遊魚
栗色癖毛の少女はニコニコと言い放ち、クリスマスの商店街の店先に並ぶおもちゃやケーキに心を躍らせるような笑顔で言い放つ。
『私の組織に入らない?』という勧誘、或いは招待。
組織という言葉に半ば反射的に反応してしまっているのは、アルラの現状が現状だからか。一瞬でも『もしかして』と考えてしまった自分を恥じて、アルラはやれやれと呆れていた。
目の前の少女が、自分の探す『箱庭』とやらに繋がっている可能性?
なるほどゼロではないだろうが、しかし限りなくゼロに近い。小数点の隣にいくつのゼロをくっつけた果ての可能性だろうなとアルラが考えたのは、もし彼女が自分の探すそれに近しい位置に居る何者かなのであれば、流石にそれはアルラ・ラーファに都合が良すぎる。
ライトなノベルでもあるまいし、そう都合よく事が運ぶのならば今までの努力は何だったのだという事になってしまう。
それが怖い。
「ままごとに付き合ってる暇はないんだけどな...」
「失礼ね!こう見えてあなたが想像できるような甘い人生は送ってないのよ?外見に囚われないことね」
「...仕事には困ってない」
「嘘ね。平日真っ昼間から特売通いの癖に」
「うぐっ...」
「あなたの着てるそれって激安百貨店のお土産ネタTシャツでしょ?トウオウはファッションだって最先端なのよ?他国だと一カ月働いてようやくって金額で取引される素材すら人工的に再現して安価で大量流通させてるここでそんな恰好して出歩いてるってことは...」
「言わなくていいんだよ皆までは!!」
見た目の割に平気でこういうこと言ってくる辺り中身は全然可愛くない。
チンピラに絡まれていた時もそうだが、遠慮が無いというか物怖じしないというか、年齢の割には肝が据わりすぎていやしないか?今時の子供ってみんなこうなの?と自身が確実に時代に取り残されつつある事実にまた戦慄しかけた。
...確かに組織と言っていた。
彼女の言う組織が何を示すのかは分からない。ままごと遊びの類なのか、屋敷の召使にでもなってくれという意味なのか。
(後者なら結構アリかも)
不足しているものを補えるかもしれない。
この時アルラが思ったのはそれだった。
不足。それ即ち人脈。
アルラ・ラーファは家族を焼かれ、故郷を焼かれ、現在は基本的に天涯孤独の身であることに間違いはない。友人...と呼んでいいのかどうか、頼ってくれる少女と一方的に頼ってこようとする馬鹿はいるが、この二人も似たような経緯を辿ったがために世界との繋がりは希薄だった。
箱庭の関連情報にロックが掛かりウィアが使えないのであれば、頼るべきはアナログだ。
目の前の少女は身なりや立ち振る舞い(すごく我儘なところ)から察するに富豪の娘か大企業の令嬢か何かなのだろう。
金の流れは常に人の流れを伴う。大富豪はある日突然富を得てそうなったのか?大多数は違う、人と関わり、人を頼り頼られ信頼関係を築き上げた果てにそうなったに過ぎない。
彼女はともかく、その大元と何らかの形で信頼関係が築けたのなら...大元が持つ人脈を通してこれまでとは異なる方面での情報収集が可能になる可能性が高い。
「...ちなみに出会って一時間にも満たない通りすがりを勧誘する理由は?ままごとじゃないなら胡散臭くて就職詐欺を疑っちまうぜ。チンピラ含めて仕込みだったりする?」
「疑り深いのね」
「こう見えてお前が想像できるような甘い人生は送ってないもんでね」
それを聞いて少女はクスクスと笑っていた。
「咎人だものね。その罪名に相応しいストーリーを生きるのはあなたたちの義務だし、そこはあまり深く聞き出そうとは思わないけど」
少女は取り出した携帯の画面に映る『着信』の文字に一切触れず、バイブレーションを続ける端末の電源を落としてしまった。
