移ろいゆく感傷
自分の部屋に戻ったアルラは勢い良くベッドに飛び込むも、今日という一日の情報量のせいか、それとも食事の前に少しうとうとと仮眠を取ったせいか、やけに目がさえて眠れなくなっていた。
向こうの現代人であればこういう時、スマホでSNSとか動画サイトをぼけーっと眺めながら気づかぬうちに眠りこけてしまうのだろうが、あいにくアルラの手元にある電子機器にそのような便利で俗っぽい暇つぶしアプリは入っていない。
ので、昼間の内に記録させておいたヴァリミルとの戦闘のデータを解析するよう頼んでおいたのだが、どうやらそれがついさっき終わったようだ。何千万というパターンデータを一から全て差し出そうとするウィアを止めて、重要度が高いものだけをピックアップさせる。
分かりやすいところを挙げると、動作の端に現れるような細かい癖などを、だ。
これで明日は今日よりはまともに打ち合えるようになるだろうが、こんな方法はぶっつけ本番で通用しないことはアルラもわかっている。
ヴァリミル・ハスキーという兵士を乗り越えたなら、次はユーリー・ヴォルグだ。如何なる手段を以てでも彼を止めて戦争を阻止し、ラミルに降りかかる謂れのない火の粉と迫害を払い除ける。
一度トウオウに戻った後に準備を整えて、そしたらヴァリミルからこれから聞き出す『強欲の魔王』の情報をもとに対策を整えて、いよいよ奴を殺しに行けるようになる。
旅の仲間であるラミルのためにと訪れた土地で見えた光明に、柄にもなくアルラの心は踊っていた。
(残り四日...おっさんに一発喰らわせるってのは多分イケる。けど会ったことも無い奴のために特訓ってのも変な気分だ)
偶然が味方してくれたのはこれが初めてかもしれない。
ヴァリミルのおっさんには悪いが、彼が過去に『強欲の魔王』と出会い、凄惨に敗北してくれたおかげで今に未来が見え始めている。
結局その後は眠れたような眠れないような、浅い眠りと覚醒を繰り返している内に朝を迎えてしまった。窓の隙間から差し込んだ朝日が瞳に染みる。
朝七時...おっさんとの約束の時間にはまだ早いが、一晩中頭を動かしていたせいでやけに腹が減っている。寝ぼけまなこを擦りながらベッドから起き上がり身支度を整えてから部屋を出ると、全く同じタイミングでラミルが隣の部屋から現れた。
「おはようございますアルラさん。あまり眠れなかったみたいですね、目の下にクマが出来てますよ」
「おはよう、聞き耳立ててたのか?色々考え込んじまってな。あとベッドのシーツがガサガサで肌が擦れるのも原因の一つかな、アレなら洞窟の冷たい岩の方がマシだった。ていうかお前その『ワンピの上からミリタリー』スタイル気に入ってるのか?」
「似合わないですか?」
「ザ〇が色だけガ〇ダムになった感じ。似合う似合わない以前の違和感がすごい」
バキバキと首の骨を鳴らしながらそう言って食堂へ向かう。
タダで飯が食えるというのは本当に素晴らしい。昨日の夜も覚えた感想だが、本来文無しの身としてはこれほどありがたいことは無い。全財産は道中に盗賊から巻き上げた分しかないから食える時に食っておこうという気になる。
ちなみにカイの奴はまだ起きてこない。ラミル曰く、ここに来てから毎日昼近くになってようやく起きてくる生活を続けているようだ。
「アルラさんは今日も兵長さんと?」
パンと簡単な野菜のスープを交互に口に運んでいたラミルがそう尋ねると、アルラはもしゃもしゃと口を動かしながら頷いた。
「ああ、午後からな。午前は武器だの補給物資だのの搬入とチェックが必要で、訓練に使ってた『赤金貨』がその物資に含まれてるから出来ねーんだと。俺は別に実弾でも構わないって言ったんだけど」
「訓練とはいえいくらなんでも危ないですよ。怪我でもしたら――...」
