善行へと通じる道
ラミルの吐露した思いを聞いてアルラは、道に迷う経験というのは誰しもが一度は抱える悩みなんだなと、そう思った。
誰だって迷う。誰だって悩む。自分だってそうだ...いつも迷いに迷って困り果てている。未だってラミルになんて言葉で返せばいいのか悩んでいるし、悩んだ末に掛ける言葉も、きっとラミルにとって100%の答えにはならないのだ。
『私が何をしたいのかわからない』。
本人がそう言ってるなら、赤の他人がわかるはずも無い。
けど嬉しかった。
いつも大人ぶっていたラミルが、年相応の悩みに悩んでいたことが。
「どうでもいいよ」
ポケットの中で、ウィアが何かを言いたそうにバイブレーションしていた。
多分、頼んでおいた行動予測のパターンデータ絡みだろう。とんとんと服の上から軽いタッチで黙らせて、そんな風にラミルに言葉を投げかけたうえでアルラはこう続けた。
「だってラミル、お前もわからないお前のことを出会って数ヵ月の俺がわかるわけない。学習して予測するAIでもない俺にお前の腹の底は見えないよ」
「えーあい...?」
「ウィアみたいなやつのこと」
ブーンッ!!とポケットの中の振動が増した。
雑な説明に怒っているのかもしれない。というかいつの間にかウィアの奴、あの手この手での感情表現に磨きがかかってきてないか?いやAIに感情とかあるはずは無いのだが...。
「『私が何をしたいのかわからない』?そりゃそうだよ。自分の目的をきちんと持って生活してる奴の方が稀な世界だってあるんだ、漠然としてることはイコールで悪いことじゃない。その時その時で気分なんて百八十度反転する生き物なんだから人類は」
「...アルラさんには目的があるじゃないですか。強欲の魔王を倒すって目的が」
「『殺す』...な。確かに俺には絶対にやりきるっていう目的がある。じゃあその後は?」
「その後、ですか?」
「強欲の魔王を殺した、その後」
言われた後にラミルは気付いた。
強欲の魔王を倒すという目的を遂げたその後の話を、彼は一度だってしたことが無い。
まるでそこが終着点だと定めているように、彼は未来の話をしたがらない。いいや、する必要が無い。
冷たい汗の雫が頬を伝う。
「いないんだよ。人生の最初から最後までを事細かく決めてるような奴は。みんな悩みながらその都度その都度進んでいくんだから。ガキの頃の夢を大人になって叶える奴はほぼいない、無理やりひねり出した目的地は道を狭める枷にしかならない。生きていくのにドでかい一本のレールを敷く必要は無くて、短いレールでも何本も何本も組み合わせて曲がったり止まったりしながら終点を目指せば道になる。俺もそうさ、強欲の魔王を殺すって目標に旗を立ててレールを敷き詰める。一歩ずつ短いレールを敷いていく。今日この瞬間もそこに辿り着くまでの短いレールの一部なんだからな」
「......なら、アルラさんは。あなたのゴールは、レールの終点が『強欲の魔王』で、でも、それだと」
「ああ」
アルラは薄っすらと笑いながら言い切った。
「俺は強欲の魔王を殺したならばその瞬間に死んでもいいと心の底から思ってる」
ゾッッ!!と。
こんなことは初めてだ。
今この瞬間、彼に付いて回るようになってから初めて彼に恐怖した。
歪んでいるように見えて真っ直ぐだった彼は、もしかしてそんな風に見えていただけだったのではないかと感じてしまう程に。
惑星は球形だと分かっていても、一点から水平線を結べば点から見える景色は平面だ。彼の歪みは、まさにそれに近い......?
