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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
一章
210/268

駆ける蹄



 がらがらがらという車輪の音を聞きながら、なんで声をかけようかと考えた。

 だが思いつく言葉のどれもがシャハトの後悔を今より加速させるような気がしてならない。かといって無言のまま進むというのも空気が重苦しくて仕方がなかった。

 そんな時だった。

 アルラが今もなお進み続ける馬車の背後に、僅かな気配を察知したのは。

 ほとんど反射的に荷台から後ろを覗き込むが、そこには馬車の車輪と馬の蹄の後がくっきりと残されているだけだった。


「......?」


 気のせいかもしれない。

 暗闇の中、この辺に巣食う魔獣共の視線を感じ取ってしまったのかと、最初はそう思った。或いは車輪が小石か何かを強く踏み込み巻き上げて、落下したそれが地面に叩きつけられたことで音がなったのかと。

 だが聞こえた。

 蹄が強く土を蹴る音。

 そして見えた。

 暗闇の奥底、背後方向の遠い遠いところに、点のような小さな灯りが灯るのを。


「...なんだ?」

「え?」


 アルラの感じた違和感に反応して、或いは何かに集中しようとしているアルラに気がついて、シャハトが振り返った。

 言葉を口に出そうとしたシャハトの前で、しっ!と立てた人差し指を自分の唇に当てる。

 静寂を促した。違和感の正体、背後から刺さる気配の正体を探るために。耳を澄ませて、徐々に顔色が変わっていく。


「何か来る、音が聞こえる。馬の蹄の音だ」

「馬って、それは僕の...」

「違う、この馬じゃない。リズムが違う、別にもう一頭いる!後ろだ!!」


 ドスッ!!と。

 言い終わると同時に灯りが飛んできた。

 あっさりと荷台の底面の木材に突き刺さった矢の先端やじりは燃えていて、直後にアルラが引っこ抜いていなければあっという間に荷台全体に燃え広がっていただろう。

 あまりにも唐突すぎてシャハトは声を失っている。

 アルラは叫んだ。

 頭に浮かんだ確定したシナリオを、放心状態のシャハトへ伝えるために。


「奴ら追ってきやがった!見逃したんじゃない、俺たちを捕まえるための別働隊を呼んでたんだ!!」


 瞬間、いくつかの明かりが瞬いていた。

 最初の矢は距離間隔を掴むためのものだと今になって気がついた。たまたま命中しただけで、敵はその炎の放つ光と音で既にこちらとの正確な距離を割り出している。

 連続して射られた火矢が降り注ぐ。

 ドドドドドッッッ!!!という鈍い音が連続して放たれ、そのうちの何本かが荷台の屋根を覆う布や底面の木材に突き刺さる。

 即座にアルラが引き抜いて捨てるが、このまま撃たせ続ければいつかは荷台を引いてくれている馬に矢が当たるかもしれない。

 それだけは絶対に阻止しなければ。


「ひいいいいいいいい!?」

「全速力だ!後ろは俺がなんとかする!!」


 荷台の重量のせいで距離を詰められているが、アルラが馬の走力と持久力を強化していなかったら二人は既に捕まっていただろう。

 思いがけない幸運だった。

 それに感謝する前に、アルラは進行方向に背を向けて敵を正面に捉える。

 『神花之心アルストロメリア』......()()()

 ずいっ!と視界にフィルターが掛かったかのような光が差し込む。

 暗闇の底に潜む敵を、極彩色を帯びた瞳が捉えた。


「2、3......5人...!」


 全員が馬に乗っている上に、全身をミリタリーチックな装備で固めている。銃の類ではなくあえて古風な弓矢を使っているのは何故かと疑問に思っていたが、なるほど、おそらく彼らの目的が殺すことではなく捕獲にあるからだろう。

 荷台の積荷を狙っているのか襲撃目前で街から出てきたこちらが情報を広めることを防ごうとしているのか、とにかくこちらの足を止めたいらしい。となるといつこちらの馬を狙ってきてもおかしくない、馬をやられたらそれこそお終いだ。


(にしてもなんで正確に狙ってきやがるんだ!!ブレて当たらねえだろ普通...!)


