箱庭』への連絡の返答は未だない。
路地を抜けてストリートへ出る。基本的にい四角形が多い都心らしい街並みなのに、人がいないというだけでこんなにも不気味に映るのか。崩れた外観も相まって廃墟感がにじみ出ていて、なんだかメタリックな幽霊でも出てきそうな異質さを感じる。
あちこちで車や警備ロボットが横転している。姿を隠すのにはちょうどいいが、それでも無人の通りで一人だけというのは目立つ。
スマートウォッチ型デバイスの地図アプリによると駅はストリートを挟んだ向こう側で、ここを突っ切る必要がある。
足を前に出そうとして、途中で意識がブツ切れかけた。
よろけた拍子につまづいて、体は前のめりに倒れていく。
頭が地面につく、直前で。
「むぐッ!!?」
「騒ぐな。でなきゃ殺す」
突如として掴みかかってきた何かは大和をすぐ隣のブティックに引きずり込むと、怒りを含んだ声でそう尋ねた。
聞き慣れない声だった。
姿が良く見えない。
店内には灯りがなく、ショーウィンドウにもカーテンが降りて外の光が入りづらいからだ。
恐らくは無機物によるパニックのせいだろう、ディスプレイのハンガーラックや棚が倒れるなど、店の中はそこそこ荒れていた。
「なっ...誰、何を―――」
「質問は俺がする。余計なことは喋らなくていい、お前はただ訊かれたことに答えるだけだ。わかったら首を縦に振れ」
ひとまず頷くしかなかった。
暗がりの中、『良し』と声の主は呟いた。
確かなことが一つあるとすれば、『異界の勇者』の誰かではない。
もしそうならこんな回りくどいことはしないはずだ。うつ伏せに倒した相手の背中を膝で押さえつけて尋問しようだなんて回りくどい真似は、少なくともこっちを殺そうとしている奴が取る行動じゃない。
両腕までも腹の下に来るようにしっかりと押さえつけられていて身動きが取れない。
ほのかに血が香っている。
大和の腕から...だけではない。
背中に隠れた彼からも同じ匂いがする。鉄錆の混じった、赤色が香る。
「ついさっき、そこんところの映画館が崩落するのを見た。バターみたいにすっぱりと斬られてな。お前は映画館のある方角から現れた、だから聞く。お前がこの騒動の元凶か?」
...この場合は、どっちだ。首を縦に振るべきか横に振るべきか...元凶かと訊かれたら、それはYES。大量の無機物は『異界の勇者』が椎滝大和を探す目的で呼び出したもので、その意味で元凶は椎滝大和だった。
だがそれが大和の意志かと言われれば絶対にNOだ。騒動を起こした犯人という意味であれば、大和を元凶と定める行為は一方的な理不尽でしかない。
そもそも彼が指してる『騒動』ってのはどこからどこまでだ?無機物までか、その後の異界の勇者までか?
正直に言うべきか?それともただ首を振るだけか?
縦か、横か。
ただでさえ落っこちた思考能力ががんじがらめで絡みついて空回る。
「早く答えろ。それとも答えられねェ理由でもあるのか!?」
「違っ...!俺は―――」
弁明しようと思わず身をくねらせた大和の首だけが動いて、男と瞬間的に目が合った。
暗闇に目が慣れたおかげでもあった。
意図せず男の顔の造形が形として捉えられたのだ。アニメーションの1コマの演出を印象的に記憶するように、くっきりと。
そして、だ。
要因が何にせよ、人の記憶は本人の意志とは無関係に掘り起こされる。
二人とも、だった。
「......ん?良く見るとお前...どっかで見た顔だな。なんだっけ......」
「あんたは...!?」
隙間に差し込む僅かな光に照らされた顔を見て、埋もれていた記憶が掘り起こされる。
その男はかつて飛行船で窮地に陥った大和を助けてくれた、見ず知らずのどこかの他人だった。急に現れて、果敢に戦い、いつの間にか去っていった誰かだった。
何よりも印象に残っているのは彼の『異能』。力を強くする異能と、それを使った戦い方は今でも鮮明に思い出せるくらいよく覚えている。
灰を被ったような頭髪の男はアルラ・ラーファ。うんうんと頭をひねって記憶を探る彼は大和に顔を近付けてまじまじと表情を見て、ようやく向こうも気付いたようだった。
あっ!!と。
「思い出した、飛行船の時のヤツか!懐かしー!」
「.........俺ってそんなに印象薄いかなあ?これでも人には覚えられやすい顔だと思ってたんだけど」
アルラは自分を追っていたはずの無機物が標的を変えたから、大和へ辿り着いた。
散々蹴散らして上がった無機物からの排除優先度。アルラのそれを更に上回る奴がいた。ならばそれは無機物の術者が探している真の標的の可能性が高い。そう考えて、少し前のアルラは自分から離れていった無機物向かう先を探した。
