先兵
情報伝達は今の時代、あっという間だ。
鳩の脚に手紙を結んで飛ばしていた時代と違って、電子の波の形でも魔力の波の形でも、とにかくあらゆる方法で言葉は広がっていく。
「......なに?『傲慢の魔王』が?」
「ああ、なんでも連合の対策会議に割り込んできたらしい。目的は対人類戦線とは別だったようだが」
「確かな情報なんだろうな」
「どこぞの貴族んとこの従者として長年潜り込ませてる奴からの情報だよ、信用できる」
そうかと短く呟いた男は地面に広げたブルーシートの上に座りながら、分解洗浄中の小銃を組み上げる作業を続けていた。
ログリア国の雪が積もったどこかの平原だった。
よく目を凝らすとわかる、迷彩代わりの真っ白なテントの群れの、その内の一つの中に彼らはいた。
純白のテントの数は軽く五十を超えている。
夜も更けてきて、白い布地はますます雪と見分けが付かなくなっている。
テントの壁は薄いので内側からの光は外に漏れて目立ってしまう。なので灯りは最小限。星明り程度の光量を放つ小さなランタン一つをテントの中央からぶら下げて、その明かりを頼りに一人の妖魔族が黙々と作業を続けていた。
若い男だった。
まだ二十代前半くらいだろう、しかし年齢の割に肝の据わった顔つきをしていた。長い髪を後ろで纏め、その上からバンダナを巻き付けている。視るもの全てを威圧するような鋭い眼をしているが、彼の仲間に彼を恐れる者は一人としていなかった。
「なあユーリー...いつまでこんなことを続けるつもりだ?」
黙々と作業を続ける彼にそんな風に声を掛けた屈強な大男は彼の......対人類戦線リーダーのユーリー・ヴォルグの古くからの友人だ。幾度となく同じ釜の飯を食い、同じ敵に立ち向かい、同じ目標を掲げ続けた戦友とも親友とも言い表せる人物だ。
しかしそんな彼でも対人類戦線の現状には不満があるらしい。
でなきゃわざわざこんな風に会話を切り出したりはしないだろう。そこまで分かっていて、敢えてユーリーは彼の言葉に一切の反応を示そうとしなかった。
カチャカチャという作業の音が返事の代わりだと言わんばかりに。
「......お前が待機命令を出してからもう二週間になる。最初は武器の調達調整、情報収集のためかとも思ったが、何時まで経っても始めようとしないのには何か理由があるのか?」
「...さあな」
「必要な資材は十分に揃っている、兵もだ。これ以上何を備える?何が必要になる?過度な準備期間は敵に対策の時間を与えるだけだ」
彼の言葉に間違いはない。
強力な兵器が手の内に合ったとしても、時間が経てばいずれ必ず情報は洩れて敵も対策を講じる。戦場での奇襲作戦が強力な効果を発揮するのは相手に対策の時間を与えないためだ、バレてしまっては意味がない。
兵士も人だ、やる気満々な兵士だっていつまでも窮屈な自陣に押し込められていたら鬱憤だって溜まるだろうし、徐々にやる気も削げていく。
ゆっくりとヤスリを引くように。
徐々に徐々に、しかし確実に。
「なあ、お前は人間に勝とうとしてるんだよな?」
「...闇雲に攻めりゃいいってもんじゃないだろ」
「だからって...っ!!」
「焦るなよ、俺たちの敵はドコのどいつだ?」
視線すら投げかけずに、手を止めることもせずにユーリー・ヴォルグはそう訊いた。
大柄な男の方は質問の意図を理解しようとして数秒止まったまま考える。
色々なことを頭の中で考えた後に、こう結論付けた。
「...人間だ」
「そう、人間。で、どんな人間だ?」
「どんなって...人間は人間だろ」
ダンッ!!と。
静かな夜を切り裂くように、一発の銃声が雪原に鳴り響いた。
弾は大柄な妖魔族の髪を掠め、テントの壁に小さな弾痕を残し、微かな硝煙の香りがテントの中に立ち込める。
