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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
一章
230/268

受け身受け身で流されて



 巨大な大気の揺らぎを【憎悪】の咎人も感じ取っていた。

 ほんの数秒前のことだった。

 丸太程の太さにもなる計六本の触手を掻い潜り、或いは引きちぎり、自身の肉体を破壊しながら撃ち込んだ拳の衝撃。その反作用に、骨も筋肉も悲鳴を上げている。削り取られた拳の表面はもう何度目かもわからない再生で急激に皮膚を取り戻すも、体力の方はそうもいかない。

 ジャバウォック・ノーテイムの方が一枚上手だった。

 引きちぎられて、本体から離れ、制御を失った肉塊の一つ。いわば切り捨てられたトカゲのしっぽ。


「こんなに疲れたのは...久しぶりだよ」


 ジャバウォック・ノーテイムの魔法術式『異形の巨舌(テイスト・モンスター)』は、自らの肉体の()を体組織ごと変質させて操作する術式である。

 特筆すべきはその変質の工程にある。

 通常、この手の魔法による物質変換は術者の意志によるON/OFF(スイッチ)方式が取られることが多い。術式を継続して起動している間は魔力を消費し物体が変化し続け、解除すると同時に変化が消失するというシステムだ。この方式が一般化された理由は単純にして明快、魔力による感覚的な制御が可能であるためである。

 一方でジャバウォック・ノーテイムはONとOFFを用意していない。術式を発動したタイミングで対象部位はその時とは真逆の状態に()()()()。腕から巨舌へ、巨舌から腕へと、だ。

 前者がスイッチのON/OFFだというならジャバウォックはONのみ。既に舌へ変質している部位を肉体に戻すのに前者は術式をオフにすればいいだけなのに対して、ジャバウォックはもう一度その部位へ『異形の巨舌(テイスト・モンスター)』を起動する必要がある。

 前者が継続的に魔力を消費して物体を変化させてその状態を保つ一方、後者は術式発動のタイミングで魔力を一気に消費し物質が完全に切り替わる。

 そう...もう一度術者が術式を起動するまで、例え切り飛ばされようが千切られようが、変化した巨舌は元の体の部位に戻らないのだ。

 例えば完全に本体から千切り飛ばされて制御を失った巨舌へ、ジャバウォックが隙を見て別の巨舌を接続すればどうなるか。

 

「ぐっ、う......」


 ぎりぎりと、巻き付いた舌が強く体を締め上げる。

 今までで一番の攻撃を叩き込み、アルラの緩んだ精神の隙を見逃さなかったのはジャバウォックの技量だ。巨舌の一本を千切り飛ばされた瞬間に他の巨舌のうちの一本を飛ばされた舌との『接続』にシフトさせ、絶好の機会を待った。

 実際、そのタイミングは来た。

 接続によって巨舌としての機能を取り戻したことで成立した、背後からの完全な不意打ち。

 今思えばアルラの拳も敢えて受けることでこの展開へ繋げようとしていたのだろう。

 よろよろと体の芯を突き抜けた衝撃に体を左右へ揺らしながらも、ジャバウォック・ノーテイムは不気味に笑った。


「でもここまでだ。残念だったね―――...」


 一方で、爆熱がまき散らかした衝撃に顔を覆い、突き刺すような熱風にラミル・オー・メイゲルは呼吸を荒げる。

 自らの命を投げ出した大爆発。

 自爆を選択したゲルマ自身、どう転んでも...少なくとも無事じゃいられないはずだ。

 幸いこちら側の被害は少ない。

 直前に氷の障壁が間に合った。カイも何とかその背後に避難できたので、二人共衝撃に吹き飛ばされて地面を転がされたくらいだった。

 敵は戦闘不能。

 こちらは無事、誰がどう見ても納得のいく勝利のはずだ。

 そう思っていたのに―――。


「......俺もまだ未熟。どちらか片方だけでも仕留めていれば楽だったのだがな...」


 空気に散った瓦礫の塵と煙の中から現れた巨影。

 上の服は爆破で消し飛んだのだろう、鍛え抜かれた屈強な肉体を露わに、しかし所々の古傷を上書きするように血をにじませた大男は、口の中に残る鉄錆の味を吐き捨てる。

 屈強にして頑強。

 爆破の手前に全身を新しい水の膜で覆ったのだろうが...それにしてもだ。


「化け物かよ...」


 ぽつりとカイは言葉を漏らした。

 同感だ。

 想像もできない。

 何が彼にここまでやらせるのか。、何が彼を突き動かすのか、どんな過去が彼をこんな形に形成してしまったのか。

 その執念はもはや怨念に近いようにすら感じる。

 思わず、口に出していた。


「どうして、そこまで...」

妖魔なかまのためだ」


 構える。

 腰を低く落とし、体は半身はんみに。右の拳を腰の横に置いて左の拳は体の前へ。どちらも既に水の膜を薄くベールのように纏い、睨みつけるような視線を投げつける。

 ずりずりという靴底が砂を噛む音がやけに響く。


「貴様らもそうだろう」


 ドンッッ!!と、弾丸のような初速でゲルマが放たれる。

 踏み込みの力に地面が歪む。人体から生じるにしては不自然な風切り音、気が付いたら、すぐ目の前にまで迫っていた。

 ほとんど反射だった。

 地面から生やした突き上げるような氷の障壁で辛うじて爆拳を突き上げる。軌道が上に逸れてゲルマの巨体がラミル・オー・メイゲルの頭上を通り過ぎていく。

 着地と同時に身をひるがえし再度拳を叩き込むゲルマに対し、ラミルもまた障壁を展開して直撃を防ぐ。が、直後に起爆する。

 グォオオオンッッ!!と。

 衝撃が、()()()()()()()()

 爆風と衝撃に指向性?威力を纏めて前へ収束させて威力を底上げしたのか。障壁だけで勢いを殺しきれず、ラミルの華奢な体が後ろへ吹き飛んだ。


「うっ...!」


 体の芯を突き抜ける衝撃に肺の空気がせり出される。

 どころか、喉の奥の奥から鉄を噛んだような気持ちの悪い味と熱がせり上がっていた。

 革の水筒に氷を入れて外から殴りつけても革は破けない。が、内部の氷は砕かれる。これと同じだ。

 体の芯を撃ち抜く打撃、外傷を防いでも内臓にダメージが届く...!


