まっすぐ
両腕でのガードを上から押し破るパンチは落下中のユーリーを壁ごと建物の向こうへと吹き飛ばす威力を持っていた。
ミシミシという骨からのSOS、無視しきれないほどの激痛。
撮影中のカメラを持つ手をいきなり振り回したみたいに目線の先の景色が横へ流れ、背中からの衝撃に思わず吐血する。
粉が舞う。
健康には決して良くはないであろう建物の、破壊に合わせて生じる粉塵が舞い上がる。
着地して、ふっ!と拳の先に息を吹きかけたアルラはポケットからの振動を感じ取る。取り出した万能端末『ウィア』はカメラから取り込んだ風景を温度別に色で映し出していた。
背面カメラを向けた先...つまり敵が吹っ飛ばされた先の建物の中で、赤色で示された人型の熱源が揺れ動く。
口元の血を拭い去りながら現れたユーリーが忌々し気に言葉を発した。
「妙に大人しいと思ったら...あんたの指示か」
『やべ。バレた?』
「携帯にするにはデカすぎるんだよこの土管」
いつの間に拾っていたのか、『土管』は物理的な移動だけじゃなく声も通す。即席の通信機くらいの役割は果たせるということか。
加えて奴がポケットへ仕舞った妙な端末。
(サーモカメラか?熱源感知で特定した位置を先生が口頭指示で補正していた?)
ぎりりとユーリーが奥歯に力を込める。
投擲。
プロペラのように回転しながら迫るナイフの刃をかがんで躱し、アルラは再度距離を詰める。
その心の内には焦りが見え始めている。
要因は『寿命切れ』だ。強化の代償に己が命を消費する『神花之心』、その連続使用。ジャバウォック・ノーテイムとの戦闘で既に蓄えていた寿命の七割を消費していたアルラに残された寿命は具体的には200年弱。
洞窟の外に出てから今に至るまでの戦闘経験を経たアルラは普段、身体の継続強化は一秒につき1年の消費等基準を設定して異能を運用している。
免疫力強化を含む身体の再生には特に寿命を使う。
現状のアルラは基礎となる身体強化に加えて先のジャバウォック戦の傷の治癒、そして所々での一点集中。
現状維持では一秒につき3年失う。
戦闘が長引けば、敗北するのはアルラ・ラーファで間違いない。
(こまめにオンオフ切り替えたいところだが...いつ弾丸が来るかが分からない!未強化に狙われたら即アウトの事実が精神を削る!)
分かっていてなお、アルラは極彩色を引っ込めた。
ユーリー・ヴォルグの『軌道制御』は彼自身が触れた物体...戦闘では主に弾丸に作用し、そして軌道を変化させるたびに運動量を失うという。
つまり現状の脅威は発砲された弾丸のみに絞られ、仮に奴が弾丸を素手で投げて制御するようなことがあっても、それでは運動量が不十分過ぎてダメージにすらならない。
気を付けるのは発砲された弾丸...それだけだ。ただし一度発砲されたなら当たらなかったとしても軌道をイジって戻ってくる可能性があるので着弾を確認するまでは安全ではない。
発砲の直前を察知し、異能をオンにする。そして着弾を確認したならオフに。
ダダダダダダッッ!!と連続で引かれた引き金に反応したアルラの、両腕をクロスさせたガードに三発分の弾丸が浅く食いこんだ。
二人の距離は五メートル。弾丸は全部で六発、まだ残っている三発はカクカクと空中で軌道を折り曲げながら背中と脇腹をそれぞれ狙うが、どれも当たりこそすれど皮膚を破る程度で内側までは到達できない。
踏み込んだと同時、極彩を拳へ集めた。
顎を狙った下から掬い挙げるような右アッパーを両掌を合わせて受けるユーリーは、額に汗を浮かべながらも口角を僅かに引き上げて言う。
「キレが落ちてるぜ。疲れてるんじゃないのか?」
「お前こそどこ狙ってんだよノーコン」
「そりゃあんたじゃないからだ」
遠くの屋上での、ドスッッ!!という肉を刺す音を研ぎ澄まされたアルラの聴覚が捉えた。
嫌な予感がして首から上だけを回して音の聞こえた方角を探すと、丁度その瞬間を見つけてしまったのだ。
軌道を変えるのは弾丸だけという固定観念から生じた失態の結末。
ふらふらと立ち上がり、脇腹に突き刺さったアーミーナイフに手を当てて、遠くの空でも眺めるようにぼんやりと息を吐くヴァリミルの姿を。
「おっさんッッ!!」
