悪しき記憶
全身の血液が沸騰し始めたかのような熱を感じる。
昂っていた。細胞という細胞が、或いは『アルラ・ラーファ』という概念に属する全てが。思いもよらない所から飛び出した探し物に過敏に反応しているのだ。
傍からその姿を見ればどんな風に写っただろうか。それを知るこの場でただ一人の男は、鼓動を急激に加速させるアルラに対して煽るように言う。
「どうした、そんなに目の色を変えて。気分が悪いなら今日は切り上げるか」
「ッ...なん、で。おっさんが奴の......『強欲の魔王』の...ッ!?」
「秘密、と言いたいとこだが言わなきゃ納得しないよなお前は」
その通りだ。
そして今更口から出まかせだなんて言われても納得は出来ない。一旦頭に昇った血液を下ろすには時間が掛かるだろう。ヴァリミル・ハスキーによって踏み抜かれた地雷で、アルラの頭はそれほどまでに揺さぶられていた。
「もう気付いちゃいるだろうが...俺や反乱軍の何割かもユーリー同様元傭兵だ。あちこちの戦場を駆けずり回って金を搔き集めていた戦争のプロだった」
遠い自身の記憶の底を漁るように話すヴァリミルの言葉の一つ一つに意識が向いた。
彼が元傭兵だというのは、アルラも話の中で察しがついていた。
銃やナイフに慣れ過ぎているし、戦士というより兵士としての立ち回りも特徴的だった。彼の正体に触れるには十分すぎる考察材料だ。
「舞い込んでくる依頼にも色々あった。戦争の人員派遣は勿論のこと、暗殺に諜報...まあとにかく色々な」
フリーの傭兵...つまり戦争屋だが、争いが絶えないこの世界では珍しい職業というわけでもない。需要と供給のバランスは需要に大きく傾いていると言えるだろう。
絶えない戦争...繰り返される反乱...そういう現状にある国家は多いのだ。ドロドロとした陰謀の数だけ彼らの需要は跳ね上がる。
「『強欲の魔王』に出くわしたのはその時代。とある貴族連中からの依頼でな。しかも依頼先は俺だけじゃない、依頼主はいろんな団体から集めた選りすぐりにこう命令した。『進軍を続ける強欲の魔王軍から領地を死守せよ』ってな。二つ返事でオーケーしちまったあの時の俺はどうかしてたのさ。相手は大罪の魔王、欲しいもんがあと少しの金で手に入るってタイミングでの依頼、今思い返してみれば調子に乗ってたんだろう」
「そんなまさか、強欲の魔王軍と直接やり合ったって言うのか!?それにあの黒甲冑の軍団と!?いや、でも、ならおっさんはどうやって...ッ!?」
どうやって生き延びたのか、と尋ねようとした直前に視線が動いた。
アルラへ見せつけるように服をたくし上げたヴァリミルの脇腹へ深々と刻まれた、直径大体バスケットボールサイズの傷跡に、だ。
思わず息を呑んでしまった。
人体がどんな方法で損傷したらあんな傷が残るのか、人一倍怪我を重ねてきた身でも想像がつかなかった。
たとえ至近距離で手榴弾を喰らったとしてもこうはならないだろう、肉の一部が抉り取られて不自然に陥没し、深さは間違いなく内臓まで達している。今彼がこうして生きていることそれ自体が奇跡とすら思えてくる傷を目にして、『強欲の魔王』に腕を握りつぶされた時の記憶を脳みそが勝手に連想している。
幻肢痛のように、ズキンッ!!と握りつぶされた腕に痛みが蘇った気がした。
傷が見える範囲まで片手で服をたくし上げていたヴァリミルは懐かしむように目を細め、
「俺ともう一人だけが生き残った。後はみーんな死んじまった。依頼主含めてな」
そう言って、傷にもう片方の手を当てる。
抉れた肉の感触を確かめている。レコードの溝を針がなぞり、過去に円盤へ記録した音が奏でられるように、『傷』はヴァリミル・ハスキーにとっていつでも過去を戒めることが出来るレコードの溝だった。
「俺が語るのはここまで、更に先が聞きたいのなら延長料金を頂こう」
ブオンッ!!と、ヴァリミルの言葉の後に風を切る音があった。
音の正体はソフトボールサイズの土の塊。話の最中に地面から抉り出した土くれを手の中で固め、そしてヴァリミルの頭へめがけて投擲した。アルラ渾身の不意打ちは難なく躱されて、直後にまた鈍い衝突音が平原に響く。
一気に間合いを詰めたアルラの横蹴りを、ヴァリミルは片腕で受け止める。
ぎりぎりと拮抗する二人の距離は足一本分。攻めれば受けるか躱すしかない至近距離で、アルラは微かに笑みを浮かべて見せた。
『動機』が、アルラのやる気に火をくべたのだ。
「......顔面に一発でも喰らわせたら合格、だったよなおっさん」
「わかってきたじゃないか。来い、一発でも当てれたらなら野郎の情報くれてやる」
暫く、平原では拳や脚がぶつかり合う音と銃声が響き続けた。