そして、辿り着いた。
「つったって一、二ヵ月前の話だろ?そんなの一々覚えるかよ」
彼からすれば大和は随分と印象が薄いらしい。
黒髪黒目があまり多くない異世界では特に人に覚えられやすい顔だと思っていたが、彼には日本人の知り合いでもいるのだろうか。
知った顔と出会えてどこか気が抜け始めた大和に対して、『で、』と区切って話し始めたアルラ・ラーファは対照的に、思い出話に花を咲かせるつもりは無いらしかった。
拘束は解かない。
むしろ『神花之心』を知られている分、それを誇示することで脅しに箔を付ける。
人の頭蓋骨くらい果物みたいに握りつぶせるんだぞ、と。言葉にはしなかったが、腕に纏った極彩色でそれを示した。
「騒動の中心はお前だな?弁明するなら俺が納得できるだけの根拠を添えろよ。一回共闘した程度ならまだ『他人』だぞ?」
「元凶かと言われると...多分、その通りだ。けど俺は犯人じゃない!あれは俺の意志じゃない!!」
ぴくりとアルラの表情が動く。
『元凶』と口に出しただけで即攻撃されるというわけでは無いらしいのには安心だ。会話の余地はある、話が通じるということだ。
あとは向こうが納得できるだけの根拠を手元から順々に並べてやれば―――。
「俺を観察してたんだろ!?ならば無機物と一緒に出てきた奴らも見たはずだ!目的は俺を捕まえることで、無機物はあいつらが動かす人海戦術用の駒だよ!」
「ふーん...で、そいつらは何者だよ。お前との関係は?」
「奴らは『異界の勇者』...あんたも話くらいは聞いたことがあるはずだ。とある異世界から呼び出されたヘブンライト王国の兵隊だよ」
「異界の、ってあれが?あんな十代そこいらの...」
「体の成長はこっちへ呼び出された時点で止まってる。でもそんなことはどうでもよくて、奴らは一人一人がとんでもない能力を備えた化け物だってことが問題なんだ!!」
お世辞でも掛け値も無しに『異界の勇者』は化け物ぞろいだ。
それも殆ど全員が異なるタイプの化け物...魔法、異能、呪術、錬金術、封印術、物理、魔装、格闘術、彼等全員を相手取るというのはなんの得意も特異もないプレイヤーに『二十数名の各種ジャンルのゲームで対戦し打ち勝て、しかも同時進行で』と意味の分からん無茶ぶりを押し付けられてるに等しい。
はっきり言って無理難題が過ぎる。
個の力と数の暴力は掛け合わせちゃいけないというのが良くわかる、相手をする側からすればたまったもんじゃない。
「あんたも逃げた方がいい」
言い切って。
「俺の近くに居たら、俺に少しでも関わったと知られれば、奴らはあんたにも牙を剥く。そんくらいなりふり構わなくなってるんだ。いくら化け物でも同じ化け物が『数』で攻めてきたらどうしようもない」
大和はアルラの実力を、タイタンホエール号の一件で目撃している。
けどそれ以上に『異界の勇者』のみんなを熟知していた。十年もの間みんなを見続けて、隣で戦ってきた大和の見立ててでは、寿ヶ原に対してでもほとんど一方的だったアルラですら『異界の勇者』の軍勢は相手取れない。
元は身内だ、多少のバイアスは掛かっているかもしれないが、それは正しい評価だと大和は自信を持って言える。
アルラは大和の話を静かに最後まで聞いていた。
とん、と指で大和の後頭部をつついて。
「二つ目の質問の返事をまだ聞いてないぞ。俺の記憶が正しけりゃあ、確かお前も」
別に絶対に話したくなかったというわけではなくとも、知らず知らずのうちに自ら能動的に個々の部分を話すことを避けていた。
本能的に、自分が過去にそうだったことを拒絶してるのか?
ともかくここまで話してしまったら、最後まで説明する義務はある。
「......俺もそうさ。『異界の勇者』...元、だけど。耐えられなくなって一人で逃げ出した、ある日全部嫌になって何もかも放ったクソ野郎が俺だよ。...前に合ったときに言ったっけ...?」
「ボソッとな、それっぽい独り言を俺が勝手に聞いてただけだよ」
敵対してた『ナントカガハラ』とも知った仲っぽかったしなとは言わず、そこでようやくアルラは大和の背中を抑えつけていた膝を退けて拘束を解く。
ひとまず信頼は得られたらしいとずっと押さえつけられていた背中をさすりながら、大和は床に座り込んだ。
「...どうするつもりなんだ?お前。
「駅前に仲間が居るはずなんだ。合流できれば、まあ、今よりはマシな展開にできると思う」
「自信があるのか無ェのかどっちなんだ。仲間ってのはどんな奴なんだ?