傷だらけの体が斜めに倒れていく。建物の縁に足が当たり、ナイフを生やした人影は建物を挟んだ向こう側へと落下していった。
「これでもう邪魔は入らない...!」
プツンと、いよいよ我慢ならなくなって吠えた。
左膝を脇腹へ打ち込み、奴が怯んで拳を抑えつけていた両手のガードが甘くなったの瞬間を逃さず、すかさず右腕を引いて全力で叩き込む。
鳩尾へ食い込んだ腕に水っぽい感触が伝わり、そこで初めて自分が『神花之心』の出力を弱めていたのを思い出した。
気付いていたなら今ので終わっていたのに。
苛立ち、叫ぶ。
「どこまで間違えれば気が済むんだ!!」
どうせ奴は言う。
間違ってなんていない、それを決めるのはお前じゃない、と。
その通りだよ。
俺が決める事じゃない。
お前がきちんと自分で認めなくちゃならない。
「そう言うあんたは何なんだ」
がぎんっ!!という重厚な金属音。
拳銃が装飾を纏っていた。銃口付近に取り付けられたギザギザの追加パーツは、確かマズルガードとかいう奴だ。
加えて銃身の下...明らかに近接戦闘目的の短く黒い刃がてらてらと光を反射する。
それが二丁。
巧みに急所目掛けて振り下ろされた刃が薄く皮膚を切る。これだけ間近で見れば素人でもわかる、きちんと鍛錬を積んだ近接格闘術だ。事前にヴァリミルのそれを体験していなければ傷はもっと深かったはずだ。
傷と同時に伝わるものもあって、それはもう引き返せないというどうしようもないくらい真っ暗な焦りと恐れ。
先端を押し当てるような突きをバレルを掴み取り、もう一方からの横薙ぎの切り付けは前腕で受け止めた。
刃がずぶずぶと入ってくる。痛みなんてもはや今更だった。
「ずけずけと踏み込んで」
「お前が引き金を引いたからだろうが」
「あと少しってところで邪魔をして!」
「お前が全部の原因だろうが!」
「言われなくてもわかってんだよンなことはァ!!」
腹を蹴り飛ばされ刃が離れる。
引き金を引かれた銃が刃ではなく銃本来の機能を発揮して、軌道を曲げる弾丸が四方八方から襲い掛かる。
敵のギアが上がった。
弾丸と同時に自らも距離を詰めてきた。持ち方を変えた銃を刃物のように扱い、銃弾を避けて体の位置に合わせて的確に刃を置いてくる。
まず左足が外から鉛に貫かれた。
思わず膝が崩れたところへ振り下ろされた刃の側面、咄嗟に頭突きを合わせて軌道を変える。肩に食い込んだ刃を引かせないように、筋肉に力を入れた。
一度折れた膝を立たせる。
肩で銃を拘束した状態で、勢いのままに頭を振り上げた。
人間の頭部の重量はボウリング玉と近い、それをいくら薄いとはいえ強化された状態で顎に喰らったユーリーは今までのダメージも相まって、意識の大半を暗闇に落とすこととなる。
ぎりっ!?と。
舌を噛み血を吐いて、無理やり意識を奮い立たせたユーリーはまたも叫ぶ。
「曲げられねェんだこれだけは!!もう誰も俺みたいにならねェように!!もう誰も苛められねェために!!誰もやらない道づくりは俺がやるしかねェんだよ!!」
ユーリーが空っぽになったマガジンを力いっぱいに投げつけた。
頭を動かしてそれを避けたアルラがますます拳を握る力を強めると同時、今にも泣き出しそうだと思えるほどに声が震える青年は両手に握りしめた拳銃の引き金を目いっぱいに引きまくった。
ダダダダダダダダダン!!と。
着弾時の被害はもう皮膚だけに留まらなかった。
空中でビリヤードのように軌道を曲げる無数の弾丸はどれも、ユーリーの意志を体現するかの如く鋭い殺意を帯びていた。
「未来の妖魔は...俺の埋まった道を真っ直ぐ歩いていけばいい!!」
弾丸の衝撃がアルラの体の動作を鈍らせる。
同時に血を失いすぎていた。頭がふらりと倒れかけたのを気力だけで無理やり叩き起こして、直後にグリップの底で殴りつけられた。
大きく揺らされた首から上がのけぞろうとするのを、首元に絡みつく妙な抵抗に引き戻される。もう一度、グリップの底で額を殴り飛ばされ、しかしやはり首のそれのせいで後退できない。
巻き付けられたワイヤーの先にある四角い物体をどうにか視界に収めた。
(さっき投げたマガジン!?ワイヤーを結んであったのか!!軌道を曲げて首に...!!)
