狭間の男
海に浮かぶ技術の島国...トウオウには三つの主要都市が存在すると言われている。
エイリアンと呼ばれる都市もその一つだ。......否、都市という表現は正確ではないか。エイリアンと呼ばれているのはトウオウのとある地域一帯のことで、エイリアンという呼び名も国が定めた正式な地名ではない。
しかしいつの間にか定着したその土地の呼び名はトウオウではもはや一般常識の一つで、もはやニュースでさえそこを正しい地名では無く『エイリアン』と呼称するのは、ひとえにその地域一帯に居住する住民層が特徴的過ぎるが故である。
つまり、異民街。
元の世界では神隠しと呼ばれる現象...多種多様な何らかの要因でこちらへ渡ってしまった異界の民やその末裔が住民全体の七割を占めるその土地は、トウオウの中でもまた異なる種類の異質さを秘めた街である。
地域の中でもまた細分化された土地ごとに全く異なる文化がひしめき合い、まるで小さな箱庭のようだ。
そんな異形の街の片隅で街並みに溶け込むとある建物...表向きには無人のランドリーとして近隣に知られるそこには、裏口からのみ入ることが出来る地下通路がある。
その存在を知るのは、表向きにはランドリーの所有者とされるある人物が所属する組織の同僚たちだけだ。
『箱庭』と呼ばれる彼らは数ヵ月前、ある敵対者からの刺客に当時の隠れ家を襲撃されて以来、ここを主要な隠れ家として使い続けていた。
扉が横にスライドして地下の一室に一人の男が現れる。
『箱庭』所属の武闘派、周囲からはニコンと呼ばれる剣士は道中立ち寄ったバーガーショップの紙袋を片手に扉をくぐる。
覇気のない声は彼が一週間の長期任務の帰りだからだろうか。
「おーっす......」
依頼内容がある人物の護衛というニコンにとっては難易度の高くない依頼だったとは言え、一週間も慣れない場所での生活を続ければ人は疲労する。
ベッドの硬さだとかトイレが狭いだとか、見た目に似合わず彼は生活のそういう部分を気にするタイプである。時折戦闘を交えた護衛任務そのものよりも生活ルーティンのズレに苦戦したくらいだから筋金入りである。
今度のこの手の依頼には必ず枕を持参しようと心に決めたニコンの声に待機中だった何人かの『箱庭』が暇そうに気の抜けた返事を返した。
それに対して違和感を覚えたニコンはきょろきょろと部屋を見回して、一番近くでソファに腰掛けテレビの通販番組を眺めていた新入りの椎滝大和へ不思議そうに尋ねた。
「これだけ?おいヤマト他の奴らはどうしたんだよ、ここ最近は特に難しい依頼も入って無ェはずだぞ」
壁掛けコルクボードに画鋲で止められた仕事表...縦軸にメンバーの名前、横軸に日付の記された表に視線を移すが記憶通りだ。自身の護衛依頼を最後に票の何処にも誰にも依頼は入っていない。
だというのに部屋に残っていたのは自身を除いてたったの四人。特にやることのない椎滝大和、人をダメにするビーズソファで溶けているキャッテリア・ジェルフィッシュとその膝に取り扱い危険幼児のティファイ、そして極めて不本意ながら椎滝大和に手綱を握られてしまった寿ヶ原小隈。
「知らないよォ...依頼じゃないなら買い物とか...」
「アイツら買い物はネットショッピングで済ませるタイプだろ、シズク以外」
「あー...そういえばダンボールが部屋の隅に重なってきてたっけ」
「シズクがダースで買ってきたゲテモノジュースのも混じってるけどな、おいコクマ!」
呼ばれて、白衣の金髪ポニテ少女は『私が知るかよ』とでも言うように、ふん...と不機嫌そうに視線を逸らす。
だらけきっている二人と違って血気盛んな彼女が大人しく隠れ家に留まっていたのは、彼女の損傷した脊髄の機能を補助する『枷』によって行動を制限されているためである。
脊髄と四肢に埋め込まれた枷は脳からの命令を遮断する。
具体的には彼女がメンバーの断りなく異能『空圧変換』を使おうとした時。そして寿ヶ原小隈が椎滝大和とシズク・ペンドルゴン両名から150メートル以上離れた場合だ。
条件が満たされれば冗談抜きで彼女は死ぬ。
特に後者のペナルティは重篤だ、繰り返し違反しない限り呼吸困難に陥る程度の前者に比べて、後者は違反時点で彼女は一切の身動きが出来ない植物状態に移行し、それが数分も継続されれば死に至るように設定されているのだ。
「ストレスたまってるんだよそいつ。箱庭に来て、今まで出来たことが出来なくなったからさ」
「チッ、誰のせいだと思ってんのよ」
ちなみに枷は大和の腕時計型のデバイスと連動していて、デバイスは大和の心拍を計測している間のみ起動する仕組みのため、異能以外で大和を殺害することも出来ないのである。
