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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
一章
211/268

身じろぎ



 引き離す。

 点のような敵の火矢の微かな明かりがより一層遠ざかる。異能で強化された馬の走力は、荷台という余分な重りを捨てたことで加速を続けた。

 あっという間に、だ。

 アルラの視力が戻る頃には、もう火矢は飛んでこなくなっていた。バカラッバカラッ!という力強い蹄の音が闇を駆ける。

 馬を操るのが日常、馬と共に長い時間を掛けてこの大陸で暮らしてきたシャハトはそのこともあってか、改めてアルラの異能の力に驚いていた。

 段違いの体感速度だった。

 普段の最高速の倍を超える速度。それでいて馬に疲弊はほとんどなく、やろうとと思えばまだまだ走れるという余力すら感じれる。

 人と関わる仕事柄、咎人の知り合いも何人かいる。だが、異能という力をここまで自由に使いこなしている人物は初めて見る。


「撒いた...のか?」

「た、多分...」


 二人とも恐る恐ると言った様子で来た道の先に広がる暗闇を覗き込んでいた。

 どうやら完全に撒いたらしいという実感が湧くと同時に、シャハトの方は張り詰めていた気が抜け切ったのか、その場にへなへなとへたり込んでしまった。

 大きく息が漏れる。

 どっしりと重たいガスを含んだようなため息が吐き出され、彼の街を抜け出してからここに至るまででどれだけの心労を背負ったかが窺えた。

 一方でアルラはというと、こっちもこっちで心の中でほっと胸を撫で下ろす。馬の強化は咄嗟のアイディアだったのだが、やっておいて本当によかったという安堵。そしてそれに使用したために想定外に消耗してしまった寿命の喪失感。本来であれば現地に着いてからの保険として少しでも多くの時間じゅみょうを残しておきたかったのだが、背に腹は変えられない。

 ただ、走る力が強力ということはそれだけ力強く蹄の跡も残ってしまうということでもある。


「このままじゃ足跡でいずれ追い付かれる、しばらく道を逸れよう」

「に、西に2キロほど離れたところに馬が走れる別の道があります。この辺の土地勘は染み付いてるので、多少ルートを外れても目的地までは向かえると思います...」


 敵の追跡を一旦は撒いたとしても、足跡を辿れば時間はかかっても追いついてくるだろう。ゆっくりと脇道に逸れて、シャハトは追跡の手がかりとなる蹄の跡を消すことにした。

 敵がどこに潜んでいるかもわからないので明かりをつけるわけにはいかない。夜目が効くアルラが先導して馬を引き、シャハトは騎乗したまま道を示す。

 役割分担をこなして、移動を開始する。


「魔獣だけが心配だな、時間帯が時間帯だし馬をやられたらそれで詰みだ」

「この辺りなら強い魔獣はいませんよ、スライムとフォレストウルフくらいで」


 どうやらシャハトはアルラの護衛に慣れたせいか、その程度の魔獣くらいなら問題はないと思っているらしい。

 スライムはそのままファンタジー世界よろしくな粘性生物、フォレストウルフはなんの捻りもなく名前の通りな森に住む小さめの狼の魔獣のことだ。どちらも街へ向かう道中で遭遇した危険度の低い魔獣だが、だからといって安心していいという話にはならない。


「スライムはともかく、フォレストウルフは群れで襲ってくることもある。この旅じゃ多くても4、5匹の群ればかりだったけど数十匹の群れを成すこともある。警戒するに越したことはないんだよ」

「それはもちろんわかってますが...」

「俺の異能は汎用性は高いけど極端な数には対応しきれない。有能でも万能じゃない。俺も人間だし完璧じゃないからいつでも守ってやれる保証はないんだ、()()()()()()()()