一方で山に囲まれたネリトコの街...戦争を控えているというにも拘わらずどこか他人事な雰囲気を醸す街の商人ギルド...から数十メートル程離れた倉庫では、ヴァリミルに『ついてくるな』と念押しされて取り残されたラミル・オー・メイゲルとカイ・アテナミルが黙々と働いていた。
普段は大陸各地特産の食物や工芸品なんかで埋め尽くされる倉庫も、しかし今は様相が異なる。
普段は果物が詰め込まれる木箱の中身は今は銃や弾薬。ワイン樽の代わりに車両用のガソリンがたっぷり詰め込まれたドラム缶など、普段の倉庫の景色を知っている街の住民からすれば違和感しかない変わりようだった。
二人の他にも何人かの兵士が黙々と倉庫の資源が不足してないかのチェックや搬入出といった作業を行っているが、兵士でもないラミルとカイがその作業に加わっているのには理由があった。
というのも......。
「......暇だねぇ」
「ですね」
そう、ぶっちゃけ二人共暇なのだ。
作業を終え、倉庫の外のちょっとした屋根付きの休憩スペースに座りながら、二人はぼーっと空や街の景色を眺める。
釘を刺された以上、アルラたちについて回れない。かといって兵士でもないので訓練に参加することも無い。周囲の兵士からの扱い的には『客』と『仲間』の中間くらいか。
知り合いのいない環境で少しでも周りに溶け込めるようにと今みたいに雑用を買って出てはいるが、任される作業も全部すぐに終わってしまうようなモノばかりだ。最初は遠慮されているのかと思っていたが、そうでないことはすぐわかった。
「なあラミルちゃん、オレって客観的に見てさあ...実はめっちゃ見た目怖かったりするのかな?」
「...?別に普通だと思いますけど」
「いやね、妖魔の兵士とか街の住民とか敵意は感じないんだけどさ。なーんか一歩距離が遠いっていうか、遠慮されてるっていうか...怖がられてるのかなって思っちゃって。オレとしてはもっとフレンドリーに接したいわけよ!だってこれから命を預ける仲間になるわけじゃない?」
「......多分、距離感はカイさんのせいじゃないと思いますよ」
全ての発端はあの時だった。
アルラが流され、そして妖魔族の偵察船に拾われたシーン。
無数の銃口を突きつけられて絶体絶命に思えたあの瞬間、私は『世界編集』で暴れまわり、偵察船を逆に乗っ取った...らしい。
疑問形なのは、本当に疑っているからだ。
何故あの時その判断に至ったのか、今では考えられない。
彼が言うように兵士たちが一歩離れた距離感を取る理由というのも、恐らくはあの偵察船での出来事が原因なのだろう。
何処でも噂の伝播は速い。
ラミル・オー・メイゲルがたった一人で妖魔族の偵察船を制圧したという事実は、当時の乗組員の口から語られて兵士たちの間に広まりつつある。
この街に辿り着いて数日たったとある眠れない夜、散歩にでもと外に出ようとして、偶然兵士たちが噂しているのを聞いたことがあった。
話の中に紛れていた感情は『本当にあの子がたった一人で?』という疑念、それに加えて『本当なら心強いが、同時に恐ろしい』という畏怖。
...怖がられているのは私の方だ。
「兵長はアルラの奴を鍛えてるらしいけど、こういう場合オレも自主訓練とかやった方がいいのかな?ほら、癖があるとはいえ一応咎人だし、戦わされるだろうから」
右から左へと流れていく兵士集団を眺めながら、適当な感じでカイは言う。
徐々に人影も薄れていく街の様子が、静かに夜の訪れを予感させる。
唐突に、思い悩んでいる様子のラミルへカイは尋ねていた。
「...ラミルちゃん、なんであんな嘘を?」
えっ?とラミルも思わず口に漏れていた。
「嘘...?何のことですか?」
「ほら、会議室でアルラに説明したじゃん?ここに合流するまでの顛末を。その時ラミルちゃん言ってたじゃん、『あまりよく覚えていない』ってさ」
「......はい」
「本当は覚えてるんだろ?あの時のこと、偵察船を乗っ取った時のことをさ」
ラミルはもう押し黙るしかなかった。
その反応が答えだと言わんばかりに。
そしてしばらく沈黙した後に、目線を逸らして、座ったまま俯くような格好でぽつぽつと、
「...曖昧なのは本当です。あの時の私が本当に私だったのか、何であんなことが出来たのか、自分でもわからないんです。記憶はあっても意識の外から紙芝居を見てるみたいに断片的で...」
話し始めて、ますますラミルは自分がわからなくなった。
カイの言葉の通りだ。記憶はある、だがその記憶を記憶した瞬間に身に覚えが無いと言うべきか、あの時の自分が本当に自分だったのかをいつまでも疑い続けている。