寿ヶ原小隈は『箱庭』に強制的に迎え入れられてから両手の指じゃ足りない回数は脱走を試みてきたが、流石に学んだのか最近は憎悪の感情は剥き出しながらも大人しく留まり続けている。
正直シズクやゼノがこの狂暴女の何を気に入って鎖を繋いだのかはよく分からん。
実力的に見てもせいぜい中の下だ。箱庭内で戦闘力の序列があるとしたら下から数えて
すぐに名前が挙がってしまうだろう。
ため息交じりにニコンは携帯端末を取り出すと誰かへ電話を掛け始めた。何回かのコールの後に、ガチャリとそこだけ古風な電話の効果音を鳴らして通話が繋がった。
「もしもし。ああ、オレだけど」
興味本位で聞き耳を立ててみた大和だが、相手が誰かまではわからなかった。シズク、ゼノ、ホード...まあ箱庭の誰かだろうが。
少々働きすぎだからもう少し多めに休みを取った方がいい、とニコンに伝えるべきだろうか。就労経験もない元高校生風情が知った口をという話だが、ニコンは箱庭という組織における中間管理職のような立ち位置に立つ苦労人だ。
彼の名目上の担当は直接戦闘、つまり彼は箱庭でも屈指の肉体派戦闘員。なのに、誰もやりたがらないという理由で経理やら物品管理やらを自ら率先して行っているらしい。
プロレスラーにOLやらせるようなものだ、だが彼はプロレスラーをやりつつOLもしていると言っていい。
「ニコンは働き者だねぇー、ティフちゃんはあーなっちゃだめだからねえ」
「...それ、言われた人によっては泣くこともあるからなキャッテリア」
「あーうー」
あまりに不憫に思ったので大和も彼を手伝おうとしたことがあったのだが、一般業務ならまだしも『箱庭』という個性の塊は引き寄せる依頼も同類のような気質を帯びてしまうらしく、大和が手伝おうとするとかえって足を引っ張ってしまうためやんわりとお断りされたという歴史がある。
その日の夜、ちょっとだけ枕を濡らしそうになったのは誰にも内緒の話だ。
「えっマジで?それ本気で言ってんの?」
ニコンの語調が変わった。
しばらく携帯を耳に当てたまま一言も発さず電話越しの声を聞くだけになっていた。
テレビの通販番組では紹介していた商品が切り替わり、複数種類の飲み物をスイッチ一つで切り替えて持ち運べて非常時には汚水でも海水でも五分でろ過可能な多機能水筒が大袈裟にお披露目されている。ろ過機能と懐中電灯機能まではわかるが、ワイヤレススピーカー機能は本当に水筒に必用なのか?と疑問を覚えてしまう。
キャッテリアはこの手の技術系商品がお好みのようで『おおー』と感心していた。
こりゃ明日にでもダンボールがもう一つ追加で積まれてしまうかもしれない。
そっちに気を取られている内に、だ。
「.........またかッ!!あの野郎」
通話は終わったらしい。
端末を握りつぶさんとばかりの握力がニコンの手の中でミシミシと音を立てている。
間違いない、キレかけている。
どうしようか......とりあえず逃げるか。怒りの原因が自分関連だったらヤバいし、でもだとすると逃げた方が結末的にはヤバいのか?
葛藤の背後、ソファの背もたれの向こうでニコンはまた別の誰かへ電話をかけていて、しかし繋がらず青筋を浮かべている。
さりげなく聞いてみるか...とようやくテレビの電源を落とした大和に、クッションで溶けていたキャッテリアが抗議の声を上げていた。
「えと...ニコン?その、どうかしたのか?ホードはなんて...?」
「...むー。どうせいつもの家出だよー...テレビつけて~」
「おいこらキャッテリア、その口ぶりから察するに。さてはお前知ってて止めなかったな!?」
「わたしがシズクを止められるわけないじゃんー...。ネズミにトラと戦えって言ってるようなもんだよ...」
「窮鼠猫を嚙むって言うだろうが当たって砕けやがれ!!」
「無茶苦茶...」
面倒くさそうにビーズソファに全体重を掛けてだらけきってはいてもキャッテリア・ジェルフィッシュはれっきとした『箱庭』の一員。この子がネズミなら自分はありんこだな、なんて思ってる場合では無かった。
これだけニコンが焦っているのだ。相当な理由があるに違いないし、そしてその理由とやらに我らが箱庭の暴君シズク・ペンドルゴンが大いに関係しているようだった。
嫌な予感がしないと言えば嘘になるが、それでも訊かざるをえまい...。
いざ!と口を開こうとした瞬間に気が付いた。
ニコンの視線が大和へ向いていたのだ。
「...暇そうだなヤマト。喜べ丁度依頼が入った」
「い、いや俺は...」
「今更目を逸らしても遅い!きちんとこっちを見ろ!!お前がやらないなら受け持ちはキャッテリアだぞ、大人が子供に仕事を押し付けるのか!?」