「俺は怪我してない時の方が珍しいっての」
そう言って着ていたシャツをめくりあげると、腹に刻まれた生々しい傷跡が顔を見せる。
治りかけだが痛みはない。つい最近負った傷...神人ゲラルマギナとの戦闘中に崩壊したビルから落下して、その時の傷だった。
普段から傷を追うたびに『神花之心』で再生力を強化して直しているが、こういう深い傷は傷跡までぴったり治すには時間が掛かる。ましてやあの事件からほとんどノータイムで妖魔の一件に首を突っ込んだので、寿命を少しでも温存するために、その後は再生力の強化による傷跡の治癒も行っていなかった。
そのうち傷跡もきれいさっぱり無くなってしまうだろうと放置していた傷跡に、傷を負った本人ではなく、隣で食事しているラミルが表情を曇らせていた。
「......平気だよ。痛みも無いし、ここまで治ってれば動いても傷は開かない。こんだけ毎日食って動いて寝ていれば異能無しでも怪我は治る」
食べ終わった朝食の食器を下げて、時間まで部屋で休んでいようと廊下へ出たアルラを、後ろから追いかけてきたラミルが引き留めた。
「兵長さんと特訓まで時間があるなら、少し付き合ってくれませんか?」
そう言ったラミルの後ろに付いて、丁度いい気温の街を歩き始める。
改めて街の様子を見ても、かなり違和感を感じてしまう。
一応は占領区域に当たるはずなのに街の人は生き生きとしているし、初日に見かけた八百屋のおっちゃんは兵士相手にやっぱり笑顔で接客中。すれ違う人々の中には妖魔の兵士も多く混じっているというのに、住民は気にする素振りすら見せない。
戦争の準備中なのに、絵にかいたよな平和がこの街にある。
脳みそがおかしくなりそうだった。
「なんていうか...平和だな」
思わず、そんな風に口に出していた。
ラミルも微かに目を細めて、この光景を、なんていうか羨んでいるように見えた。
そう言えば彼女はこの大陸に訪れるまで、自分と育ての母以外の妖魔に出会ったことは無いと言っていた。
どんな気持ちなのだろう。今までろくな交流も無かった『同胞』に突然囲まれるというのは。
どんな感覚なのだろう。名前も知らない、しかし同じ種族というだけで『同胞』と呼び慕われるのは。
故郷を思い出したりするのだろうか。それとも母親を思い出すのだろうか。
彼女は生まれてからすぐ生みの両親から別れ、育ての母親と出会ったと言っていた。きっとそれも彼女自身の記憶ではない、当時のバブバブ言うしか出来ない彼女がそれを記憶できるはずも無いし、きっとそれは育ての母親そう聞かされていたのだろう。
「ここがもうすぐ戦場になるかもしれないんですね」
ソレは敢えてアルラが口にしなかった言葉だ。
すれ違った子供が三人、後方へと走り去っていく。彼等が手に持っていたのは拳銃のおもちゃだった。バンバンと大声で叫びながら、少年たちは街並みに溶けていった。
本物は身近なところにあるという現実に彼らは気付いているのだろうか。それとも気付いているのに見えないふりをして、訪れる未来の可能性に震えるのをやめてしまったのか。
そして持ち主の兵士たちもわかっているのだろうか。彼等が大事そうに両手に抱えているその小銃は、何を目的として生み出されたモノなのかを。
昨日、赤金貨を撃ちまくられて痣になっていた部分を服の上から撫でてみた。痣はすっかり良くなって痛みはない。
「話し合いで解決することは出来ないのでしょうか」
ラミルはぽつりと呟いたが、答えは聞かなくてもわかっているようだった。
「無理だ...っておっさんは言ってたよ。みんな本気だ、おっさんも、敵も、味方も、この戦争に関わってる奴らみんながな。もちろん俺もだ、カイの奴は......どうだろうな。とにかくユーリー・ヴォルグが戦争を起こせば無関係の妖魔まで火の粉を被る。俺もおっさんもそれを止めたいって意志は一緒で、どういうわけか復讐の糸口まで見つかった。少なくとも、俺が降りる理由はない」
