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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
一章
241/268

岐路に銃創、木の葉の落ちる季節



「報告はまだ上がらないのか!?行動の一つ一つを高速化して動け!!もう事態は一刻を争う!!」


 慌ただしく人が動く部屋の中、殴り書きの文章と数枚の写真が張り付けられたボードの前で、いかにも指揮官らしい恰好の男が声を張り上げる。

 ログリア国軍とはそもそもどういった組織なのか。

 一言で言えば軍隊に限りなく近づいた警察組織であり、軍隊そのものではない。主な仕事内容は治安維持に関わる内容全てであり、今回の戦争のようなケースはかなりのレアケースと言えるだろう。

 指揮官らしい男も、このような事態の指揮を務めるのは今回が始めただった。

 これまでに担当した事件で最も大きかったのは何だったか...すぐに思い浮かぶものと言えば大量発生した大型肉食魔獣の討伐作戦くらいだろう。あの時はこれ以上キツイ任務は無いはずだなどとのたまっていた癖に、今ではこんな風に何万という兵士を動かしながら敵の一挙手一投足に叫びあがりそうになるほど緊張を覚えて仕事に臨んでいる。

 故に万全を期すことに徹底した。

 下手な刺激は反人類戦線ばくだんを起爆させかねないという考えの元、とにかく慎重に動きつつ、しかし時には大胆に。そうやって向こうの消耗を待ち続けていた。

 そうして監視を続けていたはずの部隊からの連絡がある晩を境に途絶えた。

 直ちに向かわせた増援部隊は監視部の痕跡一つすら発見できず、同様に彼らがフルタイムで眼を見張らせていたはずの妖魔の本隊も跡形もなく消え去っていたのだ。

 報告を受けた瞬間から全く眠れていない。

 睡眠時間が確保できないという意味では無く、まるで病院で医者から他に何も告げられず『また明日検査のために来てください』と言われた日の晩のように、不安が頭の中で薄くフィルムを張り付けたかのように取り払えないのだ。

 緊張が...病のように伝播してこの施設を包み込んでいる。そういう()が出来上がっているのがわかる。

 そんな時、扉が勢い良く開き、連絡係の男が息を切らして飛び込んできた。


「たった今報告が...!!」


 その一言に部屋にいた全ての者がざわめいた。

 いいや、不安を覚えたのだ。

 期待を抱いた者は一人もいなかった、状況が好転する要素が手札にないことを知っていたからだ。そして自分たちを指揮する立場の者が臆病と慎重を履き違え、常に後手に回り続けたことで精神的な疲労を自分の身ならず周囲に撒き散らしたことに感づき始めていたからだ。

 男の次の言葉をみんなが待っていた。

 やがて口にされた言葉にその場にいた全員が数秒固まった後、予想の真反対の内容に歓喜の声を叫ぶことになる。

 よほど焦って駆け付けたのか、フルマラソン後のように息を切らしてくたびれていた男は額の汗を手で拭うと、泣きそうな笑みを浮かべながらこう告げたのだ。


「反人類戦線主導者......ユーリー・ヴォルグの投降を確認しました!!」


 その数時間前の事だった。

 人知れず戦った者たちの目の前で、今度こそ完全に、人々が待ちわびた結果が確定されていた。


「......迷惑をかけたな」


 事態は急速に終息へ向けて動いていた。

 全てが終わってから一夜が明けて、現在時刻は正午過ぎ。応急処置を終えたアルラたちは街の入口となるあの長い長いトンネルまで出向き、静かにその光景を見守っていた。

 ユーリー・ヴォルグはもう抵抗を示すことも無いのだろう。形だけの拘束に囚わていた青年はアルラ達へそう言葉を投げかけて、兵士に連れられ去っていった。

 弟子の背中を見送るヴァリミルの表情は相変わらず無表情だったが、どこか寂しそうに感じられる。

 昨晩は夜中に多少の雨が降ったらしく、じめじめと空気が淀んでいるようだった。

 踏みしめた地面に染み込んだ雨水がじんわりとわきだして、ぴちゃぴちゃという足音を何度も何度も反復している。


「なあアルラ、あいつもオレらもこれで良かったのかな」

「俺たちが口出すことじゃねえよ。アイツらが自分で決めたんだから」


 まだ全然痛む脇腹を横から肘でツンツンとつつかれて、不安そうに聞いてきたカイ(一人だけ無傷)にはそんな風に答えたものの、内心ではアルラももやもやとした何かを抱えているようだ。