部下...仲間はきっと必死になってこちらを探してるのだろう、いつも通りに。
しかし今回ばかりは理由がある。放浪ではなく、誰にも任せることのできない任務であり、故に一人で済ませる必要があった。
掛けてきたのは新入りだった。椎滝大和は追手足り得ない、捕まることはまずない。
シズク・ペンドルゴンはどこ吹く風だった。
この場で名を明かさなかったのは単に忘れていただけだが、アルラにとってはこの上ない不幸だ。
ソーシャルゲームのガチャで確定演出は引いたくせに、狙ったキャラクターは得られずすり抜けてしまったような。
「最近...というかずっとなんだけど、人手不足なのよ。保護ついでに囲い込んだ新人も、それに引っ付いてきたオマケも育ち切ってない。素質はあるのに自覚が無いというか、とにかく大きな仕事を任せられる人材に飢えてるの」
「...どんな業務内容だそれ。というか俺に何を求めてるんだ」
「強いて言うなら...ボディガード?いや違うわね...傭兵、戦闘員って感じかしら。で?いつから来れる?」
「なんで俺が誘いに乗る前提で話してるんだ?やらねーよ」
「言っておくと滅多にないプラチナチケットなのよ?勧誘は。この機会のために命だって惜しくないって連中がゴロゴロいるんだから」
「じゃあ俺じゃなくてそいつらの誰かを雇ってやるんだな。俺のスケジュールはしばらく先までパンパンで入る余地がねーんだ。お若いお嬢様にもわかりやすいように説明すると毎日が夏休みの最終日って感じ、宿題どっさり残ってる状態のな!」
「一応自由ではあるもののやるべきことが無数に残ってて終わらない限り先には進めないし実質的には不自由ってこと?」
「まさしく」
「つまんなーい」
テーブルの下でぶらぶらと足を揺らし、シズクは机で寝たふりをする中学生みたいに腕の中に顏をうずめて言っていた。
誘いを断られるなんて、こんなことは初めてだった。
『箱庭』は(特に影の)世界では有名な組織だ。自慢じゃないが依頼には困らないし入団希望者も世界中に数千人どころではない。『箱庭』に所属するというだけであらゆる情報や知識に手を伸ばすことができるようになる。それが、志願者の求める『対極』へとつながる。
入団条件は既存メンバーからのスカウト。
故に、この誘いには金には代えられないとてつもない価値が込められているのだが......。
「まさかフラれるとは思わなかったわ...」
「どんだけ自意識過剰だよクソガキ」
魔法使いに比べて戦いにおけるクセが少ない咎人、路地裏でチンピラに絡まれてる女の子を思わず助けてしまう程度にはお人好しで、それに対して見返りを要求しないヒーロー性...。
何から何まで自分好みで、こういう人物は居るだけで組織のモチベーションに貢献してくれる。格下相手だったとはいえ、見たところ戦闘能力もかなり高い。自身の異能をよく理解し使いこなしていた。
暫定的に...ニコンに並ぶくらいの強さか。
故に惜しい、本当に惜しい。
今まで『箱庭』の名を出して、スカウトに応じなかった人物なんて一人としていなかったというのに......。
(あっ)
まだ『箱庭』の名前を出してないじゃん。
「......まあいっか」
きっと組織の名を出したところで彼の目的へ進もうとする意志には叶わないと、一旦は置いておくことにしたシズクに対して、何がまあいいかなのかはわからんが納得してくれたようで良かったと安堵するアルラ。
逃がした魚は大きいが、それに気付いていないうちはダメージにはならない。
「じゃあ一つだけ聞かせて?これは私の個人的な興味なんだけど...」
まだ答えるとも言っていないのに......。
不満を口に出そうとして、おそらく意味がないからやめた。
「ねえ、あなたはどんな対極を求めているの?」
その質問にアルラの中で何かが引っ掛かり、僅かに目を見開いた。
