Boy Meets Girl
「ふぅ」
ぱたんと分厚い本を閉じて、椅子に座ったままラミル・オー・メイゲルは大きく伸びをした。
座面と背もたれの安っぽいながらもふかふかなクッションのおかげで長時間座っていてもあまり疲労は無い。ただ読書と言えど真剣に何時間も続けていると、脳みそというか、頭と感覚が鈍くなるような気疲れはどうしても感じてしまう。
国立の図書館だった。
長机にはいくつもの本を積み重ね、読み終わった本とまだ読めていない本を左右で分けている。身分を証明できる書類が無く貸し出しが出来ないため、こうして彼女は足繫く通って必要な知識を積み重ねているのだ。
本のタイトルは例えば『近代異能史と魔王災害』。日本の高校生が二秒で読み飽きてしまうような、イラストも最低限な文字ばかりの図書。
『強欲の魔王』の力を知るという目的を達成するため、彼女なりに考えた末の行動に、残念ながら今のところあまり成果はない。
(この本にも無い...もう何十冊も探してるのに一向に情報が集まらない)
どの本にも記されているのは魔王の行動の『結果』ばかりだ。道中や過程についての記述は無い。
アルラ一行にとって重要なのは過程であって結果ではない。
魔王が街を蹂躙した、誰々を殺害した......それだけなら歴史という形で既に広く知識として知られ過ぎている。
重要なのはそこじゃないのだ。誰々を何々で殺害したという記述が一切見つからない、一番求めている何々が常に欠けている現状は彼等にとって苦しいと言わざるを得なかった。
討伐対象の魔獣の武器が『牙』だとわかれば、討伐隊は当然それを防ぐ訓練を行うことで予防できる。毒蛇の持つ毒の成分が分かれば咬まれたとしても血清で対応できる。
強欲の魔王の武器は何なのか。その武器をどんなふうに操って誰々を殺害したのか。
求める程に、その知識が遠ざかる感覚に気が遠くなる。
「...もうこんな時間」
壁に掛かった時計を見ながら呟いて、視線の付近に居た大人たちが慌てたようにこちらから視線を逸らしていた。ひそひそ話をしていて、話題に挙げた人物に気付かれたことを気にするみたいに。
ちらちらとたまに感じる周囲の視線は、つい最近まで世間を騒がせた事件が原因だろう。石を投げられるようなことは流石に無いが、それでも視線は突き刺さる。
これで済んでるのは誰のおかげなのかを想い、苦しくなっていく。
私は彼の自殺の手伝いをしているのではないか?と、たまにそう思ってしまう。
積み重ねた本の下を両手で持って元の本棚に返しに行って、ふと目に付いた。
扉の外。
図書館を外と区切る透明なガラスの自動ドアの外に、見知った灰被りの青年の姿があったような気がして。
ただその影はラミルの視線が追い付く頃には、透明な四角形の外へとはみ出してしまっていた。
実際には、だ。
「だーかーらァー!!ついてくんなっての!!」
「何よーいいじゃない」
そんなやり取りがあった。
不機嫌な灰被りの青年と、それに付きまとう栗色癖毛の女の子。
兄妹にはとても見えない外見の差よりもまず生活水準の差がにじみ出ている。貴族の令嬢のような『奇麗さ』を持つ少女に対して、アルラときたら街のチンピラAみたいな安っぽい外見をしているから余計に二人のやり取りは目立ってしまう。
ただ道を歩いているだけなのに、一人で歩くよりも明らかに注目されてるのはそのせいだろう。
「ねえねえ教えてよ、あなた咎人?魔法使いじゃないわよね、罪名は?身体強化系かしら、あの極彩色はどんな能力なの?」
「だぁーッ!!うるさいうざい付きまとうな!!お兄さんはガキに構ってる気分じゃないの!」
「構う構わない以前に助けてくれたじゃない。せっかくだから送り届けて?」
「厚かましい!どこの貴族令嬢だこの野郎!!」
身長とか外見年齢はラミルと同じくらいか?とはいえラミルは確か18歳のほぼ大人だったか。
こいつは...見るからにガキそうだ。好奇心旺盛で警戒心が薄く、チンピラに絡まれていたのも見た目でカモだと判断されたのだろう。全く保護者は何をやってるんだか。
「さっきから何をそんなにイラついてるわけ?不良に絡まれてた女の子を助けるだなんてシチュエーションは一度の人生で一回あるか無いかってレア度なんだからもっと噛み締めないと」