まさか二人が共闘して倒した寿ヶ原だなんて向こうも思ってはいないだろう。
笑って誤魔化した大和は、ふとカーテンの隙間から差し込む日光が揺らいだのを感じて、何気なく隙間へ目を近付けて外を見た。
動いている。
僅かにだが、車や壊れた機械の残骸が...細い糸に繋がれて引きずられているみたいに、一方向へ、だ。
もしくは。台風で風に押される外看板のように。
バサバサという音をアルラの耳が微かに捉えた。
「これは...羽音?やけにデカいぞ」
「...まずいっ」
羽音が大きいという事はその発生源までもがということを意味する。モーターの騒音がそれ自体の大きさと比例するように、或いは大きい楽器ほどより大きい音量を響かせるように。
空から地へ見下ろして影が差す。シルエットは鳥...いや、巨鳥。
鷹のような猛禽類然とした、しかし全身を漆で塗り固めたかのような漆黒。
「三角の合成魔獣だ!空から攻めてくるっ!!」
大和が叫んだその時に、音賀佐翔は小型ジェットサイズの巨鳥の上で仲間と共に大地を俯瞰して見下ろして言った。
「雲母がおおよその位置は割り出した。けれど今は...近づくのはやめておこう」
大和の『万有引力』は近距離で効果を発揮する。裏を返せば近距離でしか脅威足りえないということでもある。
触れられさえしなければいい。
明確かつ簡単で、もっとも現実的な『万有引力』の弱点を容赦なく突き刺すことにした『異界の勇者』たちは、眼下のストリートへ照準を定めた。
「アドバンテージを活かそう。遠距離火力のゴリ押しで削り尽くす」
巨鳥の翼の羽ばたきの幅が広がり、するりと抜け落ちる。
それは一本一本が人間の腕よりも大きな漆黒の羽だ。プラスチックと金属の中間のような質感で、刃物のように鋭く光沢を放っている。
一言添えるだけでいい。
音賀佐翔は一言で必勝級の火力を叩き落とせるのだから。
「『撃て』→"羽"」
轟ッッ!!という黒の豪雨が降り注ぎ、周辺一帯が上から削られる。
特大の掘削音に思わず両手で耳を塞ぐ大和の腕をアルラが引いて、二人は建物の奥へと身を隠す。直後に貫通してきた数枚の羽が二人が元々いた辺りの天井を突き破り、床を深く抉り取る。
さながら機銃掃射。
一発でも命中すればひとたまりもないどころか、あの弾のサイズと速度では痛みを感じる間もなく即死だ。
まだ完全に位置は把握されていないのか弾がばらけていて何とか凌げてはいるが、この調子で盾になってる建物が削られ続ければどこかで必ず命中してしまう。
「逃げるぞ!ついてこい!!」
「逃げるってどこへ!?ストリート全体が狙われている!!」
『神花之心』、聴力強化。
聞き分けられれば穴はある。羽が建物を削ってくる音を聞き分けて、どの範囲が現在進行形で撃ち抜かれているかを探し出す。
鳥は同じ場所に留まり続けているわけじゃない、ストリート上空を旋回するように動き続けている。ならば死角も動くはずだ。
巨鳥の腹の下は、背に乗っている『異界の勇者』からすれば完全な死角!
「今だッ!来い!!」
「ちょっ、うわぁっ!?」
ゴバッ!!と連なる二枚の壁を蹴り崩して隣の建物へ転がり込む。そうしようとして先に大和を投げ入れ、直後に羽の一枚がアルラに掠った。
自らの壁の破砕音と重なって聞き逃した羽が、だ。脚を掠めて思わず行動が一歩遅れた。
死角から外れた瞬間だった。間違いなく『異界の勇者』に目撃された。
「一瞬見えた。あの建物の間を何かが移動していた」
「わたしも見えたわ。けど...」
建物と建物の隙間で何かが動いた瞬間を何人かの『異界の勇者』は目撃し、身を乗り出す。
ちらりと視界に映った見覚えのない男の姿を、アルラ・ラーファを見て、群れの中の青年は怪訝げに言った。
「......誰だ?アレも『箱庭』か?」
棟敷関将の何気ない一言に。その部分的な発言に、アルラという部外者は最大限反応した。
サバンナの餓えた獣が数日ぶりに獲物を見つけたような眼をしていた。アルラの表情を見ていた大和は、そう連想した。
沸騰しかけている。アルラの頭蓋の内側で、思考は狂ったように動き出す。
「事前のリストには乗ってなかったわよあんな奴。逃げ遅れの一般人?」
「どーでもいいよー。避難誘導が始まってー、結構時間経ってるよねー。でもまだ残ってるってことはさー、少なくともパンピーじゃないっしょー」
聞き違いか?いいや違う、確かに聞こえた。この耳で確実に聞いた。
奴らは、あの男は『箱庭』と、そう言ったのか。
俺を指して、アレも、と言っていた。最初から『箱庭』を狙っていたかのような口振りだった。
消去法だ。俺とこいつと『異界の勇者』。発言者と部外者に斜線を引いて、誰が他に残るというのだ。もしかして、いや、もしかしなくとも、だ。
今、隣にいる、こいつが。
「お前が......『箱庭』?」
どぐんっ!!と、二人の心臓が跳ねていた。