「アルラさんの戦う理由は不安になります。目的のために自分を顧みなくていつもボロボロ、首を突っ込んでは被弾して。いくらすぐに治るからと言っても過程で生じる痛みは度外視して...私の時もそうでしたよね」
「...説教交じりに思い出話するためだけに俺を連れ出したわけじゃないだろ。思い出っていう程時間経ってねえし」
「子供の時からアルラさんはそうだったんですか?」
思わず黙り込んでしまった。
自分がいつから今の正確になったのか、なんてはっきり答えられる人はそう多くないはずだ。人はまるで水のようなモノ...生まれたその時から色んな経験や記憶が溶け込んで色が付いていく。最初は透明でも、ドブ水のような経験が混じって汚れてしまうことも少なくない。
どこがアルラにとっての『子供の頃』によるかだろう。
アルラ・ラーファとしての子供時代は、きっと『灯美薫』としての記憶が蘇ったあの夏の日の瞬間に終わってしまった。かといって『灯美薫』としての子供時代なんてもうほとんど覚えてもいない。記憶のほとんどは兄の背中について回った日々ばかりだった。
「言われてみればこうなったのはいつからだろうなー。たまに自分が二人いるような気になるよ。昔の自分と今の自分で二人分、普段はきっちり混ざって今の俺になるのにたまに分かれて喧嘩する」
「喧嘩、ですか?」
「ガキの頃の俺は『静かに生きる』のが目標だったから。現状はある意味当時の理想から一番かけ離れてるだろ?」
「ちょっと意外ですね。私から見たアルラさんは直線的で決断力があるイメージでした。悩んでもすぐに判断できて」
「そういうラミルこそ昔からそんな感じだったのかよ?」
道すがらに兵士とすれ違う。
彼等にも、さっきの子供たちのような時代があったのだ。引き金を引くだけで簡単に命を積み取れる本物じゃなくて、おもちゃの銃を握って振り回していた時代があったのかと考えると自然と目が彼等を追いかけていた。
「わっ、私のことはどうでもいいじゃないですか」
「人に聞くだけ聞いといて自分はだんまりなんてずるいぞ。ラミルはどんな子供だったんだよ、将来の夢はお花屋さん?それともお嫁さん?」
「.........」
「もしかして図星かい?おやおや...」
ちょっとからかうようにニタニタと笑って言うと、ラミルは少し赤くなりながら首を横に振って否定していた。出会った頃のつんけんした態度のラミルが懐かしく感じてしまう変化だ。それだけ心を許してくれたという事実には実際こちらもありがたく感じているのだが、きっと口にすることは無いのだろう。
はあ、と観念した様に息を吐き、純情少女ラミルちゃん(18)はぽつぽつと話してくれた。
「......子供の頃の私はいつも『自分はどういう大人になるんだろう』って想像してました。...森に遊び相手なんていませんでしたし街には滅多に出られません。友達もいなくて、森では他にやることもなかったから」
「(今も子供じゃん)」
ジトっと横目に睨まれた。
余計な口は挟むもんじゃないと注意テロップが視界に見えた気がして、ふいっと視線を斜め上に逸らす。
「目標も目的も...私にはありません。これから自分がどういう風に生きていくのかを考えると怖くなるから、出来るだけ考えないようにしてます。でも感謝してるんです、森だけで完結していた私の世界を殺してくれたのは、あの日檻の外に連れ出してくれたアルラさんですから」
「外に出る決心をしたのはラミル自身だ、俺は何もしてない」
「...力になりたくてアルラさんの旅に付いてきたのに結果的に足を引っ張って、私は私が何をしたいのかわからなくなりました」




