オトギバナシ
呪法設置型術式『肉の種』
子供用じょうろを模されたその術式はあらかじめ『種』を仕込んだ生き物に術者が『水』を振りまくことで完成する。
生きる者ならよし。死体ならなおよし。生ける者は即座に命を断たれ、死した者はより高度な『プログラム』を実行可能となる。肉体とその脳を基盤に、外側から命令を送り続け『プログラム』が隔離されるまで
死なない兵隊を作り上げる。
死んでいるのに、死なない。
もしくは死んでいるから、死なない。内臓が破裂しても、四肢が捥げても、肉体の全ての血液を失っても頭部が体から切り離されても、猛毒を体内に取り込んでも全身の骨が摺りつぶされた粉状になっても、1センチ四方のサイコロ肉にされても死なない。銀の装備を剥がされるまでは。
逆に弱点さえ分かってしまえば、人を殺すより簡単に済んでしまうだろう。だが先程までアルラが相手したチンピラの肉体を使った黒甲冑は、素材が生きた人間だったということもある。
元の素材が死体なら、アルラもマスケット銃で撃ち抜かれる程度では済まなかった。生きた者が素材の黒甲冑が扱う銀の装備は主に剣、マスケット銃、サーベル、片手斧。対してより高度なプログラムを実行可能な死体を素材とした黒甲冑の使う銀の装備は、機関銃、高周波ブレード。
過去を生きる歴史の武器と現代科学を詰め込んだ最新式(?)の武器。
明らかな差。
兵隊そのものの動きにも違いがある。例えるなら中学生の部活動と世界を舞台に活躍するアスリート。
超えられない経験値の壁。凡才と天才。それほどまでに差がある。
そしてどうせ造るなら、質の高いほうがいい。
墓を掘り漁って死体を飾り付けるように死者を冒涜するその術式を扱うのは『強欲の魔王軍』兵長であり『強欲の魔王』直属の呪術師。かつてアルラを絶望のどん底へ陥れた、巻き角の戦将シュタールと並ぶ忠臣だ。
『語り部』フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリー
魔女風の装いの少女の背後の樹の根で造られた歪な翼が、不自然に羽ばたいた。片手にはゾウを模した子供用じょうろが握られ、蓮路から中の赤黒い液体がぽつぽつと垂れ落ちている。そして空にはばたく少女が嘲笑うように唇を動かす。
「こちらの情報を知ってしまった貴方を帰すわけにはいきません。キシシシシ」
「てめえで勝手にしゃべったんだろ」
「『魔王軍』なんてそんな理不尽極まりない存在の集まりです」
キシシシシ、と唇に手を当てて不気味に笑う少女は楽し気に問う
「貴方、おとぎ話は好きですか?」
「なに?」
少女はそう短く言うと喉に、何も持たないほうの手を当てると咳を払うようにして何かを切り替える。異質に、首のあたりを占めるように手を当てて。
「んっ、あ゛っ、あーあー。はい、切り替わりました』
声の質が変わる。まるでスピーカーを通して話すように変化した声で
そしてにたりと、魔女風の装いの少女は口元を歪めて放つのだった。
『それではまず《藁《わら》の家》』
生まれたのは突風だった。それも木々を根元から引き抜いてしまうほどの。
背後の警備委員会支部の建物の窓が割れ、建物の中に飛散した。水面に荒波が立ち吹き飛ばされたアルラの体が煉瓦の建物に勢いよくぶつかる。メギギッッ!!という不自然な音が体の内側から響いてくる。
「があっ!」
『次に《毒りんご》』
アルラの正面、やや上空を浮遊する少女の周りに透明の液体が球を形どって生まれる。色はない、透明の液体。ごぼごぼと泡立つような音を立てるそれは一つ間を開けると、壁に張り付くアルラに向かって飛ぶ。
『神花之心』寿命を10年分使って全身の筋力を強化していなけらば危なかったかもしれない。それをなんとか体をひねって回避すると見えたのは、背後の壁に激突した液体。そしてそこから溶け始める煉瓦。一目で理解できた。