全方位射撃から身を守ろうとガードを上げたタイミングで巻き付けられたのか。
頭を切り落とさんとばかりに首を絞めつける導火線に指を掛けて力を込めるも引きちぎれない。逆に絞めつける力が増すばかりで、呼吸も苦しくなってきた。
左手でワイヤーを引き、寄ってきた頭を右手の銃で殴りつける。
ユーリーはこの動きを何度も何度も繰り返す。
繰り返すたびに赤が舞って、アルラの額からはどくどくと殻が割れた卵のように血が噴き出した。
八つ当たりのような連打に次ぐ連打。
むしろユーリーの息が上がってきている。
何度も何度も繰り返して、最後はアタッチメントの刃で首を掻き切って終えようとしたユーリーの左手に握るワイヤーの感触が変化した。
ぐいんっ!!と、今度はユーリーが引き寄せられた。
頭を大きく仰け反らせた後に全力で振り抜いたアルラの頭突きを顔面で食らってしまったユーリーは痛みに悶え、そのまま地面へ倒れ込む。
ここぞとばかりにワイヤーの拘束を解いたアルラは脚を大きく引き、狙いを定めた。
生々しいサッカーボールキックがどむっっ!腹に突き刺さり、勢いのままに振り抜かれたことでユーリーの体が地面を離れる。
血の混じった吐しゃ物を撒き散らかしながら、だ。
「未来の妖魔のためとか言って...今いる妖魔を犠牲にしてたら本末転倒だろうがッ!!」
もうこの声が聞こえていたかどうかも分からない。
二人共血が足りないのに、二人共頭に血が上っていて冷静になりきれない。
強さだけなら間違いなくアルラ・ラーファに軍配が上がる。殴って蹴って折って吐かせて砕いて叩きのめして、あらゆる手法でアルラはユーリー・ヴォルグの命を奪い得る存在であると両者が確信に至っている。
だが意志の強さならどうだ?
殺そうとするだけじゃ『ユーリー・ヴォルグ』は絶対に折れない。
それが奴の罪だから。
ひたすらに真っ直ぐ進もうとする罪。
即ち、【直截】。
足元の影を上から赤く塗りつぶして。
凍えるように震える四肢を意志の力で押さえつけ、無理やり体を叩き起こして、べっとりと手を濡らす血をバンダナで拭い去り、依然その男の眼光は敵を見据えて鋭く尖っていた。
「......何言っても無駄か
そんな風に言った直後にアルラの目に映る景色は薄くぼやけて、いよいよ終わりが近いと無理やりに理解させられた。
残りは...80年も無いくらいか。
「...知ってるか?おっさんな、お前のことすっげー自慢げに話すんだぜ。敵だって説明してるくせにな」
「.........もういない人の話だ」
「遠ざけたのはお前だろ。歩み寄ろうとしたのに突っぱねて」
「互いの正義が噛み合わなかった...仕方なかったんだ。先生は恩人で、俺はあの人から全部教わった。ただ、成長する過程で俺が見出した正義は、先生にとっての悪だった。噛み合わないなら戦うしかない。丁度、俺とあんたみたいに」
「それでも、だ。おっさんはそれでもお前のことを認めていたよ」
「...今となってはどうでもいいさ」
ならどうしてそんなに泣きそうなんだよ、とは言わなかった。
それは野暮だ。
コイツを見ていて思ったことが一つある。
それは、ヴァリミル・ハスキーが彼を止めようとしたのはきっと妖魔のためなんかじゃないという事だ。
彼は...見ていられなかったんだ。
見たくない景色を見続けて、真っ直ぐになろうとして踏み違えて、結局進むことしか出来なくなった、今の弟子の姿を。
だから、これは心からの言葉だ。
「お互い、自分勝手に背負っちまって大変だなァ...!!」
もう今日だけで何度繰り返したかもわからないやり取りだった。
アルラ・ラーファは距離を詰め、ユーリー・ヴォルグは迎え撃つ。
拳と銃が、肉と鉛が交差する。
今までと違う事と言えば、互いに時間が残っていないという事くらいだ。
体が軋む。骨が歪んで肉が引きちぎれそうだ。
もう長いこと『神花之心』で体を強化し続けている。その反動、体の内と外の両面に重い火傷を負っているかのような、きっと常人には耐えがたい苦痛が毒のように蝕み続けてきている。
互いに手札は出し切った。
そう思い込むように次から次へと見せつけた。
何度も何度も、繰り返し繰り返し近接に持ち込もうとして刷り込んだ。殴り掛かって、蹴り込んで、これがこっちのスタイルだと暴力を使って染みつかせた。
『基本近接』の固定観念を。
(もう消えただろ!?遠距離の択は!!)