似たようなフレーズを最近、ある元傭兵の男から聞いていたからだった。
引っ掛かりを確かめる間もなく、そうして僅かに広がった視界の端で景色が揺らぐ。
直後に。
ズバァァァァアアアアアアアンッッ!!?、と。
「ッ!!?」
亀裂。
いいやもっと正確に、切断面。
突如として押し寄せた圧力の洪水に、アルラは咄嗟にテーブルに乗り上げるようにして少女を押し出すことしか出来なかった。
線が地面を下から上へとなぞりあげる。先ほどまで少女が居た地面に一本の線が引かれ、線は舗装された足場に深々と溝を掘り、延長線上にあった喫茶店の店内をも切断していた。
高圧の液体によるウォーターカッターだと理解した時にはもう、アルラ・ラーファは少女を救った代償を支払った後だった。
つまり。
「ぐっ......あァ...ッ!?」
ぽとりと、あっけなく落ちていたそれは見覚えのあるパーツだった。
少女を押し出すのに使った右腕は線と重なってしまっていたのだ。金属すらも容易く切り落とす水の圧力という力はアルラの右前腕を中ほどからすっぱりと断ち切った。
赤が噴き出し、悲鳴が金属の街に木霊する。ぼたたたたと重い赤色がバケツに穴をあけたみたいに流れていく。
痛みに悶えている場合では無かった。
線の延長線上、突然の出来事に客や店員が叫びながら逃げ出している喫茶店の方ではなく、その逆。つまりウォーターカッターの発射元に目を向けて、そいつは車道を挟んだ反対側の歩道に突っ立っていた。
いいや、ただ突っ立ってるんじゃない。
次弾を......!!
「あなた右腕が...!」
「クソったれッ!!」
二度目の掃射が放たれる。
肩の部分にくっついていた消火用ホースから放たれた水のレーザーは、明らかに目の前の少女を狙っていた。
飛び込む。
野球のヘッドスライディングにも近い動きで、しかし少女に対して覆いかぶさるようにして勢いよく突っ込む。
一歩間違えれば腕どころじゃすまない。首でも、胴体でもあっという間に真っ二つだ。そうなれば流石の『神花之心』でも再生できない。つまり死んでしまう。
躊躇うことは許されなかった。
間一髪でウォーターカッターを避けて、飛び出した勢いのままに少女を抱え込んだままごろごろとテラス席の床を転がって、最終的には仰向けの少女に対してアルラが片手両膝を付いて押し倒したような格好に収まった。
「無事か!?」
「え、ええ。それよりもあなた腕が...」
「いいから立て!明らかにお前を狙ってるぞ!!」
ギチチチチギチッ!!という異音を、二人はここからでも聞き取れた。
金属製のケーブルの両端をトラックに結んで思いっきり引き延ばしたような、そんな音だった。
敵の気味の悪い外見をアルラが気持ち悪がっている隣で、シズク・ペンドルゴンは冷静に分析を行っていた。
明らかに人間ではない。というか生き物ですらないそれを見て、アルラは自分の腕を奪った敵対者への憎悪を募らせていた。
「魔導人形、なのか?」
トートバッグだった。
更には携帯端末だった。
更には白杖だった。更には飲食店の看板だった。
更には車のエンジンだった。更には眼鏡だった。更には消防車だった。
更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には更には。
そうしてありとあらゆる無機物で構成された人型の模型が三体。街中のあらゆる無機物を搔き集めて、それらをひとまとめにしたような何か。
どこかで、誰かが呟いた。
「探せ。『集合感知亡者衆』」
子供が粘土遊びで、現実のあらゆるものを再現したとして、最終的に飽きて作ったそれらをぐちゃぐちゃくっつけて無理やり人型に整えたモノ。
そういう表現が相応しい何か。
意志の無い無機質の害意が二人を襲う。




