言
強化した腕力で抜け出せない圧力。
ジェットコースターで正面から受ける圧力を、全方位から受け続けているような感覚をアルラは錯覚していた。
ただし体に加わる圧力がジェットコースターの風圧程度ならとっくに抜け出しているだろう。呼吸は上がりいよいよ全身に痺れが回ってきている。
「君の異能...恐らく生命力のようなものを代価に力を強くしているんだろう?出力が落ちているよ。今の腕力じゃあ僕の拘束からは抜けられない」
大当たりだ。
寿命も使い過ぎている、今以上の無駄遣いはイコールで死に直結してしまう。けど、ちまちま小出しにして殺されてしまっては元も子も無いのはその通りだった。
状況は敵が思うように詰みに近い。
「けどね...敵としての君への興味は失っても、被検体としての君になら興味津々なんだ。君の異能は役に立つし僕らノーテイムの術式体系に応用できるかもしれない。強化の適応範囲は自身に限られるのか?自然的な力への影響は?持ち帰って研究するのも有りだと思ってるんだけどね?」
「死んでもお断りだよクソ野郎」
「あ、そう。まあでも君は文字通り僕の掌の上なんだから、君は僕に意見を通せる立場には無いよ」
どろどろという粘液...唾液が全身を締め付ける舌の表面から流れ出ている。
ぶしゅっ!!と、垂れ落ちた唾液が地面で気持ち悪く音をたてる。
「正直言ってね...この仕事にも飽きが回っていたんだ。僕は妖魔とか戦争もどうでもいいし、報酬は前払いで受け取ってるしね。貰った報酬分の仕事はしたと言えるし、向こうは自分で何とかするだろうってことで適当なところで切り上げて帰ろうと思ってた」
「ならさっさと消えてくれると助かるなァ、お前と違って仲間を助けなきゃだからよォ」
「わからないかな?君は予想外の追加報酬なのさ!咎人のサンプルはいくらあってもいい!人類市場だと咎人は割高だし、野良の咎人は当たり外れが激しいから。君みたいな自分の力をきちんと理解出来てる咎人には滅多に出会えない!」
大袈裟な身振り手振りで興奮を表す姿にも反吐が出る。
ジャバウォックが大袈裟に声量を上げるたびに締め付ける力は増して、全身の圧迫を強くする。
内臓を締め上げられるような感覚に体が軋む。
「下手に力を残して暴れられても面倒だから、君にはここで限界まで力を失ってもらうことにするよ。その方が持ち帰りやすいし」
「『雑菌』、か」
「そ。効き目が悪いとは言ってもゼロじゃないんだろ?お喋りでもしながらじっくり待とうじゃないか。燃えゆく街でも眺めながらさ」
けたけたと。
テレビでバラエティー番組でも眺めているみたいな乾いた笑いを、黒煙と爆音轟く街を眺めながら発するジャバウォック・ノーテイム。
悪意の一言では片付けられない発言を次々繰り返す男の白衣が爆風にはためくと、次の瞬間、一際大きな爆破音が街の奥から轟いた。
ここまで届くほどの衝撃だ、よっぽどのことが起こったらしい。
仲間たちに対する心配が無い言えば噓になる。
けど......。
「お喋りねぇ...」
「ふふ、気が乗らないかい?」
「......いいや、そういや気になることもあったしな」
「へえ?というと?」
「お前の術式のことだよ」
ぴくりと、ジャバウォック・ノーテイムから興味が言葉へ向いた。
醜く胎動を続ける舌の中に埋もれた拳の傷と、それが出来た要因を脳裏で振り返り、思い浮かべながら、だ。
「違和感があったんだ。俺からすれば俺とお前の術式との相性は最悪で、物理主体の俺の攻撃はお前に通らない。殴りかかっても蹴りかかってもこっちが一方的に削られる。いろんな意味でな」
ジャバウォック・ノーテイムの術式の使い方。
巨大な舌を模した肉塊へ変じた腕や脚を振るうことによる物理攻撃。荒いヤスリのような表面による『削り』と雑菌を含んだ唾液による持続攻撃は使い手の性格がにじみ出たような出来栄えで、敵をいたぶるのに適している。
また巨舌は敵の攻撃から身を守る盾にも転じる。
硬さだけでなく柔軟さをも併せ持つ舌で衝撃は抑えられ、しかも殴った敵は拳の皮膚がずる向ける。あの硬度と柔軟さの両立具合なら恐らくは刀剣での斬撃だって受け止められるだろう。
度々感じた違和感。
「なんでお前は全身を変換しないんだ?」
