斥と引
建物に入るとすぐに、右側の壁沿いに発券機とチケット販売のカウンターが目に映った。
ポールとベルトで蛇行するように区切られた待機列エリアの左側を抜けると、左右の壁を彩る電子看板がいくつもの映画のポスターをきらきらと切り替えている。
その奥でエスカレーターが二階へ続く。
既に店員も客も避難を終えて無人の映画館で、エスカレーターを上がって正面には飲食物の販売ブースを曲がると、駅の改札のような装置がスクリーンとホールを区切っていた。
本来ならチケットを買って、或いは電子決済で通り抜けるのだろうが今は緊急時だ。行く手を塞ぐ金属製のバーを乗り越えた大和は数十のスクリーンの入口が立ち並ぶ、平面エスカレーターが中央を占領した廊下を走った。
間もなく、入り口の方から大きな物音が侵入する。
(急いで隠れないと...どこかに)
適当なスクリーンへ駆け込むと、真っ暗な部屋の中で巨大なスクリーンだけが映像を垂れ流している。まさに今上映中なのだろうが、もちろん客は一人もいない。避難済みだ。
階段を駆け上がり適当な座席の下へ横になって潜り込む。
触れたのは左手首のスマートウォッチ。
上映中の端末操作というマナー違反を気にしている場合じゃない。端末に登録済みの『箱庭』メンバーの連絡先へ、一つ一つメッセージを送信し続ける。
SOSを発信し続ける。
「誰か...頼む誰か出てくれ...っ!」
か細い懇願の結末を敵が待つはずも無かった。
「みんな~~!吊り目でガタイの良いヤンキーみたいな男を見なかった~~?」
「っ!!」
入口の方からだった。
山尾雲母は無生物の声を聴く。テーブルから、額縁から、床のタイルの一枚一枚から、尋ねればそれは声として必ず帰ってくる。
つまり...。
「......18番スクリーンだよん。後は任せるね~」
「オーケー」
入り口付近、案内板の管内マップ。
現在地点から参照したおおよその目標地点...角度、距離。
時間が無い期末試験の計算問題、概算から一番近いマークシートの選択肢を、『おおよそ』で決め打ちするように。
「『伸びろ』→"斬撃"」
一閃。建物が一部、内側から割れた。
三つ隣の座席が真っ二つだ。定規で線を引いたように真っ直ぐに割れて、中身がぽろぽろとこぼれだしていた。
斬撃がもう少しずれていたら...そう考えるとみるみる血の気が引いていく。
駆け足で近づいてくる足音にようやく正気を取り戻した大和が次にすべき行動は、一刻も早くこの場から退避することだ。
「くそっ!さっきの声は山尾か!!」
ならこちらの居場所は割られている。
山尾雲母の索敵・諜報能力は異界の勇者でも随一、今に連中が押し寄せてくるはずだ。
スクリーン脇の頑丈な金属扉...火災時なんかの非常口だ。開けた先は細長い通路に通じていた。短い一本道だが、突き当りは左右に分かれている。どうやら同じサイドにある他のシアターの非常口と繋がっているらしい。
既に建物は危険がそこらじゅうをうろつきまわっている。何よりも脱出を優先しなきゃならない。
非常口なら、進んだ先はいずれ建物の外に直通しているはず。
(合流だ、何よりもまず寿ヶ原と...!)