それは酸だ。人体の消化という機能にも使われる、金属をも簡単に溶かす液体。確かに、触れれば人を殺す『毒』である。その肉から金属までを平等に溶かす恐るべき液体はアルラへ向かってさらに飛翔を繰り返す。
ドプッ!ドプッ!ドプッ!ドプッ!と連続して飛翔する凶悪な液体の数は全部で四。
何とか全てを躱しきるが飛沫がほんの少し、アルラの肩のあたりに飛び散る。その部分の衣服がはだけて、皮膚の一部も赤く変色していた。
「ぐうっ!」
『《藁の家》』
短く発せられた言葉と共に必死に回避するアルラの体を襲ったのは再び突風。人体を軽く持ち上げ、吹き飛ばすほどの暴風が再びアルラを捉える。それでも眼球を見開いて隙も見せないアルラは、咄嗟に強化した脚部を地面に突き刺して体を固定し堪えている。
『その状態では次の攻撃は避けられませんよ?』
酸の球体が新たに四つ、アルラの体に迫る。なおも灰被りの青年の表情は変わらない。固い決意と復讐心がある限り、彼は決して折れない。体操技のブリッジのように体を大きく曲げ、その全ての酸を回避すると、体を起こすのではなく、逆に地面に深々と突き刺さった足を無理やり地面ごと蹴り抜いた。
掘り起こされた石煉瓦は弾丸のような速度で宙を漂う少女へ。
しかし無理やり掘り起こされ、蹴り飛ばされた石煉瓦は少女の体へ届くことはなく、その背後で蠢くようにはばたく根の翼に受け止められてしまう。
その結果がアルラから舌打ちを誘発した。
『この翼は私の持つ『樹』の属性によって造られた属性魔法です。しかしもちろん普通の根ではなく私の呪術的記号を付与されたモノであり、普通の方法じゃこの防御は崩せませんよ。付与した記号は"蠅"、害を本能的に避けることに特化した生物と記号で無理やり関連付けています。はい』
「呪術の仕組みは分からんがとにかく固いってことだろ!」
青年の体が大きく跳ねて、極際の光を放つ拳を少女に向ける。
『《金の卵を産む鶏》』
ぐおん!!と
少女の真下の地面から石煉瓦を貫くように現れたのは巨大な蔓。
まるで何かのおとぎ話に出てくるようなその豆の木は、まるで巨大な蛇の姿を取りながらうねりながら真上へと進み、そして少女へ向かう害悪を排除するかのような動きでアルラの体を絡めとる。
『アタシは主に二つの呪術を扱う呪術師です。一つは先程説明した『肉の種』もう一つが私が先程から繰り出している、意識直結型呪力反映術式『飛び出す絵本』です。これはいわゆる連想ゲームの類でして、アタシが自分の声を呪詛に変換して『キーワード』を相手の脳に入力します。そしてそれに連想された事象が私の魔力バンクから魔力を引き出して発生するわけです』
「何故敵である俺にそんなことを説明するんだ?」
蔓にからめとられ、苦笑を浮かべながら問うアルラに、魔女風の装いの少女フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリーはあざとく笑って答える
『なに、簡単なことです。「これは勝てない諦めて仲間になろう」って思ってもらおうとですね』
「誰がそんなこと言うかよッ!」
ブチィ!!と蔓を音を立てて引きちぎり、その太い植物の残骸を足場に再び跳ぶ。強化された脚力によって足場にされた植物の残骸はその足の勢いと真逆、斜め後方へ吹き飛び、そして極際の拳が、少女を守る樹の根の翼を叩く。
『《声と足の等価交換》』
「!!」
その呪詛を聞き、慌てて耳を塞ぐが意味がない。新たにアルラの真上から濁流のような水の流れが生み出され、そのまま一般的な肉付きの体を石煉瓦へ叩きつけた。
『耳を塞いでも無駄ですよ、直接脳へ入力していると言ったでしょう。要はエネルギー変換みたいなものです。光エネルギーを電気エネルギーに変えるように、アタシの声を電気エネルギーへ変換して脳へ打ち込んでいます。耳を塞いでやり過ごせるほど簡単に済む術式ではありません』
「クソッ!」
『《人食い狼の腹の中》』