その、正体。
ジャバウォック・ノーテイムの薄ら笑いが一瞬、瞬き程の一瞬、硬直した瞬間をアルラは見逃さなかった。
奴だってとっくに理解しているはずだ。
自分と敵の相性を。
だからおかしく感じる。
「お前の術式は一言で言ってみれば身体の切り替え。生身と舌を行ったり来たり出来るスイッチみたいなもんを自分の意思で押すことが出来る。オンオフ式じゃなくてオンだけの一括切替ってのだけは普通じゃないけどな」
「...驚いたなぁ。たったあれだけの攻防で僕の術式の起動形式を視抜くとは...!」
「そこはどうでもいい、俺の疑問は...何でお前が全身変換しっぱなしにしないのかってことだ」
「......」
「舌に変換した部分に俺の攻撃は通らない」
それは前提。
そこから繋げなきゃならない話が喉のところに大量に出かかっている。
一つ一つ繋げていく必要があるだろう。
「なら全身を『巨舌』にしたままならもう無敵だ、ダメージ無しで攻撃し放題のやり放題。なのにお前は攻撃するたびにいちいち部位ごとにオンオフを切り替えてる。ってことは、そうしなきゃならない理由が必ずある」
「面白い考察だと思うし別に反論って程でもないけど、必ずってのは言い過ぎじゃないかな?僕の個人的な信条或いはポリシーかもよ?」
「お前はノーテイムだろ?目的のためなら手段を択ばず常に最善手...術式への信頼はもはや信仰レベル。効率厨ばっかの魔法使いの中でも特段効率厨集団の一端のお前が、意味も無くわざわざそこ曲げるかよ」
今度はアルラがにやにやと薄ら笑いを浮かべていた。
思い浮かべていたのはアクションゲームの無敵アイテム。
あらゆる敵、ギミック...つまりは障害を透過してノーダメージで通過できるというよくあるシステムで、例えばその無敵状態がプレイヤーの操作でのみ継続されるとしたなら、それは本当に『無敵』と言えるのか?
『ボタンを押してる間は無敵』ならプレイヤーがボタンを押すという一手間が生じる。このボタンを押すという操作をするのが人間である以上、それは完璧な無敵とは程遠い名に金のではないか。
アルラの口から次に放たれたのは、それを踏まえたうえでの仮設。
ジャバウォック・ノーテイムに証明してもらう必要は無い。アルラが求めているのは自身の仮説の正誤ではないのだから。
「仮説1...魔力の節約説、これは真っ先に候補から外れた。お前の術式がオンだけの一括切替式ってことに気づいたからだ。発動中継続的に魔力消費があるオンオフ式ならまだしも、一括切替は扱いにくい分そこまで魔力消費はそこまで多くない。何よりノーテイムレベルの馬鹿げた魔力量があるなら一回俺と闘うくらいじゃどうやっても魔力は枯れない。節約する意味が無い」
「当たり。僕...というかノーテイムはみんなは一般人に比べて八倍以上の魔力保有量がある。だから基本的に魔力は枯れないし、節約の必要も無い」
「仮説2、そもそも出来ない説。ほぼ無いだろ、割と体の大部分を舌に変えた瞬間だってあったし。下半身とか腹とか頭とかも変えてたから思考や内臓機能を損なうって訳でもない。つまりお前はやろうと思えば意識を保ったまま全身を舌に変換できる。でも頑なにやろうとしない。てことはそれをするとお前自身に不利益が生じると考えられる」
ノーコメント、とでも言うようにジャバウォック・ノーテイムは肩をすくめていた。
「それが本命の仮説3、メリット以上のデメリットがある説。術式による全身変換のメリットは大きく二つ。完全な物理耐性と手数の増加だ。じゃあこれを上回る程のデメリットって何だ?と俺は考えた。お前の術式全体を考慮しつつこんだけでかいメリットを打ち消せるデメリットを考えるとなれば道も限られるよな」
アルラは今回も観察した。
否...ヴァリミル・ハスキーの『集中』の教えに従い、今まで以上に目を凝らしたつもりだ。
ノーテイムファミリーの魔法術式は極めて複雑かつ回路の独自性が強い(無駄が多かったり不必要な記号が多用されていたり)ため『魔法を視抜く瞳』による無効化は極めて困難である。
ならば目的を変えればいい。