 次々と飛来する火矢にシャハトがひいひい騒いでいた。いくつかは荷台のどこかに触れる前にアルラがギリギリで叩き落としているが、つまりいくつかは抜けていくということでもある。

 叩き落とし、すり抜けた矢は燃え広がる前に引っこ抜き捨てるを繰り返す。

 防戦一方というやつだ。

 反撃に出ようにも向こうは()()()()5人、一定以上の距離を空けた上で、絶え間なく攻撃し続けてくる。反撃しようと防御を捨てればそれだけ馬車にダメージが通ってしまう、当たりどころによってはあっという間に燃え広がって即OUTだ。

 こちらに有利な点があるとするなら...そう......。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 手札が敵に割れていないことだった。


「シャハト、例のトンネルまであとどのくらいだ!?」

「まっ、まだまだ先です!馬を全速力で走らせても2時間はかかります!!」


 このままトンネルまで逃げ切るという案もあったが、距離的に現実的じゃないようだ。

 手近な木箱の蓋を蹴り上げると、中には乾燥させたリンゴみたいな名前の知らない木の実がパンパンに詰まっていた。蹴り上げた蓋の方を盾代わりに火矢を防ぎ、返す刀でフリスビーを投擲するような格好で投げ放つ。

 躱されたが、それでいい。この投擲は緩急の『緩』だ。

 人は誰かを追い詰めている時ほど楽をしようとする生き物だ。追い詰められている人は楽をしようとしない、必死になってその状況を覆そうと動くか諦めるかのどちらかに転ぶ。

 目の前の瀕死の牡鹿にとどめを刺そうとする猟師が、消費やリスクを避けてライフルを構えずナイフを握るように。

 RPGゲームの雑魚敵にわざわざ大量のMPを消費する大魔法を選択しないように。

 追い詰めている自覚がある者たちは必ず楽をする。手軽で簡単な手段を選択して、無駄な消費を抑えようとする。例えば敵の投擲攻撃の速度が緩いとわかれば、次の攻撃は最小の体の動きで避けようとするはずだ。

 奴らは今、こちらを()

()()()


「前!待ち伏せに注意しろよ!」

「は、はいぃ!!」


そして緩急の『急』は、箱の中身の方にある。木箱の蓋の方を躱そうとして生じた隙をついていくつか抜き取っておいた木の実、これが『急』になる。

 極彩色が右肩から、傾斜を流れる川の水のように右腕へと滑り落ちて広がった。

 強化肩投擲カタパルトと、アルラは呼んでいる。


「せー...のッ!!」


 暗がりの向こうで、ゴバッッッッ!!という水袋を思い切りぶん殴ったような音が炸裂した。

 『神花之心アルストロメリア』の能力...あらゆる力を強化するというシンプルな異能を最大限発揮した、シンプルな投擲攻撃。直近では神人ゲラルマギナの生物兵器に操られた咎人戦で使用した瓦礫の投擲がこれだった。

 10年の鍛錬で培ったアルラ従来の強肩に加え、筋力と遠心力を異能で強化する。

 シンプルだが、故に強い。

 弾が木の実なので敵を絶命させるには至らない。が、今はそれで充分。願わくばあの一撃で引いてほしいものだが、相変わらず火矢は飛来し続ける。1人減ったが、それがなんだと言わんばかりに。


(そっちがその気なら...!)


 2投目、直線上で飛来した何本もの矢を空中で撃ち落とす。

 3投目、先頭を走る敵の左肩に命中、落馬。

 4投目、後続していた敵の馬の右前足に命中、馬ごと転倒。


(あと2人...!)