アルラがそう考えながら突っ走るのと同時に、ユーリー・ヴォルグも血の足りない頭を回し続けていたのだ。
散々殴られて血を吐かされた。間違いなく今までの人生で一番だ、戦場でだってこんなに怪我したことは無い。こんなに心が折れそうになったことも無い。
こっちはもう奴の攻撃を耐え切るだけの体力も気力も無い
奴は...激情に駆られてるようで冷静だ。
突っ走ってるだけのように見えて...その実ただ殴り掛かるだけでは終わらないはずだ。
感じ取る。
敵の企みの気配を。
「「ッ!!」」
思惑が交差し、重なった探り合いを置いてくように、一足早くアルラ・ラーファの手が動く。
取り出したのは...緑色の円柱。
その物体はヴァリミルが特注した、異なる二つの空間を空洞で繋ぐ『土管』と呼ばれる魔道具だった。
ぶわっ!!とユーリーの全身を悪寒が襲った。思わず目を逸らして自分の周りで別の『土管』を探してしまった。そこまでがアルラの描いたシナリオだった。
振りかぶる。
全てをそこに集める。即ち集中。肩から先、肘から先へ意識の全てを張り巡らせることで、強肩は寸分の狂いも無く目標を貫く拳大の弾丸の発射台と成り得る。
人力のカタパルトが音を切り裂いた。
瞬間。直後、に......バヅンッッ!!と。
投げつけて、確かにユーリーの顔面に命中したはずの『土管』が弾かれた。
真反対へ。
跳ね返るように。
これが意味するのはたった一つの現実で、それはある一瞬において灰被りの青年にとって何よりもまずい状況を創り出す。
跳ね返った土管が顔面に命中し、走りながら正面からのベクトルを顔に受けたことで体勢を大きく崩されたアルラは最悪のシナリオを思い描いた。
(『軌道修正』...!土管が触れた瞬間に『方向』を!俺に向かって...!?)
取り戻せない距離が空いてしまった。
下手に土管を『神花之心』で強化していたのが裏目に出た。
五メートル弱。
二人の距離感。もう一回分しか残されていないアルラを嘲笑うかのような、絶望の間合い。蹴りもパンチも届かない、それどころか体勢が若干後ろ向きに崩されているんだから、今すぐ攻撃に移れない。投擲できるようなものも無い。
目の前でユーリー・ヴォルグは静かに銃を構えていた。
引き金に指を掛ける。
二人が。
のけ反り崩された体勢から目の端で背後に立つ影を捉えて、彼の表情を目にして、アルラは一瞬で理解して、口角を上げて笑った。
人差し指を引こうと力を入れた、直後。
近付くどころか一歩退いて...真横へ伸ばした右腕に極彩色を纏ったアルラの姿に、ユーリーはハッとした。
いいや、正しくは。
アルラを挟んだ直線上で銃を構える男の姿に、だ。
「...ちくしょう―――」
ダンッ!!というありふれた発砲音が鳴り響く。
極彩色を纏った右の二の腕が赤く爆ぜて、そこを起点に無数の金貨が散らばり赤を彩る。
腕から伝染した極彩を帯びて、その力で以て急加速した散弾を全身に受けたユーリーは衝撃によって吹き飛ばされ、手放しかけた意識の中で敗北を悟る。




