選択、前進
「......ってことは、まだ護衛が入用だろ?ついでだと思って乗っけてってくれよ」
「ぐすん、それは構いませんけど...。というか僕からもお願いするつもりでしたし」
悲しみに暮れるシャハトを何とかなだめ、アルラは同乗の許可を得ることが出来た。
これでまた密入国を試みてトラブルを起こすような心配も無くなったわけだ。あの飛行機事故の原因は不明だが、流石に同じようなトラブルが二度は続くまい。馬車の荷台にドラマでありがちな一定速度以下で起爆する爆弾でも仕掛けられない限りは。
ただし、今すぐに出発というわけにはいかないらしかった。
「さ、流石に馬を休ませないといけないので今すぐに出発というわけにはいかないんですよ。連日の旅もかなり急ぎ足でしたし、今日はこの街に泊まるしかありません。出発は早くても明日の昼前くらいになると思います」
「......構わない、必要以上に急いでトラブるよりはそっちの方がいいさ」
当然と言えば当然のこと。
馬も生き物、運動すれば疲れもするし空腹にもなる。途中途中で休憩を挟んでいたとは言え、彼の馬は今まで荷台を引きながら何日も歩き続けていた。無理をさせて馬を壊してはその場で立ち往生、絶望的なロスに繋がりかねない。
本音を言えば、今すぐにでも出発したいとアルラは考えている。
仲間の行方が気になってしょうがないのは勿論のことだが、ここ数日間は完全に情報からシャットアウトされているので妖魔族たちの動向も掴めていないのだ。彼らが何処に本拠地を構えているのか、具体的にログリアの何処へ向かえばいいのか、その他諸々不明点が多すぎるのが現状。情報はいくらあっても困らないくらいなのに、今のアルラには必要最低限のそれすら備わっていないのがキツすぎる。
しかしアルラはあくまでも同乗させてもらう側の立場なのだ。シャハトにも都合があり、ここで止まらなければならない合理的な理由もある。
無理を押し通せる立場じゃない。我を通して国境を守っている国軍なんかとトラブルになったらそれこそ余計なロスになる。
「とりあえずこの場から離れましょうか、外の人たちに見つかると面倒くさいですから...」
そう言うシャハトに連れられて暫く歩いた末に辿り着いたのは、街の隅でひっそりと営業を続けている、どんな街にもあるようなごく普通の宿泊宿だった。
どうやらここの主人と顔馴染みらしく、シャハトは受付で髭面の店主と何やら話し込んだかと思うと、すぐに二人分の部屋の鍵を持ってきてくれた。ありがたいことに料金も割安で。
懐かしい、そういえば旅の最初に立ち寄ったニミセトという街でも、丁度こんな雰囲気の宿に泊まったことがあった。
すっかり忘れていたがあの街での荷物も置きっぱなしだ。流石にもう撤去されているだろうが、荷物の中には向こうで初めて稼いだ金銭も含まれている。アレを持ってこれていたらどれだけ生活が変わることやら。
ベッドに入るにはまだ早い時間という事もあって、宿屋一階奥の食事処(別料金)で何をするわけでもなく今後の予定を話し合うことにした二人はテーブル席で向かい合って座り込む。
真っ先に口を開いたのは、これから向かう土地の知識に乏しいアルラの方だった。
「...なあ、ここを出発してからログリアに着くまでどのくらい掛かるんだ?」
アルラの質問に、シャハトは少し考えてから。
「国境を超えるという意味でなら一日も掛かりません。ただ、そこから人のいる街を目指すとなると...」
彼はそう答えると、懐から折りたたんであった古い地図を取り出しテーブルに広げた。
とん、と示した地点はこの街から北にしばらく進んで国境を越えた先の山岳地帯。『ヘ』の字を逆さまにしたような形状で北西から東へと広がっているそれに囲われるような位置に街を示すマークがあるのがわかる。
「山...」
「この山岳地帯に囲まれているのがネリトコ、北西のずーっと進んだ先にあるのがマカツァ。ネリトコは規模が大きい人口密集地で、マカツァは避難船が用意されてる港町です。ちなみに僕の村はネリトコとその北西に広がる平原の丁度中間くらいのところにあって...」
「......どちらの街に向かうにせよ山岳地帯を一度迂回する必要があるな」
シャハトは一旦自分の家を経由してから港町へ向かうという話だったので、ルートとしては山を迂回しつつネリトコ方面へ進んだ後に再び山岳の内側に沿ってマカツァへ向かうことになるだろう。
土地勘も馬での旅の経験もないアルラでは、目的地までどの程度時間がかかるかも測りかねる。しかしきっと二日三日では済まないのだろう。
地図にはこの街へ辿り着くまでに辿った道も載っていた。地図の上では分からない高低差なんかはあるだろうが、地図上の単純な距離を比べるだけならこれから進む道はこれまで進んできた道の数倍の長さがあった。
これでは、とてもじゃないが間に合わない。
いつ始まるかもわからない妖魔族たちの戦争に、だ。この大陸に降り立った時点でも一触即発だったのだから、あれから数日経過した今はどんな状態になっているか―――...。それを、さらに数日も見過ごさなくてはならないとなると......。
(......とても間に合わない。これじゃあ着くころには戦争が始まってる!)