テントに僅かに積もっていた雪が衝撃で剥がれ落ち、開いた穴から内側の光が漏れだした。
男は言葉を失い、何が起こったのか理解できず、その場で立ったまま硬直している。はっとなって弾痕の方へと振り返り、そしてまたユーリーの方へと向き直ったのは少し経ってからだった。
弾を撃ちだしたごくごく普通のハンドガンは、ユーリー・ヴォルグの手の中に握られていた。
「浅はかだっつってんだよゲルマ。まるでお前の大嫌いな人間みたいだな」
ゲルマと呼ばれた妖魔族の大男は分かってた。
自分が焦っているという事も、彼の言葉の真意も。
だから、横からこじ開けるように改めて自覚させられて言葉を失った。
「目に付く人間みんな殺して...それでお前は満足か。俺たちは人間とは違う、同じ過ちは犯さねェし、むやみやたらに殺したところで上から数で押し潰されるのがオチなんだ。俺たちはテロリストじゃねえんだ...必要のない犠牲は認めねェし求めてもいねェ」
手にしていたハンドガンを放り捨てて、ユーリーはそう言った。
「敵は人間、間違ってねえよ。だが倒すべきは人間が造った社会、そこんところはき違えんな」
「......すまなかった」
暫くの沈黙が流れた。
重苦しい空気は金属の様な質量を帯びてるかのようで、とても新しい話題を振れる雰囲気ではない。
銃声を聞いて何かあったのかと慌てて駆けつけてきた対人類戦線の兵隊に、何でもないと伝えてしばらくしてからだった。
だがまあ、とため息交じりに口にしたユーリーがに手にしていたのは、無造作にブルーシート状に放り捨てておいた軍用トランシーバーだ。
トウオウがログリア国軍へと贈った支給品で、先日のログリア国軍との小競り合いで手に入れた思わぬ戦利品。最大通信距離はこの大陸の端から端くらいまでを余裕で繋いでしまえるという代物だが、当然通信を行うには『相手』が居なくてはならない。
ほとんど独り言のように、ユーリーは言葉を漏らしていた。
「いい加減、先兵くらいは進ませねえとな...」
異なる時間と異なる場所で、また二人の男が夜を駆けていた。
馬車の荷台から後ろを振り返ると、夜空の一部がそこだけレイヤーの切り替えたみたいに少しだけ明るかった。
もう日付も変わって、今日は星明りも薄っすら漂う程度だ。ガタガタと整備が行き届いていない道に車輪が揺れて荷台の乗り心地はいつも以上に悪いと言える。
アルラが無言で見つめる先で、黒煙が陽炎みたいにゆらゆらと立ち上っていた。その真下には、二人がつい先ほどまで滞在していたあの街がある。
つい数十分前のことだった。
『起きろ...起きろシャハト!!』
今後の動向を定めようという話し合いに時間を設けることにして、自分の部屋へ戻った二人は自分たちが思ってた以上に疲労がたまっていたのか、共に軽くベッドで横になるつもりがすっかり熟睡してしまっていたのだ。
まず先にアルラの目が覚めた。
この時点で壁掛け時計の単身は0時をギリギリ過ぎる直前を指していたと思う。
街もすっかり夜に包まれ灯りが落ちていて、変な時間に起きてしまったせいですっかり眠気が覚めてしまったアルラはベッド横のテーブル上の蠟燭に火を灯してから何の気なしに窓を開けたのだ。
途端に、妙な空気を肌で感じ取った。
宿屋が街の端に位置していて、尚且つアルラの部屋が二階だったことも良かった。窓の外に映る景色の一番奥から、アルラの暗闇に慣れ尽くした視力が、複数のゆっくりと動く光源...まるで松明のような光を見つけたのだ。
最初は、この街を守る国境警備隊のパトロールかと思って気にしなかった。
しかしそれにしては様子がおかしい。