「うぐぐぐぐぐ道徳に訴えられつつ正論で殴られたら反論できない!!わかったやるよやればいいんだろ!?」
良く言った!!と、ソファから重たい腰を起こした瞬間に背中をひっぱたかれた。
夏休み中盤になってから急に親に親戚の畑作業を手伝ってこいと言われたような気分だ。働くのが嫌というわけでは無いのだが、他人が自分の中のスケジュールに急に予定をねじ込んでくるという理不尽感のせいで『面倒』という感情が普段の何十倍も増強されている。
あゝ諸行無常。
「お前の仕事は人探し......いや違うな、バカ探しだ。何処かに消えたシズクを今すぐ探して連れ戻せ」
「???」
いきなり情報量が多いのだ、もっと刻んで説明をお願いしたい。
そんな意図を汲み取ってくれたのはニコンでは無く、魔法で手元へ引き寄せたリモコンを使って再びテレビのスイッチを入れたキャッテリア・ジェルフィッシュだった。
「シズクはね、放浪癖があるんだよ。こんな風にたまーにどこかに居なくなるの。そしたらしばらく音信不通、誰にも見つけられないの」
「お前をスカウトしに行ったときも危なかったんだぞ。最初はアイツ一人で行こうとしてた所に無理やりホードを滑り込ませたんだ。まあそれでも結局時間はかかったがな」
「それであの時あんなに帰還を催促したのか...」
「アイツはアレでも箱庭の看板で一番の実力者だ。アイツにしかこなせないような依頼が入った時、肝心な奴が欠けてたらその穴埋めはオレらに回ってくる。地獄だぜマジで」
「最長のケースだと12年帰って来なかったこともあったとか。前にゼノが話してた。」
ドン引きである。12年とか放浪とかいうレベルじゃないだろもはや失踪だろとか普通に思ってしまう。
でも確かにやりそうなのだ、アレは。
組織の他の人間を纏める立場でありながら極めて自由奔放、悪く言えば自分勝手。もっと悪く言えば暴君とまで言われるシズク・ペンドルゴンなら確かにやりかねないと、短い付き合いながら思えてしまうのが本当に恐ろしい。
言われてみれば放浪癖の前兆というか片鱗はちょいちょい見かけていた気がする。
トウオウへ向かう飛行船内でも何も言わずふらりと居なくなってたし。
「......シズクの行き先の大体の目星は?流石に手掛かりも無しには探しようがないぞ...」
「大丈夫だ、ホードが『未来探索』でシズクが乗ったリニアの路線と時刻を割り出してくれている」
「リニアを?でもそれだと...あっ、そっか。シズクが乗ったリニアの行き先が分かれば...!」
「ああ。ホードたちは既に三つある停車地の内二つを調べてくれている、『セントラル』と『ミスティクス』。お前は残った一か所...『エントランス』に向かってくれ」
「『エントランス』...確かトウオウに初めて入国した時の街だっけ」
「少し休んでからオレも向かう。まったく、箱庭が『影』の組織じゃなけりゃ労基に駆け込んでたところだぜ」
「わたしは~?」
「ティファイのお守りだ」
「イェ~イ」
今からでも変わってくれとキャッテリアに頼んだらぶたれるだろうか。
いそいそと支度を整え、安い黒地のTシャツの上からジャージを羽織って貴重品を手に取った。
と言っても財布くらいだが。
「...これはシズクを見つけるための小技というか、ちょっとした小技なんだけどな?」」
「......そんな不名誉なトリセツ用意される程の頻度でやらかしてるわけ?何百ページだよそのトリセツ」
空いたソファに仰向けで体を投げたニコンは本当に疲れているようだ。
肉体的な疲労よりは精神的な疲労に近いだろう、詳しくは知らないが箱庭以外にも何らかの副業をこなしているらしいし、箱庭でも彼は中間管理職。今までも似たようなケースを山ほど処理してきたのかもしれない。
絶対に口にしないし言っちゃ悪いとは思うのだが、こんな風にはなりたくないものだ。
「とにかく騒ぎや事件、混乱の中心を探せ。アイツなら大概そこにいるよ」
呆れたようにいやいやとそんな風に語るニコンに、大和は思わず苦笑いしながら返してしまった。
「間違いないな」
バタバタと足音が遠ざかるのを聞きながら、ニコンは深く深く息を吐いて、仰向けにの転がった体勢のまま右腕で眼を覆い、瞼の裏を薄く赤色に照らす光を遮断した。
慌ただしく大和が出てってしばらくしてから、そう言えば、と思い出す。
「......ところでお前は行かないのか?ヤマトの奴、一人で行っちまったぞ」
「ハァ?なんで私まで...」
ソファの背もたれの上から彼が左手で指差した先には寿ヶ原小隈がいた。
正確には、彼が指差したのは寿ヶ原小隈の『背中』だ。更に正確には背中の中で人体を支える重要なパーツの事だった。
「枷」
一気に青ざめた寿ヶ原小隈が支度を終えて部屋を出るまで三十秒も掛からなかった。