そういう大和の考えを敵の一人も読んでいた。
ガオンッ!!と空気が退く。
瞬く間に大和の足が床から離れた。見えない透明な壁が通路の向こうから猛スピードで突進してきたような錯覚を覚え、次の瞬間には通路の奥の壁に押し付けられていた。
「がっっ!?」
体がミシミシと軋む。触れられない壁は椎滝大和を壁へ埋め込む勢いで全身を一方向へ圧し続ける。
魔法ではない、これは異能。
対象に斥力を作用させて弾き飛ばす。
「斥力...!ってことは...秋冬か...ッ!?」
「思い出は忘れても、おれとおれの『異物排除』の能力だけは忘れなかったみてーだな大和」
詩季秋冬は詩季春夏の双子の弟で、渡りによって異能を得た咎人だ。
異世界に来てから染めた濃赤のライオンみたいな長髪も今となっては懐かしい。普段は穏やかなクセに一度キレると手が付けられない激情家の性格が今は椎滝大和に向いている。
彼は、離別前の椎滝大和と、特に仲が良かった。
「お前の...いや、お前のじゃなかったか。とにかく異能に触られないようにっつーならおれの『異物排除』が一番だ。逃げてもいいぜ?おれの斥力から逃げれるっつーならよ」
「やめ、ろ...異能を解け、秋冬...ッ!!」
「てめーで解いてみろよ!裏切り野郎!!」
そう叫び、奴が投げた短刀は斥力を追い風に受けた。
レースゲームのスピードエリアに突入したように加速し、大和が辛うじて体の前に持ってこれた左腕に突き刺さる。
びちゃびちゃと出血までもが斥力によって横向きに壁方面へ向かい、刺さった刃の先端が腕を貫通している。更には、斥力によって大和の喉元へ腕ごとじりじりと近づいていく。
身にそぐわない重量を持ち上げた時のベンチプレスみたいに、ゆっくりとだ。
「う、お、おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?」
「ナイフを移動して切り抜けるか?出血死してーならそれもいいかもな!」
ここは二階、下も上もあるが、きっと他が待ち構えている。つまり自分自身を移動させても逃げられない。かといってこの場に留まり続ければ圧死。
ギリギリ持ち上げられた右腕の肘から上で刃と迫る腕を掴んで抑えつけてはいるが、いつまでもは続かない。
歩いて近づいてくる。
『異物排除』の斥力は、詩季秋冬との距離が縮まる程に強くなる。
「ただ逃げたってだけならまだ応援してやれた!!でもそうじゃあないんだろ!?さっきのてめーの演説、正直おれは『どの口が』って思ったぜ!!みんなだってそうさ!!『時が経ったら協力するつもりだった』!?対魔王の国宝パクって逃げた時点でおれたちの足を引っ張ってんだよ!!」
「国宝...!?なんの、話だ...!?」
「すっとぼけてんじゃねーぞコラァ!!」
こうなった秋冬はもう止まらない。
人の話は聞かないし力尽くで押さえつけるしかない。そうして熱した鉄を冷ますように冷静になるまで時間をかけるしかない。そして今は、そうしている時間も余裕もない!!
「いいか大和!!何よりおれが赦せねーのはな...姉貴のことだよ!!」
「だから...なんのことって...!!」
「ずっとお前のことを信じてた!!他のみんながなんて言ってもお前のことを信じてたんだ!!そんな姉貴の思いやりをついさっき!てめーはふいにした!!」
「違う!俺はただ...!!」
「言い訳無用ォ!死んで詫びろッ!!」
秋冬の足が担当の柄の尖端に掛かる。
力を込めて押し付ける...突き出した先端がいよいよ大和の喉に数ミリ食い込んで、赤色が滲む。
刃に貫かれた腕の痛みと全身の圧の痛みで頭がおかしくなりそうだ。
けれどいい加減ムカついてきた。
詩季春夏には悪いと思っている。せっかく庇ってくれていたのにその意思をふいにしたのはその通りだ。
ならば俺はただ自分の意思も持たずに従っていればよかったのか?前みたいに、帰りたくもない、帰れるかもわからない故郷への帰還を目指して誰かの行動に合わせるだけの歯車にでもなっていろと?
赦されないのはどっちだ?