まるで灯りが他者に見つかることを恐れているかのようなちょろちょろとしたネズミのような動きで、尚且つ灯りの数自体もぽつぽつと少なめに思える。敵を警戒する目的なら、威圧なんかの目的で逆に灯りは大きく大袈裟に見せるはずだ。
第一、松明のような小さい光である必要が無い。昼間に本部で見かけた国境警備隊員は腰に懐中電灯を引っ掛けていた。魔鉱物と魔力由来で、電気で動く一般的な懐中電灯より強力な光を発するタイプのものを、だ。
嫌な予感がした。
窓から限界ぎりぎりまで体を乗り出し目を閉じて視覚を遮断する。余計な情報に気を取られないように。両耳に手を当てて、そして強化した。
『神花之心』で聴覚を、だ。
『...そげ...!気付か...る前に...!』
『わ......ている...も...静かに...!』
雑音に混じって聞こえたその小さな話し声に思わず身震いした。
すぐさまシャハトを叩き起こして事情を軽く説明してから馬を走らせる準備に移らせた。シャハトは街の人々を見捨てて逃げることに抵抗があったようだが、このタイミングを逃せばもう出国は出来ないとアルラが説明を繰り返すとようやく折れてくれた。
幸いにも、彼らは追ってはこなかった。
街を出た瞬間なんかは確実に気付かれてはいただろうが、どうやらこちらへの優先度は彼等にとって『街』よりは低かったらしい。妖魔族とのばったり正面衝突を避けるために国境越えの本来のルートを大きく逸れる結果になったが、安全第一だ。
道行きざまに闇夜の中で、アルラの視力が白を見た。
白い髪、白い肌、フードで隠してはいたが、隙間から覗くその色をアルラは見逃さなかった。
時間軸はまた戻る。
アルラとシャハトは最低限の資材だけを乗せて馬を走らせ国境を目指していた。
万が一に備えて馬の脚力と持久力をある程度『強化』しておいた。しばらくの間ではあるが、普段以上のペースで馬を走らせても問題は無いだろう。とはいえアルラの寿命も無限じゃない、ようやくある程度まとまった寿命がリソースとして確保されてはいるが、これからのことを考えると節約しておきたいというのが本音だ。
しばらく会話は無かった。
しかし街がすっかり見えなくなった頃になって、先にシャハトが口を開いた。
「ど、どうして...街のみんなには伝えてあげなかったんですか?その、敵がすぐそこまで迫ってきてるって...」
「......伝えたところで半信半疑だったろうさ。俺はよそ者、街からの信頼は無い。それに伝わったところでパニックが広がるだけだ。そうなったら俺たちまで脱出の機会を失ってた」
わかってはいても、やるせない思いがある。
アルラもそうだが、シャハトはもっとだ。彼はあの街との交流があり、記憶があり、思い出がある。
ニュースでどこか知らない土地が何かしらの災害に遭ったと知った大半の人は無関心だ。例えばこれが遠く離れた故郷だったとなると、ほとんどの人がその地に残した家族や友人と連絡を取ろうとしたり知り合いの安否を知ろうと行動するだろうが、人は知らない土地には実感が得られない。
その土地で暮らす人々の顔を知らないから。記憶が無いから。
だが、それがほんの一度でも訪れたことのある土地となると、大半の人は途端に心のどこかに小さなささくれの様な傷を自覚する。
何故なら知っているから。
その土地の人々を、記憶を、思い出を保持しているせいで、心に小さな傷を負う。そして傷は土地への記憶の多さに比例して大きくなる。
シャハトを襲う罪悪感の正体がそれだった。
当然、それは人でなしのアルラとは言え僅かながらに存在する。
「...大丈夫、妖魔族だってむやみやたらに民間人を殺すような真似はしない。捕虜として拘束するくらいが関の山だ。そんな事すればいよいよ全面戦争になるって分かりきってるし、今は連中も戦力を整えたい時期のはずだ」