術式を『完全に』理解するのではなく『部分部分』を理解する。『魔法を視抜く瞳』は放棄し術式それ自体を一つの料理に例え、それを構成する材料を洗い出す。味噌汁には『人参』『豆腐』『味噌』『ネギ』というように...。
抽出した要素の割合も導き出さればなおベスト。
そうして導き出した『異形の巨舌』の要素。
今まで上げたメリットデメリットに含まれず、尚且つ要素としては大きく術式の副次効果の役割を持つモノが見つかった。
「『唾液』だよ」
その言葉を聞き、ジャバウォック・ノーテイムの表情が、今度こそ明確に変化する。
驚愕、加えて...嬉々。
求めていた以上の領域にモルモットが辿り着いたという研究者特有の思考回路。そんなものはお構いなしに、アルラ・ラーファは言葉を続ける。
「つまり雑菌、よく考えたら確かにそうだよなァ...。誰の口の中にでも雑菌は潜んでいるし、免役が落ちてりゃそいつらのせいで病気にもなる。舌の範囲を増やすってことは唾液の分泌範囲も広がるという事。唾液の分泌範囲が広がるってことはつまり、お前の体表上の雑菌の数も増えるってことだ」
日頃、人間が口内雑菌の影響を受けないのは免役が十全に機能するためで、その前提が無くなれば、我々の口の中の住人は容易に宿主へ牙を剥く。
菌の単純量が増加すれば発祥のリスクも比例的に増加するのは言う間でもない。
つまり...つまりだ。
その程度の常識に、奴の術式を当てはめる。自ずと答えは導き出せる。
「お前、術式広げすぎると自分の雑菌にやられるんだろ」
「......素晴らしい!」
どろりと、鼻血が垂れていた。
両手が使えないので拭うことも出来ず顎の先端からぽたぽたと、血液はそのまま巨舌に滴り落ちる。どくどくと今までにない脈動にも似た運動を繰り返す巨舌の、締め上げる力はますます強まった。
ジャバウォック・ノーテイムは興奮を隠せないようだった。
そこに辿り着いた人間に初めてであったためである。
幾度となく殺し、嬲り、ある時は攫い、モルモットとした。全ては己が信じるたった一つの信仰をより高次のものとするために。
故に興奮。
ジャバウォック・ノーテイムにとって自己の術式の完全な理解とは、信仰の共有に等しい。
「まさか...まさかだ。こんな所で僕の術式の理解者が現れるとは!」
「したくて理解したわけじゃねェ。お前らノーテイムのイカれた思想は興味ねえよ」
「けど結果的に辿り着いた。魔法学への理解力が半端じゃない、誰に教わった?師は?どこで知識を身に着けた?咎人が魔法の知識を必要とした理由は?俄然君への興味が増したよ。一刻も早く君が欲しい!!」
「何度でも言うぜ。死んでもお断り」
「いいや、君に君の未来を決める権利はない、決めるのは僕だ。ふふふ...雑菌の血液凝固の阻害効果のせいだろうねぇ、鼻血が垂れているよ。そこまで進んだら後は意識を失うだけさ」
雑菌の毒は普通に使えば命までは届かない。
しかしながら命の一歩手前位になら手が届くという絶妙な調整が成されており、蝕まれた者から着実に抵抗力は失われる。出血作用も雑菌が力を奪う手段の一種、傷口の血液の凝固を妨げ、塞ぎかけの傷からの出血を促しますます体力を奪う。
空いてる方の手で鼻の頭を指差したジャバウォックは気味悪く笑んでいた。
一方でアルラはというと、暇そうに首の骨を鳴らしていた。ばぎばぎっ!という音の直後にふと視線がジャバウォックの表情に向く。
それに気づいて、ふっ、と。アルラは口から小さく息を漏らしながら、だ。
「...お揃いだな」
「は?」
笑みながら放った一言で、手を顔に近づけて、ジャバウォック・ノーテイムはようやく気付いたのだ。
敵と同じように...己の鼻から垂れる赤い線と、認識した瞬間重くのしかかる倦怠感、頭痛、その他諸々の痛みに。
「なんっ...?これ、は...?」
「気付かなかっただろ。ずーっと使ってたんだぜ?」
気付いとたんに全身から力が抜けていく。
久しく忘れていた倦怠感...つまりは疲労。寝起き一番にペットボトルの蓋を開けられないような、自分で自分の力が信じられないような疑心暗鬼。
ジャバウォック・ノーテイムはこの症状に覚えがある、というより、この世の誰よりも詳しいというある種の自信を日頃から感じていた。
(この症状、進行速度!まさか...いや、やりかねない!!)