 木の実を手にし照準を合わせ、メジャーリーガーみたいに大きく振りかぶったタイミングで、だ。

 とすっ...と、不意に足元の床板へ突き刺さる何かがあった。

 矢......だ。

 燃えていない、矢尻に油を塗り込んで燃焼させた足止め目的のそれじゃない、ごく普通の鉄の矢尻だった。

 矢柄に何かがぐるぐる巻きに巻き付けられている。その円柱状の黒っぽい何かの側面には、自転車のブレーキとか消化器についてるようなレバーがついていて......?


「...しま......ッ!?」


 キイイイィィィィィィンッッッ!!?と。

 遅すぎる気づきの後にアルラが蹴り上げて、直後に爆ぜる。

 闇夜に慣れきった視界を凄まじい閃光が塗りつぶす。黒板を爪で引っ掻く音を更に不快にしたような超高音が撒き散らされる。

 閃光手榴弾フラッシュバン

 主に軍隊が使用する、非殺傷で敵を無力化するための手榴弾だった。


「ぐあああああああああああ!!?」


 やられた。

 視界を、目を潰された。闇の中で敵の姿を捉えるためにと強化していた視力が完全に裏目に出てしまった。

 耳はなんとか聞こえるが、それでも底の底ではキンキンと耳鳴りのような音がループし続けている。

 なぜ考えなかった、相手が暗闇の中でわざわざ火矢なんて目立つ手段を持ち出した理由わけを。

 刷り込ませていたのだ。

 敵の攻撃手段は火をつけた矢に限られる、と。そしてまんまと引っ掛かった。火矢の明かりだけに注意を引きつけられて、それ以外の可能性を見落としていたのだ。


「うわっとと、だっ、大丈夫ですか!?」


 直前で蹴り飛ばして距離があったおかげで前部で馬を操っていたシャハトはなんとか無事だ。

 しかし音と衝撃に馬が驚いたのか、荷台がひどく揺れている。シャハトがこちらを心配する声が聞こえるが、それも微かにだ。時間を置けば視力も聴力も回復するだろうが、敵がそれを待つはずがない。

 しばらくの間、シャハトと馬を守れない。


「くっ...そ!悪いしくじった...!!


 ドスドスドス!!と今度はきちんと火をつけた矢が飛来した。わずかに聞こえた着弾音を頼りに矢を引き抜こうとするが、激しい揺れのせいでそれすらも曖昧だ。

 周囲に徐々に熱が広がっていく。

 布が木材かに引火した、もう消すことはできない、燃え広がるのはあっという間だ。

 

(やばいっ)


 振動で乾燥させた木の実の入った木箱が倒れて、中身が道にぶちまけられる。

 べちゃべちゃべちゃ!!という小さな音が遠ざかっていく。

 そして前回の射撃のタイミングから考えて次がもうすぐ......


「こっちです掴まって!手を!!」


 聞こえた声に考えるより早く体が動いた。

 音の方に、声の方に、手を伸ばす。伸ばした右手を、自分より小さな二つの手が掴み引き寄せる。

 ぐいっ!!と。

 そして一瞬、脚が床を見失った。だがそのすぐ後に、アルラは激しく揺れる何かに座らされていた。


「しっかり掴まっててください」


 声はすぐ目の前から聞こえる。

 シャハトも、座っている。目の前だ、彼はアルラの両手を掴んだまま自分の腰の位置まで誘導して、しっかりと掴まらせた。

 ようやく理解する。

 自分が座っているのは馬の背だと。そして自分の前にシャハトが乗り込んでいるのだと。

 回復し始めのぼやけた視界がとらえたのは、


「あなたが強くしたこの馬なら2人を乗せても十分敵を振り切れる!荷台さえ切り捨てれば!!」


 ブチッ!!という音と共に、馬と荷台を繋ぐ綱をナイフで切断するシャハトの姿だった。

 直後、急加速による風圧が2人の全身を叩いた。



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