始まる前に戦争を止めるという当初の目的の希望は潰える。
その時点ですらとんでもない無茶だというのに、いざ戦争が始まってからではいよいよ希望は無い。
一本の樹木に灯る炎を消すことはどうにか可能でも、周囲に火が燃え広がって山火事となってからでは遅すぎる。何としてでも燃え広がる前に手を打たなくては、これから先の未来にラミルのような無関係の妖魔族まで身に覚えのない憎悪に食い散らかされてしまうことになる。
想像しただけでもゾッとする未来にアルラは思わず頭を抱えた。
「じ、実はもう一つルートがあるんです。最速最短でネリトコまで突っ切れるルートが」
「あるのかよ!?」
がたんっ!?とアルラが反応した拍子にテーブルが揺れた。
倒れそうになったテーブルの上の水の入ったコップを慌てて抑えながら、シャハトはこう続けた。
すいーっと指先を地図上から動かして、山岳地帯の丁度ど真ん中を指し示しながら、だ。
「マケダ山トンネル。ヴォルガルダ側の山岳中間部の麓に山岳内側のネリトコへの直通トンネルがあるんですが、ここを通れれば半日でネリトコに到着できます」
「な、なんだよ。そんなルートがあるなら最初から言ってくれよ、てっきりログリアまで物凄い時間がかかるのかと思ったじゃ......ん?待て、通れればって言ったか?通ればじゃなくて...?」
「そう、そこが問題なんです」
コップの水を一口含んでからシャハトは思いつめたような表情で地図を見た。
それからあまり周りに聞かれるとまずいのか、テーブルから僅かに身を乗り出してから小声でアルラに説明し始める。
「......これは賭けになります」
そう切り出すと彼は次に地図上の山岳地帯の中間点...山の麓の辺りを指し示した。
「十数年前に一度、トンネルは地震による崩落事故で閉鎖されています。当時は通行量がとても多くて、かなりの死傷者が出たんです。かなり大きなニュースにもなりましたし」
「崩落事故って...つまりトンネルは中で塞がってるってことか?だとしたら通れるもクソも無いじゃないか」
「い、いえ。トンネルの復旧工事自体は一昨年に完了しているらしいんですけど...」
「けど?」
妙な言い回しに違和感を感じつつも、アルラの言葉に彼は『どうしたものか』とでも言うような大きい溜息を返し、そしてアルラもそれで何かを察し始めていた。
「通行禁止令が敷かれているんです。国から、工事中に欠陥が見つかったとかなんとかで、一昨年からずっと。以前にトンネルの前を偶然通りかかった時には警備員みたいな人も結構いて、なので...」
「なるほど。このごたごたでトンネルの警備が手薄になっているかもしれない、しかも入れたとしても中が本当に開通しているかはわからない。その辺が賭けって訳か」
なるほど。確かにかなり難しい『賭け』だと、そう思った。
トンネルを通ることが出来るなら大幅な時間短縮になる。わざわざ山岳地帯に沿って遠回りをする必要がなくなるわけだし、内部では悪天候の影響も受けない。強風強雨から馬を守るために一時停止する必要も無ければ、悪路に四苦八苦することも無いわけだ。メリットとしては十分すぎる程に得られる恩恵が大きいと言えるだろう。
だが、仮にトンネル内部へ侵入できたとしても、先程言ったように実はトンネル自体が開通していないという可能性も考えられなくない。
そうなると単純に時間のロスになってしまう。
それに加えてトンネルは一度崩落事故を起こしているという。文明水準がトウオウほど高くないこの大陸において、果たしてトンネル内部は本当に安全と言えるのか...。せめて内部を照らす照明くらいは存在してくれてればいいのだが、期待しないほうがいいだろう。
話に夢中で気が付かなかったが、辺りに人が増えてきた。午前中から午後にかけてずっと街を出るための準備を進めていた住民が、遅めの昼食のために食ここを使っているのだという。
これ以上、ここでの会話は避けた方がいい。考える時間を設けるためにも、いったんこの場は離れるべきだ。
「...結論を出すのは保留にしよう。話し合いはまた夜に、少し時間を空けてからだ」