頭の中を巡る無数の記録。
さっきまで心地いいとすら感じていた街の爆音も今は思考を邪魔する雑音でしかなくなった。
要因を探す。
こうなった要因、きっとその辺に転がっているはずだ。直近の記憶の引き出しを開けて手当たり次第に引っ張り出して探せば......。
要因、要因、要因...。
.........あった。
アルラ・ラーファだ。
「俺の神花之心は俺が触れた万物の、あらゆる力を強くする」
「僕の『雑菌』の毒性を強化して...!!」
「そう。お前自身を毒に侵した。いやァ~お前がお喋りで助かったぜ、いくら強化したと言っても毒は毒、どうやったって時間はかかるもんなァ!?」
アルラは早い段階で拘束からの力技による脱出を諦めていた。
代わりに、全神経をジャバウォック・ノーテイムの舌から分泌される雑菌の毒性と、己の免疫力の強化に注いでいた。
強化に伴い発生する極彩色の発光は敵の舌が覆い隠しているため外部から視認できない。先の二つの強化に加え、抵抗の意志があるように見せつけるための腕力強化を6:3:1の配分で行い、会話によって時間を稼いでいたのだ。
結果、先に瓦解したのはジャバウォック・ノーテイム。
傷口からの侵入に限られる雑菌の影響が彼の場合、舌という粘膜全体で受けてしまうというのも要因の一つである。
(自分への影響は免役の強化で防ぎつつ!会話で僕が発症するまでの時間稼ぎを!進行が速すぎる、今解除しても自己免疫だけでは解毒できない!!)
ジャバウォック・ノーテイムは術式を使用する時、普段から心掛けていることがある。
術式の使用時間と変換部位のバランスである。
脳内で横軸縦軸の線グラフを引き、要素としてそれらを設定。術式の使用中は常に頭の片隅にグラフを設定し、予め決めておいたラインを超えないように線グラフを調整することで自爆を防いでいたのである。
今まで敵に自爆のラインを見破られることはあっても、無理やりそこへ踏み込ませるような真似をしてきた者はいなかった。
この瞬間のアルラ・ラーファを除いて。
(体を戻さなければ僕は強化された毒で死ぬ!戻せば毒の進行は止まるが攻撃される隙が生じる!しかしこれは強制二択、前者を取らざるを得ない!!)
『異形の巨舌』の解除と同時。アルラ・ラーファは両脚を限界まで折りたたむ。
その時の彼の脳裏にあったのは弓を限界まで引き絞るイメージ。或いは、直径数センチの工業用スプリングを限界まで圧した姿。
イメージした瞬発力を脚部に集中させる。
上体は前傾姿勢、クラウチングスタートともまた違う態勢を取るアルラ・ラーファは重力の赴くままに落下し、やがてつま先が地面に触れた。
ボッッッッ!!!と地が爆ぜる。
(はやっ......っ!?)