 妖魔族...一部の過激派が引き起こしたクーデターを、同じく妖魔の穏健派が鎮圧した。そう言うシナリオだ。今回の戦争への妖魔が持つ責任を100%無くすことは出来ないが、クーデターを妖魔族全体の意志とするような曲解は軽減できる。全ての妖魔が人間に敵対的だというイメージの固着を防ぐことは出来るだろう。

 ただしそれも完全ではない。

 一部の...それも一時とはいえ、妖魔族が人類に敵対意志を示したという歴史は覆すことは出来なかった。

 責任の分散。妖魔VS人間の構図を妖魔VS妖魔に挿げ替える、戦争が起こる直前だからこそ辿り着けた終着点だ。最善ではない、次善でもない、今できるところでどうにか辿り着いた終わり方。

 だが間違いなく、人間の妖魔への視点は変わるはずだ。

 妖魔の境遇について考える人だって増えてくる、人と妖魔の付き合い方だって、良くも悪くも今までのようにはいかないだろう。

 ヘルメットも軍用装備も取り払いいつものマリンワンピースに戻ったラミルが、長い髪を風に揺らしながら呟いた。


「首謀者のユーリーさんが単独でログリア国軍に出頭......でもこの終わり方に世界は納得してくれるんでしょうか...?責任を取るにしたって戦争に自分の意思で関わった妖魔や協力者は大勢いるわけで...」


 この結末を提案したのは、他でもないユーリー・ヴォルグ本人だ。

 自分一人が首謀者として戦争の責任を背負う...全部終わってからそう言い出した彼はそれまでとは別種の固い決意を抱いているように見えた。

 ユーリーもヴァリミルも詳しいところまで話してはくれなかったが、ようはユーリー・ヴォルグという独裁者が恐怖政治を用いて妖魔の反乱軍を()()()結成、今回の戦争に関与した彼以外の全ての妖魔は彼に脅されてやっていたという免罪符を被り、責任を免れる...といった狙いだろう。

 その作戦が完璧に上手くいくとはアルラも思っていなかった。

 ユーリーの思惑と世界の捉え方は全く別物で、そこにユーリー・ヴォルグという個人の背景を考慮する存在の介入はない。仮に全責任をユーリーが被ることを認められたとしても厳罰は免れないはずだ。

 最悪死刑、最善でも終身刑。アルラも、ヴァリミルも、そしてユーリー本人もそう考えていた。


「絶対的な赦しが得られるとははなから思っちゃいない。大半が納得しないだろうしユーリー以外への責任も追及されるだろう。今後の俺の立場は反乱を食い止めた穏健派のリーダー...表舞台に立って多くを説明する義務がある。だが()については俺も容赦するつもりは無い。言い訳と捉えられるかもしれねェが根強い妖魔差別を国や世界が放置していたのも事実だからな」


 誰よりも打ちひしがれていてもおかしくない立場の彼はいつも通りだった。淡々とそう言い放ち、無表情にこれから先の戦いについて思考を巡らせているのだ。

 強い人間だと、そう思う。


「上手く...いくといいですね」

「違うな。上手くやるんだよ。担った以上は死んでもな」

「...それは、あの馬鹿の為ですか?先生」

「あの馬鹿と別の馬鹿(おまえ)と妖魔の為だ。忙しくなるだろうが俺の働きが妖魔の暇を造る手助けになるならやらないわけにはいかないだろう。妖魔差別の根は深い。俺が知るだけでも少なくとも五百年は昔から続く『文化』みたいなものだ。現状でも昔に比べれば軟化したらしいがな。何が言いたいのかというと行動を起こさずして自然と解消されるような問題じゃないってことだ」