「なんだもう来てたのか。約束の時間は二時間程先だが」
唐突に声を掛けられて思わずラミルの肩が跳ねた。
はっと振り返るとヴァリミル・ハスキー...昨日より少しばかし全身のミリタリーっぽさが増した壮年の男が歩いてきていた。
「おっさんこそ何の用だよここに。デート前一時間も早く着いちゃう浮かれ男子でもあるまいし、まさか地雷でも仕掛けておこうって訳じゃないよな?」
「よくわかったな」
冗談のつもりで言ったのに何処からともなく円盤型のゴツい金属を取り出したヴァリミルに二人共ドン引きしてしまう。
円盤はフリスビーのような滑らかな曲線の凸型形状で、中央の出っ張ってる部分はどうやら加圧式のスイッチのようだ。一般的な地雷の形状と言えるが曲線が多いためか、どこか子供用のおもちゃのような印象を覚える。
円盤の中心をタンバリンを叩くみたいに掌で圧すると、ヴァリミルは円盤投げの要領で勢い良く空中へ投げつける。
チュドンッ!!ととても非殺傷とは思えない爆発音と共に空中で弾けたそれの爆風を、アルラとラミルは二人して引きつった表情で受け止めた。
「殺す気かッ!!!」
「例の如く非殺傷用のおもちゃだ」
「嘘つけ!!ちゅどーんって言ったぞちゅどーんって!!昨日とか俺に怪我されたら困るとか言ってたくせに!!」
「...どの辺りが非殺傷なんでしょうか......」
「爆発は派手に見えるがあれは煙にそれっぽい色で演出を加えてるだけ。発煙筒の勢いを数十倍にしたうえで色を付けて本物っぽくしてある訓練用のものだ」
本物の爆発じゃないなら安心っ!なんてなるはずがない。勢いの強い発煙筒、とは言え、大抵の場合煙とは人体に有害なモノだと相場が決まっているのをアルラは知っている!
煙草のニコチンしかり、火災の黒煙に含まれる一酸化炭素なり、せっかく煙臭い現代社会NIPPONから空気のおいしい世界にやってきたのにそんなもの吸わされたくはないのだ。
受動喫煙反対のプラカードでも首から下げて抗議してやろうか。
「そんな顔するなよ。ちょっとしたユーモアだ」
「ユーモアって単語を辞書で引いてこい。ってかアレ?なんか様子おかしいぞ、煙に巻き込まれた鳥が落っこちてきてない?ってかピクピク痙攣してるし!」
「催涙ガスだ」
「致死量だろ明らかに!!」
スパーンッ!!という突っ込み代わりの平手打ちはあっさり躱されてしまった。
高校の歴史の授業でだったか、催涙弾だのガスだのに使われる催涙剤ってのは非殺傷を名乗っておきながら中和剤できちっと影響を除去したりしないと後遺症が残ることもあるとミリタリー好きの歴史教師が『戦争と兵器発展の関連性』がテーマの授業中にぺらぺらと話していたのを今ので思い出した。
忘れかけていたがヴァリミルも兵士、それも依頼次第でどこでもなんでもやる傭兵なのだ。それくらいの兵器の類は知識と共に持ってて当然と言えるだろう。
まあ、だからと言ってそういうのを初めて見るような初心者相手に気軽に使うもんではないと思うが。
アルラが未だに微量の煙を放出し続けている地雷モドキ発煙筒に口元を手で覆いながら近づいて、拾い上げる。丸い円盤型の機械の中央に合ったキャップのようなパーツが展開してガスが放出されているらしい。確認してみてわかった、魔法の類は使われていない。
「トウオウ製か?この地雷」
「ああ、トウオウからの輸入品。何処の国でも兵器生産業は一貫して稼げるビジネスだがこんなモノ造ってるのはトウオウだけだ。それが俺たちに都合が良かった」
「...確かに、戦争って言ってみれば超々大規模な殺し合いだから最終的に殺しに繋がらない兵器なんて造っても基本売れない。それでも需要が少ない非殺傷地雷なんて造ったのは、大方技術大国トウオウの兵器研究の一環なんだろうな」
「都合が良いっていうのは兵士の人たちの訓練用ってことですか?」
「それもある...が」
「鎮圧用だろ、対人類戦線の。妖魔の仲間を傷付けずに食い止めるように」
なるほど、とラミルが納得していた。
ヴァリミルがばらばらと衣服のあちこちから非殺傷地雷を床にこぼしているのは、タネを知られた以上今から仕掛けたところで訓練にもならないと考えたからだろう。そのまま持っていても邪魔になるし、訓練中に何らかの衝撃で起爆されるのはいくら非殺傷と銘打っていても恐ろしい。
その場に捨てられた地雷の山が落下の衝撃で起爆しないかとビビっていたアルラは、そのうちの一つを手に取って、起爆済みの残骸と見比べてみる。
正直のこの手の兵器の知識があるわけでは無いが、一応は元日本人男子。ある程度のミリタリーは中学二年生の必修科目(Wikipedia調べ)なのだ!!...が、トウオウのテクノロジーとなると完全に現代人の想像を超えてしまって結局構造的なモノはあまりわからなかった。