ジャバウォック・ノーテイムの『異形の巨舌』は自身の肉体そのものを『舌』という別物質に変換させている。先の巨舌でアルラを捕縛している状態は術式というフィルターを無しに見た場合、彼が自分の腕をゴムのように伸ばして変形させているのに等しい。
もちろん現実に腕が伸びるているわけでは無く、実際には術式によって舌へと変換された腕がアルラを捕まえているだけである。しかしここで一つの疑問が生じる。
腕としての原型から著しく変形した巨舌がフィルターを失った場合...つまり元の『腕』から程遠い形状の『腕』を術式で戻そうとしたのなら、戻った時の腕の形状はどうなるのか。
この時『舌』から戻った腕は数秒かけて、引っ張ったゴムを放した時のように、人としての元の形状へ変化する。
この間は肉体の形状が極めて不安定な状態であるためか、或いは人としての形を忘れないための防衛装置なのか、『異形の巨舌』は一時的に制御を失い術者は無防備にならざるを得なくなる。
反動とでも呼ぶべきか。
つまり。
『異形の巨舌』は舌→肉体の変換時、変換部が人としての形を取り戻すまでは再発動できない。
アルラ・ラーファは幾度もの拳のやり取りの最中の観察で、この仮説を既に確信へと変えていた。
アルラを捕まえるのに著しく巨大に変形させた舌は、未だ『人』に戻り切れていない。即ち、アルラの落下を含めた数秒間、ジャバウォック・ノーテイムは術式を使えない。
「ッッッ!!?」
ズバチィィッ!!?という聞いたことが無い種類の音の交差は、直後だった。
現実に起こったことは単純だ。
アルラ・ラーファが地を蹴り爆発的な速度で飛び出した直後、時間にして1.6秒後にジャバウォック・ノーテイムは『異形の巨舌』の制御を取り戻す。
目の前には既に構えた拳に極彩色を灯すアルラが迫っており、ジャバウォック・ノーテイムは咄嗟に腹部から衣服を突き破る形で巨舌を生成。前方へ槍のように突き出すことで敵の撃退に動く。
だが遅すぎた。
躱す。そこから来るのがわかっていたと言わんばかりに、腹から突き出た巨舌を腕と腹の間の空白へと誘い込む。
拳の放つ光が圧を持ち、吸い込まれるように顔面へ――――――......。
「~~~~~~ッ!!」
「...あ」
骨が砕けるよりも先に筋肉が断裂れた。
痛みの一言では言い表せない何かが顔面を起点として全身を巡り、最後に脳みそがそれを認識した途端に薄れ掛けの意識が引っ張り起こされた。
『神花之心』、一点集中。
腕力と硬度だけに全ての力を注ぎこみ、治癒力どころか振り抜いた己の拳すらも度外視した一撃は、自壊しながらも容易にジャバウォック・ノーテイムの顔面を砕いた。
空中で何回転もしながら、そして最終的には後頭部を地面へ強く打ち付けることでようやく静止出来たジャバウォックは盛大に吐血し、自分の身に降りかかった衝撃に思考を巡らせる。
痛みが逆にジャバウォックから意識を失わせない。
恐らくは今までの生涯においてダントツ一番。
仰向けで血反吐を吐きながらも荒く呼吸を繰り返す研究者風の男は白衣を自らの鮮血で赤く染め、両手で顔を覆おうとして触れた瞬間の痛みに悶えた後に、なんとか片腕を支柱に上体を起こすことに成功する。
(こんなところで...これを使う羽目になるとはッ!!)
片手の指を折り曲げる。
人差し指と中指を伸ばし、薬指と小指は折りたたむ。ぴんと伸ばした親指は第一関節から先を九十度折り曲げ、最後に人差し指と中指の先を自身のこめかみへ向けるように―――...。
「魔改―――...
ばぎべぎぐちゅっ!!と。
何か言おうとしたジャバウォック・ノーテイムの口は顔面と共に、アルラの靴底に潰された。
気持ちの悪いねちゃねちゃとした足裏の触感に不快感を示しながら、頭部を失った糞野郎の汚れた白衣に足裏を擦りつけて血をふき取ったアルラは口の中に溜まっていた血混じりの痰を吐き捨てる。
まだまだ爆音も黒煙も立ち上っている。
阻む者がいなくなった街の入口に目を向けた。
「80年か...ゲスの癖に随分溜め込んでいやがった」
ぐじゅぐじゅと人だったそれは両断されたミミズのように、地面の上で小さくのたうち回っていた。
手足の先...体の先端は使いかけた術式の効果が影響しているのか、じわじわと『舌』への変換が進んでいる。しかし今までのような強靭な肉の塊というよりは随分と様子が違う。
ぼとん!と、無数の小さな『舌』に分裂していくそれは死体に湧く蛆のようだった。
やがて全身が細かい舌を模した肉塊に変質し、ぼろぼろと崩れたそれは、地面へ染み込むように消えていった。
さて、仕事が残っている。
進もう。