「この野郎!!」


 叫んだカイはラミルが生み出した氷柱をへし折り、それをナイフのように構え襲い掛かる。

 ラミルへの追撃はさせまいと。

 だが素人の握るナイフなんて傭兵のゲルマには目を瞑っても捌ける程度の脅威でしかない。

 そんなものは脅威とは呼べない。


「女の子ばっか狙ってんじゃねえよ意気地なしが!!」

「関係ない、戦場では等しくだ!」


 事前に打ち合わせを終えたアクション映画のワンシーンのようにカイの攻撃を躱し、或いは弾く。あまつさえ慣れない凶器を振り回し体勢が崩れた瞬間を見逃さず蹴りを叩き込む。

 そして、消えた。

 鳩尾みぞおちへの衝撃でカイが悶えた一瞬のうちに。

 またあの足運びで影から影へと、彼の姿はもう二人には認識できない。


「あまり軽はずみなことばかり口にするなよ」


 ゲルマという名はあれど姓は無い。

 彼は人と妖魔のハーフ...遅咲きの妖魔だった。物心ついた頃には既に両親はおらず、この大陸のくたびれた村で村人に支えられながら暮らしていた。

 歳が十を過ぎた頃、今まで黒かった髪が白を帯び始めた。徐々に濃くなる髪の白にようやく自分が妖魔の血を引いていると気付いた。

 その頃から村人の態度が変わった。

 友達は自分を避けるようになり、老人は蔑むような眼を向け始めた。


「子供だから助けてもらえるのか?弱者だからと赦してもらえるのか!?少なくとも俺たちは違った、『差別』に大人子供の括りは無い!!」


 村は妖魔戦争の人側の被害者が集まって出来たものだった。ある誰かは流れ弾に夫を失い、また別の誰かは逃げるさなかに地雷に巻き込まれ四肢の一部を失った。誰もが妖魔へ何かしらの恨みつらみを抱えていて、そんな者が集った集落に都合のいい憎悪の矛先が現れた。

 あとはもう想像がつくだろう。

 身に覚えのない憎悪に殺されかけて村を飛び出したゲルマはその後、師匠らと合流するまでに何度も似たようなやり取りを繰り返すことになる。

 追われては逃げて追われては逃げて......。

 子供心ながらに悟った。

 世に平等は無い、と。


「焼けた石の味を知っているか?俺は知っている。知ってしまったからこそ次代には残せんのだ!!」

「そのための手段が戦争なら意味が無い!勝っても負けても妖魔は恨まれて...きっとまた戦争になる!!」

「繰り返したくないのなら人間やつらがあきらめればいい!!かつて妖魔おれたちがそうしたように!!」


 バゴンッッ!!と。

 爆音が。

 あちこちから。


(爆発!?粉塵が舞って...視界がっ)


 爆ぜられたのは建物の壁、或いは床...周囲を取り囲む人工物ばかり。

 爆風に乗って粉塵が舞い、視界は狭まりつつある。

 真っ白なキャンバスに一滴の絵の具を垂らし、絵筆で引き延ばすように。少しずつではあるが、確実に場は染まる。

 時を追うごとに、緊張の糸の先端を結ぶ巻き取り機は巻き取りを早めていく。糸がぴしぴしと張り詰め、軋む。

 視界の三割が消えた。

 カイ・アテナミルは足元へ転がってきた大き目の瓦礫に肩を跳ねさせ、ずりずりと後退する。背中にラミルを感じるほどに近づき、二人はまたも己だけでは補完出来ない領域をカバーし合っていた。


「ラミルちゃんこの煙、掃おうとはするなよ。絶対狙ってくる」

「ええ、わかってます」


 視界の五割が消えた。

 粉塵に合わせて土煙が舞っている。それらの広がるペースは加速度的に増加し続け、やがて霧中を再現するだろう。

 ぱんっ!と少女が合わせた両手を開くと、そこには先程よりも更に鋭利に仕上げた氷の弾丸が三発程度形成されていた。空を抱くようにさらに両手を広げると、広がった空間の分だけ弾丸も数を増す。

 画像を引き延ばしてサイズを調整するように、彼女の有効射程3メートル、こちらの視界を妨げない程度の密度で球状に弾丸を展開し、備える。

 いつ来る?

 どのタイミングで来る?


「そうして受け身で居続ける限り勝てんのだ。妖魔おれらのように」


 直後、粉塵が揺らぐ。

 辛うじて。

 或いは奇跡的にと言ったところか。

 ラミルが目の端でそれを捉えた。

 ぬるりと、意識の隙間を縫うように現れかけた黒い巨影。用意していた弾丸の大半を集約し、そして解き放つ。

 無意識...というより、反射で。

 ゴゥンッッッ!!!と。

 衝撃が近辺の粉塵だけを吹き散らして、飛び散った氷が光をてらてらと反射している。

 思わず声も出せずに目を見開いた。

 無数の弾丸を受けて凍っていたのは...それらしい形に形成させた瓦礫片だ。


「ラミルちゃんッッ!!」


 振り返ると、そこには眼前まで迫る敗北があった。



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