星の光を遮る影が仰向けに地面に叩きつけられたアルラの目に映る。その影の正体は巨大な岩石。それがアルラの真上にあった。その巨岩は酸の球体のように重力に逆らうこともなく、自然に。当たり前のことだが自然に、真下へ落下する。
真下にいるアルラに目掛けて
「ぐっ!」
不意によみがえったのは前世の最期の記憶だった。友を助けるために考えなしにぶっ飛ばし、巨大な瓦礫の下敷きとなった自分の下半身の姿だ。今でもはっきりと覚えていた。転がるように地面を移動してぎりぎり落石を回避する。直後にすぐ転がった先のアルラの横に巨岩が落ちる。
まともに喰らっていたら再生の暇なく潰されていただろう。嫌な冷汗がアルラの額を伝った。
『まだまだありますよ。キシシシシシシシ!』
さながら落下してくるブロックを積み重ねて一列に並べ、ブロックを消すゲームのように次々と同サイズの巨岩が降り注ぐ。それはアルラのいる水路の隣の歩道に限った話ではない。巨岩は雲の上から降ってきていた。建物に激突すればその部分が抉られたように無くなり、水路に落ちれば巨大な飛沫を巻き上げて沈んでいく。
『《藁の家》続いて《コートと太陽》』
三度襲う突風に、大火炎が乗っている。熱風と炎が巨岩の隙間を通ってアルラを焼き殺そうと遅いかかる。とっさに巨岩に一部を崩された警備委員会の建物の陰に隠れたアルラは瓦礫をその手に掴むと陰から出るタイミングを見計らい、メジャーリーガーが裸足で逃げだすほどの剛速球を放った。
『《金の卵を産む鶏》続いて《声と足の等価交換》』
が
それでも届かない。瓦礫は地面から生えた幾本もの巨大な蔓に防がれて、逆に砕け散ったのはアルラから放たれた瓦礫だった。続いて大洪水が空から降り注ぐ。
付近にはまだ一般人の姿もちらほらとある。拡大の一途をたどる被害は確実に住民たちを傷つけるだろう。
同時にアルラの心にも揺らぎが生じた。目に映ってしまったのだ悲鳴を上げて逃げ出す街の住民や泣き叫ぶ子供の姿が。中には怪我を負い、血を流す者もいる。それにかつての自分自身の姿が重なっていた。
突然奪われた平穏に人々は逃げ惑い、涙を流し守る立場である警備委員会は対象の排除ではなく住民の避難に奔走している。それを眼の端で捉えているあの少女は不気味な笑みを浮かべて、それがどうしても許せなかなかった。
(まずいっ!)
間違っていたのだ。激情に駆られて忘れていた。此処には失えるものがある人が大勢いると。アルラは失えるモノすら持たない。金も地位も権力も力も命も、アルラの持たぬものも含めた全ては復讐のためにある。だがそれは、他人を巻き込んでいい理由にはならない。
巨岩が逃げ惑う人々へ向かって飛散した。
気が付いたら、走っていた
そう、灯美薫が死んだあの日のように。
ゴッッッッ!!!
全身に光を纏ったアルラが、その人目掛けて墜ちる巨石を受け止める。ズシリという重たい感覚がアルラにのしかかり、押し潰そうとする。
「ひぃい!」
「今のうちに!」
今にも潰れてしまいそうになりながら、両手で受け止めた巨大の岩の塊を。ゆっくりと地面に置き再び空を漂う少女に向き直る。
「復讐はする、必ずだ。何があろうと絶対にお前を殺す。けど守れる命は守る」
『貴方が我々の側につかないというのであれば、アタシはここで貴方を殺しておくことにしましょう。厄介ですし』
気軽に言ってくれる。
上司が上司なだけあって、部下は部下で理不尽の塊のような人物と言うわけなら納得できなくもない。
そして理不尽なぶかぶかローブの少女はさらに囁く母親が子供を寝かしつけるように優しく、しかし残忍に
『《毒リンゴ》続いて《コートと太陽》さらに《人食い狼の腹の中》』
酸
火炎
そして巨岩が。
連続して深夜の街の一角に降り注ぐ。
街というより、国そのものすら破壊してしまいそうなその三連撃は容赦なく建物を溶かし、瓦礫に火をつけて、残った残骸を押し潰した。
「おかあさぁん!!!」