「お前のせいで特売に出遅れちまって今日の夕飯がピンチなんだよ、見るからに金持ってそうなお嬢ちゃんにはわからないだろうけどな!わかったらもうあんな裏路地に入んなよ!」
「この街には仕事でやってきたの、慣れない街だから迷っちゃってね」
「へぇ親御さんの仕事で。これに懲りたら今度からは親御さんから離れないことだな。それじゃあ」
「いや私は一人で...って待ってってば!」
間に合うはずだったのに災難が重なってこのざまだ。
自称咎人のチンピラを一方的にボコボコにしたまだは良かったが、まさかその現場を運悪く巡回中の警備ドローンに目撃されてこっちが加害者認定されるとは思わなんだ。
しばらく追い回された挙句、撒いたと思いきやこんどは路地裏から連れ出した少女にしつこく付きまとわれている。
異能を使ってしまったのが悪かったのか、少女は『神花之心』に興味津々なのも問題だ。ネット上で一度拡散してしまった異能とは言え道行き知り合う人全員に言いふらして教えてやるほど安い力でもないというのに。
(また面倒そうなのに関わっちまったなあもう...)
とアルラが鬱陶しがる一方で。
(また面白そうな奴見つけちゃった!)
と少女がワクワクしながらあの時に極彩色を纏わせた右腕をぺたぺたと触っていた。
柔らかい手のひらから伝わる体温が冷たい皮膚に強く残る。柔らかい感触が妙にくすぐったい。
さっきまでこの右手でチンピラを殴り倒し吹き飛ばすさまを見ていたはずだが...もしやこの娘、物珍しさに釣られて奇麗な模様のナイフとかも素手で触ってしまうタイプなのかもしれない。
そんな思考とは別に、少女が興味を示していたのがアルラの腕に染み付いてしまっている血の臭いとはアルラもまさか思うまい。
それどころか、だ。
恐るべきはアルラ・ラーファに自らの素性を気取らせない少女の立ち振る舞い。
強さだけでは辿り着けない、偽装とも擬態とも言える影に潜む者の技術の一つはもはや少女にとっては無意識の領域のものだが。
一通り触ってみて満足したのか、少女はようやくアルラの隣を離れるが、今度は進行方向を塞ぐように正面に躍り出ると下から覗き上げるような上目遣いで近くの建物を指差した。
「じゃお礼!助けてくれたお礼にそこの喫茶店で何か飲み物買ってあげるわ!何が良い?なんでもあるわよ、有名なチェーン店だもの。例えばそう......ミントケチャップコーヒーとかお勧めよ!」
「ゲテモノの類だよな!?勧めるにしたってもっと他にあっただろ!!」
「じゃあ要らない?」
「要るよ!くれるなら!!」
手を引かれるがままに歩道脇の一応有名チェーン店らしい喫茶店のテラス席に座らされ、少女は一人で店内へ入っていった。
今なら逃げられる。こっそり席を立ってさっさとこの場を去ってしまえば彼女との縁もそこまでだろうが、今回はアルラの貧乏根性が勝ってしまった。
貰えるものは貰っておく。食べ物系ならなおさらだ、プライドで腹は膨れない。
自分にそう言い聞かせていると、途端にポケットの中からうるさいくらいの振動を感じた。
取り出したウィアは画面に何かを表示させているというわけでもなく、手の中でもただ繰り返し細かく振動し続けていた。今までこんなことは無かったのだが...まるで焦ってるみたいだ。
何かを知らせたいなら画面上に表示くらいするはずだが...まさか故障か?と画面をあちこち触っている内にまた店のドアが開き、途端にウィアの振動が止まる。
出てきた少女は両手に大きめのプラスチックカップを持っていた。
ひとまずウィアを懐に戻して、向かい側の席に座った少女が差し出してきたドリンクを見るとなんかもう色が禍々しい。
「はいどうぞ!遠慮しないで」
遠慮なんてしていない、後悔が入り混じるタイプの躊躇をしている。
名前を聞いた時からどんなものが出てくるのかと内心おっかなびっくりだったが、まさかこれほどとは。というか本当に数ある至って普通なレギュラーメニューを押しのけてこれを買ってくるとは。
なんだ?これは...小学生の頃に使った筆の絵の具を洗い落とすバケツの二、三回使った後みたいな色をしているこれは本当に人が体内に取り込んでいいものなのか?