 十分人間離れしてる、という思いを胸にしまって、シャハトは常に携帯しているコンパスを手に取った。

 方角は合っている。

 道中で馬に食べさせる木の実なんかをちまちま採りながら進むと、茂みを掻き分けてやがて細い道に出る。

 全身に纏わりついた木の葉や枝をはたき落としながら道の前後それぞれに注意を向けるが、人の気配はない。

 もちろん獣の気配も、だ。


「先を急ぎましょう」


 二人は再び馬を走らせる。

 アルラが軽く強化を施した馬は少しの休息で長い距離を走れるようになる。

 木々の隙間を縫うように地を奔る道の、そのまた上を馬が駆け抜ける。

 慣れない腰下からの振動に違和感は感じつつも、正面から身に受ける夜風は少々肌寒く、そして心地よい気がした。景色が故郷の...いつも薪を取りに入った森によく似てるからだろうか。

 やがてシャハトが馬を止めると、そこは第一の目的地の目前だった。

 その辺り一帯だけ木々が薙ぎ払われたみたいに森が欠けて、明らかな人工物の痕跡が見て取れる。二人はまだ離れた森の木々の間からその場所の様子を覗き見るような格好で様子を見ていた。

 山岳の急斜面にぽっかり空いた大穴の周囲に、どうやら見張りはいないらしい。


「...ど、どうですか?」

「......人の気配はないな。ただ...」

「ただ?」

「やっぱりちょっと不気味だな、夜のトンネルって。なんか...出てきそうでよ」

「......言えてますね」


 どうやら誰も何もいないようだとわかった二人は馬を引きながら徒歩でトンネルの前までそろそろと歩を進める。

 トンネルはポールを建てて木材を打ちつけただけの簡素な封鎖の上に、看板で『立ち入り禁止』を示してはいるものの、入ろうと思えばどうにでもできるような有様だ。

 穴の奥は暗すぎてよく見えない。繋がっているのか、道中で塞がっているのかすらも、だ。

 確かに、霊的な何かがヒュードロドロと湧いて出てきそうな、つい数年前に開通したばかりのくせにまるで築数十年も経過した廃墟みたいな気持ち悪さを肌で感じる。

 しかし進むしかない。

 マケダ山トンネル(ここ)は目的地への唯一の『近道』だ。ここを避けると目的の街ネリトコまで馬を全力で走らせても、山をぐるっとまわり道しなくてはならないために数日掛かるという。

 そんな選択ははなからナシだ。

 少しでも早く向かわないと、もういつ戦争が始まってもおかしくはない。そうなったら全てが水泡に帰す、妖魔族だというだけで石を投げられ、戦争に一切の関連を持たなかった妖魔族の子供ですら憎まれる世界が成り立ってしまう。

 その法則は、いつも隣に立とうとする少女にすら当てはまる。

 ばきんっ!!と、手刀でトンネルを雑に塞いでいた木材の一部を叩き折る。


「いくぞ」


 そう言うと、アルラは自分で叩き折った馬一頭が通れるくらいの木材の隙間からさっさと中に入っていってしまった。

 慌てたシャハトが馬を連れて後ろへ続くが、一歩踏み込んだ瞬間に視界のほぼ全てが闇に埋め尽くされた。

 普段から携帯している小型懐中電灯をシャハトが取り出して辺りを照らすと、どうやら道自体はしっかり造られているらしい。

 その場でしゃがみ込んだシャハトは指先で地面をなぞり、しばらくその指先を見つめていた。


「この地面なら馬も十分走れると思います、視界さえ確保できればの話ですが...」

「ライト貸してくれ、俺が裏から照らす。俺の視力ならちょっとした段差とかにもすぐに気づける」


 閃光手榴弾の影響でまだ瞳の奥がチクチク痛むような気がするが、視力自体はすでに正常に戻っている。

 手渡しでライトを受け取った後に、二人は三度みたび馬の背中へと跨った。

 カチカチと何度かライトのスイッチを切り替えて正常に動作することを確かめると、アルラら前方の暗闇にそれを向ける。


「その、僕が言うのもなんなんですけど、覚悟は...?」


 振り返ったシャハトがそんな風に切り出していた。

 彼が言う覚悟が何に対するものなのかは知らないしわからない。塞がっているかもしれない道を進み無駄な時間を費やす『覚悟』、道中で不慮の事故に遭い理不尽にも命を落とす『覚悟』、或いは痛みを受け入れる『覚悟』か。