声の先には数ある巨岩の一つの真下に母を呼びながら泣く少女がいた。それを見て瞼の裏側に、かつての幼馴染の姿が現れる。そして抗うように、『異常』となった青年はまた叫んだ。
「『神花之心』ッ!!」
瞬時にその場から飛び出したアルラの体は、右腕でその少女を攫っていた。追い打ちをかけるように飛翔するその形を持った『害』はまるで隕石のように、美しい街の姿を変貌させてしまう。
煉瓦は砕かれ水路は崩れ落ち、歩道には瓦礫が散乱している。
煉瓦と水の街"ニミセト"は何よりもその美しい景観と街の平穏を大切にする街だ。
住民が平穏を望むからこそ他のどの街よりも警備委員会に予算が割り振られ
住民がその景観を愛するからこそ、それを崩す者には容赦がない。
中央広場を中心点として等間隔に五角形状になるように設置された五つの塔。塔と塔の間には警備委員会の支部が設置され、常に街全域の監視と警戒を行う。街の景観の管理を担う環境委員会が定期的な整備で街の警官の保全を行う。主に二つの委員会の活動で成立した煉瓦と水の街。
そんな美しい街の一角が、たった一夜で目も当てられない惨状になってしまった。
建物の修復は簡単だ。しかしその建物に染み付いた見えない"歴史"や思い出は修復できない
「大丈夫か?早く逃げろ」
泣きじゃくる少女を立ち上がらせると、出来るだけ穏やかな口調で逃げるように促す。少女もそのまっすぐなアルラの視線を受け取り何も言わずに駆け出した。
『復讐のためなら誰が死んでも構わないタイプの人かと思いましたが、案外お優しいんですね。はい』
「俺はお前たちみたいな平然と罪なき人を踏みにじる快楽殺人者とは違うんでな。人死にに慣れてないんだ」
『アタシの考えは違いますね。アタシたちは皆平等に"死"という法則に囚われた存在。そこに速いも遅いもありません、人は皆死ぬべき時に死ぬ。そこで死んだらその人の運命がその時を選んだだけのことです』
「ふざけんな、つまり『死んだらそれがそいつに定められた運命です』だと?ある日突然『最愛』を奪われた奴は、その運命を受け入れてこれから先を運命に怯えて生きろと言っているのと同じだ。てめえの勝手な都合で奪われた命の落とし前は、てめえでつけやがれ!!」
その『異常』となった青年の言葉を聞いて、呆れたように鼻で笑う魔女風の装いの少女の片手に握られたじょうろが、地面へと傾く。
『くだらないですね。決定された運命――未来とでも言いましょうか。その決定された未来に抗ったところでなんになると、死んだらそれまで。抗える力を持たずに生まれてきたのが悪いんですよ。はい』
どぷんっ!と、明らかにそのじょうろには収まり切らない量の液体が流れ出た
崩された石煉瓦の上に、まるで高貴な部屋に絨毯を引くように広がっていくその赤黒い液体は
どぷどぷという不気味な音を立てながら形を整えて生まれていく。
見覚えがあるそれに
「貴方の相手はこれに任せましょう」
いつの間にか元の肉声に戻っている少女が微笑みながら言った。
そう
まるで植物のように地面から生えたそれは数十体にもなる黒甲冑。
それも全ての甲冑が持つ銀の装備は高周波ブレードに機関銃。
アルラが相対した生きた人を殺して素材としたものではなく。
死体を素材として使用した上位個体。
一人一人が一国の騎士団の隊長クラスの実力を持つ不死の兵隊
それが数十体である。
普通の冒険者や戦士では絶望するしかない相手だった。
しかし彼の心に宿るのは並々ならぬ復讐心。
かつて幼馴染の少女を刺し殺され、両親を殺した憎き魔王の忠臣
フランシスカ・ドーナッツホール・ホーリー
そう名乗った少女を青年の鋭い瞳が睨みつけている。
「264年か...上等だ」
敵は数十体の最新兵器を扱う兵隊だ。相対するは【憎悪】の罪『神花之心』と264年の寿命を持つ普通だった異常な青年。
もうすぐ―――日が昇る。
オーロラのような淡い光を纏う青年が、漆黒の群れへ飛び込んでいく。