 ヴァリミルもまた戦う意思を宿したままでいる。相手は変わっても、手段が違っても、目的だけは変わらない。むしろ今回の件をチャンスのようにとらえているのかもしれない、いままで見て見ぬふりを出来ていた人間...見て見ぬふりを赦されていた人間も、いよいよ向き合わざるを得ないのだから。

 歩きながら、だ。

 未だに硝煙の香りが抜けきらない街を、破壊され尽くした街を、そして破壊者である兵士たちに加え避難から戻った住人達の手によって復興が進められている街を歩きながら、関係者たちは傷に滲む痛みを感じるたびに瞬間瞬間を思い出すのだ。

 それほどにみんなが考えさせられる戦いだった。

 一人で一日に強敵三人と連続して戦い全てを制したアルラに至っては露出してる素肌よりも包帯の白の面積の方が圧倒的に多いくらいだ。

 どの傷でも今もなお痛むが、内心、痛みを感じれる幸福をありがたがっている。死んだら痛みは感じない。生き延びたからこそ痛い、幸福に感じられる。

 心残りもある。

 白衣の男―――ジャバウォック・ノーテイムの死体が一晩で()した。

 確認に向かった兵士たちが見つけたのは夥しい程の血痕、それに足跡。死体があったと思われる位置から森へ向かうように、真っ赤に彩られた血の足跡が、まるで死体が自ら起き上がって移動したかのように森の奥深くへと続いていたらしい。

 確かにあの時、ジャバウォック・ノーテイムには止めを刺した。寿命の移動が発生したことから確実に殺した...はずだった。


「どうかしたんですか?アルラさん」

「.........んにゃ、何でもない」


 ノーテイムには未知の部分が多い。今は余計なことに頭を悩ませていても埒が明かないだろう。そう自分の中で違和感に折り合いをつけることにして、最後にはっと思い出す。


(ジャバウォック・ノーテイム...最期に何か言おうと、いや()()()()してたよな......)


 残心、しこりのような何か。

 ()()が何だったのであれ、ジャバウォック・ノーテイムという敵はもう死んだ。この手で殺したのだ。謎は解明されない、そう考えるのが今は『吉』なんだ。

 こちらの不穏を察知する能力は大人として流石と言うべきか、もやもやが晴れないままに歩き続けたこちらを見かねてあからさまにヴァリミルが話題を振ってきた。

 もう一つの、更に誰も知らない戦いに関わることだ。


「アルラ...ところでお前こそ良かったのか。()()()の身柄。こっちに預けちまって」


 未練がましく馬車旅の頃に見た少年の、きちんと少年らしかった姿が思い浮かんだ。

 彼は現在妖魔に拘束され、処遇の決定を待っている。

 とどめの一撃を最後にアルラは彼と一言だって話せていない。彼が会話を拒み続けているのだ。無理やりに突きつけられた現実を受け入れようとしているのか、それとも真逆の意図を未だに心に秘め続けていたのか。

 アルラ・ラーファに出来ることと言えば、前者であることを祈ることくらいだ。

 だから。


「シャハトのことを言ってるならそれこそ部外者おれが口出すことじゃねえさ。全部わかってる大人に任せるのが一番いいんだ。赦したくないなら赦さなくてもいい、俺にそこを判断する資格はない」

「...結局丸投げじゃないか」

「オイこら黙りなさいよゲルマさんよォ!!敗者に口無しって言葉を知らんのか!?」

「貴様は一度俺に勝ったと言えど口調がナメ過ぎなのではないか?」

「お前には大きな借りが出来たばかりだ。それくらいは何でもない。しかしもう一つ心配なのは...本当にもう()|のか?お前たちが望むならいつまでもこっちへ滞在しても構わないんだぞ」

「私たちも止めたんですけど戻るの一点張りでちっとも聞いてくれないんです。はぁ...異能のおかげで回復力が高いからっていつも無茶して、こっちは気が気じゃないですよ...」

「無茶は無茶でもラミルちゃんのための無茶だったからねえ。少しは大目に見て本人の意思を叶えてやったらいいと思うぜオレは。まあオレとしても向こうの方が居心地いいってのはあるけどね!温水ウォシュレットの無いトイレはもうコリゴリだぜ」