 今更だ。


「ここぞって時に賭けれない奴ならはなからこんなとこ来やしねぇよ、さっさと抜けちまおうこんなとこ」


 アルラの返答にこくんと小さく頷いて、シャハトは手綱を操った。

 馬が走り出す。

 すかさずアルラが疲労を抑えるための持久力の『強化』を施すと、馬の全身が一瞬だけ透き通るような極彩色に包まれた。

 トンネルの壁面に馬の力強い足音がいつまでも木霊こだましていた。

 どれくらい走り続けて...いや、走らせ続けた頃だろうか。何せここは空が見えない、時間の概念が徐々に曖昧になっているような感覚すら覚えてしまう。恐らく半日は過ぎ去っている、馬を休ませ休ませでもだいぶ早いペースと言えるだろう。

 今もまた、休憩のために二人は馬から降りて徒歩で移動していた。二人ともが毎週楽しみにしているアニメが始まるのをテレビの前で待つ少年のように、その瞬間を待っていた。目的地が近いことを、経過時間からなんとなく察し始めている。


「......道、繋がっててよかったです」


 不意にそんな風にシャハトが言う。

 指差しで、トンネルの奥の奥を示して、その先には点となった小さな光が漏れていた。

 瞬間、シャハトの歩幅が大きくなった。不安でおっかなくて気が狂いそうな暗闇に差し込んだ光、闇に慣れきったアルラですら光には安心感を覚えてしまう。

 どんどん歩く速度が増していく。

 近づくにつれてあんしんが身近に近づいてきてくれる。歩くにつれてこびりついた不安が体から引き剥がされていく。

 そんな感覚を、シャハトは全身に感じていた。

 一方で、そして一歩手前で、アルラだけがそれに気づいた。

 すんっ、と。

 差し込む逆光に混じる影に。影から漂う火薬と鉄の匂いを発達した五感を持つアルラだけが察知出来たのだ。

 慌てて、手を伸ばして、叫んだ。

 急足で光へ突っ込もうとするシャハトへ大きく声を掛けた。もう少し、もう数秒気づくのが早ければと言う後悔がアルラの額を汗となって流れ出ていた。


「待て!近づくなシャハト!!」


 遅かった。差し込む逆光の先に、望んだ景色は無かった。

 ジャキジャキジャキッ!!と。

 連なった機械的な音は、普通は聞き覚えが無いはずだ。だがアルラはすでにそれが何かを察して、奥歯に力を込めてしまっている。

 それはそれは大層な装備を着込んだ数十人の兵隊が、銃口をこちらへ向けていたのだ。

 まるで軍隊。

 思わずシャハトがその場で固まり、アルラはと額に汗を浮かべたまま必死に状況を理解しようとしていた。

 アレに違いない。

 シャハトと二人で振り切った妖魔族の斥候...彼らが、本隊に知らせていたのだ。


「先行部隊から不審な馬車に遭遇したとの報告を受けた」


 壮年の男性の声だった。

 無数の兵隊から一歩進んだ位置に立ち、こちらに視線を向けている。明らかに雑兵の立ち位置ではない、圧力を放つ声の主は、明らかな敵意をこちらへ向けている。


「国軍が国の重要人物を密かに逃亡させようとしているのでは?或いは鎮圧部隊の斥候を送り込んだのでは?様々なケースを考える、当然のことだ」


 身じろぎひとつで無数の銃口の先端がこちら一人へと集中した。


「貴様らに問う。我々の、『敵』か?それとも『味方』か?」



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