「話を聞けよシスコン野郎ッ!!」
『万有引力』...触れて、飛ばす。
短刀でもなく秋冬でもなく、今もなおミシミシとめり込みかけていた背中の壁の方を。
「なっ!?」
圧力の支えを失い、斥力を受け止めきれない大和の体は勢いよく吹っ飛ばされる。
ただし上半身だけだ。
飛ばした壁は膝から上一メートル四方のブロック状だった。
ドアの蝶番みたく膝から上だけが床に平行に、消えた壁の中へと仰向けに倒れ込む。そして急に支えを失った秋冬の足は短刀の柄から外れて片足だけが前のめりに行き過ぎる。
丁度、仰向けに倒れた大和の目前に来るように。
「こ...ッ、の...ッ!!」
「ッ!!」
タッチの差で、大和が先に触れた。
というより殴った。無理やりにでも姿勢を反転させて拳を突き刺そうとした秋冬の頬を、力いっぱい殴りつけた。
瞬間、詩季秋冬は消えた。飛ばして消した。
最高高度からの落下でも彼の異能なら傷一つなく無事に着地するはずだ。
斥力も消えた、戻ってくる前にこの場から離脱を......。
「ぐっ...う......ッ!!」
腕から引き抜いた短刀は何かに使えるかもしれない。ヘブンライトから支給された魔装とかというわけではなさそうだが、無防備よりは幾分かマシなはずだ。
血まみれの短刀をズボンのベルトに引っ掛けると、大和は次に服を一部引き裂いた。
包帯代わりにして傷口を止血する。当然、全ては移動しながらだ。
痛みが酷いし、出血も完全に止まったわけでは無い。傷は負ったが、殆ど一方通行な会話の中にでも顛末の一端が見えたのは嬉しい誤算だった。
国宝...そう確か、『国宝』と秋冬は言っていた。
(ヘブンライトの国宝...!異界の勇者が探してるのはそれか...!)
「どうりで...たかが俺一人に必死なわけだ...」
ヘブンライト王国は軍事国家。国防のため...また対魔王の兵器として、いくつもの国宝を抱え込んでいるという。
かつてヘブンライトに所属していた大和も詳しくは知らない。というのも、異界の勇者は軍の一小隊扱いで、国がたかだか小隊に国家の最重要機密をあっさり明かすはずはない。
対魔王というぐらいなのだから、それはどれも凄まじい代物なのだろう。
そんなものがある日突然なくなったとあれば、それは当然必死になって探すはずだ。
つまり今がそれだった。
他国への侵攻にも等しい今回の作戦。向こうはそれだけ必死になって俺を探している。
(勝ち目は...ない。俺一人じゃあどうあがいてもいずれやられるだろうな)
音が聞こえる。壁の向こうから、恐らくは警察車両か何かのサイレンの音が。
壁に触れると、飛ばして切り抜く。隣の建物との幅三メートル程度の僅かな隙間のような細道が現れ、高さはあったが躊躇なく飛び降りて、やっと映画館の外へ出た。
「危ないっ!!」
少女の放つ声だった。
今度は引力。磁石に吸い付く砂鉄のように、大和は飛び降りた細道の一方へ強制的に引き寄せられた。
瞬間、映画館からの着地地点に降り注いだ無数の攻撃は跡地を跡形もなく消し飛ばす。
轟音に轟音が重なることでかえって静かに感じる程の衝撃波が身を叩き、引力の果てには弾力と人肌の温もりが待っていた。
「...詩季!?」
狂暴な弟ではなく、大和は穏やかな姉の詩季春夏の胸の中に居た。
通路のもう一方には何人かの異界の勇者が集合していた。
攻撃を躱されて不服気な彼等から庇うように詩季春夏は椎滝大和を自身の背後へ追いやった。
二人の間でやっと聞こえるくらいの、内緒話の距離感の声で囁く。
「(今のうちに、早く逃げて)」
わけを聞いている余裕はなかった。
罠かと疑っい少し躊躇った後に、しかし彼女に限ってそれは無いと勝手に決めつけた大和は彼女の厚意に従った。
大通りへ飛び出して、左手のデバイスに内蔵された地図アプリを頼りに再び駆け出した。