恐る恐ると、だ。
持ち上げたカップの中身の香りに思わず顔をしかめてしまう。しかし意を決して一口喉へ流し込み、直後に革命が起こった。
ドロッとしたすりつぶした野菜の触感に鼻の奥を突き抜けるミントの香り、遅れてやってくるコーヒーの確かな苦みが絶妙に混ざりあって......。
こっ...これは...ッ!!?
「普通に不味い!!おえーっ!!?」
「でも飲むのね。むせ返るくらいなら無理しないでいいのに」
「げほっげほっ...!腹の足しになるなら...極論だが味は二の次でいいんだよ」
「お金に困ってるの?」
「...人んちのお財布事情へ深入りしようとしないほうがいいぞとアドバイスしておこう。お嬢様にはわからないかもしれないけど」
ふーん...と、少女は自分のドリンクをストローで吸い上げる。
アルラがむせ返るほどのそれを、彼女は顔色一つ変えずに流し込んでいる。
まさか普段からこんなものを食べたり飲んだりしてるんじゃあるまいな...?とアルラが怪訝な表情で疑って、『お嬢様ってみんなそうなのか...』とあらぬ誤解を覚え始めていた。
一口ごとに口の中で暴れる味覚に悶えそうになりながらもアルラが飲み進めていると、少女が空っぽになったカップを片手に、アルラをじっと観察するように眺めていた。
あの劇物をもう飲み終えてしまったらしい。
「それで?お兄さん咎人?」
「.........しつこい」
「飲み物、820リクス。飲んだでしょ?飲んだよね」
「ぐっ.........」
なんで無駄に高いんだこんなのが。
しかし口を付けてしまった以上、対価は支払わざるを得なかった。
「......そう、だとしたら」
アルラの回答にぱあっ!と少女の表情が明るくなる。
「やっぱりね!魔力を使ってるようには見えなかったし、でもでも異能にしては妙だとも思ってたからむぐっ!?」
「声がデカいっての!その辺の話は人のプライバシーだぞ学校で習え!!」
慌ててテーブルに乗り上げて口を塞がなかったら大声でプライバシーを侵害されるところだった。直後にはっ!となって、大人の男が少女の口を慌てて塞ぐという絵面がヤバいことに気付いた。
周りの目が若干痛い。
道行く人、席の清掃をしていた店員、車道を走る車のドライバーにまで視線を向けられたような気がする。
あははと笑ってごまかしてみたがどうだろう。動画に撮られてSNSで拡散でもされたら溜まったもんじゃないが、下手したら都合よくシーンを切り取られて誘拐とか暴行とかでっち上げられたりしないだろうか。
ぶはっ!と少女は自身の口を押さえていた手を引き剥がす。
きらきらと眼を輝かせているようにも見える。まるデパートで新しいおもちゃを見つけた子供のような瞳を近付けてアルラに迫った。
「ねえ!」
栗色の髪を揺らし微笑を浮かべる少女。
有無を言わさず、と言った感じだった。
穢れを知らない人生を歩んできて、これからの全てを楽しむような声色だった。
「あなた、私の組織に入らない?」