ガスを吸ってしまい動けなくなった小鳥を抱きかかえ、ラミルが尋ねた。
「仲間を傷付けなくていいように...。戦うっていう未来は変えられなくても、せめて流れる血が少なく済むように...?」
「...考え方が違っても今はもう数少ない妖魔の仲間たちだ。血が流れないならそれが一番いいに決まってる」
「元傭兵なのに、人命に頓着するんだな」
案外グサグサ刺して来るアルラに少々言葉が詰まりかける。瞬間的に男の脳裏に浮かんだ彼自身の両手は生臭い鮮血にまみれている。
もちろんヴァリミル・ハスキーは元傭兵として、依頼次第で何十人何百人もの敵を仕留めてきた経歴を持つ。
ある時は銃火器で。
ある時はナイフで。
ある時は戦場仕込みのマーシャルアーツで。
またある時はありあわせの材料でこしらえた手榴弾で。
そしてヴァリミルは別にこの過去を後悔しているわけでもなければ愚かしいとか疎ましいとかいう悪感情を抱いているわけでもいなかった。過去は過去、今にどんな努力を重ねたところで経歴は書き換わらない。現代でスポーツか何かの新記録を達成したとしても、過去に最高記録が存在していたという記録は移ろがないように。
それを踏まえたうえで、命とはこの上なく尊く変えの利かない唯一無二性の保有物であると、ヴァリミルは解釈している。
「人殺しが人命に頓着するのは悪いことじゃないだろう。俺は自ら進んで傭兵の道を選んだ。過去の選択に後悔したことは一度もない、奪った命に対してもそうだ。奪ったことへの負い目なんて感じない。奪わなきゃ奪われるのがこの世界と自然界における節理って奴だ。ルールとも言い換えれる...闘争による殺人を俺は悪とは思わない」
「勿論。俺だって人殺しだ。殺されるくらいならいくらでも殺すし奪われるくらいなら奪う、だから奪われないようにここに来たわけだし」
「しかしそれとは無関係に命とは尊くあるべきだ」
ヴァリミルがはっきりと二人に向けて言い切ったのは、己の中における認識からくる確信によるものだった。
過去は未来を変えるけど、未来は過去を変えられない。必要条件と十分条件の歪な関係性。
曰く。
「昔、戦場で出会った友人が『命は輪廻』と俺に説いた。当時は乾パン齧りながら適当に聞き流していたがこの歳になって意味が解ってきた」
「人は亡くなっても別の命として蘇る、みたいな意味じゃないですよね、流れから考えて。どういう意味だったんですか?」
「どっかしらで繋がってくってのさ『命』は。善行には善行が返ってくる。悪行には報いが訪れる」
何の気なしにそう言うと、ヴァリミルはラミルが抱きかかえていた小鳥に優しく触れる。
赤ん坊を抱きかかえるような動作で小鳥を自分の方へ寄せると二人に背を向けて、ごそごそと手を動かしているようだった。
直後、催涙ガスを吸い込んで意識を失っていた小鳥がハッと目を覚ます。
小鳥を乗せた両手を勢いよく空へ掲げ挙げると同時、小鳥は再び大空へと舞い上がっていく。バサバサと小さな翼を羽ばたかせて全員の目に見えなくなる。具体的にヴァリミルが何をやったのかはわからなかったが、きっと催涙ガスの中和剤か何かを最初から持っていてそれを使ったのだろう。
飛ぶ鳥の落とす影が薄まり消えていく様を見送りながら、アルラが自嘲気味に笑った。
「その理論が本当ならこの世はとっくに平和だな。大罪の魔王は全員そりゃ惨たらしく死んでるはずだ。俺もとっくにくたばってる」
「そういう意味じゃない。俺は誰かにとっての善行になりたい。そして悪人にとっての報いになりたい。命が尊くあるべきだと言ったのはそうでなければ人は命の価値を忘れるからだ。そうやって忘れて簡単な道に流されて踏み外す人間はいくらでもいる。俺はそれが気に食わない」
「子供みたいな理由だ」
「男はいくつになってもガキなもんさ。お前は違うのか」
否定できないのはつまりそういうことだ。
ヴァリミルが空を見上げて日の高さから時間を確認する。今日は雲も薄くて少ない、天気が急変することも無いだろう。
速く話を切り上げたいのか、アルラに向き直って声を掛けた。
「少し早いが始めよう。準備しろ」
「とっくにできてるよ。昨日の話は覚えてんだろうなおっさん」
「当ててから言え。今日は赤金貨の他にも道具を使うことにする。暇なら嬢ちゃんも見学していくか」
「い、いえ。邪魔になりそうですし...」
「遠慮するなよ」
アルラにそんな風に言われて、ラミルは悩んだ末に二人から離れたところに腰を下ろすと、体育座りのように両腕で足を抱えて見学の姿勢を取る。
しばらくして、けたたましい音の連続が自然の中に切り込んできた。