「私の為なのが余計に嫌なんです!私はアルラさんにもっと自分を大事にですね...っ!」

()()()()聞かされちゃあ居ても立っても居られないさ。それに医療設備に関しても()()の方が整ってる。いい医者知ってるし」

「......その医者も貴様のような患者の行きつけにされては苦労しそうだな」


 どこぞのくたびれた診療所の女医がくしゃみをする姿を連想して、なんだか自然と笑えてきた。

 ラミルもカイも笑って話していた。

 やがて談笑もこの散歩のような街歩きと共に終わりへ近づくと、会話は減り、やがてヴァリミルはある地点で足を止める。

 街と森の境界、枯れ落ちた木の葉がラインを引くように散らばる森の入口だ。

 振り返った彼は胸元から細長い何かを取り出しアルラ達へと無言で差し出した。

 どうやら封筒のようだが、なんだなんだ?と差し出された封筒を受け取って何の気なしに中身を確認すると、なんと今まで見たこともないような大金。頭の方がさっそくこの金銭でどの程度の日数を生き延びられるか勘定し始めるのは貧乏人のサガなのだろう。

 どうにか平静を保っている...ように見えるはず。

 後ろではカイがウホウホと興奮していたが。


「少ないが...今回の件の報酬という事で受け取ってくれ。空路のチケットも同封してある。ちゃんと正規のルートのな。空港のある街まではウチの車両で送って行こう」

「ありがとう、助かるよ」

「飛行機かぁ、もう極寒の貨物室はこりごりだぜ...」

「礼を言うのは俺たちの方だ。結局何もかも任せる形になっちまった。済まなかったな」

「やりたいようにやっただけさ。俺たちだってあんたに助けてもらったんだ。お互い様さ」

「......またいつでも来るといい。今度はゆっくり酒でも飲みながら話をしよう」


 受け取った封筒はやけに分厚く、中には紙幣の他にも彼の言う通り目的地へ向かうためのチケットが同封されていた。きちんと三人分、これでもう凍える空の旅で爆撃に怯える必要はなさそうだ。

 チケットだけ抜き取って封筒自体はラミルに預けると、彼女は初めて見る分厚さの札束にちょっと怯えていた。チケットに記載された日付は明日の最終便を示している。今晩は車中泊かキャンプで過ごして、距離的にも明日の内には街につくらしい。

 プップー!!というクラクションを鳴らす車両がいよいよ現れる。

 軍用車だとしても随分大型だ。バギーに近い外見に反してこれでも防弾、耐火、耐水と機能性は抜群らしい。三人で乗り込んでも十分スペースがあるように見える、これなら道中も傷を気にせずゆっくりできそうだ。


「アルラ」


 いつもと違う、柔らかい雰囲気の声。自然と振り返る。

 仏頂面を僅かに緩めて、まるで弟子の門出を見送るような先生面をしたヴァリミルが腕を組んでこちらを見つめていた。

 互いに傷だらけ。

 過ごした時間は一週間にも満たない程短い期間、長い長い人生における一瞬にも満たない程度の僅かな繋がりは、しかし確かに意味があったと言えるだろう。

 新たな旅の始まりを彼は穏やかに祝ってくれていたのだ。

 かつての旅立つ一番弟子にそうした様に。


「言いたいことはまだまだあるが...また()にする。頑張れよ」

「......ああ」

「お世話になりました、皆さんお元気で...!!」

「またなぁ~!!」


 ゴツゴツとしてはいるが広めの後部座席に三人で乗り込んでドアを閉めた。ヴァリミルの合図を受けた運転手が出発の声を掛けて、それから三人で窓の外でこちらに軽く手を振る、この地で出来た新しい戦友の見送りを眺めていた。

 やがてその姿も遠くへと消えていき、見えなくなる。

 街から北東へ...舗装もされていない揺れの激しい森の道でエンジンと動物の鳴き声が聞こえる。気を引き締めるように、或いはこの旅を良かったものとして締めくくるように、アルラ・ラーファは言った。


「帰るか...トウオウに!」



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